ヒロインの狂気
魔の「3時間ごと授乳」の期間が終わりました。
本当に大変でした。
乳母に任せれば少しは楽だったのでしょうが、やはり自分の子は自分で育てたいですからね。
一日中睡眠不足みたいな状態でしたが、それも乗り切りました。
今ではエドワードもよく眠り、授乳の間隔もだいぶ空いています。
ノア様は早く次の子が欲しいというのですが、少し待ってほしいです。
何しろ、お腹のお肉や伸びた皮など見せられませんからね。
でも、そこはそれ。
王族御用達のエステティシャンの方が、うまく元通りに近づけてくれています。
マリアンヌ様に言われて腹筋も頑張っています。
ノア様は公務の合間をぬっては子供部屋に来て、エドワードと遊び、また公務に戻るという毎日を送っています。
とてもとても子煩悩で、少しヤキモチを妬いてしまうくらいです。
こんなに幸せでいいのでしょうか。
少し怖いくらいです。
こんなことを思っていたから、フラグが立ってしまったのかもしれません。
いつも通り、子供を寝かしつけて部屋へ戻ろうとした時、急激な魔法の発動を感じました。
しかも、覚えのある魔力です。
「リリアン様………なぜ」
性格の矯正は終わったのでしょうか。
別人のように表情を無くしたシスター姿のリリアン様と、その隣にいるのはイザーク様?
まさか、ロード様ルートからイザーク様ルートへの変更?
だとしたら……
「ごきげんよう、ジュリア様。
私がヒロインなのに、その役を奪ったジュリア様には罰を与えないと」
うわ言のようにおっしゃいます。
私はこれまでにない恐怖を感じました。
確かに、私の防御結界は「罪を犯す決意」をした時点で強制的に国外へ弾き飛ばされるようになっています。
国外から国内へ入ろうとする場合も同じで、罪を犯そうと考えている者は入れません。
でも。
自分のすることを「罪」だと考えていなければ……「罪の意識」がなければ、私の防御結界は無効化されるのです。
今のリリアン様はまさに、「罪の意識」のない状態。
おそらく、イザーク様も。
「リリアン嬢からすべてを奪ったジュリア王太子妃には、罰を」
ゲームどおりに事が進むことはないと分かっていたのに、私はいつの間にかロード様のバッドエンドに入ったのなら大丈夫、と信じ込んでいました。
私を守るように取り囲んだ侍女たちごと、防御魔法で包み込みます。
それでも、狂気に堕ちた二人から無事に逃れられるとは思えません。
抜剣したイザーク様と、魔法を練り上げるリリアン様。
私一人では、無理です。
最上級の防御魔法を使っているので、あまり長くはもちません。
「『デッドライト』」
静かな声とともに、攻撃魔法が放たれました。
ガシャーンと何かが割れるような音とともに、私の防御魔法が砕け散ります。
「ジュリア!」
ノア様の声がします。
先ほど一人だけ逃した侍女から話を聞いたのでしょう。
「ノア様」
リリアン様が、それはそれは嬉しそうに、ノア様の元へ歩み寄ります。
「私、理想の令嬢になりました。もうノア様にご迷惑をかけることもございませんし、今の私ならノア様にお似合いですわ」
性格の矯正は、おそらく失敗していたのでしょう。
それに気づかずロード様の元へ戻した。
ロード様にも無視されるリリアン様に同情し、話を聞くうちに己も狂気に堕ちたイザーク様。
「リリアン嬢。あなたは、私だけのもののはず」
ノア様に歩み寄るリリアン様を、イザーク様は一太刀で切り捨てました。
「これで、あなたは一生私だけのもの」
イザーク様が恍惚とした顔で、倒れたリリアン様を見下ろします。
そして、ノア様と私に向き直りました。
「リリアン様を不幸に落としたジュリア王太子妃と、リリアン様を誘惑したノア殿下には、罰を」
もう、防御結界を張るだけの魔力は残っていません。
ノア様が私たちを防御魔法で囲うと、自らは抜剣して、イザーク様に向かい合いました。
ヒュンっと風を切る音がして、イザーク様の剣が振り下ろされました。
それを受け止めるノア様。
「いけません、ノア様!イザーク様は二刀流なのです!」
私の声とともにイザーク様がもう一方の剣を抜き、ノア様に切りかかります。
ボトトっとノア様から血が流れ落ちました。
どうやら腕で剣を防いだようです。
「『血よ。この者を永遠の牢獄に』!」
ノア様の詠唱とともに、真っ黒い四角い箱の中にイザーク様が両手両足を拘束され、閉じ込められます。
自らの血を捧げることで発動させる、神級魔法、『永遠の牢獄』。
箱が閉じると同時に、私達を庇っていた防御魔法が消え去りました。
「ノア様!誰か、誰かマリアンヌ様をお呼びして!」
ノア様の腕はザックリと斬られています。
この国の医療では、到底追いつかないでしょう。
でも、マリアンヌ様は元外科医。
今は、マリアンヌ様に賭けるしかありません。
ちょうどエリクに会いに来ていたマリアンヌ様がすぐに駆けつけてくれました。
「神経と腱、動脈まで切れているわね。エリーヌ、私のカバンから例のものを!」
侍女に命じて、マリアンヌ様は私をじっと見つめました。
「傷の外側は縫えます。麻酔と抗生物質の代わりもありますし、必要なら輸血も可能です。
でも、神経と腱と動脈は、この世界の道具では繋げません。あなたが、治癒魔法で治すのよ」
「私の治癒魔法で?」
エリーヌと呼ばれた侍女が、医療セットと共にレモーネの実を持ってきました。
「さあ、食べて。そして傷口をよく見ながら、血管と筋と神経が繋がっていく様子を克明に思い浮かべるの。これは、治癒魔法の得意なあなたにしかできないことよ」
私はレモーネの実で魔力を回復すると、マリアンヌ様に言われた通り、一つ一つ繋げていくイメージを思い浮かべながら、ノア様の傷口に手を翳しました。
出血の量が、一気に減ります。
「OK、後は傷口の縫合だけね」
脱脂綿に染み込ませた緑色の液体を傷口に塗って、しばらく待ちます。
「ノア殿下。感覚は薄れてきましたか?痺れるような感覚はありますか?」
「ああ。傷口一帯がしびれている感じだ」
「効いてきたみたいですね。では縫合をします」
マリアンヌ様は魔法で自分の手と針と糸を清めると、慣れた手つきで縫い始めました。
全部で、20針。
「ベッドへ運んでください」
駆けつけた騎士に命じて、ノア様をベッドへ寝かせます。
帽子掛けを枕元に持ってくると、そこに液体の入った袋をひっかけて、チューブと針と繋げてノア様の腕に注入し始めました。
「抗生物質よ。
ノア様、今は感染症予防の薬を直接血管から入れています。液体がすべてなくなるまで寝ていください」
マリアンヌ様。
見事なお手並みでした。
さすがプロです。
ノア様が眠りについた頃、王妃様と陛下も駆けつけました。
「ありがとう、マリアンヌ嬢」
「ノアを助けてくれてありがとう、マリアンヌちゃん」
「内部を治癒したのはジュリア様です。ジュリア様がいなければ、ノア様の腕は動かなくなっていたかもしれません」
「ありがとう、ジュリア。
それにしても、またしてもこの娘か。
それに、今回はミモザの騎士も連れてきたのか。開戦は、免れんかもしれんな」
その言葉に、呆然としていた頭が働き始めます。
「この者たち二人は、狂気に堕ちていました。
リリアン様の命も既になく、騎士も永遠の牢獄に閉じ込められています。
開戦だけは、避けられないでしょうか」
私の言葉に、王妃様も助力してくれます。
「戦争になれば、苦労するのは民達です。
民が丹精込めて育ててきた土地が、踏み躙られ、血に塗れるのです。そして、兵として一家の大黒柱を奪うことになるのです。
民あっての国。民に苦労をかけてはなりません。
ミモザ国王と至急会談し、落とし所を決めましょう」
「確かに、君の言うとおりだ。民に苦難を押し付けるべきではない。だが今回のことは許しがたい。ポアロ、至急ミモザ国王へ書面を」
「それならば、ジュリア様の魔法の方が早く着くでしょう。私は信書をしたためますので、ジュリア様は出来次第紙鷹で飛ばしてください」
「分かりました」
リリアン様の遺体は、証拠として保存されますが、このままにしておくわけにもいきませんので、とりあえず地下へ運ばれたようです。
イザーク様の閉じ込められた永遠の牢獄は、術者のノア様でなくては移動させることが出来ませんので、とりあえずそのままです。
私と王妃様、マリアンヌ様は三人で抱き合いました。
おそらく、考えていることは皆同じでしょう。
自分たちの前世と同じ日本人の死。
私たちは確かに現実としてこの世界を生きていましたが、「セブプリ」の平和な世界が永遠に続くと信じて疑わなかったのです。
ヒロインがここまでしたのも予想外でしたが、国と国の関係がある以上、戦争もまた身近にあるのです。
そして、戦となれば陛下やノア様も戦場に出るのです。
なんとしても、この平和な世界を守らなければ。
「ジュリアちゃん、あなたは板挟みになって辛いでしょうし、下手をしたら人質扱いになるかもしれません。でも、出来るだけ平和的解決を目指しましょう?」
「はい。お義母様」
ポアロの用意した信書を紙鷹で飛ばして、私は子供を乳母に任せると、ずっとノア様の側に付いていました。




