星を喰べた子供たち 終話
春。雪の下で冬を耐え凌ぎ、柔らかな風に新芽の萌いでる季節。
そんな胸を弾ませる陽気の中、小鞠は淑女の嗜みも戸棚の中にしまって、ばたばたと廊下を走っていた。
「姫様ー! 姫様、どこですかー⁉︎」
「あら小鞠、そんなに慌ててどうしたの?」
角を曲がった先にいた洗濯籠を抱えた楪に、小鞠は急停止する。その様子を見て楪は感心したように「さすが隠れ里の娘ねぇ」とのんびりと言った。
「ちょうどいいところに! 楪、姫様見なかった? さっきからどこにもお姿が見えないの」
「姫様なら旦那様と奥様を出迎えに街の方へ行ったわよ」
楪がそういうと、小鞠は「やっぱり!」と眉を吊り上げて腰に手を当てた。
「大人しく屋敷で待っていましょうねって約束したのに! 帰ってきたらお説教だわ」
その様子を見て、楪はくすくすと笑う。
楪も、小鞠が本気で怒っているわけではないのは長年の付き合いでわかっている。
「今日くらいは許してあげましょ。お二人に会えるの、久しぶりなんだから」
一台の馬車が街の門をくぐり、からからと音を立てて走っている。
移り変わりゆく景色を眺めながら、茅羽夜は自分の肩に頭を寄せて、馬車の揺れをものともせずに眠っている彼女を揺り起こす。
「鈴、もうすぐ着くよ」
「んん……? もう、ついたの……?」
「もうちょっとだよ。俺が抱えて行っていいなら、そのまま眠ったままでもいいけど」
「お、起きます起きます! だから抱えて歩くのはやめて!」
ばっと上体を起こす。茅羽夜は「残念」と本当に残念そうに言うので、鈴は彼の肩を二度ほどぺしぺしと叩いた後、手内輪で顔を扇いだ。まったく、油断も隙もない。
窓の外を見れば見覚えのある街並みがゆっくりと絵巻物のように過ぎていく。それを眺めながら、鈴はうんっと腕を伸ばした。座ったまま寝ていたせいで体が固まってしまっていた。
「はあ〜……やっと帰ってこれた……」
「お疲れ様。今回は前よりも長旅で疲れたんじゃない? 大丈夫? やっぱり抱えて行こうか」
「どうしてそうすぐ抱えたがるのよ……大丈夫よ、心配性ねー」
「そりゃ心配もするって。義母上も鈴のこと心配してた」
「お養母様もお養父様も茅羽夜の心配性が移ったんじゃないの。もうすっかり元気なのに、大袈裟なのよ」
とは言いながらも鈴は口元を緩ませる。
不謹慎とは思いつつも、やはりこうして心配されるのは嬉しかった。
「でもお二人ともお元気そうでよかった。陛下と玉椿様たちも」
「そうだな。……東宮も息災のようで何よりだった」
僅かに安堵の滲む声でそう言う茅羽夜に、鈴も「そうね」と頷いた。
────あの一件から、鈴たちを取り巻く環境は大きく変わった。
奈月彦は復権してすぐに此度の一件を受けて、後宮制度を廃止。
前々から進めていたという一夫一妻制度を導入した。貴族の何人かは反対したらしいが、先代の色狂い時代からの真陽瑠の一件だ。反対の声は思っていたよりも少なかったと言う。
その政策の一環として、玉椿の冊立の儀が行われ、ずっと空位だった皇后の席が埋められることになった。
ここでも一悶着あったが、玉椿が皇后になるのを後押ししたのは彼女が待望の男児を出産したことだ。
奈月彦が即位してからずっと待ち焦がれていた皇子の誕生に、国は大いに湧いた。
それに伴い、璃桜らは女官になるか、国へ帰るかの選択を迫られたのだが。
「……まさか三人とも女官として宮に残るとはねぇ」
鈴はつい数日前に会ってきた三人の顔を思い浮かべる。
葵依はともかく銀朱と璃桜は国へ帰るものと思っていたが、二人とも女官として後宮に残って玉椿の補佐する道を選んだ。銀朱は相変わらず仕事の合間に物書きをし、最近では璃桜も混じって怪奇小説なども書いているらしい。彼女たちの合作が鈴の元に定期的に届けられるので、その度に南の方を拝みながら号泣している小鞠の姿が目撃されている。
「そういえば六宮に初めて会った時、随分と辛そうだったが彼女は大丈夫だったのか?」
「え? ああ! あれは発作みたいなものだけど人体には影響のない発作だから大丈夫。銀朱様が至って健康な証よ」
「そうなの……? あれが……?」
銀朱と初対面した時のことを思い出したのか、茅羽夜はやや引き攣った笑みを浮かべた。然もありなん。鈴も最初にあれを見た時は腰を抜かすかと思ったものだ。
「でもずっとお礼を言いたかったから今回、会えて良かったよ」
「ここ数年は怒涛だったものね……」
しみじみと頷くお互いの脳裏に、ここ数年の日々が流れていく。
変わったのは後宮だけでなく、八省も大きく様変わりした。相変わらず空鷹は中務卿として多忙な日々を送っており、縁寿も新たな東宮付きとして京都に残った。
そして茅羽夜は甥へ東宮の地位を譲り、自ら臣下へと下った。
元々、奈月彦に子が生まれれば退く予定だったらしい。そのまま武官となるかと思われた茅羽夜だったが、彼に下されたのは全く別の辞令だった。
「しかしあれよね、まさか茅羽夜が十二国の国長になるなんて、初めてこの地に来た時は思いもよらなかった」
奈月彦が下した辞令は十二国をつつがなく治めよというものだった。当然、鈴も一緒だ。茅羽夜は「鈴といれるならどこでもいい」と言って拝命した。
数年は目まぐるしい日々が続いた。土地勘も気候も何もかもが慣れなくて鈴も茅羽夜も四苦八苦したものだが、宝生や露草の助けもあり、なんとか国の形を保っている。
最初の一年は本当に、茅羽夜に国一つ任せるなんて何を考えているんだあの人はと思ったものだ。しかし、こうして賑やかな街並みを眺めていると奈月彦の選択は間違っていなかったのだと思う。
やがて馬車は緩やかに失速し、とある門の前で停車した。業者がこんこんと扉を叩き、茅羽夜が開けると、まだ少し冬の名残を感じられる風がぴゅうっと頬の火照りを冷やしていく。
「鈴さん!」
茅羽夜の手を借りて馬車を降りると、門の向こうから一人の少女が駆け寄ってくる。手を振ると、少女は昔から変わらない人懐こい笑みを浮かべた。
「凛音ちゃん、久し振りね。元気にしていた?」
「はい! 先日はたくさん種芋送って下さってありがとうございました。みんな食べ盛りだから本当に助かります」
「いいのよ。陸やみんなは?」
「陸なら子供たちの勉強見てます。あ、あとですね……」
「かあさま! ととさま!」
凛音が何か言おうとした時、御堂の方から一際大きな声が聞こえた。それから弾む鞠のような影が鈴の足元に転がり込んでくる。
「────す、菫花⁉︎」
足元にひしとしがみついている小さな影に、鈴も茅羽夜もぎょっと目を丸めた。
「やだ、なんでここに? 淋代のお屋敷からどうやって来たのよ」
「ん!」
「……青幡ァ……」
「あ、バレた」
可憐な幼女が自慢げに指さした先には庭の木に隠れていた従者の姿がある。木の影から顔を出した青幡は「いや俺は止めたんだよ。でもお姫さんがさあ」と言い訳を連ねている。当のお姫さんはすでに茅羽夜に抱き上げられて、たいへんにご満悦だ。
鈴は額に手をやって深い溜息を吐いた。
「あー……小鞠が烈火のごとく怒ってるのが目に浮かぶわ」
「紗々に手紙届けて貰ったから大丈夫ですよ」
「ならいいか。いやあ、ごめんね、凛音ちゃん。孤児院がすっかりうちの娘の駆け込み寺みたいなことになって……」
「構いません。みんな姫様が大好きですから」
「そう? ならいいけど……てか青幡、あなた菫花に甘すぎない? お淑やかで完璧なお姫様に育てる計画はどうしたのよ」
「いや、俺は悟った。姫宮の娘な時点で深窓のお姫様に育つのは無理だと」
「この子のお転婆の半分は父親の血よ」
「うーん。俺、小さい頃は殆ど殿舎の中で過ごしてたから、これは鈴だと思う。見た目も鈴そっくりだし」
茅羽夜の腕の中できゃっきゃっと紅葉の手を振る菫花の姿形は誰がどう見ても母親似だった。小鞠や松葉も「鈴がちっちゃくなったみたい」と爆笑するほどである。
しかし、きらきらと輝く星のような金の目は父親譲りだ。あと癖毛なところも。
「あ! ねえかあさまー、かあさまー!」
「はいはい。なあに?」
「あのね、えっとね、はい!」
菫花が袂から取りだしたのはすべすべした石ころだった。彼女は最近、菫花は川辺に行っては綺麗な石を集めるのにハマっていた。石だけでなく、たまに蛇の抜け殻や虫まで捕まえてくるので、そのたびに小鞠が悲鳴をあげている。
そのうちのひとつを、菫花は鈴へと差し出した。うっすら黄色みがかった瑪瑙だ。
「これ、菫花が一番気に入ってたやつじゃない。母様にくれるの?」
「うん! あとこっちはね、ととさまのぶんで、こっちがりんねーちゃんのぶん、これがアオで……」
一体小さな袖の中にいくつ隠していたのか、菫花は色とりどりの石を出してくる。まろやかな黄色、夜明けの空のような薄紫、それから。
「こっちのが、こんどうまれる、いもーとのぶん!」
「……え?」
娘の言葉に鈴は目を丸めた。顔には出ていないが、茅羽夜もかなり驚いているようでじっと菫花の顔を見つめている。
「妹って……まだ生まれてくる子が女の子か男の子かわからないのよ?」
「んーん、いもーとなの。すみかには、わかるの。だってゆめで、すみか、かみさまに、おしえてもらったのよ」
鈴と茅羽夜は顔を見合わせ、それから九条家から贈られてきたゆったりとした襦裙で隠れたお腹をみる。そこには二人の第二子が今もすくすくと育っているが、さすがに性別までは分からない。
が、菫花は「妹だ」と言う。それも、夢で神様に教えてもらったのだと。
「いもーとはね、ととさまとおなじ、うみのおめめなの。だからすみか、これをあげるの。これ、いもーとのほしいし、でしょ? これがあれば、ずっとみんなといっしょに、いられるの」
そうでしょ? と腕の中で胸を反らす娘に鈴も茅羽夜も思わず笑みを浮かべた。お日様の匂いのする柔っこい髪に顔を寄せると、菫花がくすぐったそうに身を捩る。
その一瞬が、すべて愛おしい。
「そうよ。母様も、あなたの父様から昔、とても綺麗な星石をもらったもの」
小さな掌にちょこんと乗せられた海色の硝子。
それは、どこにでもあるようなただの硝子で、高価な宝玉でも何でもない。
けれど波にもまれて角の取れたそれは生き物の瞳のようで、小さな掌の上できらきらと瞬いている。
陽に透かすと、瞳の中に海が見える。
山の上から眺めるだけだったあの海が、今はこの掌の中にある。
今思えば本当に長い旅路だった。
西へ東へ、果ては幽世までこの目で見てきた。
その中で出逢った人たちに導かれて、支えられて、時には迷って、挫けそうになったりもした。決して平坦な道ではなかった。
けれどその全てが、遠い未来に繋がっていく。
まだ見ぬ誰かに託されていく。
その未来そのものである少女は期待に満ちた目を輝かせて、満面の笑みを浮かべた。
「ならこれがあればきっと、みんなでずっと、なかよく、くらせるね!」
────その昔、一匹の龍が何もない世に降り立った。
彼の御方は首のひとつの珠に自らの血を与えて噛み砕き、その珠から男神と女神を創った。
次に男神に月を、女神に陽を与えて、夜と朝が生まれた。
最後に自らの御身を横たわらせて、その体に流れる血が大地を潤す水脈となり、草木が育ち、この東和葦原国全ての祖となった。
これはそんな東の龍と呼ばれる皇子と、西の最果てに生まれた少女が辿り着いた最後の神様のお話。
そしてただ一人を求めた少年と、ただ一人と歩むことを決めた少女の、なんてことはない。
────極々ありふれた恋のお話である。
終幕




