マイ ディアレスト
僕にはまだ君に伝えていないことがたくさんあるんだ。
つつじが池のほとりを3周すると、胡桃妖精が万能薬になる、つゆゆ草の種をくれるんだよ。
昨年の夏、一緒につゆゆ草を育てただろ。貴重な種はなかなか手に入らなくて、僕たちも苦労して手に入れたな。
だったら、なぜ最初につつじが池を3周して、胡桃妖精から種を貰わなかったのか、そうすれば簡単に手に入れられたのにと、君は疑問に思うだろう。
彼らは時にお節介が過ぎてね、良い性分ではあるけど、あの時はまだ君に僕の気持ちを知られたくなかったんだ。
たしかに池のほとりを2人で何気ない会話を楽しみながら優雅に散歩するのも魅力的ではあったけど。
さて、君の頭の中は疑問だらけだ。つつじが池を3周することが胡桃妖精にとってどんなメリットになるのか、なぜ彼らは簡単につゆゆ草の種を手にできるのか。
この話はまた次の機会にしてもいいかな。すぐに教えてしまうとつまらないだろ?
誤解しないでほしいな。焦らして、君を困らせたい訳ではないよ。
僕はただつぎの約束がしたかっだけなんだ。明日も明後日も、それから1年後も10年後も。でも僕のささやかな願いなど知るはずもなく、君は丸い頬を膨らませて、拗ねるように小さく呟く。
ホント、いじわる。
今日もいつものように言ってくれないか。それから2人笑い合って、手を繋いで、来た道を元に戻って…
僕はここまでの思考をストップさせ、深く長いため息を吐いた。
君をこの世界に引き留める理由にするには、あまりにもたわいもない事ばかり頭に浮かんで自分でも呆れる。
最後に僕が本音を伝えたら、君は考えを改めてくれるだろうか。
この手を離したくない、再び僕の存在を君の記憶から消さないでほしいと。
あちら側の世界に戻ってしまったら、君は僕のこともこちら側の世界のことも、夢にさえ見ないほど完全に忘れてしまう。
それがこの世界の理りだから。
万に一つ断片的に覚えていることがあったとしても、それらをつなぎ合わせて僕に辿り着くことは不可能だ。
こぼれそうになる想いをなんとかねじ伏せて、君を真っ直ぐに見つめる。
泣きはらした瞳からは、今も止めどなく涙が溢れ、嗚咽をこらえようとキツく唇を引きむすぶ姿に胸が締め付けられる。
不謹慎だとは思いつつも泣いている顔も可愛いと、愛おしさも溢れてくる。
僕は堪らず濡れた頬に手を伸ばして涙を拭うと、君は手のひらの温もりを確認するように、頬をすり寄せ瞳を閉じた。
「緋色。」
掠れた声で名前を呼ぶと君はゆっくり目を開けて、僕たちが魂と魂を重ね合わせた時のように視線を絡めると弱々しい笑顔を僕に向ける。
たったそれだけで無様な胸の内はどこかへ追いやられ、代わりに何ものにも代えがたい満たされた思いで安らいでいく。
そして新たな決意が生まれ、僕は強くなる。
2人が離れる運命を覆すことは出来ない。
全て僕のせいだ。
再び君を強く抱きしめる。僕のことも思い出も何もかも忘れてしまっても、この温もりだけは覚えていてくれるようにと祈りながら。
だがその運命を易々と受け入れるつもりもないと誓いもたてる。
もう引留めはしない。
笑って君を送り出そう。
潔く諦めた訳ではないのだから。
僕は何度も運命に抗ってみせる。
何度も立ち向かってやる。
必ず君を取り戻すまで。
そう何度だって。