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東龍の花嫁  作者: 朝生紬
五章 星を喰らうひと
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十五

 その後、鈴の勘は当たり一行は難なく八国を抜けて九国との国境を抜けた。久しぶりに足を踏み入れた故郷に鈴はこんな時でなかったら泣いて喜んでいたかもしれない。でも、こんな時でもやはり懐かしい土と風の匂いに嬉しくなる。

「それでは、我々はここで」

「はい。お世話になりました」

 浮雲や八代たちと別れたのは九国に入って一番に付いた宿場街の手前だ。この道を真っ直ぐ進むと宿場街につき、ここを左に進んだ突き当たりにあるのが九頭龍山────鈴の生まれた里だった。

「鈴、元気でな」

「うん、八代も親爺さんも。どうかお元気で」

「ああ」

 握手を交わして別れを惜しむ鈴や松葉たちだったが、三光は気まずいのか照れ臭いのか、姿が見えなかった。ついでに青幡もいない。なんて薄情なやつらだ。鈴は大変立腹して彼らを探し回ったが、八代たちはからからと笑った。

「まったくもう。ちゃんと挨拶もしないで」

「いいよ。今生の別れってわけでもないんだから、きっとまた会えるさ」

「そう? 八代がそう言うならいいけど……」

 結局、行商隊の馬車が見えなくなるまで二人は出てこなかった。気まずそうに顔を出してきた二人を睨みつけた後、鈴は「それで、ここからどこへ行くの?」と訊ねた。

「君の里にいく」

「え、うちに? なんで?」

「さっき街で情報収集してきた。君の里がまほろばの兵に襲撃されたらしい」

 一瞬、目の前が真っ暗になった。ふらりとたたらを踏んだ鈴を松葉が慌てて支える。

(────私のせいだ)

 鈴が姿をくらませた後、真っ先に真陽瑠は鈴の里へ向かっただろう。そこまで気が回らなかった自分にも腹が立つ。玉藻や百合絵たちの顔が次々と浮かぶ。今は里の皆が無事であることを願うしかなく、鈴たちはすぐに里に向けて出発した。

 ────そして半日かけて辿り着いた鈴の里は、もはや見る影もなかった。

 田畑は踏み荒らされ、家は壁が壊されて土台の木材や土間が剥き出しになっている。子供たちがよく遊んでいた大木は煤けて黒くなっており、小鞠たちの父が作った遊具は焦げて根本に散らばって、形を留めていなかった。人の気配はない。まるで廃墟だ。守千賀は大樹の根元にしゃがみ込み、焦げた遊具の一部を拾い上げる。けれどそれはすぐにぼろぼろと崩れて、風に乗って消えていく。

「こりゃひでぇな。根本から丸焦げだ」

「どうして……こんな……」

 ふらふらと里へ入っていくと松葉に肩を掴まれる。それを振り切って鈴は山へ登る道を駆け上がった。あの道を行った先に鈴たちの生まれ育った家がある────はずだった。

 そこにあったのは里同様、まるで大きな足に踏み潰されたみたいにへしゃげて、倒壊した家屋だけだった。鈴は崩れた家に飛び込み、倒れていた柱を持ち上げようと手をかけた。

「ばあさま……ばあさま、ばあさま!」

「鈴! やめろ、危ない!」

「離して兄さん! ばあさま、どこなの⁉︎ ねえ、やだよこんなの、嘘よ、だって、こんな……こんな、ひどい……」

 胸が潰されそうだった。自分のせいだ。鈴が逃げ出したから、真陽瑠は里の皆を罰したのだろうか。もっと早くに気付いていれば、二ヶ月もぼんやりしていないでしっかりしていれば、こんなことにはならなかったのではないか。


「────そこにいるのは誰⁉︎」


 柱から手を離し、鈴がずるずるとその場にへたり込んだ時だった。どこからか聞き覚えのある声が聞こえて、キンっと何か硬いものを弾く音がした。鈴が持ち上げようとした柱に松葉が叩き切った矢が刺さる。

 鈴は弾かれたように顔を上げる。山の木陰から弓を構えていたのは────

「こ、こま、り……」

「……鈴⁉︎ うそ、本当に鈴なの⁉︎」

 山の斜面を器用に滑り降りてくる小鞠はいつもの可愛らしい着物ではなく、馬乗袴に髪を一本に束ねた戦装束だった。坂道を転げるように駆け降りて、小鞠は一番に鈴に抱きついた。

「ばか! ばか、ばか、鈴の大ばか!」

「小鞠……」

「私たちがどれだけ心配したと思っているのよ! それなのに文の一つも寄越さないで! この二ヶ月、こっちは本当に生きた心地がしなかったっていうのに!」

 鈴の首に腕を回して、小鞠はそのままわんわん泣き叫んだ。明るくどんな時も笑っていた小鞠がこんなに声を上げて泣くのを見たのは、彼女の兄が亡くなった時以来だった。釣られて鈴の目にも涙が滲み、二人は抱き合いながら、揃って大泣きしたのだった。


 それから小鞠は鈴たちを山の中の集落に案内してくれた。山の祠の近くにある横穴(これは以前、鈴が茅羽夜を匿った場所だ)の奥には隠れ里に繋がっており、里の皆は全員そこにいるらしい。

「すごい洞窟だな……」

「ここ、結界で迷いやすくされてるんで逸れないで下さいね」

「逸れたら?」

「一生出れません」

 先導する小鞠と鈴の後ろで守千賀と松葉がひえっと息を飲む。三光と青幡は少し緊張した面持ちで彼らの後ろに続く形だった。

「この奥に隠れ里があったなんて知らなかった……」

「俺も……」

「私も知らなかったわよ。まほろばの兵が来なかったら、一生知ることもなかったでしょうけど」

 歩きながら小鞠はこの二月の間に何があったか簡単に説明してくれた。

 鈴と別れて小鞠はなんとか里に戻ったものの、その時にはすでに里は真陽瑠の手の者によって襲撃を受けた後だった。先程の鈴と同じように呆然とした小鞠を、同じように里の男衆に発見されてこの隠れ里へ帰れたのだ。怪我をした者はいても死者は一人もいないと小鞠は言った。

「里を見てびっくりしたでしょう」

「うん……」

「そりゃあね、家は全部倒れちゃったけど、まあ何とかなるわよ。御方様もうちの父様もご健在だし」

「ばあさまも無事?」

「超元気よ。むしろこの中で一番元気ね。かすり傷一つないわ」

「いやそれも怖ぇよ……」

 少し苦笑いする松葉に鈴も深く頷いた。冷静になってみると、あの妖怪じみたばあさまが簡単にくたばるわけがない。鈴は何故あんなに大泣きしてしまったのだろう。

 横穴の隠し通路は思っていたよりもすぐに開けた。ずっと暗がりにいたせいで目がちかちかする。ぱっと目を開けると、すぐ目に入ってきたのは畑を耕している里長の姿だった。

「長!」

「鈴……? 本当に鈴か?」

「鈴⁉︎ うそ、皆来て! 鈴が帰ってきた!」

「なんだって⁉︎ おい誰か御方様呼んでこい、鈴が戻ってきたぞ! なあ、お前本当に鈴か? 無事か? どこか怪我してないか?」

「本当に、本当に鈴なのかい? ああ、もっと顔をよく見せておくれ」

「松葉も一緒か! ああ良かった、本当に心配したんだぞ」

「みんな……」

 変わるがわる鈴の顔や頭を撫でる里の者たちに抱きつき、鈴はまた泣きそうになった。松葉も同じようなもので、あちらは里の男衆に揉みくちゃにされている。少し離れたところで小鞠が羨ましそうに見ているのがおかしかった。

「そうだわ、ねえ婆さまは? 婆さまはどこ?」

「ここだよ、鈴」

「! 婆さ……ま……」

 ここだと呼ばれて振り向いたけれど、鈴のよく知る老婆の姿はない。声のした方に立っていたのは顔に泥をつけたままの里長と美しい一人の女性だった。真っ白な垂髪は腰まで長く、毛先の方だけが緩く編まれており、足首の結われた緋袴と腰に太刀を佩ている。年齢は三十代そこそこといったところだろうか。佇まいから気品が溢れ、凛とした中に艶やかさ見せる美しい女性だが、鈴には面識がない。

「……ええっと、すみません。どちら様ですか?」

「なんだい、一年も経たずにもう親の顔を忘れたのかい。薄情な娘だね、お前は」

「え……え、え? ……え? 婆さまの声? どこにいるの? え?」

「何言ってんのさ。お前の目の前にいるじゃないか」

 そう言って、腕を組む白髪の女性。隣の松葉に助けを求める視線を送るも、彼もまた訳がわからないというように首を振った。そして二人揃って、彼女の隣で朗らかに笑う里長を見る。

「正真正銘、この人が御方様……お前たちの婆さまだよ」

「そうさ。久しぶりだねぇ、我が子たち」

「………………」

「………………」

 からからと笑う美女からは確かに自分のよく知る老婆と同じような声がする。いや少し、いや、だいぶ、若い。声も、顔も。

 松葉と鈴はもう一度顔を見合わせて、それから同時に叫んだ。

「…………いやそうはならんやろ‼︎」

「なってるんだよなぁ」

 笑い事じゃない。何故。何がどうなってこうなっているんだ。

「だいぶ妖怪じみてると思ったけどまさかこんなのあり⁉︎ 何⁉︎ なんで⁉︎」

「おおおおおおおちつけ鈴、きっとほらあれだよあれ、世界には自分に似ている人が三人は居るってあれじゃねぇのか⁉︎」

「だったらもっと昼頃の朝顔みたいになってないとおかしいでしょ⁉︎」

「言いたい放題だねぇ、お前たち」

 がっと顔を掴まれ、そのままぎりぎりと力を込められて鈴と松葉は悲鳴をあげた。

「こ、この絶妙な力加減……確かに婆さまだわ……そうか、やっぱり婆さまって妖怪あいたたたたたた待って待って顔の骨折れるまってあいたたた!」

「ほんと、一年振りの再会だってのになんだい。親の顔は忘れるわ妖怪扱いするわ」

「いや、親の顔は忘れたことないけど。親の方が今までの顔捨ててたらそりゃわからんでしょ」

 というか、いい加減誰か説明してほしい。そう里長に視線で訴えようとした時、鈴と松葉の前に青幡と三光が歩み出た。そしてそのまま膝を着き、恭しく拱手の礼を取る。

 老婆、いや今は全く老婆ではないのだが、彼女は二人を見て唇に笑みを乗せた。

「────水早の子飼いか。そっちの短髪は前にも会った傘持ちだね」

「はい。(くら)御津羽御神(みつはのおおかみ)が一族、三光と申します」

「同じく青幡と申します。この度は拝謁をお許し頂き、誠に……」

「ああ、いい。そういうのは面倒だから要らん」

 耳元を飛び回る羽虫を追い払うような手付きで手を振ると、彼女はぽかんと惚けている鈴を見た。

「まって……じゃあ、青幡が会ったことがある水早の姉って……」

「……この方だよ。この方は神龍と花嫁との間に生まれた最初の子、巫女様の姉君である天疎(あまさかる)向津媛命(むかつひめのみこと)様だ」

 鈴は絶句した。隣の松葉も顎が落ちそうなほど口を開いて呆然としているというのに、当の本人は何やら感心したように「ほお」と目を丸めた。

「その長ったらしい名前を噛まずに言えた人間は久しぶりだな。里長の梓彦ですら面倒だから呼ばんぞ」

 その言葉に、里長は「面倒だからやめろと言ったのは御方様なのに……」とやや不満そうに言った。

 子供の頃からこの老婆に振り回されてきた哀れな被害者だ。

「まあ、大体が御方様か婆さまだからな。呼びにくいなら穂乃子(ほのこ)でもよいが」

「……婆さま、穂乃子って名前だったの?」

「おお。言わんかったか?」

「今初めて知ったわよ! 周囲の里の皆も御方様か(ばば)さましか言わなかったし……」

「いうて不便はなかったし、お前さんも聞かんかっただろ」

「そうだけどさぁ……!」

 鈴にとって婆さまは婆さまだったので、確かに不便ではなかったけれども。もうどこからツッコんでいいのかもわからない。疲れた。ちょっと休憩したい。

「ま、とりあえずここじゃなんだから社へ行くぞ。全く、二ヶ月も無駄にしよって。待ち草臥(くたび)れたわ」

「婆さま……まって、今の姿は全然婆さまじゃないわね。なんて呼べば……」

「あたしはお前の婆様をやめた覚えはないぞ」

 そういってさっさと踵を返す。流れる白髪は確かに、茅羽夜や水早と同じ透き通るような真白だ。婆さまの髪が白いのは歳のせいではなかったらしい。

「なんだかもうすでに疲れたわ……」

「同じく……」

「良いじゃないか美人な母親で。ま、オレの千種には敵わんがな!」

 こんな時でも惚気を忘れない守千賀に感心しながらも、げっそりとした顔で鈴たちは後に続くのだった。



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