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東龍の花嫁  作者: 朝生紬
二章 まどいの星々
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 梅雨は明けたと思ったのに、それから数日雨が続いた。雨の匂いや微かな水音が嫌いじゃなかったが、ここまで続くと気持ちが若干滅入ってくる。

 頻繁にあった茅羽夜の襲来もなく、菫青殿に響くのは今日も刻葉の鞭のような小言だけだ。しおらしくなって減るかと思われた叱責の声は、勉学に身が入らず余計に増えただけだった。

 そんな時、菫青殿を訪れる者があった。


「初菫の方、四宮様から遣いの方が。何でも、相談したき事があると……」

「わたしに?」

 先日、葵依との会話に登ったばかりの薄紅の瞳を持った天女が如き姫を思い返して、鈴は首を傾げる。鈴に相談事とは何だろう。今の時期なら今度ある宴に関係がありそうだが、そういった催しに不慣れな鈴があまり役に立てるとは思わなかった。

 しかし呼ばれた手前、無下にするわけにも行かず鈴は諾と答え、東の四宮まで小鞠を連れ立って向かった。


 四宮・璃桜の居住である金剛殿は真珠殿とはまた違った華やかさがあった。

 木の暖かみを残す殿舎はどこかほっとする懐かしさを覚えるが、しかしながら置かれた調度品は何から何まで最高級品であることが一目でわかる。

 几帳や装飾のために掛けられた着物は露草色(つゆくさいろ)薄縹(うすはなだ)など涼しげな色合いで纏められているものの、それがかえって侍女たちの薄桃の単衣を引き立てていた。

 春水(しゅんすい)の四宮、涼夏(りょうか)の七宮、秋月(あきづき)の九宮、寒昴(かんすばる)の一宮と呼ばれるだけあって、この四宮はどの季節においてもどこか春を感じさせる。春の情景を描いた水彩画の中に迷い込んだかと、錯覚させるような宮だ。

「ようこそおいで下さいました、九宮様。急にお呼びだてして、申し訳ありません」

 通された一室の円座の上で、璃桜は今日も麗しく微笑んでいた。深窓の姫君といって人々が思い浮かべるのは、こういった女性だろう。

「いいえ、お招き下さり光栄で御座います。それで、頼みたき事というのはどのような事でしょう」

「ええ、それなのですが……舞鶴、あれを持ってきて」

 璃桜はすぐそばにいた年傘の侍女に言いつけると、彼女は奥の部屋からひとつの和琴を持ってきた。艶のある木の滑らかさ。誰かが弾こうとしていたのか、既に弦は張られている。

 余計な装飾は施されていないが造りはしっかりとしていて、そういったものに鈴の目にもそれはとても良い品であるのが充分に伝わる逸品だった。

彩雲(さいうん)というのよ。綺麗でしょう?」

「ええ、とても」

「音も素晴らしいのですよ、弾き手の気持ちを汲んで答えてくれるとても素直な子なのです。ですが……」

 和琴を前に、璃桜はその顔を曇らせる。

「実は、今日お越し頂いたのはこの彩雲のことなのです。本来なら頼み事をする以上、こちらから出向かねばならないのに御足労頂いたのも、これのせいでして」

「彩雲の……?」

「この子について、何か視えませんか?」

 鈴は璃桜の言葉の真意をはかろうと、真っ直ぐ彼女を見た。

 鈴が星鴉の一件を解決したことは、真陽瑠を除いて葵依と玉野、青梅以外は伏せられている。しかしどこからか漏れていても、正直驚きはしなかった。

 迷った挙句、鈴は先ほどから見えているそれに、目を向けた。

「……女の霊が、ひとり。和琴にずっと張り付いています」

 璃桜はそれに「やっぱり」と頷いた。

「初めに気付いたのは、この和琴を陛下から賜った夜です。わたくしは今度の宴で、この彩雲を演奏するように仰せ付かりました。しかし何度やっても、音が鳴らないのです」

「鳴らない?」

 見事な音だと、さっきは言っていたのに。鈴の疑問が伝わったのか、璃桜は首を振る。

「わたくしにしか聞こえないのです」

 そう言って、璃桜は軽やかに爪弾く。しかし鈴の耳には何も届かず、璃桜が何度も弦を弾いても、音は鳴らなかった。

「璃桜様には音が聴こえていらっしゃる?」

「ええ、そうなの。でもわたくし以外には誰にも、聴こえないの。それなのに毎夜、誰かがこの和琴を爪弾いているのが聴こえるのです。不思議に思って見れば、彼女が弾いているようでした」

 和琴の側には、ほっそりとした面立ちの女性がいた。淡紅と萌黄色の唐衣を纏った女の装いは決して侍女や下女のものではなく、それなりの身分があったように見える。しかし重く垂れ下がった前髪で目元は殆ど見えず、俯く顔は暗い。僅かに隙間から見えるその光の届かぬ水底のような昏い瞳は和琴にのみ注がれ、鈴も璃桜も眼中にないようだった。

「ずっと仕舞われていた和琴でしたから、思う存分弾いたら満足するかと思って見ていたのですけれど、必ずと言って良いほど曲の途中で落胆したように消えてしまうのです」

 夜な夜な和琴を弾く女の演奏をずっと傍で聞いていたらしい。風に吹かれるがままの花のような女性かと思えば、意外と豪胆さが垣間見えて鈴は目を丸めた。

「これでは宴にて披露する事もかないません。普通の宴なら、他の和琴でも良いかもしれませんが、これは陛下から賜ったもの。どうか、お力添え頂けませんか?」

「あの、()()()()()()は真陽瑠の御方にご相談された方が……」

「ええ、本来ならこういった相談は斎宮に頼むもの。ですが、もし陛下のお耳に入るような事があれば、一大事ですもの」

 確かにそれはそうだ。お前のくれた和琴に女の霊ついてるせいで弾けないんだけど!等と言える筈もない。運が悪ければ不敬として罰せられる事もある。理不尽であるが、それが通せるのが帝という存在だった。

 その点、鈴に陛下が渡ることはない。考えが及ばない事を詫びると璃桜は「気にしないで」と微笑む。天女の微笑みとはこういうものをいうのだろうと、眩しさに思わず目を細めてしまった。無料(タダ)で見てもいいものだろうか。

「しかしわたくしで本当によろしいのですか?その、言っては何ですが、別にその方面できちんと教育された者ではありません。ご期待に添えない事も、あるかと存じますが……」

「構いません。他に頼る方がいないのです」

 そう言われると鈴も無下には出来ない。何しろ頼まれると断れない性分なのだ。

 結局鈴は前回同様、真陽瑠に押し切られたように「わたくしで良ければ」と頷いたのだった。



 和琴を一時だけ預かる事にしたものの、確かに女は夜半にふと思い立ったように和琴を弾いているようだった。

 彼女の眼差しは常に和琴に注がれていたが、鈴にはその音が聴こえないので夜通し見張ってみると、大体亥の刻の小刻になるとふっと思い立ったように爪弾く仕草をした。もちろん、霊であるので弦に触れることは出来ない。しかし璃桜にはどうも、この音色が聞こえるらしい。そして決まって、途中で落胆したように、演奏を辞めるのだ。

 女は爪弾くのを辞めると、不意に外を眺めるように顔を上げる。

 その眼は涙こそ流れぬものの悲しげで、何かを待ち望んでいるような、それでいて来ない事を知っているような、そんな表情だった。


「彩雲の元持ち主、ですか?」

「はい。もしご存知でしたらお聞きしたいのですが」

 彩雲を返却しに四宮を訪れて、鈴が聞くと璃桜は(さしば)でゆるく煽ぎながら記憶を辿るように目を伏せる。

「どう……だったかしら。今上の御代では、いなかったかと思います」

「先代の御代から勤めている者はおりませんか?」

「それでしたらうちの宮にも居ますわ。舞鶴、篠山を呼んでちょうだい」

 側にいた侍女が遠ざかり、やがて彼女が連れてきたのは刻葉よりも歳上に見える女性だった。年若い侍女の多い紅玉殿と違って、金剛殿の侍女の年齢層は比較的高めだ。しかしその分、安定した落ち着いた雰囲気があり、連れてこられた篠山という侍女もおっとりとした鷹揚な老女だった。

「お聞きした事があるのですけれど、以前、この彩雲を所持していた妃はいらっしゃいましたか?」

「わたくしはその時、別の宮に勤めていましたが、噂を何度か耳にした事が御座います。恐らく紗依姫(さよりひめ)でしょう」

「その方は先代の?」

「はい。彼女も四宮にお住まいでした。しかし当時、先代の妃の数は東和史上類を見ない程でして、紗依姫は四宮の主人ではなく、四宮の一角に間借りしておられました。十五年前程に入内した女御であったかと思います。それは見事な琴の名手でして、その腕に惚れ込んで、先代がお召しになったと伝え聞いております」

 基本的に、帝の妃というのは国長の家から召される。そして先代の御代には召されなかった家から次代の妃は選ばれる。先代の御代に九条が娘を入内させ、今上にお召しがないのはその為だった。

 だが勿論例外はある。特に先代はありとあらゆる妃を迎えていた。それこそ噂だけなら村娘から斎宮の侍女まで、お手つきになった者の数は両手両足の数よりも多いのだとか。それは皇子の母が全員違う筈だ。

 しかしそれも、十七年前頃から突如として現れた性癖らしい。

 それまでは皇后を含めて四人しか妃を娶っていなかったそうだ。その時代に生まれたのは十四人いた皇子の内、たったの三人である。今上帝と真尋殿下、あと三廻部家の姫との間に生まれた子がひとり。皇女は真陽瑠殿下と降嫁した皇女のみで、あとは全員その色狂(しきぐるい)時代に生まれている。

 茅羽夜が現在十六で、末御であったことを見ると、少なくとも皇子十一名は殆ど同年に生まれているようだ。頭痛のする話である。

 聞くところによると、皇后が病で亡くなってから、人が変わったように手を広げ始めたのだとか。

 そして紗依姫も、その時召し上げられたひとりだったらしい。当時、四宮には四月朔日家の娘ではないものの、別の貴族の姫が主人として住んでおり、その一角を当てがわれたそうだ。

「紗依姫はどうして亡くなったのですか?」

「確か……その……」

 躊躇ったように、篠山は言い淀む。ちらりと璃桜を見て、彼女が「わたくしも、知りたいわ」と言うと潜めた声で話始める。

「わたくしが聞いたのは、入水されたと」

「自ら命を絶ったというの?」

「と、お聞きしましたが実際のところは存じ上げません。冬の初めのことでした。あまり側に侍女もおいておられなかったので、発見が遅く……気が付いた時には、もう既に」

 沈鬱な空気が下りる。しかし悲しい事に、暗殺も自殺も、ここでは然程珍しいことでもなかった。

「その紗依姫の使っていた殿舎を見せていただくことは出来ますか?」

「構いませんが、どの殿舎だったかわかる?」

「申し訳御座いません、そこまでは……」

 他の宮仕えであったなら、流石にそこまではわからないだろう。妃の宮は十二もあるのに、ひとつの宮に作られた殿舎の数は多い。全部見て回ろうと思うと一日では足りない程だった。

「本人に聞くしかないかしら……」

「え?」

 璃桜と篠山が目を丸めている間に、鈴は彩雲に近寄って、胸元から玻璃の首飾りを出した。

「すみません、何か書くものをお借りしても?」

「え、ええ」

 懐に持ってきていた和紙を取り出して、舞鶴が持ってきた筆で術を書く。真ん中に紗依の名を書き、それを和琴の上に置き、ぱん!を柏手を打つ。

 すると紙はまるで折り紙のように形を変えて、やがて一匹の蝶になった。

「いちばん、想いの強い場所へ連れて行って」

 ふっと息を吹きかけると、蝶ははたはたと翅を動かして飛んでいく。鈴が蝶に続くと、璃桜たちも習って続いた。

 辿り着いたのは、四宮の本当に端の殿舎だった。庭へ降りた先の大きな池をぐるりと回って、ようやくぽつんと建っているような殿舎だ。壁はまだ随分と新しく、もしかしたら先代の御代に増築されたものかもしれない。

 璃桜もどうやらこんな所に殿舎があるとは知らなかったらしく、妻戸を開けてみると随分埃っぽく、黴臭がつんと匂うものの、中には掃除用具やらが雑多に置かれていた。今は物置として使われているようである。

「此処に、紗依姫が?」

「そのようです」

 蝶は既に元の紙に戻っていた。これは失せ物探しにも使う術のひとつだ。

 部屋は然程大きくないが、枢戸を全て開ければ先程通ってきた池が見え、少し遠くには四宮の誉れである桜木もよく見える。耳を澄ませばさらさらとした水音も聞こえ、立地的には悪くない場所だった。今は埃っぽいが、掃除すれば静かに琴を弾くには最適な場所にも思える。紗依姫が冷遇されてこのような場所に追いやられたわけではなさそうだ。

 しかしすぐ側には後宮を囲う白塗りの壁があり、そのすぐ向こうは内廷である。本当に四宮の端なのだな、と鈴は思った。

 紗依姫はここで、よく彩雲を弾いていたのだろうか。現世に今も尚、留まっているということは未練があるということだ。彼女の未練を断ち切らない限り、彩雲の音色は誰にも届かないだろう。

「取り敢えず、此処は掃除してみましょうか。もしかしたら此処でもう一度彩雲を弾いてみたいのかもしれません」

 璃桜が言うと、篠山は人を呼びに戻って行った。

 鈴もそれに賛成して、その日はそのまま菫青殿へ戻ったのだった。


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