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東龍の花嫁  作者: 朝生紬
二章 まどいの星々
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 その報せが届いたのは鈴が朝餉の粥を食べ終え、身支度を整え終わった頃だ。

 いつもなら刻葉が大量の書物やらを持ち込んで扇片手に鈴の一挙一動全てに駄目出しにかかる頃合いなのだが、今日に限って彼女は手ぶらで、見慣れない侍女を後ろに連れていた。

「六宮の銀朱の方様から、初菫の方を茶会にお招きしたいそうです」

「六宮様が?」

 刻葉の後ろに控えていた侍女は、腰に白い組紐と涙型の真珠を下げていた。先月に見たあの夕焼け色の艶やかな姫君を思い返して、鈴は少し驚いた。

 あの時彼女は鈴をちらりとも視界へ入れず、全く興味なさそうだったので真っ先に誘いを掛けて下さるとは思っていなかったのだ。

 しかし思えば鈴の「初菫」という名を提案してくれたのは銀朱だ。鈴はこの名前をかなり気に入っていた。お礼を出来るいい機会かもしれない。

 鈴はちらりと刻葉を見て、すぐに顔を伏せている使者の侍女へ目を移した。

「謹んでお受けいたします」

「畏まりました。ではご案内致します」

 ここへ来てから白桂殿より東へ行った事はなかったが、行ってみると西側と殆ど同じ造りになっており、白桂殿を通り過ぎて並んでいる六つの宮の一番端、右手奥が六宮の真珠殿だ。

 真珠殿は名の通り、丸柱や梁、妻戸まですべて輝くばかりの乳白色で染められていた。勾欄や装飾などに金と黒がちらちらと見える以外は、まさしく宮そのものが真珠のようだった。

 周囲が真白い分、几帳に掛けられた薔薇の紅が一等目を引き、立て掛けられた着物も深い紅に施された黒と金糸の刺繍が艶やかさと華やかさを引き締めている。

(白地に赤と黒……なんか鶴みたいな配色の宮ね)

 冬の間近くの河へやってくる子供の背丈ほどもある鳥を思い浮かべながら、鈴は侍女の後ろに続いた。鈴の後ろには小鞠と刻葉が控えている。

 案内された一室に入った瞬間、色の洪水に鈴は一瞬目が眩んだ。白い部屋の中には若草、紺瑠璃、蘇芳、翡翠、薄紅、山吹といった彩溢れる反物が並べられ、その中に深い藍色の衣を纏った少女と、彼女の侍女達であろう彩衣が色鮮やかに広がっていた。

 彼女達はめいめいにそれらを手に取ってお喋りをしていたが、不意に一番奥の上座に座る少女が鈴に目を止め、微笑む。

「ようこそいらっしゃいました、初菫の方。お待ちしておりましたわ」

「お招き下さりありがとう御座います。六宮様」

 この宮の主人、銀朱の方は今日も美しい茜の髪を真珠と金の簪で結い上げ、髻には紫の牡丹が挿されている。

 彼女は「どうぞこちらへ」と手を向けて、鈴を招いた。広げられた反物を踏まぬように、失礼のないように細心の注意を払って恐る恐る踏み込むと、さっと多数の目がこちらに向けられるのを感じた。

 部屋を見ればすぐ斜向かいには葵依が俯きがちに座っており、他の宮姫の姿はなかった。呼んでないのか断られたかは定かではない。

「あの、銀朱の御方。先日は素敵な名を頂き、有難う御座いました」

「お気に召したようで良かったわ」

「はい。わたくし菫が大好きなんです。だから、一言お礼をと思っておりましたのに、遅くなって申し訳ありません」

「まあそんな、いいのよ、そんな事。だって貴女、色々大変そうでしたもの。ねえ?」

 側にいた侍女達に銀朱が声を掛けると彼女達はちらりと鈴の後ろを見て「ええ」とか「そうですわ」とくすくす笑い出した。

 鈍い鈴も、その声音があまり好い意味を含んでいないことを理解出来た。鈴がまともな教育を受けてきたわけではない事は、とっくに知られているらしい。

「今日お呼びしたのはね、わたくしの実家から、反物が沢山贈られて来まして見て頂こうと思いましたの。ほらこれとか、この薔薇の縫い取りときめ細やかなレース模様の美しさったら。とても綺麗でしょう?六国は外国との貿易も盛んで、こういった珍しいものもよく入ってきますの。そちらのビイドロの帯留めと合わせたら、きっと素敵ですわ。初菫の君もそうは思わなくて?」

「え、ええっと……?び……?」

「ああ!御免なさい、わたくしったらつい。聞き取れない言葉で、困らせてしまったわね」

「六宮様は外国の語学も嗜んでいらっしゃる才女でいらっしゃいますから」

 彼女の側に控えていた老女が、誇らしげに胸を張って言った。

 頭の中に六国の場所を思い浮かべる。

 東和国の最南端である六国のすぐ下には外国である島国がいくつかぽつぽつと浮かんでおり、その遥か向こうには大陸も存在するが、遠すぎて船もそこまで頻繁に渡らない。しかし皆無ではなく、小さな島国を経て、異国の織物や技術を取り入れて発展したのが六国である。そういった経緯で、六国や五国には銀朱のような赤毛や金髪の一族もそう珍しくないそうだ。

 そういえば事前の情報にも銀朱は外国の語学を嗜んでいるとあった気がする。先程うまく聞き取れない単語があったのは、外国の言葉なのだろう。

 言葉遣いや作法は刻葉からしこたま叩き込まれたが、流石に外国の言葉までは範囲外だ。

「ビイドロは硝子の事よ。でもこのビイドロは特別で、ほら見て、中に蝶を象った玉を埋め込んでいるの。この技術は六国でしか見られない貴重なものなのよ。素敵でしょう?七国にも硝子職人は多いと聞きますけれど、葵依の方様のお住まいだった所は染物が主でしたかしら」

「ええ、まあ……」

 ずっと黙っていた葵依が、そっと頷く。鈴は彼女が喋った声を初めて聞いた。垂れた目尻の愛らしい見た目とは逆に彼女の声はやや低めで、やはりどこかくぐもっていて聞き取り辛い。

 側に輝かんばかりの銀朱がいるからか、余計に小さく、顔色が悪く見えた。

 だが、やはり良く良く見れば青い艶のある流れる小川のような髪も、ぱっちりとした紫檀の瞳も愛らしく、ひっそりと雨垂れに咲く紫陽花のような可憐さがあった。

 葵といえば濃い萩色のような花を咲かせる植物だが、水葵という花は紫がかった青色の花もあったはずだ。彼女はそちらの方がよく似合いそうだ。

「七国の染色技術には、わたくしも一目置いてますの。有名な所でいえば友禅染めかしら。わたくしも幾つか持っていますがどれも優美でお気に入りですのよ」

「恐縮です……」

「ああ、そうそう。それでね、今日はこちらの反物を、是非御二方に受け取って頂きたくてお呼びしましたの。気を使わなくていいのよ。本当に、お父様ったら新しいものや珍しいものを見るとあれもこれもって送ってくるものだから、掃いて捨てる程ありますの。でも流石に捨てるのは勿体無いでしょう?」

「え、これを、ですか?」

「ええ」

 鈴は肩から掛けられた薔薇とレェス(恐らく、裾に縫い取られた白い模様の事だと思われるが)の反物を見て、顔がやや引きつるのを感じた。どう見ても最高級品の絹である。これを掃いて捨てる程のものと言い切るその豪快さに目眩がする。これだけで、里であれば一年は豪遊出来そうだ。

「わたくし、美しいものが好きですの。貴女も磨けば光ると、先日顔合わせの時から思っていましたのよ。葵依の方もほら、いつもそんな地味な色の唐衣ばかり選んでいないで、もっと宮姫に相応しい色を選べば良いのに。東西で分かれているとはいえ、宮が暗くなって仕方がないわ。ねえ、そう思わない?」

「本当、姫様の仰る通り」

「今日のお召し物も、小物に至るまで姫様自身がお選びになりましたのよ」

 口々に褒め称え始める六宮の侍女達を見ながら、段々と鈴にもこの茶会の趣旨が見えてきた。

(要はそんな地味で粗末な格好で歩かれるのはこっちの気が滅入って迷惑だからそれらしい格好をしろよ、わたしのような。という事ね)

 それでいて、心からの親切だと思っているようなのが、何とも「いいトコの姫君」らしいと思った。

 先程から葵依が反物に囲まれていたのは、どうも銀朱に着せ替えさせられているからだったようだ。鈴より長く着せ替え人形をさせられていた葵依は明かに疲れた顔をしているように見えるが、銀朱は気にしていないようにあれやこれやを当てがっては投げ、鈴には別の布を当てては振り分けていく。

 勿論布を当てている間、彼女のお喋りという名の、自国の扱う品がどれ程良いものかという自慢は止まる事を知らなかった。どうも好きなものを語り出すと止まらない人種らしい。鈴は兄で慣れていたつもりだったが、これが他家の姫ともなると話は違ってくる。キリがいい所で逃げられないのだ。

 初めは色取り取りの衣に心を弾ませた鈴も段々と疲れが滲み始めた頃、不意に銀朱が葵依の胸元にかかっている首飾りに目を止めた。

「葵依の君、珍しいものをお持ちですわね」

「え……あ、あのこれは」

 葵依の胸にかかっていたのは銀の鎖に通された瑠璃色の石だった。鈴のと同じように襟元に隠していたのがあれこれ当てられている内に見えてしまったらしい。銀朱に言われてさっと隠してしまったので、形までは見えなかった。

「ちょっと見せて下さいな。わたくし幼い頃から父にあれこれ見せられていましたから、こう見えて、目は肥えていますのよ。ほら、」

「────その人に触らないで!」

 その声が一体誰から発されたものだったのか、鈴は一瞬わからなかった。刃物のような鋭い声に銀朱を始め、彼女に付き従っていた侍女達も、反物を持ったまま石像のように固まってしまっている。

 何とも言えない空気の中、葵依の側に控えていた侍女がさっと立ち上がると、葵依を支えるように寄り添った。

「申し訳御座いませんが、葵依の方様は御気分が優れない様子ですので、今日はこの辺でお暇致します」

「え、ええ」

「では」

 そう言ってそのまま二人は連れ立って部屋を出て行こうとして、ふと、鈴は何かを感じ取って視線をずらして、ぎょっとした。直衣の男が一人、そこにぬっと立っていたからだ。

「……え!?なん、」

「初菫の方、どうかされました?」

「あ、いえ、その」

 すぐ後ろに控えてくれていた小鞠の声に気を取られた内に、男はふっと煙のように消え去っていた。見回せばどうも鈴以外先程の男を見た者はいないようだった。

 鈴の動揺を葵依のせいだと思ったのかはたまた気がつかなかったのか、二人の姿が見えなくなり、足音も遠かっていくとすぐに侍女達はいつもの調子を取り戻して、顔に朱を昇らせて捲し立て始めた。

「何ですの、あれ」

「折角の銀朱様のご好意を無碍にするなんて」

「御方さま、気にする事は御座いませんわよ。七宮様は最近、様子が可笑しいと聞きますし」

「でもだからこそ、お優しい姫様が今回の茶会にお誘いして下さったというのに……」

「そんな風に言うものではないわ。わたくしは気にしていませんから」

 しかし興が削がれたらしく、脇息に凭れて息を吐く銀朱に侍女達は次々に「まあなんて、お優しいのかしら」と褒めそやした。

 侍女達の言葉に気を持ち直したのかゆっくりと扇ぎながら銀朱は首を傾げる。一欠片も自分が悪いと思っていないその顔に、慈悲が仇という言葉を贈ってやりたいくらいには葵依に内心同情していた。鈴とてあのように自分の胸に下げている首飾りや茅羽夜から贈られた根付を触られかけたら、同じように声を荒げるかもしれない。

「でもあの子ったらどうしたのかしら」

「あれですよ、例の」

「ああ、星鴉ね」

 潜めたような声に鈴は先日の小鞠の話を思い返す。宮で流行っていると噂の夢占いだ。

 そういえば七宮から流行が始まり、葵依自身もはまっているという話だった。では、もしかして先程首に掛かっていたのが占いに必要な道具か何かなのだろうか。

 銀朱の「星鴉」という言い方に、彼女が夢占いにあまり関心を持っていない事が窺えるのが何だか意外だった。流行りものには人一番敏感そうだと思ったのだが。

 しかし何人かは彼女の後ろでやや罰が悪そうな表情を見せている所を見ると、六宮にそのもの自体は持ち込まれてはいるらしい。

(それにしても、その人に触らないでって何だろう……石が人?あ、もしかして例の美青年に懸想してしまっているとか……)

 帝の妃である更衣がそれはまずいのではなかろうか、と思いながらも他人が口を出して良い問題でもない気がした。

 それに鈴としてはさっきの男も気になる一因だ。一瞬過ぎてわからなかったが、よくよく目を凝らせば確かにそこに残り香が残っていた。あれは人ならざるものだ。だからこそ、他の者には見えなかったのだろう。

(うーん……どうしよう)

 悪いものでなければ、積極的に関わろうとは思わないが、彼女の豹変は少し気になる所だ。顔色も悪かったし────いや、そもそも顔色の良い溌剌とした葵依を鈴は見たことがないが、それでも何だか、先日よりも疲れが濃いような気がした。

 石を投げられた水面のように波紋を描く胸内を押さえて、鈴は葵依がいなくなった事で獲物を見るような目が自分一点に注がれていることに気がつき、どう逃げようか考えを巡らせるのだった。


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