表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
東龍の花嫁  作者: 朝生紬
二章 まどいの星々
26/114

 柔らかく甘い秋の香りがふわふわと漂う。鈴の茵に焚かれた香は秋花である銀木犀の花を雪解け水に三日三晩浸してた後に乾燥させて作られたもので、あれこれ試して、ようやくこれに落ち着いた。

 伽羅や白檀や黒方も嫌いではないのが、いかんせん山育ちで鼻が良いせいか、嗅ぎ続けていると頭痛がしてくるのだ。多分、ここで暮らしていく内にそういったものにも慣れてくるのだろうが、鈴は雨の匂いや草木そのものの匂いがやはり好きだった。

 その中でも唯一、鈴が好きだと思えた香り。秋の終わりに小さな白い花をつける花木はどこか茅羽夜に似ている気がして、すっと目を閉じる。

 皐月もそろそろ末に差し掛かり、もうすぐ晦のある水無月に入る。宮に入って一月半、新妻を置いてひとり下山したあの唐変木は一体いつ帰ってくるのだろうか。

 真陽瑠や縁寿に「色々ある」と言われなくたって、茅羽夜にも事情があることは、鈴とて理解していた。強過ぎる龍の血故に、命を狙われた一件は鈴も無関係ではない。

「……でもだったら一言言ってくれてもいいじゃない!」

 そう、鈴が怒っているのはその一点だ。

 置いて行かれた事にもまあ多少むくれているが、それよりも彼が自分に黙って一月半も出掛けている事が腹立たしかった。一言、せめて手紙の一通でもくれたら、鈴も待っていられるのに、寄越したのは縁寿を通してのたった一言。もっと!何か他に!あっただろう!と怒らずにはいられない。

 べしべしと真綿の詰まったふかふかの褥を叩きながら、鈴は茅羽夜の顔を思い浮かべる。

 女の鈴から見ても羨ましくなるような透き通る白雪の肌と、深い海色の右眼、通った鼻筋と薄い唇。それだけ整った顔立ちをしているくせに、見た目に頓着せず、いつもどこかしら跳ねたままの黒髪はいつも一つに括っただけで、伸びっぱなしの前髪と眼帯の下に隠された秘密は稲穂の黄金色をしている。

 普段は固い重苦しい口調のわりに、困ったり罰が悪かったりすると、少し甘えたような口調になる事も鈴には好ましいと思った。

 けれど今は、そのどれもが小憎たらしい。

「茅羽夜の、ばか、ばか、ばーーか!」

 一頻り怒った後、息を整えて鈴はそっと黄水晶の根付の横に、先日青梅からもらった瑠璃色のそれを置いた。燈に翳してみても、綺麗なだけで何の変哲もない石に浮かぶ星は、満点の星空を閉じ込めたみたいに煌めいている。

「星鴉か……」

 暫くそれを燈に翳して眺めていたが、不意に立ち上がり、几帳の向こうに置いていた裁縫箱から縫い針を取り出す。ここでは鈴の着物を縫う者は別にいるのだが、良家の子女の嗜みとして、刺繍は欠かせないものらしい。

 礼儀作法はからきしだった鈴だが、裁縫は常日頃から自分の衣を繕っていたのでそれなりに出来る。刻葉からの駄目出しが少ない貴重な分野だ。

 針の尖端で指をちょいっと刺すと、指先からぷくりと赤い玉が浮かぶ。針をしまって褥まで戻り、例の根付の石に一滴垂らした。

(あとは、握り込んで願い事を言う、だったっけ)

 根付を握って鈴は悩んでから願い事を心で呟いて、燈台のあかりを消して寝具へ滑り込んだ。



 目を開けると、鈴は母屋にいた。あたりは暗かったが、空に浮かぶ月は丸く明るく地上へ青白い光を届けて、不思議と庭の端までくっきりと見えた。

 妻戸や蔀戸は開け放たれており、廂を過ぎて階の下の白い玉砂利と、向こうには固い蕾の楓が並んでいるのがよく見える。秋になればきっと見事な紅葉が宮の者達の目を楽しませるに違いないそれの下には小さな池があり、側には灯篭もあった。

 鈴にもここがどこかすぐにわかる。この一月半過ごした、菫青殿だ。

(わたし、寝ぼけてるのかしら……)

 けれど夜に御簾も妻戸も開け放たれるわけもない。蛍観賞にも時期は早過ぎるし、たしかに月見をするには良い空模様だったが、鈴の他には誰もいなかった。

 ふと立ち上がって、階の方へ歩み寄る。すると庭にぽつんとした人影があるのに気がついて、鈴は転がる様にして駆け寄った。

「茅羽夜!」

 月明かりの下に居たのは、見覚えのある長身の人。

 藍色の艶を持つ黒髪を背中に流し、前髪に隠れた左目を覆うものはない。

「鈴」

 柔らかく微笑む夫に駆け寄り、鈴はそのままその胸に飛び込────むわけではなく、助走をつけた勢いで横っ面を思いっきり引っ叩いた。乾いた良い音が静謐な庭に響き渡り、風もないのに水面が揺れる。

 茅羽夜は叩かれた頰を抑えて暫く目を瞬かせたが、やがてにこりと微笑んだ。え、叩かれて喜ぶ性癖でもあるのか、と若干引いた目で見ていると。

「───……どうして気付いたの?」

「は?」

「あれ?僕が違うって気付いたから、叩いたんじゃないの?」

「……いや、次に顔見たら絶対叩こうって思ってただけなんだけど……」

「嘘でしょ君、あんな可愛らしい事聞いておいて?」

 茅羽夜は、いや茅羽夜の姿をした誰かは、その場で体を折って笑い出した。茅羽夜はこんな今にも転げ回りそうな笑い方をしない。しかし姿はそのまま茅羽夜なので、中々面白い光景だ。こんな光景、一生お目にかかれないかもしれない。

「……もしかしてあなたが、渡り部?」

「そうだよ。あーおっかしい!君、鈴ちゃんだっけ?最高だよ。一ヶ月分くらい笑った」

「いや笑いのツボ浅くない……?」

 大笑いしている彼はあっさりと肯定した。そう言えば青梅も「恋しい人の事を聞けばその人の姿で現れる」と言っていた。恋しがっているかはとりあえず置いておいて、彼が「渡り部」であることは間違いなさそうだった。

「しかし、あれだね。鈴ちゃん、聞いてた通りの可愛い女の子で嬉しいな」

「聞いてた通り……?」

 誰に、何を。その問いをする前に、ぐっと重石が掛かったように鈴はその場に膝からくず折れた。渡り部はしゃがんで鈴の顎に指を掛ける。顔は茅羽夜そのものだが、良く見れば瞳は海色と金ではなく、綺麗な瑠璃色だ。

「……あなたが八年前、どこで何をしてたか聞いていいかしら」

「え〜?それ聞いちゃう?君が聞きたいことは、もっと別のことじゃない?ほら、夢に入る前、君が聞きたがってたコト」

「変更で」

「中途変更は却下で〜す。じゃあ、鈴ちゃんの占い結果をお伝えしまーす。なんだっけ、ああ、そうだ『茅羽夜は元気にしていますか、怪我も病もなく、無事でいますか』だっけ」

「復唱しなくていいです!」

「いやもっと突っ込んだこと聞けば良いのに。次いつ会えるの〜?とか」

「何も思い付かなかったから適当に言っただけだもの」

「え〜なにそれ今流行りのあれ?普段はつんつんしているけど二人っきりになった時にでれちゃうっていうあれ?」

「もう一回引っ叩くわよ」

「鈴ちゃん怖あい」

「その顔でちゃん付しないでってば!」

 全然違うってわかっても何だかぞわぞわする。しかし身体を起こそうにも力が入らず、鈴は砂利の上にただ這い蹲る形で渡り部を見ていた。ここが鈴の夢の中なら主導権は鈴にあるはずなのに、どうして。

 そこまで考えて、はっと彼を見上げる。渡り部の手には例の根付が握られており、あれを媒体にして彼は鈴の夢に渡って来た。あれには鈴の血が染み込んでいる。

 なんて迂闊。馬鹿にも程がある。血は契約や術にも使われる事を、良く知っていた筈なのに。

「ご明察〜あっさりばれちゃってちょっとつまんないや」

「あなた何の為にこんなことしているの。目的はなに?七宮様?」

「七宮?……ああ、あの子か。七星の姫ね。いや彼女は副産物っていうか、別に誰かを狙ったわけじゃないよ。強いていうなら君がのこのこやって来てくれたのは幸運だったかな」

 渡り部はゆっくりと立ち上がると指笛を吹いた。するとどこからか羽ばたきが聞こえ、一羽の星鴉が彼の肩に止まった。渡り部はその星鴉の尾羽を抜き取るとくるりと指先で回し、一回転する頃にはそれは一振りの剣になっていた。

 嫌な汗が背中に滲む。

「大丈夫、君を傷付けたり殺したりもしないよ。()()()に怒られちゃう。でも君を繋いでるものは、切らせて貰おうと思ってね」

「なに……?」

「これ」

「!」

 渡り部の手にあったのは、黄水晶の花の根付だった。寝る前に瑠璃のものと一緒に握り込んで眠ったはずのそれは、いつのまにか彼の手に渡っていた。

「まって、それを、どうするの」

「ん〜?聞きたい?」

 悪戯っ子の笑みで、鈴を見下ろす茅羽夜の姿をした誰か。最悪だ。とんでもない悪夢だ。体が自由だったら、もう一回今度は拳で殴ってやるのに。

 これは夢で、現実に壊れるわけじゃない、そう言い聞かせても胸の鼓動は早鐘を打ち、喉の奥が乾く。嫌だと全身が叫んでいる。そんな鈴の様子をひたすら愉快そうに、にっこりと微笑む渡り部はそれを空へ放って。

「────じゃ、ばいばい」

「やめて!」

 見えない拘束を振り切って手を伸ばす。渡り部が少し驚いた顔をした。けれど、あと一歩届かず。

 風を切る音と共に、ぱきんと粉々に砕け散るそれが月明かりに反射する。欠片はそのまま溶けるように霧散して、こぼれて、鈴の手をすり抜けた。

「ぁ……ッ」

 まって。そう呟きかけた時、誰かの手に触れた気がした。けれどそれは一瞬のことで。

 しかし次の瞬間、渡り部の頭上に何かが飛来した。そして同時に、もうひとつ何かが壊れるような音があたりに高く響き渡る。

 はっとしてそちらを見れば、それは見覚えのある大鴉だった。つぶらな瞳と、滑らかな嘴。両翼を広げ、夜空を旋回する姿はまるで夜闇を統べる王のようで、額には白い星が瞬いている。

「あなた、北斗……!?うそ、どうして」

「あ〜なるほどね、クッソ、してやられたわ……()()()()()()に繋がってたってわけ?最悪」

 渡り部は顔を歪ませて、北斗を睨みつけた。彼の嘴には瑠璃色の欠片が溢れ、さらさらとした砂のように落ちていき、空に溶けて消えていった。それと同時に、渡り部の姿もまるで水に溶ける墨のように、輪郭が滲んでいく。

「残念。せっかく僕らの姫宮に会えたのに」

「!」


『じゃあまたね、俺達の可愛い姫宮』


 頭の中で彼の声が響く。茅羽夜の命を狙って鈴を拐おうとした、あの青年。

 鈴は駆け出して渡り部を捕らえようと手を伸ばすも、彼の姿はもう半分以上消えかけていた。

「待ちなさい!あなた青幡とどういう……」

「いや待とうにも石砕かれちゃったら無理だよ〜でも楽しかったよ、またね」

 星鴉はそう最後まで悪戯めいた笑みを残して、とけて、消えていった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ