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東龍の花嫁  作者: 朝生紬
一章・東の龍と西の娘
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 お前の両親はろくでもない人間だ、というのが(りん)を育ててくれた老婆の口癖だった。


 鈴の生みの親は、乳飲み子であった鈴を抱えて旅をしていたらしい。その途中でひどい嵐に見舞われ、一晩の宿を貸してやったのが婆さまだった。

 両親はろくに栄養も取ってない痩せこけた顔をして、乳飲み子も死にかけだったらしく、憐れに思った婆さまは夫婦に食べ物を分けて与えて夫婦と娘を泊めてやった。

 が、嵐がおさまり婆さまが目覚めてみれば、夫婦の姿は既になく籐籠ですやすや寝ている乳飲み子だけが残されていた。

 その乳飲み子というのが鈴だ。

 一宿一飯の恩を返すどころか、厄介なものを置いていって!と婆さまはいつも鈴に零していた。その厄介なものである鈴は、最初はその話を聞く度に顔も知らない両親の不始末が申し訳なく、謝罪ばかりする子供だった。けれど鈴が謝っても、わけもなく謝るなと婆さまは怒るのだ。


 段々と成長するにつれて、彼女の言葉に含まれる怒りは、鈴へではなく鈴を置いていった両親へ向けられているのだと気付いた。

 婆さまは口が悪く、すぐあっちにあれを届けろだの、炊事を手伝えだのこき使ったが、鈴を手酷く扱うこともなかったし、鈴が里の子供に捨て子だと揶揄われた時は兄達よりも真先に飛んでいってその子の尻を叩いて叱り、風邪を引けば文句を言いながら粥を作って頭を撫でてくれた。

 鈴が言い返すようになり、もう知らない!と癇癪を起こして家を飛び出しても、結局空腹に負けて家に戻ると、当たり前のように鈴の分もご飯を用意している。


 つまるところ、鈴にとって婆さまは、口煩くて意地の悪い、年老いた母親以外の何物でもなかった。



「りーん!」

 いつものように山から流れる小川で洗濯をしていると、弾んだ声が鈴の名前を呼ぶので、冷たい水から視線をあげた。

「おはよ、鈴!」

「おはよう。今日もいい天気ね」

「ええ! いい占い日和!」

 後ろで手を組み、にこやかに告げるのは里長の三番目の娘である小鞠(こまり)だ。

 艶やかな黒髪を瞳と同じ琥珀色の髪紐で二つに結っており、ふっくらとした頬と弾んだ声が名前の通り小さな鞠みたいな子だった。

 鈴は前掛けですっかり冷えきった手を拭いながら、にやりと笑ってみせる。

「ははーん、小鞠ってばまた好きな子ができたのね?」

「今度は本当よ! 運命なんだから!」

「それ、前の虎太朗の時も隣里の雪也の時も、その前の……ええっと、誰だっけ太一?」

「雪也の前は三つ隣の里の柾よ」

 やれやれといったように肩をすくめて見せるのは小鞠よりも二つ歳下の妹、玉藻(たまも)だ。小鞠が鈴よりひとつ上なので、小鞠と鈴、玉藻はそれぞれひとつ違いになる。

「そう、柾の時も言ってたわよ」

「今度こそ本当に運命なのよ」

「姉さんはいつもそうやって運命なんだかんだって言って、あとからやっぱり違ったって言うんだから」

 玉藻は小鞠と同じ切れ長の琥珀色の目を細めてわざとらしくため息をつく。彼女は真っ直ぐな髪をきっちりとお下げに編み込んでいて、几帳面そうな顔立ちの通りの性格だった。小鞠が跳ねっ返りな分、妹は昔からしっかり者で通っており、いつもどっちが姉だかわからないなぁと思うのだ。

「今度こそ今度こそ本物よ! だからね、鈴、いつものあれお願い!」

 両手を胸の前で組み、甘やかな橙の瞳を潤ませて上目遣いで窺う。頼まれると鈴が断れないのを知っているのだ。

 しかし鈴はちらりと小鞠を見やって、わざとらしくそっぽを見る。

「どうしようかなあ……」

「今日のおやつの干し杏、鈴に全部あげるわ」

「ノった!」

 隣にいた玉藻の「ちょろすぎる……」という視線をよそに、鈴は襟元から鎖に通された小さな鏡のような首飾りを取り出した。

 それは鈴の掌に収まる程の大きさで、楕円形のそれは玻璃のように薄く、縁には細やかな蔦のような銀細工が施されていた。縁取りと同じ銀の鎖に繋がれたそれを天に向かって光を通すと空色が透けて見え、水面のように乱反射してきらめくのだった。

 この首飾りは唯一、鈴の産みの親が残していったものだ。

 養育費代わりに置いていったのだろうが、今もそれが鈴の手元にある事は、婆さまのわかりにくい愛情その二である。

「じゃあ、そのお相手の名前は?」

「隣の里の颯太よ。星石は黒曜石、生まれは長月、二十一の日」

「また年上か」

「年下なんて子供じゃない」

「はいはい。ううん、そうだなぁ」

 玻璃を光に集めながら覗き込んで、鈴は唸る。

 冬の水瓶に張られる氷よりも薄い水晶を通して、鈴は様々なものを読み取れた。要は簡単な占いだ。本格的なものは、もっと色々な手順と用意が必要になるのだが、簡単なものならこれだけで充分だった。

「相性は悪くはないんだけど、彼、多分気が多い人よ。独占欲は強い癖に飽き性。釣った魚に餌をやらない奴ね、泣かされた女の子は多いみたい」

「本当?」

「嘘ついたって仕方ないじゃない。気になるならうちの里の真砂に話を聞いてみたらいいわ、彼女、ちょっと彼と親しかったみたいだし。ま、当たるも八卦当たらないも八卦、ってね。はい、おしまい」

 首飾りを襟元に仕舞いながら、鈴は肩をすくめて見せる。小鞠は暫く考えるように空を仰いでいたが、すぐに「確かめてくる!」と駆け出して行った。

 普段はおっとりしているのに、恋に関しては思い立ったら即行動、時は金なりを体現するような娘だ。その後ろで玉藻が鈴に「姉さんがいつもごめんね」と代わりに謝って、やっぱり呆れたような顔をしてついて行く。本当にどっちが姉だか分からない。

 恋だの愛だの、今年で十六になったというのに、未だに初恋もまだな鈴には彼女の星を回すそれがどんなものなのかわからなかった。小さな体のどこにそんな溢れんばかりの情熱があるのかと、いつも不思議に思うのだ。

「さて、洗濯の続きしちゃわないと」

 洗濯を再開して洗い終わった衣を絞って籠に戻し、持ち上げた所で再び鈴を呼ぶ声を聞いた。見ればさっきと同じように、こちらへ駆けてくるひとつ歳上の幼馴染みの姿がある。もう戻って来たのか。

「どうしたの」と訊ねる前に小鞠は鈴の肩を掴んで、堰を切ったように喋り出す。

「鈴ったら、松葉(まつば)さんが帰ってくるならどうして教えてくれなかったの!」

「え? 松兄さん帰ってくるの?」

 きょとんとして聞き返した鈴に、小鞠は「聞いてないの?」っと血色ばんだ顔で仰け反った。

 松葉とは婆さまの下の息子でつまり鈴にとっては義理の兄だ。

 婆さまには二人の息子がおり、鈴が引き取られた時には既に上の兄は仕事で里の外に出ていたが、下の兄である松葉は鈴が六つになった時、つまり彼が十五で士官の為に里を出るまでは家で面倒を見てくれていた。

 兄二人は突然降って湧いた妹を邪険にするどころかいたく可愛がってくれ、暇をみては手紙を送ってくれた。鈴にとっては大好きな兄たちだ。

「さっきうちにご挨拶に来られて、何かすごい慌しくてね。何か、鈴を迎えに来たとか何とか」

「迎えにって何?」

「そのまんまの意味だよ」

 顔をあげると、見事な栗毛の馬の手網を引いた松葉がもうすぐそばにいた。ぱっと小鞠が鈴の後ろから「こんにちは、松葉さん」と里長の娘らしく、丁寧にお辞儀をする。初めは首を傾げた松葉だったが、すぐに「ああ」と破顔して見せた。

「里長のとこの小鞠か!ちょっと見ないうちに別嬪になったな、見違えたよ」

「いえ、そんなこと……」

 もじもじと鈴の袖を指でつまむ。

 何を隠そう松葉は恋多き少女である小鞠の初恋の君なのだ。というより松葉が里を出たから、彼の存在を埋める為に恋多き女となったというのが正しい。その初恋の君を前にして、隣の里の颯太はすっかり山の向こうに行ってしまったようだった。

「もう、手紙も寄越さず急に何?びっくりするじゃない」

 背中でまごついている小鞠を放って、鈴は松葉を見た。馬を撫でるように愛妹の頭をがしがしとかき回すものだから、鈴は今、身長がいくらか縮んだのではないかと兄を睨んだ。小鞠が少し羨ましそうな顔をしていたが、鈴は見えなかったふりをする。文句を言いつつも、鈴は松葉に頭を撫でられるのが嫌いじゃない。

「手紙は出したんだよ、俺の方が速かっただけで」

「意味なさすぎる……それで? 迎えにってどういうことよ」

「そのまんまだって言ってるだろ。お前は、俺と一緒に宮へ来て欲しいんだ」

「お宮へ、って何をしに? まさかわたしに、お宮勤めをしろっていうんじゃないわよね」

 宮とはここから東にある、帝の御座(おわ)す帝国の事で松葉は宮に仕える武官だった。十五の時、九国で士官し、そこで偉い人に誘われたらしい。

 良家の子女は一度宮勤めを経験し、礼儀作法を学ぶものだ。しかし里長の娘である小鞠ならともかく、そんな所へ鈴が行って一体何になるというのだ。礼儀や作法じゃ畑の野菜は育たないし、そんな物を学んだって着物を一瞬で乾かせるわけでもない。宝の持ち腐れにも程がある。

 しかし松葉の告げたそれは鈴の予想を一回りも二回りも斜め上に突き抜けたものだった。


「いや東宮様の妃に、お前が選ばれた。入内だよ」

「……は?」


 は?


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