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東龍の花嫁  作者: 朝生紬
五章 星を喰らうひと
104/114

十八

 翌朝。鈴は旅支度を整え、里の者たちに惜しまれながら山の祠の前に立っていた。一体いつの間に準備していたのか、鈴だけでなく青幡や松葉たちの衣装も新調されている。聞けば婆さまから数日前に指示があったらしい。本当に予知能力がないんだろうか。やはり油断ならないお人だ。人じゃないけども。

「じゃあ、オレはここで抜けるけど、あとは頼んだぞ」

「ああ。そっちも」

「千種さんに無理はしないでとお伝えください」

「おう、任せとけ」

 千種を八雲に会わせるのと近況報告のため、守千賀はここで一度島へ戻ることになった。守千賀一人では飛べないため、青幡も同行する。青幡は守千賀を送り届けた後、こちらに合流する手筈となっている。

 なのでここから十二国へ行くのは鈴と松葉、それから三光の三人だった。小鞠もついていくと聞かなかったが、彼女は彼女で婆さまについてあれこれしなくてはいけないらしい。ご愁傷様だと思ってたら「でも姑の心象はよくしておかないとね」とか言ってたので、さすが転んでもただでは起きない女だと感心した。それでこそ小鞠である。

 最初に守千賀と青幡が行って、その後に鈴たちが続く。

「じゃあ、行ってきます」

「ええ。行ってらっしゃい」

 陣に足を踏み入れる。松葉が嫌そうな顔をしているのが少しだけ心配だったが、以前のように心地よい龍の気が三人を包んだ。目を閉じて意識を集中させる。ふわりとした浮遊感があった。ここまでは前と同じだった。けれど急にぱちっとした静電気のような痛みが目の前で弾けた。



「ん?」

「御方様、どうなさいました?」

 小鞠が訊ねると、穂乃子は首を傾げた。今一瞬、何か陰湿で、じっとりと湿度をはらんでいて、それでいてとてつもなく嫌な奴の気配が頸を撫でたような気がしたのだが。

「……まあ、大丈夫だろ」

 しかし、穂乃子はすぐに踵を返して社へ戻った。


 一方、その頃の鈴といえば。


「────……え?」

 小さな違和感に目を開けると、鈴は見覚えのない森の中にいた。木々の合間に若干雪が残っている。気候からして少なくとも九国ではない。

(待ってれば誰か来るかな……)

 そう思ってその場で待ってみるけれど、待てども暮らせども三光も青幡も松葉も一向に現れる気配はなかった。これは。もしかして。

「渡る途中ではぐれた……⁉︎」

 そんなことあるのか。これからどうすればいいのだろう。

(とりあえず、人里……いや、でも……もしその人里にまほろばの兵でもいたら……)

 さすがに鈴一人では太刀打ち出来ない。いや本当に、どうしたものか。

(でもここにいても仕方ないわね。とりあえず、寝床と食料の確保。それから現在位置を確かめないと……)

 この季節に雪がこれだけあるのなら少なくとも十二国か十一国あたりには入っているはずだ。目的地はわかっているのだから、現在地を確認して向かえばいい。幸い路銀や携帯食は多少鈴も持っている。鈴は術で北斗を天草を呼んだ。北斗に空から警邏してもらいつつ、山を降っていく。

「────あれ? そこに誰かいるの?」

 背後から聞こえてきた声に鈴はびくりと体を震わせた。パッと見ればそう歳の変わらなさそうな青年が一人、籠を片手に立っていた。

「君、どこの子? この辺に君くらいの女の子いたっけな」

「あ、あの……わたしは、その」

「って君どうしたのその指! まさか手袋もなしに歩いてきたの?」

 青年は鈴の真っ赤になった指を見てぎょっと目を丸めた。そしてその腕を掴むと、そのままずるずると引きずっていく。

「早くうちにきて! 俺が居候させてもらってる先生、お医者さまだから」

「え、でも……」

「早くしないと壊死するよ! 十二国の冬を舐めたらだめだ」

 どうしようと逡巡しているといつのまにか天草と北斗の姿が見えないことに気付いた。鈴に危険があるのなら彼らは決して側を離れない。彼らが大丈夫と判断したのなら、この人は悪い人でないのかもしれない。青年は鈴を半ば抱えるように引きずりながら「あ、そういえば」と朗らかに笑った。

「ごめん、名前をまだ言ってなかったね。俺は清野大河。もうちょっとで明堂先生のお家だから、我慢してね」



 やがて麓のこぢんまりとした山小屋の前まで来ると青年は遠慮なしにその扉を開いた。中は土間からすぐに板の間があり、奥に障子が一つだけある小さな家だ。しかし、板の間にはこれでもかというくらい書物や薬草が積まれている。大河は器用にそれら避けて板の間に上がっていくと、障子の向こうに話しかける。

「明堂先生、霜焼けの軟膏ってありますか?」

「ええ、はい。ありますよ。手袋持っていかなかったんですか?」

「いえ、俺じゃなくて」

 大河がそう言うと、障子の向こうからひょっこりと別の男が顔を覗かせた。小鞠の父、里長くらいの年頃の、痩躯の男だった。

「おや? この辺の子ではないね」

「山で迷っていたようなんです。先生、俺はお湯沸かしますから彼女の手当てお願いしていいですか」

「はいはい、構いませんよ」

 鈴が口を挟む隙間もなく、青年はてきぱきとお湯を沸かして手拭いを用意する。奥の部屋から現れた男はよいしょっと言って立ち上がり、ゆったりとした動きで鈴を見て、それからにこりと微笑んだ。

 その笑みを見た瞬間、不思議な感覚に襲われる。

「あの……明堂先生と仰いましたか」

「はい。ここで医師をやっております」

「わたしは鈴と言います。すみません、連れとはぐれてしまって……あの、ここってどこらへんですか?」

「ここは明沈みょうじんという里の外れです。少し行けば篠蔵という里があり、その向こうが豊都ですね」

(篠蔵……亜紺のお爺さまがいらっしゃったあの里だわ……)

 なら顎龍山まではそう遠くない。だが以前は馬に乗っていたけれど、今回は徒歩だ。そうなるとどれくらいかかるのかわからない。どこかで馬を調達出来たらいいのだが。

 丁寧に鈴の指に軟膏を塗り、明堂と呼ばれた医師が包帯を巻いてくれる。それをじっと眺めながら、鈴は一番上の兄を思い出していた。縁寿にもこうしてよく手当てをしてもらった。でもそれも遠い昔のことに思えた。

「はい、終わりましたよ」

「ありがとうございます」

「いえいえ。お嬢さんはどちらへ向かう予定だったんですか?」

「ええっと銀玲まで。もっというと、顎龍山の麓まで行きたいんですが」

「銀玲?」

 お湯を持ってきた大河が不思議そうに首を傾げる。

「あんな何もないとこ行ってどうするの? 今あのへん物の怪が出るって話だし、女の子一人じゃ危ないよ」

「でも行かないといけないんです。待ってる人がいるから」

「うーん……」

「なら私が一緒に行きましょう」

 軟膏の壺の蓋を閉めながら明堂が言った。彼はそのまま壺を傍に追いやるように置いたので、すかさず大河が棚にしまった。彼らの関係性が見えた気がした。

「良いんですか?」

「構いません。ちょうど、豊都に薬草を買い付けに行く予定で支度していたところだったんです。ちなみにお嬢さんは馬に乗れますか?」

「乗れます!」

「それは良かった。ただ、私と相乗りになってしまいますが……」

「構いません。有難いです」

「では善は急げと言いますし、これから向かいましょう。大河、留守を頼んで良いかね」

「はい」

 大河は奥の部屋から外套と太刀を持ってきて明堂に渡した。太刀を見て驚く鈴に、明堂は「護身用です」と言う。それにしては扱いに慣れてるように見えるが。

 手早く身支度を整えた明堂と大河に連れられて、鈴は裏手に連れてこられた。

 そして思わず目を見張る。木の囲いがしてあるだけの小さな厩舎にいたのが見覚えのある雪馬だったからだ。

「雪燈……⁉︎」

 美しい雌馬は鈴を見るやいなや嬉しそうに鳴き、鈴の手に鼻を擦り付ける。やはり雪燈だ、間違いない。

「先生、どこでこの子を?」

「この子は先月豊都に行った時に引き取ったんです。どうも元の飼い主が前の地震の際に行方不明になってしまったようで、宿の者が引き取り手を探していたのですが気難しく、あまり人に懐かない子だというのに妙に懐かれまして。これも縁だと思って引き取ったのです。しかし、動物の勘というのは侮れませんね」

「そうなんですか……雪燈がわたしを迎えに来てくれたのね。ありがとう」

 その白い鼻先に頰を寄せると、雪燈はふんっと鼻を鳴らして鈴の頭に顎を置いた。怒ってるんだからと言っているようだ。でも首元を撫でてやるとぐりぐりと頭に鼻先を擦り付けてくるのが嬉しかった。

「よかった。少々気難しい子なので大人しく乗せてくれるか心配していましたが、大丈夫そうですね。むしろ私よりお嬢さんの方が好きそうだ」

「そんなことは……」

「いえいえ。ほら、見てくださいこのやる気に満ちた顔。雪燈もこんなおじさんより、お嬢さんを乗せる方が嬉しいでしょう」

 明堂の言葉に雪燈はぶんっと首を大きく振って、前足を蹴った。

「そんなことないって言ってるみたいですよ」

「おや。気を遣われてしまいましたね」

 笑いながら明堂が乗り込み、彼に引っ張り上げられる形で鈴も雪燈に跨る。そのまま大河に見送られて鈴たちは銀玲の方角へ出立した。


 明沈から豊都までは馬で二日半といった距離にある。そこから顎龍山を回って少し行くと銀玲という里の跡地があるらしい。

 夜は明堂がよく世話になっているという御堂に泊めて貰うことになった。彼はこの辺りで唯一の医師らしく、彼が顔見知りであったおかげで鈴も疑われることなく泊めてもらえることになった。鈴は彼が着いてきてくれたことに心から感謝した。彼がいなければ雪燈もおらず徒歩で、更にこの極寒の地で野宿するはめになっていたかもしれない。

「お連れさまはどうぞこちらの部屋をお使いください。狭いところですが、どうかご容赦くださいませ」

「とんでもないです! 泊めて頂けるだけ、有難いことですから」

「いえいえ、明堂先生のお連れさんを無碍にするなど、先代に叱られます」

 それでは夕餉をお持ちしますので、と部屋まで案内してくれた年若い僧侶は退出していった。鈴は用意してもらった火鉢の前に座る。

(……みんなは無事かしら)

 逸れたのは鈴だけなのだろうか。他の者はちゃんと銀玲に着けただろうか。

 悴んだ指を揉み手にしながら暖を取っていると、廊下の方から「失礼します」と声をかけられた。

「お夕食をお持ち致しました」

「あ、すみません。今開けま……」

 からりと襖を開け、そこに膝を着いていた青年を見て、鈴は一瞬惚けたように固まった。それは相手もそうだったようで、彼も膳を持ち上げた形でぴたりと動きを止めた。

「……か、かぜ、はやさん……⁉︎」

「…………」

「風早さんですよね⁉︎ いや、すみません、わたしです、わかりますか? 鈴です、茅羽夜の……あの、ええっと」

 茅羽夜の影武者であった青年は茅羽夜と同じ長さまであった髪を短く刈り上げ、修行僧の格好をしていた。だから一瞬、本当に自分の知る青年なのか、わからなかった。

 そもそも鈴は彼のことをよく知っているわけではない。風早は常に茅羽夜の影に隠れるようにしていたし、彼と面として会話をしたのは実のところ、これが初めてだ。

 けれど鈴を見て彼は胸を突かれたように痛みを堪える顔をして、それから顔を伏せた。

「……なぜ、妃殿下がこのようなところに」

「それは話せば長くなるんですが……銀玲に行く途中だったんです」

「銀玲へ? ……あのような何もない場所へ、どうして」

 いつまでも廊下にいるのは冷えるだろうと、鈴は彼を部屋へ入れて火鉢を押しやる。

 前に見た時はきりりとした厳しそうな青年だったが、今は随分と疲れているように見える。やはり主人を失くしたのが堪えたのかもしれない。

 松葉の話では、彼は茅羽夜以外に気を許していないようだった。

「風早さんはどうしてここに?」

「……ここは幼い頃、一時預けられていた御堂なのです。私は捨て子でしたので。その縁で主君を失い、自暴自棄になっていた私をここの住職がまた拾って下さったのです」

「そうだったんですか……」

 あの後のことは、鈴もあまり覚えていない。なにしろ気を失って目が覚めたらあの島にいたのだ。

 小鞠同様、風早の行方も知れずとなっていたが、こうして無事に再会出来て嬉しく思う。

「妃殿下は何故、銀玲へ?」

「わたし、茅羽夜を迎えに行こうと思うの」

 風早が信じられないものを見るような目で鈴を見た。そしてそのまま指を付き、深々と頭を下げた。

「妃殿下。恥知らずなお願いとは存じますが、どうか、この風早も連れていって頂けませんでしょうか。私は主君をお守り出来ませんでした。命を絶とうと、何度も考えました。けれど、あの方が……あの方は……私に、全うせず死ぬのは、許さぬと……」

 涙混じりの声で風早は懇願する。鈴は彼の肩に手をやり、そっと背中を撫でてやる。

 ────自分は投げ出したくせに、本当にひどい人だわ。

 でも鈴と同じように茅羽夜を想ってくれる人がいることが、今は何より嬉しかった。

「もちろんです。共に行きましょう」

「はい、はい……あの方を諦めずにいて下さり、ありがとうございます、妃殿下」


 翌日、風早は昨夜のうちに住職へ事情を説明し、御堂を出ることになった。

 鈴が明堂と風早を引き合わせると風早はひどく驚いた顔をしていたが、鈴がどうしたのかと尋ねても「何でもありません」と首を振るだけだった。

 人は増えたが馬は一頭しかいないため、そこから道行の速度は落ちた。鈴は雪燈に乗り、明堂と風早が徒歩となった。鈴は自分も歩くと言ったのだが、元々雪燈は鈴の馬だという彼らの言葉に甘えることにした。

 もう少しで豊都というところまで来た三日目の夜、鈴は境内にそっと出て、北斗を呼んだ。御堂のものに書くものを借りて松葉たちへ手紙を頼むと、北斗は元気よくまだ冬の名残が濃い宵闇の空へ飛び立っていった。

「……」

 ほうっと大鴉の消えていく空を見上げる。薄雲の合間に銀砂の星々が空に散らばり、もう春は目前だというのに冷たい空気の中で燦然と瞬いている。

 ────茅羽夜はまだ、この世界にいてくれているだろうか。

 早く早くと、気持ちばかり逸る。どんな姿でも、夢でもいいから会いたかった。会って言葉を交わして、大丈夫だと安心したかった。



「眠れませんか?」

 北斗を見送っていると後ろから声がした。振り向くといくつか碗を乗せた盆を持った明堂が立っていた。

「いえ、この先で待っているはずの人に手紙をお願いしたんです」

「そうでしたか。ですが夜はまだまだ冷えます。女性が身体を冷やしては行けません」

「はい、もう戻ります」

「それが良いでしょう。良かったらこれを飲んでください。温まりますよ」

 盆から差し出された椀には琥珀色の液体がゆらりと揺れていた。受け取ると指先からじんわりと熱が腕を伝って、鈴はほうっと息をついた。知らない間に体が冷えていたらしい。

「ありがとうございます。先生は寝られないのですか?」

「これからここの住職と少し話がありまして」

「あっもしかしてこれ、お弟子さんたちにお渡しする分でしたか?」

 だとしたら申し訳ない。鈴が碗を戻そうとすると、彼は「いいえ」と首を振った。

「それは元々お嬢さんに淹れたものですから、ご遠慮なさらずに」

「そうでしたか。なら、ありがたく」

「ええ。飲み終わったら廊下に出しておいて下さいね。帰りに回収します」

 では、と頭を下げて明堂はそのまま奥の部屋へ向かっていった。なんて気の利く人なんだろう。その背中が角に消えていくのを見送ってから鈴も部屋に戻る。

 敷かれた布団に腰を下ろしてその温かい茶を啜った瞬間──盛大に咽せた。

「シッッッッブイ! いや、甘い⁉︎ あ、なんか後から辛味が出てきた何これ⁉︎」

 一体どういう淹れ方したらこうなるんだろう。ここまで不味く淹れられるのはもはや才能なのではないだろうか。確かに体は温まったが、出来れば二杯目は遠慮したい味だ。

 それでも出されたものを捨てるのはしのびなく、鈴は決死の思いでそれを飲み干した。まだ喉の奥にえぐみが残っている気がする。這うように廊下に碗を置いて、鈴はそのまま布団に潜り込んだ。

 ほどなくして遠くで同じような叫びが聞こえてきた気がしたが、聞こえないふりをして目を閉じたのだった。


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