緋色 1
静かな夜だった。だからと言って特別な静けさではなく、普段と変わらぬ静かな夜だった。
数分前に突然目を覚ました私は、ベットに横たわったまましばらく天井を見つめていた。
瞬きを数回繰り返し、ゆっくり息を吐き出す。
時計の乾いた音が耳に届き、こちらに戻ってきたことを確認する。
今夜もまた私の意識はどこか別の場所へと飛んでいた。ここではない別の世界。
私が望んでいるのか、何かに呼ばれているのか、そのどちらでもなくて強制的に連れて行かれるのか。
答えを知りたくて足跡を辿ろうと瞳を閉じても、漆黒の闇が広がるばかり。
何も思い出せない。
やはりただ途方もない夢を見ているだけなのかもしれない。
諦めて自分に言い聞かせる。
それでもいつも眠りから覚めた後に、今自分がどちら側にいるのか、すぐには確信が持てないほど、何かを求めて止まないリアルな感情の高ぶりに期待せずにはいられない。
まだ向こう側にいたい未練なのか、こちら側に戻れたことへの安堵なのか、瞳を開けると同時に一粒の涙が目尻から伝い落ちていく。
手離したくない想いが無慈悲にも何処かへ流されていくような、
嗚咽するほどの悲しみに満ちた涙の日もあれば、
手を離すことの許されない大切な何かを抱きしめながら、
永遠の慈愛に包まれた温かい涙であったりと、
感情のベクトルが別方向を指し示していても、
同じ匂い、同じ温もりがそこにはあった。
目頭を押さえて、枕元にある携帯を掴み時刻を表示させる。
午前一時。
眠りについてからまだ2時間しか経っていない。
こんな時間に通りを歩く人などいるはずもなく、時折車の走り去る音と隣で寝ている5歳の娘の寝息が現実であることへの最終確認をしてくれた。
豆電球の薄暗い明かりの下で部屋を見渡すと見慣れた景色がまた別の顔を覗かせてくれる。
セミダブルのベッドの脇には、3段の小さなチェストがあり、引き出しにはたくさんのシールが貼り付けてある。
昼間は一枚一枚のキャラクターにしか目がいかないが、不規則に並んだシールは、娘の成長と共に、その位置が少しずつ高くなっていることを気付かせてくれる。
口元を緩ませながらチェストの上に視線を移動させると、写真立てやら小物類が所狭しと置かれており、横の壁には娘が保育園で描いた家族の絵が飾られていた。
髪が肩ぐらいまでで少し大きく描かれている顔の横にはママと記され、ツインテールにティアラの飾りを付けている小さな女の子の下には、わたしと、しの文字が鏡文字のように反対に書かれていた。
口紅で大人と子どもを区別する発想は、自分が小さかった頃と何ら変わりなく懐かしさが込み上げてくる。
娘が描いた家族の顔も、私の口だけ赤く塗られており、娘の口は黒の線だけで描かれている。薄明かりの中、白い紙に赤い口紅だけやけにはっきりと浮かび上がり、笑った母親と無表情な娘の姿がそこにはあった。
2人の親子
父親の姿はそこにはない。
私は起き上がり、娘の布団を掛け直すと薄手のカーディガンを羽織り、裸足のまま窓際に向かった。
4月とはいえ、夜はまだ肌寒く、フローリングの冷たさにビックリする。
爪先立ちになり身体を縮こませながらカーテンを少し開けて窓の外を見た。
マンションの5階からは、近くに高い建物がない為、パノラマの景色が広がっている。
戸建て住宅と2階建アパートに駐車場。
そして通りの向こう60メートルほど先に、煌々と明かりのついたコンピニエンスストアがそこにおさまっていた。
田舎とはいえ、人口30万人程の町には、夜中にコンピニに行く人も少なくはなく、ほんのわずかな間にも車の出入りを2度確認することが出来た。
この部屋を選んだ理由の1つに、あのコンビニの明かりが窓から見えて安心だったこともあげられる。
子供を1人で産んで育てる強さはあっても、夜の暗闇を平気で過ごす図太さまでは持ち合わせていなかったのだ。
子供を産む前まで、部屋を真っ暗闇にしないと落ち着いて眠りにつけなかった習性が、出産後は子供の様子をすぐに窺う目的もあり、1番の恐怖が暗闇になったのだ。
ふいに豆電球一つ替えるのも苦労をしていたことが思い出され苦笑する。
子どもを産むために親元から離れて一人暮らしを始めた私は、世間知らずな自分の姿を改めて思い知らされた。
電球もその一つで、いつも身近にある物なのに、改めて自分一人で購入するとなると、種類やサイズ、表記の微妙な違いに迷うなど、様々な壁にぶつかり、何度も買い直しをしたものだった。
思っていたよりも部屋が暗くなって落ち込み、逆に明るすぎて眩しさに目が眩み、更にはワット数の間違いで取付けた途端電球が弾け飛んだりと、電球に関する思い出がつらつらと浮かんでは消えていく。
そんな中、豆電球のキーワードから小学校6年の懐かしい記憶に辿り着く。
初めての宿泊学習。
場所も時期も楽しかったはずのレクリエーションも何一つ覚えていない課外授業。
ただ唯一忘れられない記憶は、譲ることがまだ苦手な思春期の女の子たちの絶対に負けられない戦いだった。