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東龍の花嫁  作者: 朝生紬
二章 まどいの星々
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 婚礼を終えて後宮に入りまず鈴が対面した最初の仕事は、後宮の主たる真陽瑠の方に御目通り願い、菫青殿を入る事へ許しを賜る事であり、先に後宮に入っていた姫達への挨拶だった。


 今上帝には現在、四人の妃がいる。

 事前に縁寿から叩き込まれた知識を、白桂殿へ向かう途中、頭の中で何度も復唱した。

 まず一宮(いちのみや)柘榴殿(ざくろでん)にお住まいの中宮・玉椿(たまつばき)の方。古くから宮家に仕えてきた一守家の姫であり、左大臣に付いている巌澄殿の孫娘になる。そして現在、最も皇后に近い女性だ。

 四宮(しのみや)金剛殿(こんごうでん)にお住まいの中宮・璃桜(りおう)の方。楽人として名高い四月朔日(つぼみ)家の三の姫であり、父君は治部卿を勤めている。御本人も琴の名手として知られており、その腕前は陛下も誉めそやす程だとか。

 六宮(むつのみや)真珠殿(しんじゅでん)にお住まいの女御・銀朱(ぎんしゅ)の方。六反田家は南部を取り仕切る豪商の家で、その二の姫である銀朱は語学に優れ、また様々な美しい品を集めるのが好きらしい。

 七宮(ななみや)紅玉殿(こうぎょくでん)にお住まいの更衣・葵依(あおい)の方。藍染の発祥地である七星家の末姫である彼女の父は大蔵省の長官であり、宮の美しい染物は、彼女の家からもたらされた技術で染められているのだという。

 最後に白桂殿の斎王・真陽瑠の御方。今上帝と茅羽夜の異母姉であり、鈴にとっても義姉にあたる方である。占によって鈴を見出した張本人だ。

 この五人と新たに加わった鈴が、現在の《(こう)の華》である。


「真陽瑠の御方が、お会いになられます。どうぞ、こちらへ」

 案内を仰せ使ったらしい女官は、名を朝山と言って四十代後半頃の女だった。朝山は後宮の広さにきょろきょろと視線を彷徨わせていた鈴を冷ややかに一瞥し、そのまますたすたと進んでいくので、鈴は慌てて彼女に続いた。

「此方でお待ち下さいますよう」

 通されたのは白桂殿の一番手前の広間であり、上座には御簾の下がっている。ふくよかな甘い白檀の香が漂い、鈴が板の間の上で背筋を伸ばして姫君達の到着を待っていると、最初にやってきたのはひとりの侍女を連れた小柄な姫君だった。

 青光沢のある柔らかそうな髪に紅の玉を飾り、浅葱と藍の大人びた唐衣を纏っているものの、本人は鈴よりもずっと小柄で、どこかおどおどしたような少女だ。それでいて朝顔に落ちる露のような瑞々しさを感じさせ、覗く垂れた目がどこか愛らしい。

 彼女は鈴の左隣の席に付き、鈴を扇の向こうでちらりと見て、すぐに目線を下げてしまった。

(わたしの左隣ということは、この方が葵依の方様かしら)

 歳は恐らく鈴よりも上だろうが、その小動物のような態度がどこか庇護欲を唆られる姫君だった。

 暫くして次に入室した姫君を見て、鈴はあっと驚いた。彼女の髪が、まるで沈みゆく陽の如く、茜色だったからだ。

 波打つ赤髪を金と真珠をふんだんにあしらった簪で纏め上げ、彼女が足を運ぶたびにしゃなりしゃなりと鳴る。豊かな髪に合わせたような紅と中紫の薔薇(そうび)の唐衣は彼女の為に作られたのではと思う程、少女を美しく引き立て、目を奪われた。

 袴を捌く足取りひとつとっても自信に満ち溢れ、つんと吊り上げられた瞳も、鈴など眼中にないようでそのままちらりとも此方を見ないまま、鈴の斜め向かいに腰を下ろした。恐らく彼女が六反田家の姫君、銀朱の方だろう。

 それからやや置いて御二方とはまた違った雰囲気の姫が二人、ほぼ同時に入室した。

 先に入室したのは正しく、花のような姫君だった。

 少し茶色がかった巻き毛に、桜と撫子を模した花簪を挿し、白地に大輪の牡丹の刺繍を施された衣からふわりと柔らかい香が漂う。花の精と見間違えるような、春の化身とも呼べそうな姫だ。そんな彼女の薄紅の瞳に、扇子越しに微笑み掛けられて鈴は頭が沸騰するかと思った。

 次いで広間に足を踏み入れた女性は横顔に凛とした冷たさを感じさせるが、鈴が今まで見た中で飛び切りの美貌をたたえていた。

 艶やかな紅をさした唇以外、化粧気は殆どないというのに、それがまたきりりと引かれた柳眉と柘榴の瞳を引き立てている。

 高い位置で結い上げられた髪に飾られているのは椿の花簪と歩揺のみで、他の姫に比べて質素であるというのに、隠しきれない気品と艶やかさ、そして潔さがあった。

 先程の姫が麗かな春の化身ならば、此方は厳しい冬の精のような方である。

 先に入室した春の姫が六反田の姫側に座り、冬の姫が一番上座に近い席へ着いた。

(ではこの御二方が四宮の桜の君と一宮の椿の御方……)

 麗しき後宮の華、今上帝の妃達なのだった。

 何だか途端に自分が此処にいる事が場違いな気がして、鈴は恥いるように俯いた。

「皆揃ったかえ」

 上座の御簾の向こうで衣擦れの音がして、はっとして鈴は他の姫同様に首を垂れた。

 白桂殿のぴかぴかに磨かれた飴色の床に恭しく頭を垂れた五人に「面を上げよ」と凛とした声がかかる。

「まずは九条の姫君に、恙無い宮入り、お慶び申し上げよう」

「有難う御座います」

 真陽瑠から「名は」と問われ、教えられたように手をついて礼を取り、はきはきとした声で鈴が答えた。

「西の九条より罷り越しました、鈴と申します。皆々様にこうしてお会い出来ましたこと、嬉しく存じます。若輩者の身では御座いますれば、ご指導ご鞭撻の程、宜しくお願い申し上げます」

「九条の狐が送り込んできた姫にしては、まあ何と、愛らしい姫じゃのう」

 つかつかと歩み寄る足音を聞いて、鈴はぎょっとして目を丸めた。御簾の向こうに座していた筈の女性がすぐ側まで来ていたのだ。

 初めて御顔を見せた真陽瑠の御方は清涼という言葉がそのまま人の形を取ったような女性だった。

 四人とは違う、彼女は深雪の水干に緋色の単と長袴という巫女装束に、首から翡翠の勾玉の首飾りを下げていた。

 年頃は縁寿や空鷹とそう大きく変わらない三十頃で、まだまだ花の盛りを失っていない。ともすればこの中で一番若々しく、童のように青藍の目を輝かせていた。そして何より、彼女は傍で見ると、やはり茅羽夜にどこか似た面差しをしているように思えた。

 びっくりして目を白黒させていると、彼女の背後から冷ややかな声が落ちる。

「真陽瑠の御方。九条の姫君がお困りのようですよ、どうぞ御自分のお席へお戻り下さい」

「全く一宮は厳しいの。末の弟がようやっと妃を迎えたのじゃ。御簾越しの祝事では味気なかろう。のう、四宮」

 真陽瑠が振り返った先に居たのは薄紅の瞳の女性だった。彼女は突然の問い掛けにも臆する事なく、扇の向こうで微笑みを絶やさない。

「まあまあ。ですが、ええ、わたくしも、九条の姫様の初々しい愛らしさに心が華やぐ思いです」

 焦茶の髪に咲く花々が、彼女の動きに合わせて揺れる。

 四宮、璃桜は鈴を見て柔らかく微笑み「四宮の璃桜と申します。仲良くして下さいましね」と鈴の転がる声で言った。男だったらここで全財産を叩いても、生涯に一片の悔いなしと思えるような笑みだ。

 しかしその隣に座る一宮、玉椿の方は璃桜の対応にも眉を吊り上げ、未だ鈴の前から動かない真陽瑠を見ていた。

「斎宮様におかれましては、御自分の御立場をよくお考え下さいますよう、重ねて申し上げます」

「おお怖い怖い。して、九条の姫や。名を鈴と言ったか」

「は、はい」

 真陽瑠と玉椿の応酬を冷や冷やしながら見ていた鈴は急に自分へ話を移されて、ぴんっと背筋を伸ばす。扇を口元に当て、真陽瑠は子供のような顔で鈴を見下ろしている。

「愛らしい名じゃが、宮でそのまま呼ぶには少々障りがあるの」

「でしたら、宮様。彼女の美しい菫色の瞳をとって、初菫の方というのはどうでしょう」

 赤毛の姫が艶やかな声音で進言すると、真陽瑠は手元の扇で手を叩いて明るい声を出した。

「良い名じゃの、六宮。うむ、夕凪宮にとってはようやく迎えた妻。その姫に春告げの菫とは、縁起も良かろう。ではこれから、そなたを初菫と呼ぶが、宜しいか」

「はい。有り難き幸せに御座います」

「うむうむ。では初菫に、これから菫青殿を頼もうか。あの宮は久しく入る姫も()らなんだ、大事に使ってやるといい」

「承りました」

 そう鈴が告げると真陽瑠はようやく自席へ戻り、そのまま退出して行った。

 同じように玉椿から姫君達が退出していくのを見送りながら、春一番に吹き荒れる風のような御方だったと、鈴はやや疲れ気味に思うのだった。


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