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東龍の花嫁  作者: 朝生紬
二章 まどいの星々
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十一

 夜が幾重にも重なり、帳として落ちる頃合いに、鈴は燈台のあかりを頼りに縫い物をしていた。夜半に繕い物をするのは目が悪くなるから辞めろというのを、何重にも薄皮で包んだ刻葉の小言を無視して、鈴が薄紫の布地に針を滑らせているとふと表から声が聞こえる。

 菫青殿には侍女が少ない。あまりにも鈴が姫様らしい振る舞いが出来ないので、悪い噂が立たぬようにというのもあるが、東宮である茅羽夜は公には殆ど顔を見せないようにしている為に、信の置ける最低限の者しか連れて上がらなかったからだ。

 食事や掃除などを行う下女は勿論いるが、鈴の身の回りの事をする侍女は小鞠だけだった。鈴としてもわらわらと人に傅かれて過ごすよりはずっと気持ちも楽だ。

 なのでこんな夜更に菫青殿が騒がしくなる事は珍しい。針を箱に戻し、鈴は寝衣の上に一枚羽織って、御帳台の几帳から顔を出す。

 するとすぐに灯りを持った小鞠が「初菫様、起きていらっしゃいますか」と声を掛けて来た。

「起きてるけど、どうしたの?」

「あの、若宮様がお見えです……」

「……は?」

 見れば小鞠の後ろには覆面布を垂らした背の高い男と、見たことのない従者らしき男がひとり立っていた。ぽかんとしてそれを見ていると、覆面男はすたすたと何の断りもなしに御帳台の中にまで入り、息苦しそうな布を剥ぎ取った。燈台の灯りの下に現れたのは、正真正銘、東宮・夕凪宮本人だった。

 緩りと座る茅羽夜は寝衣の上に黒地に銀と若草色の刺繍を施した上衣を羽織っており、髪は下の方で緩く結われているが、やはり短い毛がぴょこぴょこ跳ねている。もしかして寝癖なのだろうか。

 思えば輿入れの旅路でも、鈴は彼が寝衣に着替えて眠っている所を見たことがなかったし、常に動けるように愛剣も必ず側に置いていた。今も剣は持っていたが、御帳台へ入る前に従者の男に渡してしまったようだ。鈴の寝台には太刀を置いておけないから。

「裁縫をしていたのか」

 唖然として言葉を失っている鈴をよそに、茅羽夜は褥の側にある裁縫箱と刺しかけの刺繍を見て、事も無しげに言った。他に何か言う事があるだろうと頭を抱えたくなる。実際抱えた。

「……茅羽夜、あのね、来るなら来るって前もって一言使いを出してくれる?」

「なぜ?」

「何故ってそういう決まりでしょう」

「知らない」

「じゃあこれから覚えて、びっくりするから。……それで、今日は急にどうしたのよ」

 裁縫箱を脇に片付けて、鈴は足を崩したままの茅羽夜を見た。雑務に追われていたのではなかったのか。

 そう問おうとして、ふと見た茅羽夜は確かにやや疲れた顔をしていた。本当に忙しかったのだろう。鈴は東宮としての公務がどんなものかわからないが、何せ鈴を迎えにほぼ半月、更に一旦戻ってまた一月半外へ出ていたのだから、雑務は山積みになっていたに違いない。目はやや虚で、いつもより数倍眉間の皺が深く、帰京してろくに眠っていないのではと心配になる顔色だ。

「……雑務をあれこれ片付けていたら、流石に酷い顔をしていたらしくて、風早にもう休めと追い立てられたんだ」

「風早って誰よ」

「さっきいただろう」

「ああ」

 後ろにいた従者らしい。帯刀していたということは、東宮付きの内舎人だろう。話を聞くと彼が茅羽夜の一番の側近のようだ。

「寝ようと思って宮に帰ったのだがうまく寝付けなくて、そうしたら気が付いたら此処にいた」

「いやそんなことある……?よく真陽瑠の方がお許しになったわね……」

「忘れられたら、困ると思って」

「え、なに?忘れるってなにを?」

「俺の顔を」

 半分寝惚けてそうな声で、茅羽夜は言った。やや考えて鈴は「ああ!」とひとつ手を打つ。縁寿に頼んだ伝言を思い出したのだ。

「《とっとと帰ってこないとあんたの顔なんて忘れちゃうから》」

「もう少し丁寧な言い回しだった」

「原文はこっちよ」

「そうか……」

 茅羽夜はまたぎゅっと眉を寄せて、鈴を見た。そして鈴が怒っていると思ったのか、所在なさげな幼子のようにぽつりと呟く。

「鈴に忘れられるのは……困る」

(別に本気で忘れるつもりはなかったけど)

 一月半放っておかれた意趣返しのつもりだったのだが意外と功を成したらしい。

 鈴もそんなすぐ忘れるような薄情者ではないし、茅羽夜の目の覚めるような顔は流石にそうそう忘れられるものでもない。項垂れる姿もまた、叱られた子犬みたいで可愛いと思ってしまうのが、惚れた弱みなのかそれともこの宝物殿に並べたくなる面貌の為せる技なのか。

 前者は何となく悔しいが、後者であっても何だか腹立たしい気持ちが浮かぶ。

「……だったらちゃんと遠くへ出掛ける時は一言いってからにして。縁兄さんから聞いてすっごく驚いたんだから」

「悪かった。今度からそうする」

「ならもういいわ。それで、顔を忘れられてないか確認しにきたの?というか、こないだ忍び込んできた時に忘れられてないってわかったでしょ」

「……」

 そのまま黙り込んでしまった茅羽夜からの返答を鈴はじっと見つめていたが、やがて(おもむろ)に鈴の手を取った。びっくりして固まる鈴をよそに自分の懐を探って、取り出した小さな木箱をその上に置く。

「……なにこれ」

「壊してしまった根付の代わりだ」

「開けていい?」

 答えを聞く前に鈴は木箱の蓋を開けて、目を瞬かせた。

 中にあったのは銀の簪だった。

 先端には繊細な蝶と花を模した細工が付いており、花芯には丸い黄玉と紫金石が嵌っている。

 蝶の翅から雨垂れのように銀の鎖と黄玉と菫青石の細石が繋がれていて、それが揺らすたびにしゃらしゃらと涼しげな音を立てた。黄玉は茅羽夜の、菫青石は鈴の星石だ。紫と黄が並ぶ姿は、まさしく春告の菫のような色合いだった。

「きれい……」

「七国に行く前に頼んでおいたんだ。鈴に似合うと思って」

「菫青石はわかるけど、黄玉って」

「俺の星石だから」

「……意味わかって言ってる?」

 自分の星石を相手に渡す意味と、女性に簪を贈る意味の両方をちゃんと理解しているのか若干怪しい。

 しかし鈴の予想に反して、茅羽夜はさらりと言う。

「あなただけを見つめる、一生寄り添ってくれって意味じゃないか」

「……わかってるならいいのよ」

 淡々と言う茅羽夜に、照れてる自分が逆に恥ずかしくなってくる。この人はどうしてそうも真顔でそういうことをさらりと言えるのか。寧ろなにも考えてないんじゃないかとさえ思う。

 鈴はすぐに自分の髪をすくってくるりと捻り、簪で留めてみせる。そして頭を振ってみると予想通り、耳元でしゃらしゃらと音がした。

「似合う?」

 そう問い掛けると茅羽夜は笑った。

 それは、滅多にお目にかかることのできない、鈴のいちばん好きな顔だった。

「思ってた通り、よく似合う」

「……そ。なら簪に免じて、今回のことは許してあげる」

 別に怒っていたわけでは、いや確かに怒っていたはいたのだが、もうとっくに許していたけれど、そう言うと茅羽夜はほっとしたように胸を撫で下ろした。……贈り物癖がつかないといいのだが。何かを買い与えれば許して貰えると思われるのも癪だ。それでもこの簪は、鈴の一等お気に入りになった。

 何度か頭を振ったり触ってみたりして感触を楽しんでいると、ふと茅羽夜の体がこちらへ傾いでくる。鈴はそこでようやく、ここが自分の寝台であることを思い出した。

「ち───」

 ちはや、と名を呼ぼうとして、彼の体はそのまま鈴の体を巻き込んで褥に倒れ込む。思わずぎゅっと目を瞑った。しかしいくら経っても何も起きない事にそろりと目を開くと。

「…………」

 そこには鈴の肩に頭を預ける形で、すやすやと寝息を立てる茅羽夜がいた。倒れ込んだ際に軽く打った頭が痛い。簪で纏めるのを横髪にしておいてよかったと心底思った。

 叩き起こそうかとも思ったが、あまりにも安心しきったような顔で眠っているので、何だか忍びなくなってしまった。国宝の寝顔だ。絵姿にしたら高く売れそうだなぁ、などと思ってしまうのは村娘の癖が抜け切れていない証拠だった。

 少し体を捻って腕から抜け出し、燈台の灯りを消すとそのまま布団を茅羽夜の肩まで引き上げてやる。そしてそっとその横に潜り込んだ。

「……おやすみ、茅羽夜」

 翌日から「あの東宮様が妃の宮で一夜を明かした」という噂は瞬く間に広がり、辟易させられる事など露知らず、鈴はゆっくりと目を閉じたのだった。


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