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東龍の花嫁  作者: 朝生紬
五章 星を喰らうひと
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十四

 浮雲に無理を言って一日だけ、七国の国都で滞在することになった鈴は三光だけを連れて、葵依が蟄居しているという国長の屋敷までやってきた……が。

「姫様はどなたにもお会いになりません。お引き取りください」

「そこをなんとか……!」

「なりません」

「くっ……」

 事前に約束などもしていなかったので、当然ながら門前払いされた。三光も「まあ、そりゃそうだ」と呆れ顔である。今上帝の妃たちは皆、屋敷から出ることを禁じられているし、銀朱と面会出来たのも土岐の協力があってこそだ。鈴の名前を出せば葵依は会ってくれるだろうが、真陽瑠の耳がどこまで潜り込んでいるのかわからない以上、派手な動きは控えねばならない。信頼出来る人が七国にはいなかった。

「うーん、なんとかならないかしら……」

「一つ手がないわけじゃないけど」

「えっ⁉︎ ちょっと、手があるならもったいぶらずに教えてよ」

「ていうか、姫宮は僕と初めて会った時のことを覚えてないの?」

「はじめて……」

 こめかみをぐりぐりと押さえて考える。初めて三光を認識したのは十二国で……いや、そうだ。その前に、鈴は一度彼と会話をしている。夢の中で。 

「葵依さまの夢に渡る?」

「でもそれには彼女の血と、僕の星石が要る。星石はいくらでも何とかなるけど」

「…………」

「姫宮?」

「それって、わたしも行ける?」

「普通は無理だけど、姫宮なら行けるでしょ。たぶん」

「たぶんじゃ困るんだけど」

「それは姫宮の頑張り次第じゃない?」

 どうする? という三光に、鈴は一瞬考えたけれど、すぐに頷いた。ぐずぐずしている時間はないのだ。

 鈴は商隊に戻り、文をしたためて北斗に預けた。北斗は嘴に文と瑠璃の首飾りをくわえて軽やかに飛び立つ。さすが渡鴉というべきか、彼は教えていないのにその文をどこへ運べばいいのかちゃんと理解しているようだ。

「信じてくれるかはまた別だけど」

「たぶん、大丈夫よ。葵依さまならわかってくれる……たぶん」

「めっちゃたぶん言うじゃん。不安〜」

「大丈夫よ!」

 言い聞かせるように言って、鈴は夜を待った。

 浮雲たちが国都で商いついでに諸々日用品を買い込んできたのを片付けたり、天幕を繕ったりしているとあっという間に日は沈み、鈴は早々に寝支度を整える。夕餉の時に八代が天幕に顔を出した以外は何事もなく、夜は更けていった。寝支度を整える鈴の横で北斗が「もう寝るの?」というようにぴょんぴょんとこちらへ飛び寄って来るので眉間あたりを撫でてやる。最近、鈴が側に置いてくれるのが嬉しいのか、この烏は饒舌だ。この一年近く、宮では呼び出してやれなかったことが申し訳なくなった。

「鈴くん、ちゃんと起きてる?」

「起きてるよ」

 のそのそと鈴の天幕に入って来る。いつもは松葉と使っているのだが、今日は一人だ。

「じゃあ、はい」

「……? 手がどうかしたの」

「肌が触れ合ってないと一緒に連れていけないんだよ。僕は別のとこでもいいけど?」

「手でお願いします!」

 差し出されたそれをぎゅっと握る。それを見て、三光は苦いような、困惑しているような複雑な表情を浮かべた。

「若宮くんと青幡に見られたら殺されそう」

「そんなこと……」

 あるかもしれない、とちょっとだけ思う。いや、でもお互いそんな気もないし、術のためなのだから仕方ないではないか。

「よし、そろそろ行くよ」

「どんとこい」

「んじゃ目を瞑って、ゆっくり、僕の呼吸に合わせるように深呼吸してー……」

 ゆっくり、ゆっくり、意識を目の前の瑠璃色の瞳に重ねて、沈めていく感覚。ざわざわと木々の囁きが遠くなっていくのを感じて、空に落ちるような変な浮遊感がした。

「もう目開けていいよ」

 三光の声にそろりと開けると、足元にコの字型に造られた大きな屋敷が見えた。闇夜の中に白い玉砂利の敷き詰められた庭がぽっかりと浮かんで見える。その真ん中にそっと降り立つ。地面に降りると、三光はぱっと手を離した。

「七宮のお姫様はまだ来ていないみたいだね」

「……そうね」

「もしかして緊張してる?」

「そりゃ、そうよ。わたしだって、緊張くらい、するわ」

 唇をひき結んで鈴がそう言うと、三光は別段興味がなさそうに「へえ」とだけ言った。その態度があまりにも普段通りなので、逆に気が抜けてしまう。

 その時、さらりと衣擦れの音が背後で聞こえた。振り向くと、廂の上に白藍の唐衣を纏った葵依がやや硬い表情で立っていた。

「来てくださったんですね、葵依さま」

「……初菫の方」

「手紙、読んでくださってありがとうございます。わかりました?」

「ええ。今夜、金魚姫の金魚を一緒に見ましょう。星鴉の庭でお待ちしております……どちらも、初菫様でなければ知らないことですもの」

 そういって葵依は少しだけ俯いて、一度大きく息を吸って。

「ご無事で、何よりでした……」

 吐き出すように、そう告げた。安堵の滲んだ声に鈴も内心ほっとした。鈴の身を案じてくれるだけの気持ちはまだ持ってくれているらしい。

 だが葵依はすぐに顔を上げて、鈴の隣にいる男を見据えた。

「では、お聞かせ頂けますか? 私をここへ呼び出した理由と、彼がそこにいる意味を」

「……はい」

 鈴は静かに語り始めた。銀朱たちにも話したものと同じ、この国の成り立ちから八年前の悲劇と、それから自分自身の生い立ちも。

 父が起こしたことが最終的に真尋殿下の命を奪ったことも全て。

 葵依は廂に腰掛けてただじっとその話を聞いていた。伏せられた瞳にどんな感情が浮かんでいるのか、鈴の位置からでは窺い知ることは出来ない。

 やがてすべて話終わると、長い沈黙が落ちた。その沈黙を破ったのは葵依だった。

「初菫様はその話を私にして、どのような言葉を言って欲しいのですか?」

「何も。ただ、あなたは真実を知る権利があると思ったから伝えただけです」

「それで肩の荷を下ろしたかった? ……随分、勝手ですのね」

 聞いたこともない冷たい声に鈴は一瞬だけ怯んだ。けれどすぐに背筋を伸ばす。これは鈴が決めて、選んだこと。傷付くのはお門違いだ。

「そうです、わたし、すごく身勝手なんです。自分が正しいことをしているなんて思っていません。これはわたしが、ただ、嘘吐きになりたくなかっただけなんです」

 葵依のことを想うならきっと、黙っていた方がよかった。三光を仇と憎んだままでいたら、少なくとも彼女の心は慰められる。

 それでも伝えると決めた。鈴が自分の心に誠実であるために。

 睨み合う二人の間にそれまでずっと黙っていた三光がすっと割り込む。葵依は表情を変えないまま彼の顔を見上げていたが、三光が平頭すると少しだけ目を開いた。

「……以前はきちんと名乗りもせず、大変失礼致しました。私は十二国の銀玲、顎龍山に仕える山守の裔、璃人と申します。今はその名を捨て、闇水早御神の下、三光の名を賜りましたが」

「璃人……?」

「ご存知でいらっしゃいますか」

「……知っています。あなたの名は、殿下からの手紙によく書かれていました」

 三光は「そうですか」と感情の読めない声で呟いた。そして顔をあげないまま、話を続ける。

「これから話すことはあなたを苦しめるでしょう。でも、それでも伝えにきたのです。真尋殿下の最期を、あなたは知る権利がある」

「…………」

「私は海真教によって故郷の里を焼かれ、真尋殿下に拾って頂きました。あの日、私共の野営地を襲撃したのは海真教を隠れ蓑にして己の私利私欲を満たさんとする者……白浬教の教主、出雲。またの名を海音。彼の狙いは私でした。私と彼は、同じ両親から生まれた兄弟でした」

 これには鈴も驚いた。海音と三光が血を分けた兄弟?

(でも確かに、自分は国長の養子だったと……)

 三光は話を続ける。

「銀玲の山守は一子相伝(いっしそうでん)です。巫術師として兄は両親から不要とされ、私だけが手元に残されました。私は自分に兄がいることすら、知らずに育ちました。兄の存在を知ったのは八年前の暴動に乗じて里を焼かれ、師であった祖母に逃される直前……あの男が里を襲撃した時です」

 平頭したままで表情は窺えなかったが、その時の記憶をなぞるように、三光が指先に力を入れたのがわかった。

「あの日、私が殿下の一番お側におりました。あの男は私の身柄を差し出せば、ここにいる者の命までは取らないと言いました。しかし、殿下は狙いが私だと気付くと逃げるように言ってあの男の前に立ちはだかったのです。そして私は……私は、殿下を見捨てて、その場を逃げたのです」

「…………」

「私の命を投げ出してもあの男は殿下を見過ごさなかったでしょう。そう言う男です。でも私が殿下を見殺しにし、今ものうのうと生きてきたことは事実です。それ故、あの時はあなたの仇であると申し上げました。その気持ちは今でも変わりません」

 やっと三光が体を起こしたかと思うと、彼は一本の小刀を取り出した。鈴が言葉を発する前に、彼はそれを葵依の前に差し出して再び頭を垂れた。まるで差し出すように。

「御方様が私を憎き仇と思うなら、どうぞ私を罰して下さい。ですがどうか、あなたに一欠片でも姫宮を……彼女を想う心がおありなら、この首ひとつでお収め下さいませんか」

「三光ッ!」

 鈴は立ち上がろうとしたけれど、まるで廂に糸で縫いとめられたように手足は動かなかった。視界の端で葵依の衣が揺れる。鈴の制止も聞こえないかのように葵依は迷いなく小刀を手に取って、思いっきり振り被った。

 ────けれど。

 小刀の鋒は三光の髪を数本掠っただけで、板の間に突き刺さった。驚いて三光が顔をあげる。

「何故……」

「何故? 貴方こそ何故、自分の命が贖罪になると思っているんですか?」

 細い顎を持ち上げて、静かに、凛とした声で言った。

「自惚れないで下さい。私が怒っているのは、貴方があの方の仇だからではありません。貴方があの方の最後の願いを蔑ろにしているからです。殿下はあなたに逃げろと仰ったのでしょう。それはあなたに生きろと言ったのと同じです。それなのにあなたは今、それを踏み躙ろうとしている。これは私が許す許さないの問題ではないのです」

 葵依は一度言葉を切って、痛みを、荒れ狂う何かを必死に飲み込もうとしていた。

「殿下が身を呈して生かしたものを、どうして私が罰せましょうか?」

「……私の話を、信じて下さるのですか」

「信じます。だって真尋殿下は笑っておられましたもの」

 鈴は去年の初夏の騒動で彼女の側にいた男を思い浮かべる。泣かないでというように笑っていた()の人を。

 葵依はそっと三光の肩を支えて体を起こさせる。三光は少しだけ泣きそうな顔をして、それから深く溜息を吐いた。まるで長くて暗い森をようやく抜けたような、安堵の滲んだ溜息だった。

「あの時は貴方の事情も聞かず、ごめんなさい。それから……生きていてくれて、ありがとう。あの方が守ったものはちゃんと今に続いているんですね」

「はい。……はい」

 俯いた三光の肩が震えている。ああ、ようやく、彼は肩の荷を下ろせたのだ。

「初菫様も、さっきはごめんなさい」

「いいえ。これはわたしの身勝手な行動であるという自覚はあります。葵依様が謝ることじゃ……」

「それでも謝らせて。そして、それでおあいこにして下さいますか?」

 葵依の提案に、鈴は笑って「もちろん」と頷いた。そして鈴も緊張が解けたのかその場に足を崩してへたり込んだ。嫌われても仕方ないと思っていたが、やはりそう言ってもらえて安心したのだ。

「でも私、まだ少し怒っているんですよ。初菫様はどうしてそんな無茶ばかりなさるんですか。十二国で行方不明になったと聞いた時の私たちの気持ちがわかりますか? 銀朱様なんて今にも後宮を飛び出して行かんばかりでしたわ」

「すみません……」

 それに関しては本当に申し訳ないと思っている。しかし、心配なんてしてないと言いながらやっぱり心配してくれていたのではないかとあの赤毛のお姫様を思って顔が緩む。本当に素直じゃない。

「今の情勢はどのくらいご存知ですか?」

「六反田様と、銀朱様にある程度聞いております。葵依様のところは大丈夫ですか?」

「はい。皆、息災です」

「ならよかった……」

「ですが時間の問題でしょうね……初菫様はこれからどちらへ?」

「九国へ行くつもりです」

「では、八国を通過なさるんですよね?」

「ええ」

「大丈夫なのですか? 八雲家は斎王を頂く一族でしょう?」

 葵依の懸念は尤もだった。これに関しては讃良も松葉も心配していた。

 けれど鈴は佐草なら大丈夫だという自信があった。

「以前、葵依様に見せた小箱があったでしょう? 八雲様はあの小箱に入っていた御手玉の中身を知ってらっしゃったんです」

 あの御手玉は鈴の母、暮星が宮を出た後に自分の唐衣を解いて作ったものだ。その後、小箱を開けるための鍵は鈴の元に十六年あった。つまり、中身を知ってるのは彼女が宮を出奔後に会ったことのある者だけ。だからあの小箱は暮星か蒼一郎か、どちらかが彼女に託したものではないかと鈴は考えていた。

 もちろん、他の可能性だってないわけじゃない。ただ、なんとなくそう思った。そして自分で言うのもなんだけれど、鈴のこういう勘は大抵当たるのだ。

「それに八雲様は自分は斎王に仕える者であることを忘れるなと仰ったんです。陛下が投獄されているのなら、真陽瑠の方は斎王じゃないわ」

 鈴の言葉に葵依ははっとしたように口元を押さえた。

「言われてみればその通りですわ……あの方は今、斎王ではなく先代の皇女として実権を握っていらっしゃる。そして夕凪宮がまだ生きていらっしゃるのなら、この東和において斎妃は初菫様以外あり得ません」

「そういうこと。だから八国に入ってしまえば大丈夫。たぶん……恐らく」

「そこは言い切って下さいませ……」

「だ、大丈夫よ!」

 自分自身を鼓舞するように頷いて見せると、葵依はやや不安そうにしながらも微笑んだ。そしてその後に少しだけ目を伏せる。

「ごめんなさい。私も何かお手伝いが出来たらよかったのですが……」

「ううん、こうして話してくれただけで嬉しかった。これで心置きなく前に進めるもの」

 ぎゅっと葵依の手を握る。夢の中だというのに彼女の手は現実の通りに温かい。あの狭くて息の詰まるような後宮で、初めて出来た友人と呼べる相手が葵依で良かったと心から思う。

 しかし、名残惜しいがそろそろ戻らねば。手を離して三光と頷き合うと、鈴は廂から立ち上がった。来た時のように三光の手に自分の手を重ね、そっと目を閉じる。ふわりと足元が揺れて、だんだんと遠ざかる意識の中で「初菫様」と葵依の声がした。

「私に出来ることがあればいつでも言って下さい。必ず、力になりますから」

 ありがとう、という言葉はちゃんと届いただろうか。いや、聞こえずともきっと届いたはずだと、鈴は思った。


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