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東龍の花嫁  作者: 朝生紬
二章 まどいの星々
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 夕闇が東の空から滲み、藍色に染まる空に星明かりが灯り始める頃、鈴は用意された輿に乗って菫青殿を出た。

 その日、用意された衣はいつも着ているような唐衣に単衣と長袴といったものではなく、柔らかい乳白色の短衣に菫色の腰帯、沙青の(くん)といった随分と古めかしいものだった。

 ゆったりとした袖にはやはり菫色の刺繍が施されており、鈴の為に作られた衣装であるのがわかる。髪は朝から張り切っていた小鞠によって結い上げられ、茅羽夜から貰った簪が挿してあった。

 蛍辺の宴は内廷の中にある白耀殿のすぐそばにある池で行われる。白耀殿のすぐ後ろには白龍山から続く森が広がっているが、その真ん中には山から流れてきている滝があり、その裾に広がる様に大きな池があった。

 ごつごつとした岩で囲われた池の真ん中まで続く舞台が篝火によって橙に輝いている。この真っ直ぐ伸びる舞台を軸にして鈴達が座る席が左右に広がっていて、真正面に帝の為の席があり、右手には一宮、四宮が座り、左手に六宮と七宮の輿がつく。

 鈴が連れて来られたのは帝の左手側やや後ろらへんの席だった。後ろらへんと言っても舞台より少し高いので景色は申し分なく、舞台の奥にある滝の白さまでよく見えた。

 夏の夜は短く、まだ空に黄昏が残っているため、雅楽と酒を楽しみつつ夜が更けるのを待つのだそうだ。どうやら蛍を放つのは一番最後らしい。茅羽夜が「酒が呑みたいだけだろう」と言った意味がようやくわかった。

 帝とは御簾で隔てられている上に距離がある為、そのお姿までは見えないが、まだ来ておられないようだ。政務が詰まっているのかもしれない。帝と鈴の間に設けられた席もまだ人の気配はなかった。

 池というよりも、最早湖と言っても差し支えない程の大きなそれをぼんやりと眺める。妃達が後宮から出られるのは夏越の祓えの後にあるこの蛍見と、年始の祭事の時だけで、妃達は勿論、彼女達に仕える侍女もここぞとばかりに衣に香を焚いて、着飾っている。らしい。どちらにしろ席には全て御簾が掛かっているので見えないのだった。

 しかし、かく言う鈴の衣にも小鞠が昨日から鈴のお気に入りの香を焚き染めておいてくれたらしく、ふんわりと銀木犀の香りが漂う。

 (……茅羽夜、やっぱり来ないつもりなのかな)

 空のままの隣席を見る。毎年欠席している東宮は、妃を迎えても相変わらず宮に引っ込んでいるつもりらしい。

 (別に、いいけど)

 いつのまにか舞台には舞手が登っており、どん、と太鼓の音が聴こえた。ぼんやりとしている内に宴が始まったらしい。

「初菫様、七宮様から」

 小鞠がそっと差し出してきたのは玻璃の器に注がれた酸梅湯さんめいたんだ。烏梅うばい山査子さんざし洛神花らくしんか、甘草を煮た、やや癖のある飲み物だがどれも生薬として使われるものなだけあって、体にいい。昔、縁寿が作ってくれたことがあるが、あまり得意ではなかったのを思い出す。

 しかしせっかくだし、と一口含むと、甘い香りが鼻に抜けていくので驚いた。どうやら飲みやすいように桂花の花も一緒に煮込まれているらしい。あとでお礼を言おう、とゆっくりそれを飲み干した。

 御簾で隔てられいる上に、食事やお酒などは小鞠が席まで随時持ってきてくれたので、思っていたよりも周囲を気にする事なく、雅楽を聴きながらゆったりと宴を楽しむことが出来た。翳を扇ぎながら、鈴は夜の帳が静かに引かれていく空を見る。

 ふと囃子の調子が変わり、てん、という軽やかな音があたりに響いた。

 それが璃桜の、彩雲から溢れた音であることは、すぐにわかった。璃桜の奏でる音は淡雪のように繊細で、掌に落ちる花弁のような儚さがあった。同じ和琴の音色なのに、紗依姫の奏でる大河の奔流とはまた違った色で、生命に溢れた音が静寂を彩っていく。

 奏者によって色を変えるそれは、まさしく彩雲の名に相応しいだろうと思った。

「初菫の」

 ふと聞こえた声に、鈴は目を見開いた。少し向こうの御簾に、いつの間にかぼんやりとした人影が見える。

「すまないな、隣を空けることになって。許してやってくれ」

 びっくりして固まる鈴をよそに、彼は淡々とした声で話し掛けてきた。思っていたよりもその声はゆったりと平坦で、また感情が読み取りにくい。初めてかけて頂いた声が、(ちはや)の不在を詫びる言葉であるとは何だか恥ずかしいやら情けないやらだ。

 自分から声をかけて良いものか悩んでいると、清涼な声が割って入る。

「これこれ、そう気安く弟嫁に話しかけるでないわ!初菫のも困っておるではないか!全く、どうしてそなたらは順序というものを守らぬのじゃ」

 帝の逆隣の席は、真陽瑠の席だった。距離があるというのに、彼女の声はよく通るので鈴は周りに筒抜けでないかと慌てるが、彼女も陛下も全く気にしている様子はない。

「そうか。それはすまなかった」

「ほんに兄弟揃って人を気遣うという心が欠けておるの。しかし初菫の、妾からも末の欠席を詫びよう。殴って良いぞ」

「ええっと……」

 この東和葦原において、最も高き頂きにいる御方ふたりに話しかけられて、無視するのも不敬であるが、何と言っていいのやらわからない。

 しかし真陽瑠はどうしてそうも血気盛んなのか。

「……夕凪宮様は、いまどちらに?」

「宮で寝ておるのではないか」

「そなたが働かせ過ぎたせいじゃろうが」

「あれは本人も承知している。それに忙しくなくとも顔を出さんだろう、こういう場が嫌いだから」

 特別、居ないことを気にしている様子もなく、帝は言った。茅羽夜の欠席に対してやはり怒っているのは真陽瑠で、帝の方はいても居なくてもどちらでもいい、というような口調だった。

「しかし、今回は流石に出て来ると思ったが。予想が外れたな」

「……何故でしょう?」

「そなたがおるからに決まっている」

 葵依も同じような事を言っていたが、正直鈴は自分がいてもいなくても茅羽夜は来ない時は来ないだろうと思っていた。帝の言うように、こういった場が彼はとくに嫌いらしいというのはわかっていたので、また糸が切れたように眠っているのではと思ったのだ。

 鈴も別段得意なわけでもないけれど、こういった宴の席が嫌いではなかった。

 璃桜の奏でる琴の音がまた変わる。

 同じ琴でも弾き手によってどうしてこんなに音に違いがあるのだろう。

「わたくしが居ても、いらっしゃらないと思いますが……」

「そうか?」

「ええ」

「成る程。……お主も報われんな」

 そう帝が言葉を投げかけた先に、その人はいた。え、と鈴が目を丸めた時にはすぐそばの御簾が揺れて、淡い深衣を纏った人影が中に入ってきた。

 いつも濃い色の衣を着ていた印象が強かったが、今日の衣装は夜明けのような淡い薄紫で、ゆったりとした大きな袖には鈴と同じ菫色の刺繍があった。並ぶとよくわかるが、恐らく同じ生地で、同じ配色で作られているものだろう。後ろ髪を上方だけ纏め、濃色の髪紐で結っただけであるが、今日はしっかり櫛を通してあるのか跳ねている毛はいつもより比較的少ない。

 頭から薄絹を被っているので、御簾と合わせて彼の顔が見える心配はなさそうだが、彼が鈴の隣に腰を下ろした途端、小さな騒めきが広がる。

「東宮殿下がいらっしゃったわ」

「まあ、本当に?」

「珍しい事もあるものね」

「宴に出席されるのは初めてじゃなくて?」

 ひそひそと漏れ聞こえる声に、鈴はまじまじと隣の人をみた。薄絹から見える横顔は間違いなく、夕凪宮本人である。

 帝がふ、と笑ったような気配がした。そして何やら側に控えていた従者に声を掛けるのを横目で見ながら、すぐ隣へ体を寄せる。

「……もうすぐ宴、終わるけど」

「だから今来たんだ。灯りもそろそろ落とされる刻限だし」

「お料理も殆ど食べちゃったわよ」

「美味しかった?」

「すごく美味しかった。食べれないなんて損したわよ、あなた」

「いいよ、鈴が美味しかったなら、それで」

 隣に聞こえないくらいの声で話していると、不意に琴に混じって、笛の音が聴こえて来る。はっとして顔を上げるも、彼の音色ではないことは、なんとなくわかった。でも彼の笛と同じ調べが、彩雲の声に応えるように高く澄んだ音を響かせる。

「……彼は、ちゃんと逝けた?」

 ぽつりとした声が隣から届く。鈴は前を向いたまま頷いた。

「紗依姫と一緒に、ちゃんと彼岸へ向かったわ」

「そうか。ならよかった」

 彼は結局誰だったのか、死した彼をどうやってここまで連れてきたのか、聞きたいことは山ほどあったが、距離があるとはいえ隣には帝もいる事を思い出して口を噤んだ。また菫青殿まで来てくれた時に、聞けばいいだろう。

 琴と笛の音に身を任せて御簾の向こうを眺めてると、いつのまにか宴はもう終盤になりつつあるらしく、空には夜闇の大きな天蓋が広がるばかりとなっていた。

 舞台の篝火がぽつり、ぽつりと消えていく。

 やがて池の向こうが真っ暗になると、ひとつの緑かかった流れ星が、ふわりと落ちた。

 ひとつ、ふたつと星はどんどんと数を増やして水辺を漂い、あっという間に地上に落ちた満天の星空になっていく。

 わあ、と歓声が席巻する。鈴も思わず身を乗り出して、蛍の群衆を見ていた。淡い光の輪郭はあやふやで、思わず指を伸ばして、触れてみたくなる儚さがあった。光の粒が重なりあって流れる様子は、紗依姫が彼と共に登っていった銀河のようだとぼんやり思う。

「蛍火は、死した魂だという言い伝えの残る地域もあるらしい」

 ふと茅羽夜が言った。その声は淡々としているように聞こえるが、どこか寂しげだった。灯りがすべて消えているので、すぐ隣にいる茅羽夜の表情もはっきりとは見えないけれど。

「……そうなの。じゃあ、ふたりの魂もあの中にあるかしら」

「たぶん」

「だったら、いいわね」

 鈴は彼らがどういう関係なのか、知らないけれど抱き合って微笑みあう彼らの魂の欠片が蛍火となって、果てにあるという河を渡って。

 そしていつかまた、巡り巡って互いの元へ辿り着くといい。

 そう願うのと同時に、この景色を並んで共に見れたことが、とても嬉しくて。

「来年も、またこの景色が見たいわね」

 鈴が呟くと、茅羽夜は一瞬だけ隣の少女を見た。それから少しだけ拗ねたような小さな声音で

「……来年はやっぱり、ふたりがいいよ」

 というので、鈴も翳の下でそうねと小さく笑って見せた。






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