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東龍の花嫁  作者: 朝生紬
一章・東の龍と西の娘
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 明日に出立を控えた夜、里長の屋敷では盛大な宴が催され、近隣の里の者はこぞって若宮の妃となる少女の姿を見にやって来た。

 あの山猿みたいな娘がねぇと皆、鈴の昔話に花を咲かせ、眩しそうに少女を眺める。中には鈴を拝み出す老爺もいて、泣きたいのを寸で堪えた。小鞠に泣きついていなかったら、きっとこの場で子供ののように地団駄を踏んで、ついこないだまでの自分と今の自分の一体何が違うのかと癇癪を起こしていたに違いなかった。

 でもそれをしなかったのは宮からもたらされた恵みが、これからの里を潤す事を理解していたからだ。

 里の大人たちは孤児の鈴に優しかった。初めは鈴を爪弾きにした子供達も、小鞠が手をひいて輪に入れてくれてからはすぐに打ち解けて共に野山を駆け回った。決して裕福な里ではなかったが、みんな家族のように身を寄せ合って生きてきた。


 けれどもう戻れない。あの日々には一生、戻って来れない。



 誰も彼もが酔っ払っているのを横目に宴を抜け出して、鈴は小川に沿って自分の家の方へ歩き出す。里から少し山の方へ登った場所に鈴の家はある。婆さまは宴には顔を出しておらず、家からは小さな灯りがちらちらと漏れていた。口論になって以来、婆さまとは顔を合わせていない。

 鈴は気付かれないように家のそばを通り抜けて、真っ直ぐ山へ入っていく。裏手にある九頭龍山はその昔、神祖である龍神が己の体を国の祖とした際に、背中に生えていた立髪のひとつだと言われており、神事以外では立ち入りを禁じられていた。

 古来より子供というのはダメと言われた事はやってみなければ気が済まないもので、度胸試しと称して侵入しては山姥みたいな婆さまに追いかけ回されるのだった。

 子供達は大抵、山に立ち入った瞬間に婆さまに嗅ぎつけられて捕まるのでお山の奥に小さな祠がある事を知らない。鈴も一度だけ人を連れてきた事があるが、それ以外は誰も話していなかった。

(懐かしい。そういえばあの子が、わたしにとっては初めての男の子の友達だったな)

 十年近く前、まだ里の子供達から捨て子だといじめられ、山の祠でぐすぐすと泣いていた頃だ。

 里の男の子にいじめられては松葉が追い返してくれていたけれど、その松葉もいつも鈴のそばにいてくれるわけではなかったし、ちょうど里も荒廃の煽りを受けて、松葉は士官の為に里を出た頃。

 祠に寄りかかって隠れていたら、ひとりの男の子が文字通り上から降って来たのだった。

 言葉の訛りからして近隣の里の子ではなかったが、怪我をしていたので手当てをしてやり、誰にも報せてくれるなと言われたので数日の間この祠の近くの洞穴に食べ物を運んで匿ってやった。怪我が治ると彼はすぐに居なくなってしまったのだが。

 だから未だに鈴は彼がどこの子供だったのか知らないままだ。

(……あの時からあんまり成長してないわね、わたし)

 泣きたくなるとつい此処へ来てしまう。

 宴からくすねてきた餅を、祠に供えるとすぐそばの木の上からカァという鳴き声と共に、小さな烏が降ってくる。片腕をあげて止まらせ、嘴から眉間にかけてを撫でてやる。彼を撫でていると、後ろの茂みから片角の欠けた牡鹿がおずおずと顔を覗かせた。

「おいで」

 手を差し出すと、牡鹿は警戒するでもなく鈴の側に寄ってきて角を手に擦り付ける。後ろからは兎の夫婦と牡鹿の嫁である雌鹿もずるいとばかりに擦り寄って来た。

 山の獣達は滅多に人に懐かないが、鈴にだけはこうやって気を許してくれていた。

 小鞠が鈴を山神様の娘なんじゃないかと言うのはこういう所だろう。鈴にしてみたら、幼い頃から兄達や小鞠と同じくらい、共に時間を過ごしてきた大切な兄弟達だ。

「お前たちにもお別れを言いに来たの。明日の早朝には此処を発つから……」

 鹿の夫婦を撫でながら祠の近くの岩に腰掛け、ぽっかりと空いた空を眺める。月黄泉(つくよみ)さまの化身である丸い月は数多の銀砂を引き連れて、(あまね)く夜空を支配下に置いていた。森から眺める月と夜空が、鈴は一等好きだ。けれどこの眺めもこれで見納めだと思うと胸が空っぽになる思いだった。

 じわりと滲む月に牡鹿が気遣わしげな声で鳴く。そちらへ視線を投げようとした瞬間、何かが木々の上から降ってきた。

「……!?」

 月を背負って降り立ったそれは、人の形をしていた。

 背も手足もひょろりと高くて長く、鈴よりもいくつか歳上に見えるが兄達よりかは若く見える。ぼさぼさの長い前髪から覗く右瞳は山の頂上から見える深い海色(みいろ)をしており、もう片方は前髪に隠れて見えないが、涼しげで形のいい瞳だった。

 そして一等目を引くのは、無造作に結い上げられた白銀の長い髪だ。

 並べて黒い髪を持つこの国で、冬の大地を覆う深雪にも似た銀髪は滅多にいない。南の方には赤毛や金の髪を持つ一族もいると聞くが、里を出たことのない鈴は見た事がなかった。

 せっかく美しい白雪の髪だというのに、あまり見た目に頓着がないのか木々に引っ掛けたのか、あちこち解れてて毛先は異なる方向へ跳ねていた。髪紐に縫い付けられている小粒の黒曜石が月明かりに照らされて夜露のように煌めいているのが美しかった。

 けれどその黒曜石に負けず劣らない、美しい見目をした男だった。御伽噺にある、輝夜の姫を迎えにきた月の民だと言われても納得してしまいそうな程だ。

「……あなた、だれ?なんでこんな所に……」

「君が山に入っていくのが見えたから」

 質問の答えになっていない。男は気怠げに鈴を見下ろして、すぐそばの牡鹿に目をやった。敵意は含まれていなかったが、しかし鈴以外に人慣れしていない牡鹿達はぱっと散らすように逃げていってしまった。

「待って! ……行っちゃった。もう、あなたがそうやって睨むから」

「別に睨んでない」

「睨んでます」

「睨んでない。生まれつきこういう目付きだ」

「あっそう。それで、あなた誰なのよ。まさか尾けてきたの?」

 此処は立ち入り禁止ですけど、という一言は口の中に留めておく。お前もだろうと返されては何も言えないからだ。いや、山守の娘なのだから、別に禁止されているわけではないのだけれど、鈴を許すと他の子に示しが付かないから表向きは禁じられているだけなのだ。

「迎えに来たんだ、きみを」

 その言葉にどこか不思議な響きを感じた。心の奥底でずっとその言葉を待っていたような、そんな感情が指の先まで巡っていく。

 此処でひっそりと泣いていた事は数えきれないが、誰かが迎えに来たのはこれが初めてだったからかもしれない。

「松葉が呼んでるから」

「ああ、あなた松兄さんのお仲間なんですね」

 そう言われると、彼が身に纏っている衣は松葉たち宮からの使者と同じ出立だった。違うのは腰に差している剣の装飾に龍の掘られた玉を下げていることくらいだ。その事に、鈴はほっと胸を撫で下ろす。兄の同僚なら根に悪い人は居ないはずだ。

「それはお手を煩わせてすみません、すぐに戻りますから……」

「泣いていたのか」

 ばっと鈴は目元を袖で拭う。人が落ちてきた衝撃でとっくに涙は滑り落ちる前に引っ込んでいたが、目元が赤くなっていただろうか。

 それにしても、乙女に泣いていたのかなんて、不躾にも程がある。気付いていても、知らない振りをするのが優しさというものだろうに。

「貴方に関係ありません」

「輿入れが嫌か?」

「……それ、わざわざ聞きます?」

 睨めつけるも青年は静かに鈴を見ているだけで、その深い藍色の瞳には何の感情も浮かんでいない。憐みも、期待も。

 だから、つい、胸の内を口にしても許されるのではないかと思ったのだ。

「生まれつき教育された貴族の御息女ならともかく、わたしはただの山守りの娘です。この里で暮らし、この里で誰かいい人を見つけて子供を産んで生きていくのだと、ずっと思っていたんですから。それに誰だって、顔も名も知らない人間に嫁ぐのは嫌だと思いますけど」

「そうか、それもそうだな」

 あっさり肯定されて、鈴は拍子抜けした。若宮へ嫁ぐのが嫌だなんて、そんな事、不敬だと叱り飛ばされても仕方ないことなのに。

 でもそれでかえって鈴の中の気持ちに踏ん切りがついた。名も顔も知らない人へ嫁ぐ事を嫌だと思っていいのだ。心まで、まほろばに捧げなくてもいいのではないか、と。

「でも、行かなくちゃいけないんです。捨て子だったわたしをここまで育ててくれた里の為に。だから、皆にさよならを言いにきたんです」

「さっきの動物達か。それは悪い事をした、別れの途中だったか」

「いいえ、貴方が降って来なかったら別れ難くなっていただろうから……だからいいんです、ありがとう」

 腰掛けていた岩から立ち上がって、鈴は真っ正面から青年を見上げた。座っていた時から思っていたが、彼は随分と背が高かった。鈴も同年代の女子たちの中では高い方で、松葉や上の兄の縁寿も里の男衆の中でも抜きん出ていたが、彼は兄たちよりも高い気がする。見上げるとやや首が凝りそうだった。

 その後はふたり連れ立って山を降りた。幾重にも重ねられた闇夜の帳は暗く、慣れた鈴はともかく月明かりを頼りに下山するのは苦労するかと思いきや、彼も慣れたような足取りでさくさくと斜面を滑り降りた。夜目がきくのだなと思った。

 いつもならとっくに寝てる頃だろうに、まだ灯りのともっている家を素早く通り抜けて川下へ向かっていく途中、提灯を掲げた松葉の姿が見えた。鈴を探しに来たらしい。

「お前、主役がどこに行ってたんだ」

「ちょっと夜風に当たりたかったのよ、でも松兄さんのお仲間が迎えに来て下さって」

「仲間? どいつのことだ」

「誰って……あれ」

 振り向くとそこには誰もおらず、しんとした闇があるばかりだ。左右に頭を振っても誰もいない。

「さっきまでそこにいたの、綺麗な銀髪と海色の目をした人よ。兄さんの仲間じゃないの?」

「銀髪? そんな奴、俺の隊にはいないぞ」

「ええ? でも、確かに兄さんと同じ衣を着ていたのよ。歳は兄さんより若いか同じくらいで、うんと背が高くて……」

「うーん、同じ年頃の奴はいるが、そんな目の覚めるような髪をした奴はいないよ。酔ってたんじゃないのか」

「失礼ね!」

 そうは言いながらも鈴も夢だったのではないかと思い始めた。あんなに美しい髪の色は、とてもこの世の者ではないようにも思えてきた。それならまだ、山神様が最後の別れに目の前に現れて下さったのだと思う方がよっぽど現実味がある。

(もしかして、十年くらい前の彼も山神様だったのかしら)

 そう思うと何だかそう思えてきた。

 松葉と並んで里長の屋敷へ戻ると宴はとっくにお開きとなっていて、湯浴みの準備を整えた小鞠と玉藻に叱られながらそれらを済ませ、夜着に着替えてすぐに床へついた。目を閉じると嫌でもこれが里で過ごす最後の夜なのだという事を思い出された。

 けれど山へ上がる前の、あの暗い気持ちはすっかり消えたとまでは言わないが、それでも随分軽くなっていた。山を登ったおかげか、鈴はゆったりとした疲れを連れて、あっさりと眠りについたのだった。


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