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東龍の花嫁  作者: 朝生紬
一章・東の龍と西の娘
11/114

十一

 鈴たちは先に行った花嫁行列、つまり小鞠たちとは一日分の距離を開けて同じ道を辿るように進んでいった。別の迂回路を行く案もあったが、鈴のいた里自体が西側の九国・青領の中でも南寄りであったこともあり、まほろばの宮のある帝都まで行くには山を八国・橄欖領の方へ回るのが一番安全で手っ取り早かった。十国(とのくに)である鳴領(めいりょう)の方はこの時期、まだ雪の残る地域だからだ。

 理由はそれだけではなく、若宮へ輿入れする姫宮の花嫁行列ともなると、とにかく目立つ。彼らが通った後の宿場町はその話題で持ちきりだったので、彼らが無事にこの道を通ったことが分かり、こちらとしても情報を集めやすいという利点もあった。

 縁寿は鈴の提案した歳の離れた医者兄妹が、帝都に住む家族に会いに行くという設定をあっさり呑んだ。元々、医者である縁寿の今の家は帝都にあるし鈴と縁寿は血が繋がらなくとも兄妹だ。そこに茅羽夜が加わっただけで、全部本当でもないが全部嘘でもない。


 九国の領域を抜けて帝直轄の帝国、帝領(ていりょう)に入ってすぐの宿場町で宿を取った鈴は目を見張った。今まで通ってきた宿場町は帝都へ近付くにつれて大きくなっていったがその中でも帝都の西端、龍田の街は最も活気に溢れていた。ここは西の九国と八国は勿論、西北の十国、この国の最高峰である天龍山に面した西南の七国の市民にとっても帝領に入る最初の街なので、商人の通り道なのだった。

 東和国は俯瞰して見るとざっくりに言って菱形のような形をしており、中心部に聳え立つ白龍山、即ち帝都を置き、その周りとぐるりと一国(いちのくに)から十二国(じゅうにのくに)が並んでいる。三国(みのくに)が最東端、六国が最南端、九国が最西端、十二国が最北端だ。九国から三国へ行くには帝国を通らずぐるりと迂回する道も勿論あるが、余程の事がない限り帝国を横断した方がいい。北へ回るには雪が足を取り、南下するには九頭龍山を始めとした数々の山脈を越えて行かねばならないからだ。

 故に、こうした帝国の関所の街は東西北どこも商人の街として栄えていた。

 門を潜ってすぐにある帝都への街道へ続く大通りには旅人向けの小料理屋や宿屋、土産屋や駕篭屋が立ち並び、一つ道を入ると野菜や果物を売る露店の並ぶ市場がある。

「すごい……!わたし、こんなにお店が並んでるとこ初めて見た!」

「帝都はもっと凄いですよ。その分人もすごいんですけど」

「これ以上!?」

「おやお嬢ちゃん、帝領は初めてかい?」

 すぐそばの露店の朗らかそうなおじさんに話かけられて、鈴は興奮気味に頷いた。彼は炭に乗せた金網の上でたれの塗られた鶏肉の串を焼いており、匂いだけで腹の虫が暴れ出しそうだ。

「帝都にいる兄さんに会いに行くの」

「へえそりゃあいい!後ろの兄ちゃんたちもご兄妹かね?」

「ええ、わたし末っ子なのよ。会いに行くのは二番目の兄さんなの」

「末っ子姫さんかい、こんな別嬪さんのお嬢ちゃんなんだ、兄さんもさぞ会いたがってるだろうねぇ」

「さすが親父さん、口が上手いわね。串焼き一本頂戴な」

「私も頂きましょう。茅羽夜は?」

「いらな」

「では三本で」

「……」

「あいよ!お嬢ちゃん可愛いから一本おまけだ」

「本当?嬉しい!帝都に行ったら二番目の兄さんにも、龍田に来たらここの串焼きを食べるように宣伝しておくわね」

「ありがとよ」

 縁寿が代金を払い、串焼きを受け取る。鈴の拳程もありそうな鶏肉の塊を豪快に口に含むと甘塩っぱいたれの味が広がり、そのまま柔らかい肉を喰む。大蒜の風味がたれにきいていて、炊き立ての白い米が欲しくなる味だと思った。九国の隣である十国は養鶏が盛んらしく、大通りを歩いているとあちこちに串焼きの店が呼び込みをしている。

「鈴」

「へ?」

 一本目の串を半分食べ終えた所で、茅羽夜に呼ばれて首だけで振り返る。海色の右眼が一瞬戸惑うように揺れて、ふいっと逸らされた。彼の手元の串は既に肉がなくなっていて、この早業に毎回驚かされる。さすがにこの少人数の旅の間に、彼が人並みに物を食べて生きている普通の人間だということは知っていた。

「口、たれが付いている」

「えっ!どこに!?」

「ここ」

 とんとんと茅羽夜は自分の唇の右端を指で叩く。手の甲でごしごしと拭うと、縁寿から「はしたないですよ」と窘められて、手巾を渡された。十六になってまで口の周りにたれをつけてるなんて、恥ずかしい。

「取れた?」

「ん」

「もう、落ち着いて食べなさい。取る奴はここに居ませんから」

「松兄さんがいると、ご飯はいつも取り合いだったもんね。茅羽夜は?」

「え?」

「だから、家族。兄弟とかいるの?」

「……」

 茅羽夜は感情の読めない顔で──元々表情豊かな方ではないが──鈴を見下ろしている。そしてやや間を置いて「……医者の兄と帝都にいる武官の兄と、口にたれつけてる妹がひとり」と言った。

「もうたれはついてないし!」

 そうだった、今は茅羽夜も鈴の兄なのだった。自分が言い出したくせに、一瞬忘れていた。

 そのままの足で宿を取って、日没までは時間がある為、三人はそのまま市場へ繰り出す事にした。どうせなら夕餉も取ってしまおうという話だったのだが、しかし市に踏み込んだ途端、縁寿の目の色が変わった。また始まったと鈴はややげんなりした。

「おおこれは良質な霊芝に白檀まで!あっちには麝香もあるじゃないですか!いいもの扱ってますねぇ」

「おや眼鏡の兄さん、目が良いね。薬師さんかい?」

「帝都で医師をやっている者です」

「お医者さんかい。おお、ならそうだ、これはどうだい?今朝入ったばかりさ」

「これは紫石英の粉末……!二の国でしか採れない貴重なものなのに……!」

「フフ……ちょっと伝があってね」

 遠巻きに縁寿の眼鏡の煌めきを見ていたが、鈴は早々に飽きた。ああなると縁寿は長いのだ。

「縁兄さん、わたし達向こう見てくるね」

「わかった。いい生薬を見つけたら一報くれ」

「わたしが見てもわかんないってば。もう、茅羽夜行こう」

「いいのか……?」

「どうせああなったら一時間はあそこから動かないよ」

 あの飽くなき探究心は医者としてなら頼もしい限りなのだが、兄としてはやばい、怖い、ドン引きの三点に尽きる。祭に連れて行って貰ったりしても、古本や薬屋など興味のある店先から動かなくなるので、結局松葉とだったりひとりで巡ることが多かった。とはいえ、彼の薬草への造詣の深さには、度々お世話になっているのであまり大きく言えないのも確かだった。

「茅羽夜はどこか見たい店ある?」

「いや、特には」

「そう?ならぐるっと回ってみようよ。興味あるものあったら言ってね」

「ああ」



 龍田の市場はとにかく大きかった。街自体にぐるりと円のような囲いがされており、その囲いに添うように市場が広がっているのだ。並ぶ商品も様々で、串焼きや小麦粉を主体とした生地に餡を挟んで鉄型で焼いた菓子、麺類と野菜を牡蠣油で炒めた物や果物の飴掛けや美しい飴細工、天然石の飾り、石屋、簪屋、傘屋、珍しい織物や染め物の反物、古本や生薬など多岐に渡る。見ているだけでも楽しく、鈴は杏の飴掛けと白餡を挟んだ焼き菓子を二つ買って、茅羽夜と並んで食べながら歩いた。

 市場というだけあって人も多く、耳をすませば小鞠達の情報も簡単に入ってきた。どうやら小鞠達は今朝、龍田を発って順当に帝都へ向かっているらしい。ここからなら、何事もなければあと二日で帝都まで行けるだろう。宮の城下町まで入れば、流石に賊に襲われる心配もない筈だ。

 でもそれは同時に、茅羽夜との旅の終わりも意味する。彼が松葉と同じ武官なら、兵部省に籍を置くもの達だ。東宮の妃ともなれば後宮へ入るが最後、滅多に出ることは叶わないだろう。親兄弟ならまだ顔を合わせる機会もあるだろうが宮へ付けば、必然的に茅羽夜とはお別れなのだ。それを少しだけ、名残惜しいと思う。

(……あ。あの根付、綺麗だな)

 ふと目に留まった小間物を売る露店の前で足が止まる。浅葱や朱色の髪紐、縮緬(ちりめん)の花飾り、帯留め、花の蒔絵の描かれた手鏡などが並べられた店先には、ころんとした小さな鈴の付いた根付も売られていた。

「ねぇ茅羽夜、ちょっとあれ見てきてもいい?」

 指さした方向にある小間物をみて、茅羽夜は「ああ」と頷いた。そして「すぐ向こうにいるから」と言って、道の反対側に行ってしまう。露店には何人か客が既に付いており、それが全員女の子だったのが見えたのだろう。

「いらっしゃい、お嬢さん、おひとつどうだい?」

 いそいそと鈴が手に取ったの黄水晶を削って作られた花と、菫色の丸っこい鈴の並んだ根付だった。揺らすと水晶の花と鈴が当たってりぃんと澄むように響き、陽を通すと砂金のようにきらきらと輝く。

「かわいい……」

 鈴も何だかんだで年頃の娘なので着飾ることは好きだったし、可愛らしい小物を見ると胸がわくわくする。小鞠がいればあれこれ一緒に見て回れたのに、かえすがえす無念でならなかった。小鞠もこの市場は歩いただろうか。

(今回のお礼に何か買って行けば、喜んでくれるかな)

 散々悩んだ末に小鞠への蜻蛉玉の一本簪を購入して、それから自分用に根付をふたつまで候補をしぼったものの、そこから決めあぐねていた。最初に目についた黄水晶の花ものか、黒曜石の蝶の形のものか。散々悩んで埒があかないと判断し、他の意見を聞きたくて後ろを振り向けば、茅羽夜の傍に知らない女性が一人立っていた。蘇芳色の着物の、やや化粧が濃いものの遠目に見ても見目麗しい女性だ。道でも聞かれているのだろうか、と思ったが女が茅羽夜の腕に手をかけ、すぐにそれが勘違いであることが理解出来た。

「茅羽夜」

「あら、この方がお連れさん?まあ可愛らしい、妹さんかしら」

 すぐ側に寄って名前を呼ぶと、にっこりとした笑みを浮かべた蘇芳色の着物の女性は鈴を頭から爪先まで見て言った。その紅を引いた唇には明らかな敵意は滲んでいない。浮かんでいるのは圧倒的な勝者の笑みだ。鈴と自分でははなから勝負にならないと、決め付けていた。値踏みする様な視線にむ、と唇を尖らせる。

「わたしの連れに何か?」

「いえお兄さん、お一人で寂しそうだったから、この先のお店で一杯どうかと思ってお誘いしていたの。ねえ?」

 蠱惑的な笑みを唇と腕に這わせた指先に乗せて、女は茅羽夜を見た。どうしてかその事に、お腹の底が煮え立つような苛立ちを覚えた。

「先程も申し上げたように、連れがおりますので」

「あら、じゃあ妹さんを宿まで送って、そこからなら付き合ってくれてもいいでしょう?」

「ちょっと貴女、いい加減に」

「鈴、もう欲しいのは決まったのか」

 鈴が言おうと一歩前に踏み出した時、茅羽夜はまるで女など見えないように鈴に訊ねた。面食らって「え?」と声を上げると、するりと女の腕をすり抜けて、鈴の手を引いて先程の露店の前まで戻ってくる。背を向ける前に見えた、茫然とした女の顔がさっきまであれ程彼女に対して腹を立てていたのに、急に哀れに思えて来た。

「あの、茅羽夜、あの人は……」

「迷ってるの、どれ?」

「あ、ええっと、黄水晶の花のと黒曜石の蝶のやつで迷ってて……」

「その二つなら黄水晶のがいいと思う。鈴の瞳は綺麗な菫色だから、とても良く映える」

「そう?じゃあ、そっちにしようかな……」

 我らながら単純だと思うのだが、茅羽夜がそういうだけでさっきの女の事など綺麗に忘れて、この黄水晶の根付が自分の為に作られたように感じた。しかし茅羽夜には二つのどちらかで迷ってたことなんて言ってないのにどうしてわかったんだろう。

 お金を払おうと巾着から財布を出すと、茅羽夜の大きな手にやんわりと止められ、根付を包んだ袋を渡される。あまりにも流れるような手付きだったので、咄嗟に受け取ってしまった。

「買い物はそれで終わりか?なら、日も暮れるしそろそろ縁寿の所へ戻ろう」

「あ、え、ちょ、ちょっと待って!」

「他に欲しいのがあったのか?」

「そうじゃなくてお金!」

 縁寿から食べ歩き用に貰った財布を見せると、茅羽夜は首を振った。それから暫く「金はいらない」「よくない」「俺がいいって言っている」「わたしがよくないの!」という問答を繰り返し、店主の迷惑そうな顔に追い立てられて、結局折れたのは鈴だった。包みを抱きながら鈴は茅羽夜と連れ立って再び縁寿を置いてきた市場の端口まで戻っていく。むっつりと口を噤んだ鈴に、茅羽夜はやや困惑しているようだった。

「何故怒ってる?」

「お金を受け取ってくれないからでしょ」

「それのどこが嫌なんだ。貰えるものは貰っておけばいいだろうに」

「……だって」

 だって、それでは贈り物になってしまう。生まれて初めて殿方から贈り物をされて、どうすればいいのか考えあぐねていた。鈴はもうすぐ、東宮の妃となるのに。貴人へ嫁ぐ身の上である自覚があるかと言ったのは茅羽夜だというのに、その咎めた本人がこんなものを寄こすのだからどうしていいのか益々わからない。ふと脳裏に過った先程の光景も相まって、自分の感情がぐるぐると巡って追い付かなかった。

 口澱んでいると、茅羽夜はその胸の内を読んだように目を伏せた。

「すまない、困らせた。要らないなら捨ててくれたらいいから」

 そう言って人混みを分けて歩いていく。鈴は包みを袂にしまって、黙ってその後に続いた。捨てられるわけないじゃん、という声は彼には届いていなかった。

 生薬の店先ではすっかり店主と意気投合した縁寿が酔っ払いの如く熱い談義を続けており、鈴は別の意味で頭を抱えるのだった。


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