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東龍の花嫁  作者: 朝生紬
二章 まどいの星々
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 翌日、意外な所から呼び出しを受けた鈴は珍しく二日続けて菫青殿を出掛けていた。付き添いの小鞠が心配そうに鈴の後に続いてくる。

「大丈夫ですか?顔色があまり」

「ちょっと賛辞疲れが残ってるだけだから……」

 なにしろ結局、昨日はうまく逃げることが出来ず、昼過ぎまで延々と反物を当てられ、小物を渡され、銀朱のお気に入りのお召し物について語るのを聞かされ、賛辞を並べ続けたのだ。

 賛辞の表現は完全に品切れ状態だったが何とか銀朱のご機嫌は帰る頃には上昇しており「縫い上げたら菫青殿までお届けいたしますわね」と上機嫌で鈴を解放してくれた。

 彼女はお抱えの針子だけでなく、ご自分も縫い物をなさるらしく、鈴に一番似合うと言われた菫色に蝶の縫い取りのされた反物をご自分で仕立てると宣言され、侍女達には散々感謝するように言われた。確かにとても有難い、有難いのだが。

(何故ああも押し付けがまし……いや、流石にそれは悪いわよね。せっかくのご好意ですし、いやでも押し付けがましいなほんと……)

 良家の姫君とは大体ああなのだろうか、それとも銀朱個人の問題だろうか。後者であってくれと願うばかりだ。


 更に言えばその後、菫青殿に戻ってから今度は刻葉から延々と礼儀作法に付いての講義を受けて鈴の気力は完全に底をついていたが、呼ばれれば出向かねばならないのが新入りの辛い所だった。

 小鞠と連れ立って菫青殿を出て、ふと左向こうの紅玉殿の方を見る。葵依の方はあれから大丈夫だっただろうか。何か、見舞いの品でも届けた方がいいのだろうか。

 後で小鞠に相談しようと思いながら、今は呼び出し人の元へ急ぐ。

 今日の呼び出し人は後宮の長、白桂殿の真陽瑠の御方だった。


「よう来たな、初菫の。待っておったぞ、ほれもっと近う寄れ」

 鈴が入室するなり、真陽瑠は待ちきれない子供のような仕草で(ひさし)の内側へ手招いた。今日は前回の広間ではなく私室である柱間に通され、控えていた小鞠は流石に付いて入ることは叶わず、そのまま下がってしまった。真陽瑠の方も侍女らしき姿は側になく、殆ど二人きり状態である。緊張で手に変な汗が滲んだ。

 白桂殿は白と名がついているものの真珠殿のように白く塗られているわけではないが、几帳や掛けられている着物などはやはり白が多く、花よりも榊等が多く見られるのはやはり、彼女が斎宮(いつきのみや)故だろう。

 今日は天気が良いからか、妻戸や御簾も上げられており、薄絹から透けて入る陽光が明るく、清々しい風が吹き込み、宮すべてが清浄な雰囲気を醸し出していた。

 そして先日と同じく焚き染められた白檀の甘い香りがふんわりと薫る。どうも彼女お気に入りらしい。

 真陽瑠の側に行くと既に飴色のお茶と、見た事もないような甘味が乗せられたお盆が用意されており、敷茵の上に座るよう扇で示された。遠慮がちに座ると、真陽瑠は満足げに笑う。

「そなたは甘味が好きだと聞いておる。遠慮せず、好きなだけ食べるが良い」

「恐れ入ります……しかしその、どなたに?」

「ふふふ、妾の情報網を侮って貰っては困る。この後宮、いや葦原の全て、妾の目も耳も届かぬ場所などないぞ」

 扇で口元を隠しながら、真陽瑠は無邪気に笑う。彼女が言うと冗談に聞こえない。何しろ西の最果ての里にいた鈴を見出した女性だ。

「これは葛桜と言って餡を葛で包んで、桜の葉で巻いた菓子での。見た目が涼しそうで良かろう?妾の大好物でな、城下の見世から持って来させたのよ。桜餅も良いが季節をちと過ぎてしもうたしの。どうじゃ?美味であろう」

「はい、すっごく」

 昨日あれほどぽんぽん飛び出して品切れを起こした賛辞がどこかへ吹き飛ぶくらい、それは美味しかった。ひんやりとした上品な甘味が口いっぱいに広がり、癖がなく、幾らでも食べられそうだと思った。鈴が目を開いて何度も頷くのを見て、真陽瑠も顔を綻ばせた。

 その顔に、鈴は胸の奥がぎゅっとなる。

「……」

「うん?どうした」

「い、いえ、その……申し上げて、宜しいでしょうか」

「良い良い。申せ」

「その、御方様の微笑まれたお顔が、茅……若宮殿下に、似ていらっしゃったので。目元がとくに」

 そういうと真陽瑠は少し意外そうな顔をして、しかしすぐに「そうか」と目を伏せた。

「妾と末のは母が違えども父は同じじゃからの。あの子はほんに、愛想というものを母の腹に置いて生まれてきたものだから妾も心配しておったが……そうか、そうか、そなたはあの子の笑顔を見た事があるか」

「はい。若宮はとてもお優しい御方でした」

 帯に下げている黄水晶の根付に触れると、菫色の鈴がりんと鳴った。入内の際に多くのものを貰ったが、茅羽夜から直接買って貰ったこれが、唯一彼との縁を繋いでいるようで鈴はどこへ行くにも下げていた。

「……全く、あの朴念仁は斯様に愛らしい妻を放って今頃どこで何をしているやら」

 ぎくりと鈴の肩が跳ねた。緩やかに扇を煽ぐ真陽瑠の青藍の瞳は相変わらず、悪戯っぽく童女のように輝いており、茅羽夜が宮にいない事を承知しているようだった。この様子だと彼が宮を飛び出して鈴を里まで迎えに来たことも、今どこで何をしているのかもしっかり把握しているだろう。

 聞いても答えてはくれないだろうが、少なくとも彼が危険な目にあっているわけではなさそうでほっと胸を撫で下ろした。

「まあ、新婚の妻を一月も放っておいて許せとは言わんが、彼奴も色々訳あっての。して初菫の、今日呼び立てたのは他でもない。例の噂をそなたも聞き及んでおると思うが」

「例の、と言いますと?」

「昨日七宮が()()に触れられかけて、激昂したのを見たじゃろう」

 この人は本当に遍く全てを見ることが出来るのではないかと一瞬背筋が冷たくなった。ごくりと唾を飲み込み、頷く。

「……星鴉ですか」

「うむ。妾は自分でいうのも何だが、そういったものには寛容でな。なにしろこの箱庭は娯楽が少ない。いちいち一宮のように取り上げては、下々の者も澱みが溜まろう。規律に触れぬ程度であれば好きにすれば良いと思っておるが……のう、初菫の。そなたはあれをどう見る」

「どう見る……とは」

「正しき定めに導くものだと思うか」

 ぱちんと軽やかな音を立てて扇を畳む。そしてつい、と七宮がある方を見て真陽瑠は目を細めた。笑みから生まれたものではなく、そこには憂いと僅かな嫌悪が含まれている。

「同じ占をする者同士、そなたの意見が聞きたくての」

「……わたくしの占など、御方様の物とは比べるのも烏滸がましいかと」

「謙遜するでない。妾は生まれてこの方此処から出た事は一度もないが、一目見ればその為人(ひととなり)がわかる。その妾が、そなたに問うておるのじゃ。過ぎたる謙遜は逆に嫌味じゃぞ」

 そこまで言われては引き下がるのも返って無礼だろう。鈴は姿勢を正して、真陽瑠を見る。

「では、恐れながら……件の占いと言うものがどう言うものかは詳細を存じ上げませんので、発言は控えさせて頂きたいですが、七宮様におかれましては少々、危ういと感じました。先日の顔合わせの時よりずっと沈んだお顔をしてらっしゃいましたし、何より……」

 これを言っていいものか一瞬悩んだが、鈴は真陽瑠を見た。彼女の目は、きっともっと広いものを見ている。鈴が見たものなどとっくに承知している気がした。

「彼女を見ていた男が。初めは六宮様の所にいた者と思いましたが、七宮の方からずっと同じ気を感じるのです。なんと言ったらいいのでしょうか……匂い、とでもいいのか……あれは既にこの世にないものです。宮についているのではなく人、恐らく七宮様についているものかと思います」

「そうか、そなたも見たか」

 そなたもということはやはり真陽瑠も把握していたらしい。

「……見たのは一瞬でしたが、直衣を纏った男でした」

「そうか……」

「御方様はあの者が何者なのかご存知でいらっしゃる?」

「んーまあ、察してはおるが……これはあくまで七宮自身の問題じゃからのう」

 どうしたものかのう、と真陽瑠は飴色のお茶を口に含む。緊張から喉が乾いていたことに気がついた鈴も、一口含んでみると甘い茉莉花のような香りがした。

 花の香りの飲み物に一瞬身構えるものの、そのままぐっと飲み込んだ。

「初菫の。ここはひとつ、頼まれてはくれぬか?」

「え?」

「七宮及び星鴉について調べて欲しいのじゃ」

 きょとんと聞き返すと、真陽瑠はさも名案といった顔で「そうじゃ、それがいい」としきりに頷いて見せる。段々と言わん事が飲み込めてきて、鈴は慌てて両手を振った。

「わ、わたくしが、ですか?そんな、とんでもない!」

「しかし妾が表立って動くとかえって具合が悪かろう。妾とて何も彼女達から息抜きを取り上げたいわけでも押さえ付けたいわけでもないからの。そなたならまだ然程顔も知られておらぬし、ちょうどいい」

「え、あの、いや、ま、待ってください御方様」

「それにそなた、そろそろじっと書き付けてばかりの日々に飽いた頃ではないか?」

「……」

 バレている。本当に一体どこまで知られているのか怖くなってくる程だ。

 しかし気にならないかと聞かれれば正直気になるし、毎日毎日礼儀作法について刻葉の小言を聞き流す日々に疲れが出てきたのも事実だった。七宮とも個人的に仲良くなりたいと思っていた所にこの命は、逆に好都合ではないだろうか。

 それになにより真陽瑠からの命のために座学を中断しても、さすがの刻葉も文句は言えまい。

「わかりました、わたくしで良ければ!」

「うむ、頼りにしておるぞ、初菫の」

 いい音を立てて開かれた扇の向こうで、真陽瑠が無邪気に笑った。


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