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東龍の花嫁  作者: 朝生紬
五章 星を喰らうひと
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十六

「さて、どこから話したものかね」

 隠れ里の一番奥に建てられた社の一室で老婆、もとい穂乃子は脇息にもたれながら言った。一室には鈴と彼女の他に、三光と青幡、そして松葉と小鞠がいた。守千賀は部屋の前で見張りを買って出たので見えないが、すぐそばにいるのは気配でわかる。

「とりあえず、最初から教えてほしいんだけど……婆さま、わたしを斎妃として育てたというのは本当なの?」

「そうだな」

 あっさりと、彼女は頷いた。松葉が口を開こうとしたのを手だけで制す。

「けれどお前さんの思っているような意味で育てたわけではない。これは暮星の予言だったのだ」

「……暮星様の予言?」

「そうだ。あたしは確かに神龍の子だけど、万能ってわけじゃない。祓えや占は出来るが予言や予知などは全く出来ん」

 意外だった。神様といえば遍く全てを見通すものだと、勝手に思っていたのだ。

「その点は暮星は優秀だった。臨月の腹を抱えてやって来た彼女はこれから生まれる自分の娘が次代の斎妃であること、娘の対の星が龍の神子であることを理解していた。そしてこの二人が神龍の最後の子供たちであることを、あたしに告げた。故にお前をあたしに託したのだ。あたしたちは里全体でお前を育てると誓い、彼女たちは里から去った」

「じゃあ、長もみんな……私が若宮様の妃に選ばれることを知っていたの? どうして、そんな大事なことを誰も私に教えてくれなかったの?」

「それが暮星の願いだったからだ。未来はほんの少し、小石に躓いただけでも大きく色を変える。若宮がお前を見つけるまで、お前が己の半身を見出すまで、未来は確定しない。それまでは、娘には普通の暮らしをして欲しい……とな」

 鈴は泣かないようにぐっと唇を噛み締める。

 父も母も、決して、鈴が邪魔だから置いて行ったわけではなかったことはすでに理解していた。していたけれど、はっきりと言葉にされると込み上げてくるものがあった。

「そもそも、ここは東龍の花嫁、陽奈美の生まれ育った山。そしてこの隠れ里こそ、彼女の生まれた里だ。この九頭龍山の里の者たちはね、東和が東和となる前から陽奈美たちが暮らしていた古き民の裔だ」

「ここが……始まりの花嫁が生まれた場所────」

 これには青幡や三光も感慨深かったらしく、ほうっと息を吐いて周囲を見渡した。それは鈴も同じだ。水早の島が唐だったことを知った時も思ったが、まさか自分の、そして茅羽夜にとっても遠いご先祖さまが生まれた場所がそのまま残っているなんて不思議な感覚だった。

「長らく使っていなかったがね、まほろばのやつらが身の丈も弁えずわらわらとやってきたから腹が立って、つい大暴れしてしまってねぇ」

「……まさかとは思うんだけど、里を破壊したのってまほろばの兵じゃなくて」

「おお。あたしだ」

 何の悪びれもなく言う母に鈴と松葉はその場でがっくりと項垂れた。今思えば確かに、死体もなければ血の痕もほとんどなかった。本当にどうしてあんなに泣き崩れてしまったのか。あの時の涙を返してほしい。

「……小鞠たちも、知っていた?」

「いや、お前たちの世代に伝えたのはお前が輿入れした後だ。小鞠にだけは、出立前に百合絵が伝えた」

「俺は聞いていなかった」

 憮然とした表情で松葉が言う。穂乃子はそんな息子に「そりゃそうさ」と鼻で笑った。

「お前はその頃、そこの第三皇子を通して水早の息がかかってた。ならあいつが伝えるのが筋ってもんだろ。大体、お前はあたしの忠告を無視して里を出たんだぞ。あたしから何を聞きたかったんだ」

「そりゃ……そうだけどよ。というか、じゃあ、俺は何なんだ? まさか俺にも神の血が入ってんのか」

「お前は違う。お前はあたしの夫が……縁寿の父親が拾ってきた子だからね」

「え……松兄さん、婆さまの子じゃないの⁉︎」

 衝撃的な発言に鈴が身を乗り出すと、穂乃子は少し橙が強い瞳をぱちぱちと瞬かせた。

「……言わなかったか?」

「言ってない!」

「そうか。まあ、でも今言っただろ」

「もうやだこのひと! いや人じゃなかった!」

「いや……俺は何となくそうかなとは思ってたけど……」

「なんで⁉︎」

「だって縁兄は母さんそっくりだけど、俺は似てないから」

「父親似なのかと思ってた……じゃあ縁兄さんは?」

「縁寿は正真正銘、あたしの子だ。まあ、あの子は父親の血が強いせいか巫術はからきしでねぇ……九条に婿入りしたのも華織子がいたからだろう。あの子は陽奈美の妹の子の……ええっと何だったかな。忘れたけど、あたしにとっては母方の子孫ってとこだ」

 ということは広くて長い目で見れば、鈴と婆さまは血が繋がっていることになる。本当に、繋がっていると言っていいのかわからないほど遠い血縁ではあるけども。

「話の規模が大きすぎてもう頭が痛い……」

「同じく」

「でもここからが本題でしょ」

 自分が余所者である自覚があるのか、ずっと黙りこくっていた三光の言葉に鈴も顔を上げた。そうだ、鈴はここへ、神龍の二番目の子の行方を聞きにきたのだ。

 そして、茅羽夜を救う手立てがあるかどうか。

 彼女はそんな鈴の心を見透かしたように、一つ頷いた。

「端的に言おうか。まず、龍の神子を救う手立てはある」

「!」

 鈴は息を呑んだ。暗がりにようやく差し込んだ陽に、思わず身を乗り出す。

「婆さまお願い、その方法を教えて!」

「何、簡単なことだ。あの神子様の命を灼く炎を、相殺してやればいい」

「相殺って……」

「月の双玉ですか」

 青幡が言った。穂乃子も「ああ」と頷く。

 陽が焔なら、月の双玉は水だ。そして双玉は元を辿れば神龍の力の一部である。相殺も可能だろう。

「問題はその双玉がどこにあるか、だ」

「婆さまもわからないの?」

「いや、ある場所は知っている。神龍の元だ」

「月神様の……って、どこなのよ!」

「それを知っているのが、あたしの弟ただ一人なのだ」

 そう言って、穂乃子があまりにも嫌そうに顔を歪めるので鈴は「あ、これは弟さまが苦手なんだな」と瞬時に悟った。彼女が嫌いな茄子料理を出された時と同じ顔をしている。

 だがすぐにその表情は裏に引っ込められ、厳しい顔を作る。

「それに双玉を使うのは大きな問題がある。あれは神龍の力そのものだ。以前、妻を殺された大神は怒り、唐の殆どを海底に沈めた。あれを使えば同じことが起きるだろう」

「同じことが、って……」

 まさか、と声が震える。もしも鈴が想像していることが、実際に起きるのなら。

「あれを使えば東和は唐の二の舞になるだろう」

「そんな……」

 やっと見えた光明が、まるで蝋燭の火を吹き消すように見えなくなる。言葉を選ばない言い方をすれば、茅羽夜一人を救うために、東和の全ての命を犠牲にしなければならないということだ。

 自分一人の問題ならいい。命以外なら、この際腕でも目でも何でも差し出そう。でもそれはダメだ。他の民にはなんの罪もない。

 鈴はぐっと手を握りしめたあと、顔を上げた。

「じゃあ、他の方法を探すわ。茅羽夜を取り戻したって、帰る場所が海の底だなんて意味ないもの」

「お前ならそういうと思ったよ。まあ────それも防ごうと思えば防げるが」

「……え?」

(今、なんて言った?)

 鈴もいい加減、驚く仕草も飽きてきた。それくらい、今日だけで驚愕の事実がわんさか明らかになったが、婆さまはまだ鈴を脅かし足りないらしい。 

「この二千年、あたしがただ子守のためだけにここにいたと思ってるのかい? 良いかい、双玉は海に通じている。海の力そのものだ。使えばあの神子様の心臓に埋め込まれた陽の双玉の力を相殺出来るだろうが、同時に大きな力は洪水を生む。ならこの国ごと包む結界を張ればいい」

「そ……そんな大規模な術を、使えますか?」

「出来るか出来ないかじゃなくて、やるかやらないかの問題なんだよ。こういう時のためにあたしはこちらに渡って国を分け、龍脈の上に長い年月をかけて社を建てて、山守の一族たちに巫術を伝えてきたんだからな。歴史も術も、ひとつが潰されたとしても分けてあればどれかが生き残るだろ」

「この国を分けたのは母さんだったのか!」

 土岐の推測は当たっていたのだ。知識と歴史、術を分散させて後世へ残すため、神龍の子である穂乃子は本島へ渡った。

「正確に言えばあたしと、最初の王だけどね。まあ、二千年も経てば歴史が歪められるのなんて想定内さ。山守の一族たちが正しい歴史と術を継いでいければそれでいい」

「でも……じゃあなんで、今までの斎妃たちを助けてくれなかったの?」

 無念の中で死んでいった斎妃たちを想う。夢の中だったけれど、あれは決して夢幻ゆめまぼろしなどではない。彼女たちは二千年の歴史の影で誰かを想い、時に呪い、恨み、祈り、嘆きながら死んでいった。それらが全て今、茅羽夜の命を燃やしている。

「助かる方法があるのならどうして、もっと早くに伝えてくれなかったの? 彼女たちが、どんな思いで……!」

「鈴、そうやって話を聞き終わる前に感情的になるのはお前の悪い癖だ」

「話を逸らさないで!」

「逸らしていない。いいかい、よくお聞き。この結界の術を発動するには水早の力が不可欠なんだ。今残っている神龍の子の中で最も力が強く、最も父神に近しいのがあの子だ。月の双玉が使われればあの子は力に引っ張られる。それを抑えない限り、この術は成功しない。むしろ増長する。あたしじゃ水早を抑えられない」

「婆さまでも無理なの?」

「あたしは火を司る者だから相性が悪い。だが、そもそもあの子はずっと双子の妹を迦具土に引き渡したあたしたちを憎んでいた。あの子にあたしたちの声は届かないんだ」

「……でも、今は違う?」

「違う。あの子が手を貸す気になったから、お前達がここにいるんだろう」

 両手を広げて彼女はにやりと笑った。とても鈴が思い描いていた神様とは思えないほど悪い笑みだったが、それでも壮絶に美しかった。

「お前はこの二千年の歴史の中で水早の領域に足を踏み入れた唯一の斎妃だ。お前があの子を説得できたのは、あの若様が心からお前を愛し、お前を命を賭けてまで手放したからだ。鈴、これはすごいことなんだよ。この二千年、誰一人として皇たちは己の命を捨ててまで斎妃たちの命を救おうとしなかった。結局、自分の命をとったんだ。まあ、それは別に責めることでもない。誰だって命は惜しいさ。でもね、あたしも水早も、何も賭けない奴に手を貸してやるほどお人好しじゃない。神頼みってのは全てやり尽くした人間が最後に縋るもんだからね」

 願いに見合うものを賭けることの出来ない者に他者は動かせない。それは人も、神も同じことなのだ。

 茅羽夜の覚悟。鈴の決意。あらゆるひとの願いと祈りの果てに、今がある。

 

 ────どこから運命の糸が織られて来たのか。

 例えば茅羽夜が鈴を諦めていたら。

 青幡や三光と出会っていなかったら。

 茅羽夜が彼らを信用せず、鈴を手放さなかったら鈴は辿り着けなかった。最初に青幡の手を取り、水早に会えたとしてもきっと茅羽夜を救おうとここまで手を尽くさなかっただろう。

 どこか一つでも道が違えていたら、全く違う未来になっていた。

 いくつもの分岐点を選択し、一本の糸から布を織るようにして鈴はここにいるんじゃないか。

 全てはこの織物を作り上げるための細い糸だったのではないかと漠然と思った。

 

「さて、鈴。────腹は括れたかい?」

 

 鈴は周囲を見渡す。青幡も三光も、松葉たちも鈴を見て確かに頷き合う。その目はここまできたらとことん付き合うよと言っていた。

 彼らに背を押されて、なんとも意地悪げな笑みを浮かべる一柱の女神に鈴は強く頷くのだった。


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