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東龍の花嫁  作者: 朝生紬
二章 まどいの星々
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 七宮の容体は、皐月の中旬を過ぎてもあまり好転する様子は見られなかった。

 菫青殿の主として何度か遣いを出してみたが、見舞いは固く断られ、せめてと思って滋養のある果物などを贈ってみたものの、彼女からの返事はなかった。

 あれから青梅も姿を見せなくなってしまい、七宮はどこか陰気な雰囲気に包まれていた。近寄ってみても常に妻戸がきっちり閉められており、中を窺い見る事も出来ないのだ。

 元々葵依は四人の妃の中でも更衣と位が低く、抱える侍女もそう多くない。帝の御渡りなども、数える程しかなかったといいう。さらに突っ込んで聞けば、お召しは一度もなかった、とも。

(まあ元々、異母兄弟の許嫁だものね……)

 人のものを進んで奪いたがる性癖でもない限り、または葵依が余程好みでもない限り、心情的には扱いにくい妃であったのだろう。

 無理に娶る必要もなかったかとは思うが、そこは政治的な背景が色々あったのだろうなと想像するしかない。

 しかし、ならばと思い、鈴が筆を取ったのは内薬司にいる兄、戸籍上は義理の叔父である縁寿だ。文を預けたその日の夕方には返事が届き、次の日の昼には縁寿が菫青殿までやって来た。

 勿論きちんと真陽瑠の許可を取り、菫青殿へ招かれた縁寿は相変わらず、端正な顔立ちに不釣り合いな分厚い眼鏡を引っ提げて定規のような姿勢で座っていた。

「菫青殿の主、初菫の御方様におかれましてはお変わりなくお過ごしのことと存じます」

「……うわ、縁兄さん気持ち悪い」

「兄に向かって何て事を言うのですか、鈴」

 眼鏡の向こうで咎めるような視線を寄越しながらも、縁寿の口調は柔らかい。鈴はいそいそと側に寄って、久しぶりに会った兄に微笑んだ。

「元気そうで何よりです。ちょっと丸くなったようだね」

「扇子で叩かれたいの。これ、結構固いわよ」

「いや、鈴は少し痩せ気味でしたからね。やっぱりそれくらいの方が健康にもいいと思いますし、今を維持するのが丁度良いと」

「それでも女の子に太った?は禁句でしょう。義姉上にもまさか言っているんじゃないでしょうね」

「ははは、まさか。そんな事言ったらその場で庭の池に沈められます」

 まだお会いしたことのない縁寿の細君、珠響(しゅら)は一体どのような方なのか。あの空鷹の妹姫なのだから、おっとりとした深窓の姫君を思い浮かべていたのだが、これは評価を改めねばならないかもしれない。

「それで、手紙にも書いた七宮様、葵依の御方様のことだけど」

 以前青梅が内薬司にも診てもらったといっていたのを思い出して、文を出してみた所縁寿が診察をしたらしい。手紙では書きづらいとの事だったので、来て貰ったわけだ。

「診察した結果、異常は何処にも見当たらなかったのは事実です。体自体は健康そのもの、問題があるとしたら心の方だと思います」

「心……」

「病は気からとも言いますが、あれ程気が伏せっていては本当に病気になりかねません。実際、睡眠の取り過ぎで栄養が足りず、やや栄養失調気味になっています。しかし睡眠の質もあまり良いとは言えません。あれだけの量をとっていて、尚足りぬという事であれば寝が浅いのでしょう」

「彼女、何か言っていなかった?例えば夢を見る、とか」

「ああ」

 縁寿も例の星鴉については何度か耳にしていたらしい。

「確かに、夢現に言っていましたね。星鴉がとか、約束を果たして貰うの、とか」

「約束?星鴉と?」

「ええ、確かそうおっしゃっていましたが」

 例の皇子ではなく、星鴉と約束を交わした。

 という事は、彼女の夢に現れるのは渡り部である美青年ではなく、星鴉のままの姿なのだろうか。星鴉は問い掛けに答えるだけでなく、誓約まで交わせるのか。

 問題はその約束の内容だが、こればかりは本人に聞く以外手立てはなさそうだ。

「本当に、人の夢を渡れるの……?」

「その辺りは専門外なので何とも言えませんが、街では若い娘さんを中心に、かなり流行っているようですね。どうやら七国から流れて来た商隊の一人らしいです」

「七国から?」

「はい。七国では今、密かに占いが流行しているらしいのです」

「その渡り部の占いが?」

「そうです。七国では瑠璃の星鴉、と呼ばれているとか」

 瑠璃の星鴉。瑠璃とはやはり、あの雫石のことだろう。見た感じ貴石まではいかずとも、あれは本物の瑠璃石だった。あれを媒体にして占いをするのだから、意味合いはわかるがあれ程大粒のものをよくもああも捌けるものだ。

「鈴、あれも売り物ですよ」

「え?」

「占いで釣って、そうやって商品を買わせて、資金にするのです。占いが当たればもっと良いものが欲しくなるでしょう」

「ああ、そういう……」

「占い師のいる商隊は玉を扱っているらしいですからね。しかし前にも、同じような事がありまして。……鈴は、七宮様の元許嫁殿の件はお聞きになりましたか?」

 元々縁寿の声は低く深い、大樹のような響きがあるが、その声を更に落とす。鈴が頷くと縁寿は眼鏡を押上げ、眉根を寄せた。

「では八年前、十二国でとある宗教が流行したのは知っていますか?大海神(わだつみ)を主神とした宗教でして、まあ東和国は国教として神祖を祀っていますが基本的に多宗教国家ですからね。そこは別段問題はないのです」

 鈴の住んでいた九頭龍山も、山神様として山そのものを祀っていた。しかし山神様もひいてはこの国土となった神祖に通じる神だ。大海神も同じく、照日奈大神の流した涙から生まれたとされる神で、皆等しく神祖の裔となる。故に宗教の数は多く、国も容認していた。

「しかしその宗教というのが、神祖と男神、女神を否定する教典を広げたのです。そして皇は咎人であると流布したのです。ちょうど、先代が身罷り覇権争いの真っ最中で当然皇への反感は強かった時代ですから、信徒はあっという間に膨らみ、十二国から暴動が起きました。……結果から言えばその宗教は征伐にあい、信徒は解散させられました。その指揮を取ったのが今上帝陛下であり、教祖となっていた男は処刑されたと聞いています」

「……」

 鈴は戦争を知らない。山賊に遭遇したことはあるが、少数人数のぶつかり合いしか見たことがない。けれど、今縁寿が語ったのはそんな規模ではないだろう。鈴は輿入れの際、寝かされていた彼らの痛ましい姿を思い浮かべて、ぎゅっと唇を噛んだ。

 十二国は東和の中でも最北端の国だ。土地は痩せて貧しく、一年の半分を雪に埋れて過ごすような土地で、きっと最も荒廃の煽りを受けただろうというのは想像に難しくない。

 西の九国は夜露と風が凌げれば何とかなるが、北国の風はそれだけで人の灯火を奪う。

「その際、十二国の国長の一族は行方不明になり、今は隣国の一守家が傘下に置いています。あそこは瑠璃領と呼ばれるだけあって、瑠璃の唯一の産地ですからね」

 十二国唯一の収益源とも言えるが、しかしこの瑠璃は質も良く、十二国以外では採れないので希少価値が高い。六国でもかなりの値段で取引がされていると先日銀朱が言っていた気がする。おまけに気候もあまり良くないので、働き手が少ないため採れる量は減って来ているのだという。

 そこではたと鈴は顔を上げた。どうして渡り部は価値の高まりつつある瑠璃をこうもばら撒けるのか。その瑠璃石はどこから来ているのか。

「いやまって、それに八年前って確か、七宮様の……」

 許嫁である皇子が亡くなったのも、八年前だ。こんな偶然があって良いわけがない。

「そうです。八年前の暴動ですが、実はこの年が最も多く皇子が亡くなっている年でもあります。皇子が今上陛下、並びに東宮殿下を含めて十四名。この内の九名がこの年に亡くなっています」

「……は?九名?」

 皇子が十四名いた事にも驚きであるが、いくら何でも一年の間に九名は多すぎだろう。今上陛下と茅羽夜を除いて、三名しか残っていない事になる。そういうと縁寿は首を横に振った。

「いえ、その三名は先代が身罷られた際に、すぐに覇権争いにて亡くなっています。つまり八年前の時点で、生き残っていた皇子様は今上陛下と若宮様だけでした。当時政内でも陛下や殿下があの宗教を扇動したのではないか、という声もあったくらいです。皇に目を向けさせ、民に他の皇子を殺させたのではないか……と」

「そんな……!そんなの、お二人だって危ないのに」

「その通り、それに証拠は何もありません。第一、この亡くなった皇子九名も、全員が何者かに殺されたわけでもありません。……しかし、七星家が擁立していた皇子様は……真尋殿下は今上陛下とは最も仲が宜しかったそうです。異母兄弟というより、親友のようだったと。そして共に暴動を収める為に出兵し、亡くなられたと聞いています」

 鈴は息を飲んだ。彼は病死でも暗殺されたのでもなく、戦死だったのか。遠い極寒の地で、共に育った十になる幼い許嫁を遺して。────さぞ、無念だったことだろう。

 しかしそういった経緯で、今上帝は七宮を妃に迎えたのだろうというのは何となく察する事が出来た。鈴は陛下について何も知らないが、彼女にお召しがないのも、一種の愛情なのかもしれないと思った。

 共に戦い、亡くした異母兄弟の遺した許嫁に、出来る限りのことをしてやりたいと思った結果が今現在なのかもしれなかった。または喪った友を、共に語れる誰かがお互いに欲しかったのかもしれない。

「でも、だったら何故、葵依の方様はあの占いに執着してらっしゃるのかしら……」

 もしも。これは鈴や縁寿の仮定であって何の確たる証拠もないわけだが、この渡り部がその八年前の宗教の生き残りだったとして。その場合、彼女にとっては仇にも等しいのではないだろうか。

 勿論これは鈴の想像の範疇を越えない。だが鈴の中の何かが、警鐘を鳴らし始めている。

 縁寿も、どうやら鈴と同じ仮定に及んでいたらしく、深く頷いた。

「実は今回()が七国へ向かったのは、これの調査の為なのです。陛下から内密に命を受けていまして。あ、松葉も一緒にいますよ」

「……陛下と殿下って、実は結構仲良しなんじゃ」

「擁立している家が仲が悪いだけですからねぇ。いや、実際の仲はまあ、そのへんは追々本人から聞いてください」

「その本人が、いないんだけど?」

「ははは。さて、六宮様の所も行かねばなりませんし、私はこの辺で失礼しますね」

「あ、逃げる気ね!」

「痴話喧嘩については自分の妻君だけで手一杯なので」

「その珠響様にもいずれお会いしたいわ。従兄弟殿達にも」

「そうですね、機会があれば私も是非とも引き合わせたいと思っています。前回会えなかった事を、あれからずっと詰られていますので」

 立ち上がった縁寿を見送るべく、鈴も立ち上がる。縁寿は眼鏡の奥でふと微笑んで、鈴の頭を優しく撫でた。松葉とは違う、実に丁寧な撫で方である。さすが既婚者。

 そして廂を渡る直前「ああそうだ言い忘れてました」と振り向く。

「彼から伝言を頼まれていたんです」

「あら一月半、放ったらかしにしている新妻に何かしら。てっきり忘れられているのかと思ってましたわ」

「……星の花を肌身離さず、持っているように。だそうです」

「…………それだけ?」

「はい」

「そう。ならわたくしも伝言をお願いしても良いかしら」

 鈴が扇の向こうですっと微笑みを浮かべて告げた言葉に、縁寿は苦く笑うばかりだった。


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