四
「海真教?」
小鞠が焼いてくれた月餅を食べながら葵依の言葉を繰り返す。月餅は新しい物好きでお馴染み、六国から入ってきた外国の菓子だが、中には餡と胡桃がぎゅっと詰め込まれており、香ばしい味と食感が堪らない。最近、小鞠はお菓子作りにのめり込んでおり、出来たものをよく鈴に食べさせてくれる。元々料理が好きな少女だったが、宮の高級食材や大窯が使える事が嬉しいのだろう。何しろ牛酪や上白糖は里では高級品だった。
葵依も月餅を丁寧に一口の大きさに切り分けて口に含みながら、ええと神妙な顔で頷く。
「八年前の暴動の裏にいた宗教です」
「例の星鴉も関与しているかもしれないってやつね」
「はい。それが、実は先日の金魚姫の一件に絡んでいるかもしれなくて……」
「えっ」
葵依は兄からの文を広げて見せる。葵依宛の手紙を見てもいいものだろうかと身を引いたものの、葵依は別段気にしないと言ってくれたので、おずおずと覗き込む。式部少輔である葵依の兄の手は簡素で無駄がない文で、挨拶もそこそこに金魚姫の身辺について書かれていた。
「当時、ご両親がとある宗教に入れあげていたらしいのです。大海神の御力で彼女の寿命を伸ばして頂いたのだと周囲に触れ回っておられたようで……随分お布施もしていたようです」
「大海神の御力?」
「はい。兄が言うには、医者もさじを投げたという病人を治したり、天気をあてたり、予言をしたりした、と」
「巫女みたいね」
病気を治すことはできないが、天気を当てたり災害を予見したりするのは神に仕える巫女の十八番だ。祀っていた大海神が本物ならそれくらいは確かに出来そうだ。
「金魚姫が亡くなったのは、どうやら十二国で暴動が起きる一年くらい前のことらしいですね。調べて貰いましたが、金魚姫の霊が出たという噂はさすがに掴めませんでした……」
「充分だわ。葵依のお兄様、よくそこまで調べられたわね」
「真尋様の一件から、独自に調べてくれたそうなんです。例の金魚も、その流れで引き取る事になったといってらっしゃいました。青慈兄様は兄弟の中でもいちばん、真尋様を可愛がってらしたので……」
葵依は少し寂しげな微笑みを浮かべて、すぐに手紙へ視線を戻す。鈴も何も言わずに彼女が指でなぞる墨文を目で追う。
「生贄による呪術……」
そこに書かれていたのは、海真教の者が行ったとされる呪術の内容だった。金魚の目玉を一日一対、飲み干すことにより命を伸ばす術とある。
大海神の眷属を取り込むことにより力を授かるのが目的だそうだが、金魚は海の生き物ではないのに大海神の眷属になるのだろうか。水辺の生き物は皆眷属扱いなのだとしたら随分大雑把な呪術だが、数百年生きた鯉が龍になったという神話も存在するくらいなのだから、金魚も千年でも生きれば龍になれるかもしれない。
「これってつまり、飼っていた金魚の、ということですわよね……」
「多分……ご両親は呪術のために買い漁っていたのね。獣を使って呪詛を掛けるという術はあるけれど……」
それにしても目玉というのは、想像しただけで胸に来る話だ。可愛がっていたというなら尚更だろう。葵依も胸元を押さえて、ゆっくりと側にあったお茶を飲み干す。
「だから金魚姫は金魚たちを逃したのかしら……」
茶器を持ったまま、ぽつりと言う葵依の言葉に、鈴は漆塗りの台に置かれた玻璃の器を見る。その中には今も紅の尾鰭と胸鰭をひらひらとはためかせながら泳ぐ金魚の姿があった。彼女の最期を看取った金魚なのかもしれない。それとも彼女が死に際に、口にした金魚なのだろうか。
可愛がっていた金魚を、毎日一匹ずつ食べ続けた少女。外へ出ることも叶わず、飼っていた金魚たちは確かに、少女の慰めになっていただろうに。
「お可哀想に……」
同じ宗教に定めを狂わされた者として、何か思う事があるのかもしれない。葵依は金魚鉢の方を見て、痛ましげに目を伏せた。
人は皆、命を食べて生きている。
鈴が毎日食べている魚も肉も、元はひとつの命だ。食べるために餌を与えられて太らされ、飼われている。鶏や魚はよくて、金魚は駄目なのかと言われたら、鈴には何も言い返す言葉がない。
でも、幼い少女は耐えられなかったのだろう。鈴だって、山の獣たちを毎日殺して彼らの目玉だけを飲ませられていたら、と想像してすぐに首を振った。無理だ。きっと気が狂う。
(人って、なんて傲慢なんだろう)
金魚姫の両親だって、娘を思えばこその行動だっただろう。正直に言えば、本当に呪術の効果があって、彼女が十三まで生きたのかは怪しいところだが、親御さんの気持ちはきっと本物だったはずだ。
子供というものは総じて七つまでは神の子とされ、子が七つまで無事に育つ事は、決して当たり前のことではない。
彼女の体が弱かったというのが真実だとしても、眷属の命を頂いて力を授かる為に金魚の目玉を飲むというのは、聞こえはいいがやっている事はただの食事だ。勿論金魚自体に呪いがかけられているなら話は別だが、その呪術師がどこの誰かわからない以上は調べるのは難しい。
「その呪術師の名前?」
「うん、わかったりしない?」
「ええと……ちょっと待って下さいな、たしか手紙のどこかに……」
数枚あった紙を捲って、葵依は文字を辿る。
「ああ、ありました。海真教の呪術師で、名を海音という男だったそうです」
「海音?また変わった名前の響きね。大海神を祀るくらいだから海に関連する名前が付けられているのかしら」
「そういうものですか?」
「呪術師って、大体真名は人に明かさないものだから。名前さえあれば呪詛をかけれるもの」
「名前だけで……?」
「まあ、掛けれる術者はそう多くないと思うけど」
呪詛は薄張りの氷よりも繊細で複雑なのだ。呪詛を返すにも技量がいるが、返されれば魂に傷がつく。勿論、返せるかどうかも術者の技量次第である。出来るなら、呪詛を返す必要のない人生でありたいものだが。
しかし、何となく事の全容が見えたおかげで、還す方法も大体掴めた。少し準備がいるが、今夜あたりに送ってやれるだろう。
「葵依様、本当に色々とありがとう。すごく助かったわ」
「少しでもお役に立てたなら嬉しいです」
「式部少輔のお兄様にもお礼を言っておいて下さいな」
「いえ、むしろ兄が礼を言うべきではないでしょうか。兄が持ち込んだものですし」
「ここへ持ち込んだのは茅羽夜だもの。それなら、礼を言うべきは茅羽夜だと思うわ。彼、あの金魚鉢をここへ持ち込んだ理由をなんて言ったと思う?気が紛れるかと思ってですって。幽霊の金魚を眺めて紛れる気って何よって話じゃない?」
確かに綺麗なのは綺麗なのだが、小鞠が未だに気味がって近寄ろうとしない現状をどうしてくれるのか。彼の感性が本当に謎だ。
「未だに、何もしてこないし……お菓子を届けて雑談するだけして帰って行っちゃうのよ。もう此処へ来て四月になるのに」
「あら、ですが初菫様。それだけが愛情ではないと思いますよ。お二人は、お二人だけの愛情の形がありますもの。初菫様だって、東宮殿下が大切にして下さっていることを、きちんと理解していらっしゃるではありませんか」
「……大事にされすぎるのも困るのよ」
これが鈴の我儘であることも理解しているのだが、時々不安が振り返すのだ。自分が此処にいる価値が、本当にあるのだろうか。
毎日豪華すぎる食事をとり、毎節仕立てられる着物も、届けられる甘味も、鈴が何かを対価にして得たものではない。里では働かねば食うものにも困るというのに、此処で鈴がしているのはただこうやってお茶を飲み、笑っているだけ。
それだけの価値が、本当に自分にあるのだろうか。鈴には何も返せないのに。
(もしかしたらわたしは、茅羽夜に大事にされるだけの確かな価値が欲しいのかもしれない)
東宮妃のお役目という、名前の対価が。




