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東龍の花嫁  作者: 朝生紬
二章 まどいの星々
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 数日後、葵依と璃桜にも声をかけてみると、ふたりは揃って菫青殿まで足を運んでくれた。小鞠の淹れてくれた冷やした花茶に蜜を入れたものを出して、葵依が持参してくれた錦玉きんぎょくを頂く。錦玉は寒天に水飴などで甘みをつけて、型に入れて固めた透明な菓子だ。ちょうど中には練り切りで作られた小さな金魚が透明な寒天の中で泳いでいる。まぶされた刻まれた金箔がきらきらしていて、食べるのが勿体無いくらいだ。

「まあ、本当に空っぽですわ。不思議」

「本当にこの中に金魚がいますの……?」

 金魚鉢の前で璃桜は目を輝かせ、葵依は落ち着かない様子でちらちらと見ていた。璃桜も葵依も只人であるので、自分に縁のない幽霊は目にする事が出来ない。なので彼女たちの目には、小鞠と同じく鈴が空っぽの水槽に話しかけているようにしか見えないのだ。

「式部少輔が陰陽寮に持ち込んだ金魚らしいのですけれど」

「ええ、兄に聞きましたわ。どうやら金魚姫の飼っていた金魚らしいです」

「金魚姫?」

 璃桜が水槽から顔を上げて訊ねると葵依は頷く。どうやら彼女の知る怪談集の中にはない名前らしい。

 璃桜はなんと、自ら宮中の怪談話を纏めて一冊の本にしているのだと言う。巫術師として育てられてきた鈴からしたら、一体幽霊の何が彼女をそこまで駆り立てるのかわからないが、幸か不幸か、宮中に幽霊話の類は履いて捨てる程あるのだ。

 一方怖がりの葵依はやや金魚鉢から距離を取りつつ、兄から文で聞いてきた事を話し始めた。

「随分前の話らしいのですが、七国に金魚蒐集が趣味の貴族がおりまして、彼の屋敷はそれはもう、あちこちに金魚がいたらしいのです。天井からも丸い玻璃の球を下げて、庭の池にもありとあらゆる金魚が放されていたそうです。それ故に、周囲は彼の家を金魚屋敷と呼んでいました」

 小さなものなら然程値は張らないが、品種によっては一匹でも地方官吏の一月の給与程にもなる。また玻璃の器も決してやすいものではないし、毎日水を変えて玉砂利も定期的に洗ってやらねばならない。生き物であるから当然、餌も要る。相当金の掛かる趣味だ。

「その貴族には一人娘がおりまして、金魚屋敷に住んでいるから金魚姫と呼ばれていたらしいです。生まれつき七つまで生きられないと医師からいわれ、一日の大半を寝台で過ごす日々を送っていたとか。その貴族の金魚蒐集も、その娘が床にいても楽しめるように集め出したのがきっかけらしいのです」

「優しいお父上ですのね」

 璃桜は扇でゆるりとあおぎながら微笑む。確かに、床から起きる事もままならない少女からしたら、玻璃の中で泳ぐ優美な金魚を眺めるのは心休まる時だったかもしれない。

「ええ、娘自身も金魚をとても可愛がっておいでで、調子の良い時は自ら餌をやっていたそうです。金魚たちも娘には随分懐いていたと聞きました。娘が傍によって指を出すと、こう、すいっと寄ってくるのだそうです。猫や犬のように抱いて眠ることは出来ませんけれど、金魚にも愛情がわかるのでしょうね。それに、やはり自分に懐いてくれるものいうのは、可愛く見えますもの」

「わかるわ」

 額に白星のある大鴉や角の欠けた牡鹿たちを思い浮かべて鈴も頷く。その横で頷く璃桜も生家では金糸雀という小鳥を飼っていたらしい。

「ご両親のお心が届いたのか、娘は医師に言われた七つを過ぎ、十を越える頃には随分と体も良くなっていたそうです。しかし一度起き上がって外に出ると、二日は寝込むといった生活を繰り返していたようで……ご両親は前にも増して、金魚を買い漁り、人よりも金魚の方が何倍もいたらしいです」

 初めは娘を憐んでいた周囲も、段々と狂気じみてきたたそれに、距離を置き始めた。壁という壁、空間という空間に置かれた金魚鉢と金魚の視線に耐えられなくなり、暇を願い出る使用人も出た程だという。

 それでも両親は一心に金魚を集め続けた。娘の為に。

「しかし何を思ったのか、十三になった時、彼女は突然、すべての金魚を逃したそうです」

「えっ逃した?」

「はい。彼女の家には大きな池があったのですが、それは近くの小川を経由して引っ張ってきていたらしく、池の生き物が逃げないようにしてあった栓を抜いて、そこに何日もかけて皆逃してしまったのだそうです」

「まあ……それで?ご両親はどうなさったの?」

「ええ、ご両親は娘を叱ったそうですが、彼女は頑なにどうして逃したのか話さなかったと……そしてその数日後、彼女は亡くなったと、聞いています。金魚を逃す為に、体調を押して外に出たらしく……」

 葵依も璃桜も、痛ましげに目を伏せる。娘の為を思って集めた金魚が、娘が亡くなる原因となったというのは、彼女の両親を思うと何ともやりきれ無い気持ちの残る話だった。

「その時唯一、最期まで彼女の手元に残っていた金魚が尾鰭が長くとても美しい紅の金魚だったと聞いています」

 鈴は台の上に置かれた金魚鉢を見る。玻璃の中の金魚は尾鰭を優雅に振りながら底をくるりと回っている。きっとこの子がその金魚姫が手元に残したと言われる一匹なのだろう。

「……この金魚は、どうして迷っているのかしら」

「金魚姫に会いたいのでしょうか」

 痛みを含んだ声で葵依が言う。その隣で璃桜も、花茶に口を付けながら寂しく微笑んだ。

「金魚姫が幽霊になったという噂とか、聞いた事があります?」

「いいえ、わたくしは特に聞いた事がありません。兄に聞けばもう少しわかるやもしれませんが……今日、また文を書いてみます」

「ありがとうございます、七宮様」

 礼を言うと、葵依は微笑んで首を振った。そして錦玉を切り分けて、一口含む。彼女は先程から練り切りの金魚の周りだけ器用に削って食べており、とうとう最後の一口にまでなっていた。

「錦玉って、見た目は可愛らしいけれど、中にいる金魚が何だか食べにくいですわよね……」

「確かに、少し可哀想よね」

「……」

 そんな発想には少しも至らず、もうすでにぺろりと食べてしまっていた鈴は、これがお姫様の思考か……と考えて、黙って金魚鉢の方を見つめた。恐らく金魚の話をしていたからだろうが、そういわれると何だか今し方食べた金魚が今そこで泳いでいるその子に見えて、何とも言い難い気持ちになる。

 じっと見つめていると、不意に金魚がこちらを見た気がした。金魚の肉体はすでにないので餌を食べ無いが、もしかしたら生前の記憶に引きずられて、餌を求めているのだろうか。鈴が指を伸ばして玻璃に付けると、金魚は尾を振って近寄ってくる。

『────おかあさま』

「!?」

 一瞬聞こえた少女の声に、鈴は思わず指を引っ込めた。そして今も金魚の練り切りと格闘している葵依とそれを眺めていた璃桜を見ると、ふたりは不思議そうな顔をして「どうかなさったの?」と首を傾げた。ふたりには聞こえなかったらしい。

「……いいえ、何も」

「そう?」

 璃桜が気遣わしげに言うのに頷いて、鈴はすっかりぬるくなってしまったお茶を飲み干す。

 それからは璃桜の一押し怪談話に花を咲かせて、葵依の顔が真っ青になった頃、茶会はお開きとなった。葵依も苦手なら聞かなければいいのに、どうも怖いもの見たさで好奇心が勝ってしまうらしい。わからないでもないけれど。

 結局、少女の声はあれから一度も聞こえなかった。




* * *



 たくさんの目が、自分を見ている。

 燈台の灯りにぼんやりと浮かんでいるのは、優しげな母の顔だ。自分を産む前はさぞ美人であっただろうその面差しは翳り、酷く疲れたように見える。自分の髪を労りをこめて撫でてくれる手に顔を傾けると、彼女は微笑んで、背中に腕を回して起こしてくれる。上体を褥の上に起こすと、玻璃の球が淡い光を帯びていた。

「おかあさま」

 少女の声が震える。いやいやと首を振ると母は悲しそうに顔を歪めた。大粒の涙が頰を伝って手元の褥に落ちたのを見て、少女は唇を噛み締めて、目を伏せた。

「おとうさま」

 彼女の後ろにある丸い玻璃の中には色取り取りの金魚が自由に泳いでいるのが見えた。上を見れば網に球ごと入れられて梁から吊るされているものもあり、少女の視界はどこを見てもその淡い光に満ちていた。紅、金、黒、白金、銀、まるで流れる薄絹のような尾鰭、溢れる泡沫、黒々とした星のような眼。

 彼らがなぜ、此処にあるのか。それを理解したのは十の時だ。

「おかあさま、わたし、もういや」

 母の瞳から彼らの口からこぼれる泡沫のようなそれがあふれて、少女を諭した。

「あなたのためなのよ」

「仕方ないの」

「祭祀様が仰っているの。大海神様のお力をお借りせねば、あなたは生きられない」

「だから、わがままを言わないで」

 その言葉に、少女は頷いた。理解をしていたわけでも、納得していたわけでもない。ただ、母が涙を流して懇願することに、どうしても抗えなかったのだ。

 少女が頷くと、母はどこかほっとしたように微笑んで、一瞬だけそばを離れた。そして、褥のすぐそばに置いてあった爪の先程の丸い()()を差し出す。

「さあ、食べて」

「これを食べ続けていれば、きっと良くなる」

「大丈夫よ」

「大海神様が、きっと治して下さるから」

 熱に痛む頭と投げ出された痩せ細った四肢。少女は自分の命がじわじわと細っていくのを感じていた。母も父も騙されているのだ。でもそれをいうと、母は悲しそうな顔をする。父はそんな母の肩を抱いて、やはり泣くのだ。二人が泣くのをもう見たくない。けれど。

 少女は知っている。皆の声が教えてくれる。

 きっと()()()は自分を救いはしない。彼の求めるものは、少女の命の先にあるのだから。

 白い夜着に紅の帯が褥に広がる様子は、まるで同じだと少女は思った。囚われの彼らと、その彼らの命を喰らって、生きる自分。同じなのだ。どこへも行けないという点において、彼らと自分は確かに同じだった。

 母から手渡されたそれを口に含んで、水と共にゆっくりと嚥下すると腹の底から何かが聞こえてくるようだった。それはみんなの声だった。自分が生き永らえた数だけ飲み干した、彼らの生命の叫びだった。

 そうして、凝り固めたものを、何と呼ぶのか少女は知らない。知りたくもない。

 


 たくさんの目が、少女を見ていた。

 

 

 

 


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