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東龍の花嫁  作者: 朝生紬
二章 まどいの星々
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 翌日、遣いの者から手紙を受け取った鈴は陽が落ちてから四宮へ向かっていた。侍女から璃桜は既に紗依姫の殿舎にいると案内を受け、戸を潜ると以前の埃っぽい、黴臭かった部屋は綺麗に片付けられて随分とこざっぱりとしていた。璃桜が持ち込んだと思われる香炉からはゆらゆらと沈丁花の香が漂い、部屋の真ん中に鎮座する和琴の横に、璃桜が寄り添うように座っている。

「こんばんは、初菫の方。どうぞこちらへ」

「お邪魔致します」

 璃桜の邪魔にならない場所に置かれた円座に腰掛けると、鈴は和琴を見下ろす。既に調弦は璃桜が済ませているらしく、璃桜は扇でゆるゆるとあおぎながらその時を待っている。

「本当に、待っているだけで宜しいのでしょうか?」

「ええ、はい。わたくしも、そう聞いているだけで何が何なのかさっぱりですが……」

 鈴が今朝方受け取った手紙の差し出し人は、茅羽夜だった。そこには亥の刻の正刻までに紗依姫のいた殿舎に彩雲を持ってきて欲しい旨と、璃桜にもそこへ詰めていて欲しいと記されてあった。

 例の笛の奏者が見つかったのだろうか。十二年も前の事だから、正直に言って見つかるとは思っていなかった。しかし、見つかったなら見つかったでそう言ってくれたらいいのに、肝心な事は何一つ書かれていなかったのだ。それが何だか茅羽夜らしいと言えば茅羽夜らしいのだが、本当に此処で待っているだけでいいのか、段々と不安になってくる。

 そわそわと辺りを見回す鈴とは違い、璃桜は脇息に凭れて鷹揚に構えていた。彼女の方が幾つも歳上であるのは承知しているのだが、こうも落ち着き払った様子を見ると、何だか自分がより子どもっぽく感じてしまうのだった。

「初菫の方、もう宮には慣れましたか?」

「へ?あ、はい!皆様には大変よくして頂きましたので。ですが、まだ作法も不出来な未熟者でして、御迷惑をお掛けする事も多々あるやもしれませんが……」

「あら、初めは誰しも皆そうですわ。あの銀朱様も、此処へ来た当初は馴染むまで苦労されていらっしゃいましたもの」

「そうなんですか?意外です」

「意外かしら?」

「六宮様は、なんというか、昔から我が道を行くような方だったのだろうなと思っていたので」

 一宮である玉椿もそうだが、自分の積み上げてきたものに絶対の自信を持っているような人間だろうと思っていた。我が強いとも言うが。

 それに璃桜はどこか懐かしむように目を細めて微笑む。

「確かに、玉椿様も銀朱様も、真っ直ぐな御方ですから人によっては取っつきにくいと思うでしょう。ですが、お二人共結構可愛らしい方ですのよ。今度、皆で茶会でも致しましょうか。葵依様と真陽瑠様もお誘いして。わたくしが一曲、お持てなし致しますわ」

「はい是非。楽しみです」

 璃桜の演奏が聴けるのは確かに楽しみであるのは間違いないが、顔合わせの際に真陽瑠と玉椿が一発触発だったのを思い出して、やや心配になる。犬猿の仲とまではいかないにしても、どうも二人は仲が悪そうだった。性格が真反対だからだろうか。大らかな性格なのは璃桜も真陽瑠も同じだが、真陽瑠はすすんで玉椿の神経を逆撫するような真似をしたがる節があった。

 璃桜がゆったりとした声音で適度に話しかけてくれるので、鈴はいつの間にか緊張も解れていた事に気が付いた。ちらりと見ると、あの薄紅の瞳で微笑まれて、つい顔が熱くなる。扇でぱたぱたと顔を扇いでいると、不意に細い笛の音が届いた。

「!」

 璃桜も鈴も彩雲を見る。和琴の前に置かれていた空席の円座にはいつの間にか紗依姫が腰掛けており、はっと顔をあげて彩雲へ手を伸ばす。

 瞬間、軽やかな風が、鈴の耳元を通り過ぎた。

 紗依姫の指先から爪弾かれた音がまるで初夏の木々を揺らす緑風のように鈴の側を駆け抜けて、今、自分が草原の真ん中に立っているような錯覚さえ覚えた。流れる大河が如く押し出される速さの中でも、決して柔らかな音を失わない。彼女の十本の指は一本一本が意思を持っているかのように滑らかに動き、それに合わせるように、高い笛の音が追ってくる。

 鈴の視界に、大きな河が見えた。夏の雨に打たれて青々と伸びた草原に、幼子のふたりが白い手足を投げ出して、転がるように駆けていく。

 ふたつはつがいの鳥だった。空に円を描いて夏の訪れを共に喜び、夜になれば星空の下で羽を寄せ合い眠る、二羽の燕がそこにいた。

 真っ直ぐ、蒼穹に高く、翼を広げて。

 紗依姫が弦を弾く。鳥たちが羽を休めるためにある、澄んだ湧き出る泉のように。

 笛の音が、それに応える。遠くまで鳥たちを運ぶ、鮮やかな風のように。

 (ああ、ずっと彼女が待っていたのは、この声だったんだ)

 彩を纏う音が空へ舞い上がり、天にかかった彩雲は、二羽の鳥達を優しく手招いていた。

 やがて溢れていた音が緩やかに失速していく。てん、と名残惜しげに爪弾かれた音に笛が歌うと紗依姫はふと、ふたりを見た。

「飛んで行きたい所があるのなら、躊躇っては駄目よ」

 璃桜がそう笑って見せると、紗依姫は確かに頷いて、殿舎を飛び出して行く。通りすがりに頰に感じた風につられて振り向くと、彼女が駆けて行った先に彼女と同い年くらいのひとりの青年がいるのが見えた。

 青年は真っ直ぐ駆け寄る少女へ腕を伸ばして、確かに抱き留める。今度こそ、離すまいとするように。

 そうして、ふたりは視線を交わし合うと、並んでこちらを見た。

 きっとこのままでも彼らは大丈夫だろう。しかし、どうせならと思って鈴は璃桜を振り返った。

「璃桜様、先程の曲、弾けますか?」

 鈴が訊ねると、璃桜は綻ぶ花のような笑みを浮かべて、彩雲の前に腰を下ろした。

 息を整え、璃桜が静かに弦を爪弾くのを合図に、鈴も首飾りにふっと息を吹き掛ける。すると玻璃から色取り取りの小さな星の砂が生まれ、それらが集まり、流れて、やがて大河となって天へのきざはしとなる。天の河だ。

 目を丸めていたふたりは河に足を浸して、ゆっくりと昇っていく。共に微笑みながら。

 鈴は雪解けを思わせる流れる音を背に、彼らが昇っていった空の彼方をいつまでも見上げていた。

 

 


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