二十二
時は少し遡る。
双玉を手に入れた鈴たちは北斗と紗々に各地へ伝令を頼み、龍脈を使って大胆にもまほろばの宮殿の中に忍び込んだ。飛んでみると、あの滝の裏に出た。やはりこの水脈が龍の気を運んでいる血管のような役割をしているのだろう。内廷に入り込めたのは助かった。
「若宮くんがいるのは、あの地下だと思う」
以前、暮星が閉じ込められていた場所だ。あの地下は滝の真下にあり、龍脈が最も強い場所だった。彼の力を抑えるにはあの場所以外あり得ないんだろうと青幡は言った。
それに計都も蛇の姿のまま頷いて見せる。
「問題は白耀殿までの道かな。警備が堅いだろうし」
「なら陽動は俺と青幡に任せろ。風早と三光たちは鈴に着いてくれ」
「いいの?」
自分が付かなくて、と言外に言う三光に松葉は晴れやかに「信用してっから」と笑った。
「ついでに捕まってる陛下も探してくるわ」
「それがいいかも。青幡も松葉も内情はよくわかっているし」
「そうね。あ、わたしなら大丈夫。計都がいるから」
むしろ危険なのは松葉と青幡の方だ。鈴はぎゅっとふたりの手を握った。
それに、二人は大丈夫だと言うように鈴の頭と肩をぽんぽんと叩く。
一度だけ深く息を吸い、鈴は目を開ける。
覚悟は決まった。あとは進むのみ。
「それじゃ、あのバカを迎えに行きましょう」
数ヶ月ぶりにやってきた白耀殿は驚くほど静かだった。
近衛兵も侍女の姿もない。まるで主を失ったかのように空っぽの殿舎に、その人がいた。
庇の上に立つ真陽瑠は鈴を待ち構えるように堂々と立っていた。
ぱちんぱちんと苛立ちを表すように扇をしきりに開閉しており、それを覆い隠そうと、表情は努めて微笑んでいるように見えた。
────この人を初めてみた時、まるで草原に吹く風のような人だと思った。
この人の前ではどこまでも追ってくるような、どこにも逃げられないような気持ちがあった。でも、鈴は彼女の優しさが好きだった。無邪気で気さくで、突拍子もないけれど、それが風のようで。
けれど、こうして向かい合っている。
二人の間には最初から何もなかった。
「……久しいの、九宮。元気そうで何よりじゃ」
「ええ、御方様もお変わりなく」
声を掛けたのは真陽瑠の方だった。それに鈴が答える。
「よう来てくれたな。妾はそなたをずっと待っておったのだ、ささ、もっと近う」
「御方様、茅羽夜はどこです」
「そう急ぐな。儀式には手順というものがある、そなたもよく知っておろう? まずは禊じゃ。身を潔め、それから……」
「申し訳ありませんが、御方様、わたしは茅羽夜の贄になりに来たのではありません」
真陽瑠の表情がすっと抜け落ちた。笑うでも、怒るでもない。完全に感情がすべて水に洗い流されたような顔で、真陽瑠は鈴を見下ろした。
ざわりと首の後ろが総毛立つような感覚が、鈴に襲いかかる。
鈴は咄嗟に首元からそれを抜き取り、柏手を鳴らす。大きな影が鈴と真陽瑠の前に立ちはだかり、キンっと何かを弾く甲高い音がした。風早は鈴の前に立ち、小太刀で真陽瑠が繰り出してくる斬撃を防ぐ。
「御方様! 話を聞いてください!」
「……そなたは、少し、痛い目を見ねばわからぬようだ」
ゆらりと真陽瑠の体が傾く。その背中から黒い腕が、ずるりと這い出てきた。それはゆらゆらと形を変え、天へ延びていく。よく見れば、それは無数の蟲だった。
「うわッきもちわる! 僕虫大嫌いなんだけど!」
「ちょっと三光情けないこと言わないで! 山育ちのくせに虫くらい何なのよ!」
「いやいやいやあれだけいたら誰でも引くでしょ⁉︎ 僕が集合体恐怖症の人だったらとっくに泡吹いて失神してるからね!」
「いいから三光、火、火出して火! 焼き払えー!」
「お二方、来ます!」
ぎゃあぎゃあと鈴を盾にしていた三光が悲鳴を上げながらも結界を張る。それに蟲がぶつかり、火を散らす。ぱちぱちと火花がいくつも弾けて、結界を溶かそうとする。すかさず、三光が指を動かし修復し、張り直す。それの繰り返しだ。
「さっすがにキツいなあ! これ!」
風早は小太刀で襲いかかってくる腕を引き裂くが、すぐに陣形を変えて襲いかかってくる。数が多すぎてキリがない。完全に防戦一方だった。けれどここを突破しなければ地下へは辿り着けない。
「妃殿下、ここは私たちにまかせて先に行ってください」
「で、でもどうやって?」
「一瞬なら隙を作れます。私があれらを引きつけますから、合図したら全速力で走ってください」
「……いいの?」
「ご心配なく。立場は弁えております」
「わかった」
頷くと、風早は一瞬だけ目元を和ませて微笑んだ。その笑い方は、身に染みているのかそれとも既に彼自身のものなのか、茅羽夜に少しだけ似ていた。
「行きますよ。……一、二の……三!」
ぱちんっと結界が解けた。
好機とばかりに蟲たちが大きく口を開け、三人の上に雨のように降り注がんとする。
鈴は二人を離れ、まっすぐ白耀殿の方へ走る。
「させぬ!」
真陽瑠が扇を真横へ薙いだ。風を研いだような斬撃はまっすぐ鈴に向かってくる。
しかし、それは鈴へ届くことはなく弾かれる。ダンっと蟲たちの群れが叩きつけられ、飛び散った蟲たちがその背を追うも、一歩届かず。
「……ッ!」
真陽瑠の顔が歪んだ。ざわざわと彼女の背後に蠢く蟲たちが主の怒りを代弁するかのように羽を震わせる。彼女の前には口角を吊り上げた三光と、小太刀を構えた風早が立ちはだかっていた。
「妃殿下、あの方を頼みます!」
風早の声を背中で受け止め、鈴は白耀殿へ飛び込んだ。
「まさか、君とこうやってもう一度、背中を預けあうことになるとはね」
鈴の姿が見えなくなると三光がぽそりと言った。
懐かしむような、どこか痛みをはらんだ声に風早は眉根を寄せる。
「……二君に仕えた私を、恨んでおいでですか?」
「そんなわけないだろ。僕は君のことも、あの人も、全部見捨てて一人で逃げた男だよ。……どの面下げて、君の主君面が出来るっていうのさ」
あの日のことを忘れたことなどなかったと、三光は思う。
真尋の元から逃げても追手はかかった。たった一人、自分に着いてきてくれた少年は自ら囮になると言った。この怪我では足手纏いになるから、と。
あの時まだ十をいくつか過ぎただけの子供を、三光は見捨てたのだ。
どれほど後から悔やみ、嘆き、謝罪しても償えるものではない。
真尋とこの少年のためなら、三光は水早との約束を違えてもいいと思っていた。彼が最期まで気にかけていた少女と今、目の前にいる彼が望むなら、どんな風に殺されても良かった。
「こう言っては、双方に怒られるかもしれませんが」
「なに?」
「殿下に助けられた時、ひとりぼっちなあの方が、幼い頃のあなたに見えたのです。慕っていた兄と引き剥がされ、山守として厳しい規律の中で生きるしかなかった、あなたに」
「はは。それ、誰にも言わないでよ。恥ずかしいから」
けれど運命とは不思議なもので、こうして二人で立っている。
あの時は見捨てて逃げるしか出来なかったのに、誰かを送り出す側にいる。
「僕も、こんなこと言ったら怒られそうだけど」
未来を────彼女を信じて。
「君が生きててくれて、よかった」
私もです、と微かに笑う声が聞こえて三光も笑った。
三光はこの時、自分の中でずっと凝っていた全てが、再び動くを感じた。




