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東龍の花嫁  作者: 朝生紬
二章 まどいの星々
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夢渡りの星鴉 一

 柘榴の器を壊して、紅の羽を胸に飾って、注がれた瑠璃を飲み干すは夢渡の星鴉(ほしがらす)

 星を啄んで、夢を渡り、森の奥に消えてった。



 * * *



 人々の目を楽しませていた桜も木蓮も散り行き、春の盛りから晩春へ、更に新緑へと移り変わりつつあった。

 池の辺りには杜若の紫がすらりと背を伸ばし、舞い込む風はつんと爽やかで、照日奈大神が最も権威を振るう季節となっていく。

 庭の葉ばかりになった木々を見上げて、山の上は思ったより寒くないのだなあと鈴は思った。宮は白龍山の中腹を繰り抜いて道を作り、そこから登っていくと辿り着く、火山口のようにぽっかりあいた山頂に建てられている。そのためもっと寒いものだろうと思っていたのに、意外と季節は暦通り訪れた。

 しかし鈴のいた里は西の最果てに近く温暖な地域だったので、花の盛りはとうに終え、今は梅雨入りの前に田の治水と田植えに駆り出される頃だ。

 昨年の今頃は鈴も泥だらけになって田植えを手伝い、豊作を願う祭りに参加していた。爪の間に泥が入るので同じ年頃の女の子達は田植えを嫌がったが、あの泥濘を踏み抜く感覚が鈴は嫌いじゃなかった。

 鈴がうんと背伸びをして、筆を机に放ってそのまま後ろに転がると赤と朽葉の姫百合の襲色の衣の上に、鈴の黒髪が細波のように広がる。



 皇家東宮・夕凪宮(ゆうなぎのみや)へ鈴が入内して、早くも一月が経った。


 入内して初めて若宮、茅羽夜の宮号が夕凪宮という事を知ったが、本人は「茅羽夜がいい」と言うので、公の場以外はそちらで通すことにしている。

 若宮への輿入れが決まり、あれよあれよという間に入内となり、里を経ったのは弥生月の半ば頃。さらに正式に婚礼の儀を執り行ったのが卯月の上旬で、今は既に端午の節句も終え、皐月も半ばに差し掛かろうとしている。

 二月前まではただの山守の娘だった鈴は、今では一つの宮の主人だ。本当に人生とは何があるかわからないものである。


 慣例に従い、九国の出自である鈴は十二ある宮の一つ、九宮(くのみや)菫青殿(きんせいでん)を正式に後宮の主である真陽瑠の方から賜り、そこに小鞠達と共に暮らしていた。

 鈴達の住んでいる菫青殿ですら鈴の家の何十倍もある広さであるのに、これと同じものが十二、更に皇后の住居である白桂殿(はくけいでん)、内廷には帝の居住である白耀殿(はくようでん)、朝廷を行う仁寿殿(じんじゅでん)、官吏の務める八省がそれぞれあり、厩なども全て敷地内に納められていると聞いた時にはその途方もない広さに失神するかと思った。正直今でも全容は把握しきれていない。一歩出れば確実に帰って来れなくなること請け合いである。

 菫青殿は後宮の西側に建てられている六つの宮のちょうど真ん中にあり、左隣は八宮(はちみや)橄欖殿(かんらんでん)、右隣は十宮(とおのみや)雷鳴殿(らいめいでん)となる。西側には七宮(ななみや)から十二宮(じゅうにのみや)までの宮があり、皇后の居住である白桂殿を挟んで東側には一宮(いちのみや)から六宮(むつのみや)までが建てられている。

 東側の宮へ行くには、この白桂殿の前を通らねばならないようになっており、白桂殿を通らねば表にも出られない。

 まさに後華(こうか)は籠の鳥、というわけだった。



 山守の鈴は今まで、当然ながら妃教育というものから縁遠い生活を送っていた。朝陽より前に起き出し、朝餉の支度をしながら山の祠に御神酒を届け、晴れれば洗濯と里の田畑を耕すのを手伝い、雨天には繕いものをする。そんな毎日だった。

 しかし今までの生活のままでいられるわけもなく、宮についてすぐ、鈴には教育係として刻葉(ときわ)という四十台半ばの女性が当てられた。

 彼女は以前にも後宮に勤めていたことがあり、空鷹(からたか)がとくに優秀だといって鈴につけてくれた侍女だったが、彼女がまた、縁寿以上に厳格な教師だった。

 礼儀作法、言葉遣いは当然のこと、今も宮家の歴史やら後宮に侍る妃の家柄やら、果ては歩き方、足捌きまで叩き込まれた。

 彼女は鈴が与えられた事が出来ないと机を扇で叩き、浴びせる言葉にも容赦がなかった。彼女の叱咤する声が菫青殿に響かぬ日はなく、今も鈴は彼女に出された課題である祝詞の書取りをしている真っ最中、の合間の自主休憩中である。

「──まあ初菫(はつすみ)の方! またそのようなはしたない真似をなさって! 九条の姫、ひいては東宮殿下の妃であるという自覚がおありですの?」

「ひっすみません! ……て、なーんだ、小鞠じゃないの」

 雷に打たれたようにぴょんっと飛び起きた鈴は、声の主が里から連れてきた幼馴染みの侍女、小鞠だと気が付いてそのまま机にだらりと伏せた。緋の袴に白小袖、濃淡の違う萌黄色の衣を重ねた侍女の装いで、腰には菫青殿の者だという印である菫色の紐と琥珀の星石を下げている。

「似ていましたでしょう? 刻葉様の真似」

「もう、やめてよ。寿命が縮んだわ」

「それは申し訳ございません。お詫びというわけではございませんけれど」

 わざとらしく言って、盆に乗せた花茶と石衣を鈴の目の前に置いた。ぱあ、と途端に顔が華やぐ。

 石衣は半乾きの餡玉に糖衣をかけた半生菓子で、白い薄絹の衣から覗く餡が御簾越しの姫のように見目麗しく、鈴の目を輝かせる。

 この宮に来て心の底から良かったと思えるのは、里にいた頃は高級品であった甘味が日常的に食べられる事だ。

 小鞠が入れてくれたお茶と共に頂きながら、鈴は深い溜息をついた。

「お菓子が食べられるのは嬉しいけれど、ここにいたら絶対わたしもこの石衣のように丸々としそうだわ……」

「元々初菫の方は痩せぎ……こほん、ほっそりとしていらっしゃいましたし、少しくらいふっくらとなさった方が若宮殿下もお喜びになられるかと」

 ほほほと取り繕う小鞠に鈴はじろりと睨め付ける。

 落ちこぼれの鈴と違って優等生の小鞠は既に刻葉からの「教育」から卒業し、東宮妃付きの侍女として着々と経験を積んでいた。

 しかし当の主人である鈴といったらいつまでも、女の色気とは程遠い、痩せぎすの小娘のままだ。

「……どうせ、痩せぎすで色気もないですよーっだ」


 机に頬杖をついて、石衣を口に放り込んで鈴はちょうど一月前の事を思い出す。


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