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東龍の花嫁  作者: 朝生紬
二章 まどいの星々
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 正午を告げる太鼓の音が聞こえると、茅羽夜は立ち上がって腕を伸ばした。風早が昼餉を持ってくるまで、茅羽夜は腕をぐるぐると回して凝り固まった肩を解す。

 東宮の執務室になっている一室は前ほどではないものの、大和綴じの書籍がいくつか積まれており、それのどれもが十二国に関連のある資料だった。東宮の権限で集められるだけ持ってこさせたのだが、思いの外閲覧に制限のものが多く、持ち出せたものは二人がかりで三往復分程だけだった。茅羽夜はその内のひとつを手に取って捲る。

 八年前は空位時期だったとはいえ、当時生き残っていた皇子は今上帝である奈月彦と第二皇子であった真尋殿下、そして当時は秘密裏に九条家に匿われていた茅羽夜のみだった。真尋は元々第一皇子である奈月彦と争うつもりはなく、この時点で奈月彦の即位は時間の問題かと思われていた。

 しかしそれに意義を申し立てたのが当時の十二国の国長、十二村とにむら家だ。彼らは奈月彦が父帝を殺した弑逆の罪人であると公布し、またその父帝も長く圧政を敷いていた件を盾に皇の廃退を求めた。

 彼らの裏にいた宗教の名は「海真教かいしんきょう」といって、海の底にあるといわれる龍宮城の主、大海神を主神とした宗教だった。大海神は元々、照日奈大神てるひなのかみの流した涙から生まれた神で、幽世の主である月黄泉大神つくよみのかみの眷属だ。陽神ひのかみから生まれて、月神つきのかみに属する珍しい神だった。

神話を紐解くと照日奈大神が半身の治める黄泉へ続く海があまりにも荒れ狂って死者の魂が惑うのを憂い、海を宥める為に月黄泉大神の元へ遣わしたといわれている。

 双柱に縁の深い神この大海神を主として祀る者達が何故、皇を否定するに至ったのかまではわからない。教典などは八年前に既にことごとく焚書させられているからだ。しかし、先帝時代からの皇への不信は根深く、信徒は予想以上に膨らみ、十二国では皇を退陣させる動きが次第に大きくなっていった。

 そして秋、ついに十二村の国長による反乱が起こる。表立って海真教が争いに出てくる事はなかったが、彼らの裏にその存在があったのは明白だった。

 奈月彦は自ら真尋と共に十二国に赴き、鎮圧の指揮をとり、翌年睦月の半ばに暴動は収束し、末には当主と教主の処刑が行われた。海真教は解散させられ、国長の一族は行方不明となり実質途絶えることになる。

 これが八年前に起こった一連の流れだ。このあたりは誰でも閲覧可能な書籍に記されている。

 しかし当然と言えば当然なのだが、教義の内容や他の幹部の名前などはわからなかった。

 青幡、それに渡り部と呼ばれていた占師が海真教の生き残りだとしたら、皇である茅羽夜を狙うのは理解出来る。占いを用いて信徒を集めている手も似通っていた。しかし、鈴を「姫宮」と呼び、攫おうとした理由は何なのか。

 彼らが皇を狙う理由は、国主としての座を欲しているからなのか、それとも別の理由があるのか。彼らの目的が見えないのは、どこか据わりの悪い話だ。

 目頭を指で押さえて解していると、不意に乱雑な足音がこちらへ向かってくるのがわかった。風早ならこんな大きな音を立てないし、縁寿のものでもない。目を眇めて顔を上げると、妻戸から顔を出したのは意外な人物だった。

「よっ!茅羽夜、久し振りだなあ!」

「……松葉?」

 破顔しながら片腕をあげて入ってくる松葉は、唐獅子の紋様の入った墨染の褐衣を着て、腰には太刀を帯びている。輿入れの際は鈴の身内であることが考慮されて、彼女の護衛に回されたらしいが、彼は元々兵部省ではなく近衛府に所属する衛士だった筈だ。

「どうしたんだ、その格好」

「あれ?聞いてねえの?今日から俺、ここの配属になったんだ」

「……聞いていないが」

「貴方が驚かせたいから黙っていろと言ったんでしょう」

 松葉の後ろから顔を出したのは縁寿だ。その後ろには膳を持ったままうんざりしたような顔をしている風早もいた。

「あ、そうだった!」

「全く……それと松葉、流石に弁えなさい」

「ははは!いや、何か元の癖が抜けなくて。あ、いや、わかってるわかってる!流石に、もうタメ口きいたりしないって」

「ついさっき、気安く話していませんでしたか?」

「今から!今からは!」

「殿下、お食事をお持ち致しました」

 風早は早々に松葉の存在を無視することに決めたらしい。茅羽夜の前に昼餉の膳を置くと、積まれたままの本を素早く片付け、ついでに松葉を部屋から追い出しにかかる。

「まあ待て風早。松葉、お前今日からここの配属と言ったか?」

「はい!」

 風早に掴まれて若干乱れた襟周りを整えて、松葉は元気よく返事をした。

「東宮舎人として武挙ぶきょにようやく受かったんです」

「もしかして最近顔を見なかったのは試験の為だったのか?」

「ええ。松葉、実技は騎射、歩射、舞刀共に優の成績を修めていたのですが、学科が……」

「ああ……」

 額に手をやって答えた縁寿に、だろうな、という視線が風早からも送られている。人を見た目で判断するのは良くないが、縁寿と松葉はどう見ても文の兄と武の弟という両極端な兄弟だった。更にそこに巫の鈴を加えてみると、それぞれ得意分野が見事に分かれている。

 しかしそれは、思えば茅羽夜たちにも言えた。奈月彦は文武両道であるが。

「三回目でようやく学科も佳を貰えまして」

「武挙の学科は確か兵書から出題される試験だったな。そこまで難しくなかったと思うが……」

「まあ、兵書なんて松葉には関係ないですからね……感覚だけで二十五年生きてきたものですから」

「動物か何かですか?」

「おう、そんな褒めんなって」

「今のが褒め言葉に聞こえたんですか?聴覚か言語理解能力のどちらかに問題がありますよ。ああ、どちらもですか」

「相変わらず鋭い切り口だな風早!」

「恐れ入ります」

 風早の応対が雑になってきていることに、茅羽夜が僅かに苦笑する。二人が茅羽夜の側に居た時期は数月しか被っていなかったが、その短期間の間に既に深くて長い溝が作られていた。主に風早側に。

 先帝時代は殆ど世襲制であった上級の文武官の登用だが、奈月彦が即位後に大きく改変し、試験結果とその後の働きようによっては庶民でもそれなりの地位に付けるようになった。さすがに八省の長官にはそれぞれ国長や親王がつくことになっているし、そういった者たちの推薦も必要になるが、大輔や少輔にまで上り詰めた庶民出身も、多くはないものの皆無ではない。現在でいうと中務省の少輔は奈月彦が科挙を取り入れた最初の年に、僅か十五で首席を取った天才児だが、彼は三国の端にある街の農民の出だった。

 これは、実は九国から始まった制度であるが、今では八省でも用いられている。

 実を言うと、茅羽夜も一度受けたことがある。自分の実力を知りたくて受けたものの、即ばれてつまみ出された。実技試験に兵部卿である三廻部家の長がしれっとした顔で覗きに来ていたのは相当運が悪かった。三廻部家は世間的にも、東宮一派として知られており、茅羽夜も九条家にいた頃に何度か顔を合わせていた。

「松葉、お前どこの家の推薦を貰ったんだ」

「あれ?言ってませんでした?私を中央へ誘って下さったのは三廻部の大将様ですよ」

「やはり赤磐あかいわ殿か……」

 先程思い浮かべていた御仁の名前に、しかしどこかやはりそうだったかと腑に落ちた気がした。

 三廻部家の元当主、赤磐は伝統を尊ぶ東の御三家のひとつでありながら時期や情勢をよく読み、柔軟に立ち回る事ができる人物だった。今でこそ老いて国長の当主を息子に譲り、兵部卿の座にあるが、彼は元々現場主義者だった。若き頃は風林火山を体現するような将であり、先帝も、どれ程彼が上の指示を無視した動きをしても無下に出来なかった程、彼の剣の腕も戦局を読む目も確かな豪傑だ。

 簡単に言うと松葉みたいな人間が大好きな人で、試験会場に現れた東宮の首根っこ掴んで放るような人物である。彼が何故自分の一派にいるのが不思議で仕方ない。

「いやーさすがに三回目になると赤磐様から拳骨喰らいましたけど、何とか受かって良かったです。四度目は多分なかったです」

「だろうな」

 赤磐の拳骨を喰らってまともに立っていられる人間はいないとまで言われている。そこで落ちていたら命が危うかったかもしれない。本当に受かってくれて良かった。

「しかし言ってくれたらよかったのに」

 松葉が側に仕えてくれるのは、茅羽夜としても喜ばしいことだった。普通、東宮府にはもっと多くの官吏がいるものだが、茅羽夜が何分なにぶん特殊な身の上なのであまり多くの人間を側に置けないのだ。松葉なら気心も知れているし、腕の程もよくわかっている。側近が風早ひとりというのは、随分負担をかけていると思っていたのだ。

「いや受かるかどうかわからなかったんで……」

「そうか……」

「馬鹿な弟ですみません」

「直球過ぎるだろ兄貴。否定はしないけど」

「否定出来ないの間違いでしょう」

 風早の冷ややかな視線と縁寿の呆れた視線を左右から受けて、松葉は言葉に詰まったように一歩後ろに引いた。

「しかし松葉の腕は俺もよく知っている。これから宜しく頼む」

「おう!任せとけ!」

 次の瞬間、にかっと笑って胸を叩いた松葉の後頭部に風早の平手打ちが入り、乾いた良い音が東宮府に高く響いたのは言うまでもない。


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