9月12日の朝に
あの日、朝起きてリビングに向かうと青ざめた顔の母がいた。
「おはよう~」
「おはよう~」
私と姉はそう言って寝室のすぐ横にあるリビングに足を踏み入れた。
私は小学3年生、姉は中学2年生の頃の朝だった。
お互い学校に行くこの朝が嫌いで嫌いでいつも眠そうに目をこすりながらのそのそと起き上がっていた。
まだぼやける視界の中で、母が青ざめた顔をしてこちらに駆け寄ってきた。
「大変なことになってる」
私と姉は母が何を言っているかわからなかったが、青ざめた母の後ろにあったテレビを見て私たちはその場でぽかんと口を開いた。
信じられない光景がそこには映し出されていた。
夢であってほしい。
そう私は思った。
目が覚めたところだというのに。
テレビに釘付けだった。
ただ、その場で突っ立って見ていることしかできなかった。
なんで、こんなことに?
その疑問が頭の中に浮かんで消えなかった。
だが、もし理由がわかったとしてもこうなることは誰も納得しないし、理解できない。
だから意味がわからなかった。
世界一のビルに飛行機が突っ込む意味がわからなかった。
「人、いるんだよね?」
思わず母に私はそう尋ねていた。
「いないよ」と返答されるわけがないのに。
誰かに言ってほしかった。
「誰もいないよ。飛行機にもビルにもどこにも誰も」
母は私の横で一緒にテレビを見つめて何も言わなかった。
姉と母の真ん中に立っていた私はただただテレビをじっと見つめて動かなかった。
学校に行った。
だが、私が思っていた以上に誰も今朝のニュースの話をしていなかった。
教室にいるクラスメイトも先生も。
「ねえ、今朝のニュース見た?」
そう私が友人に問いかけても、
「ああ、すごいよねあれ。ていうかさ今日の国語の宿題忘れちゃって」
なぜか違和感を感じた。
みんなまるで他人事のような。
自分とは違う世界だからとでも思っているような。
学校から帰って私は朝と違って、新聞に釘付けになった。
それはその日の夕刊だった。
新聞の一面に朝私がテレビで見た光景。
そして、なによりもあのビルの中から助けを求める人たちの写真。
信じられなかった。
何が信じられなかったのか自分でもわからない。
多すぎて。
飛行機の中にもたくさんの人々がいたこと。
ビルの中では仕事をしていた人たちがいたこと。
ビルが崩壊したこと。
ニューヨークの街が煙で真白になっていたこと。
助けを求めていた人たちが全員助からなかったこと。
何よりも同じ時代に生きる人々がこんな目にあったこと。
学校での違和感が、母に「人、いないよね?」と問いかけた理由が、わかった気がした。
平和だと思っていたのだ。
私の生きているこの時代は平和で一昔前のような酷い惨劇が起こるはずがないと思っていたのだ。
戦争も原爆も自分とは違う時代のこと。
自分の生きるこの世界は平和で自分たちはそんな恐ろしい目に合うはずがないと思っていた。
私は新聞から顔を上げた。
目の前のテレビではまたあの瞬間の映像が流れていた。
繰り返し何度も流れるあの映像。
これは今現在起こったこと。
60、70年前に起こったことじゃない。
目をそらしてはいけない気がした。
自分が生きる時代がどんなものなのか。
目をそらしてはいけない気がした。
罪のない人々の命がどれほど失われたのか。
目をそらしてはいけない気がした。
自分の世界はあの酷い戦争の延長線上にあることから。
あれからいくつもテロがあった。戦争があった。
いや、今も続いている。
同じ時代を生きる罪のない人々がたくさん死んでいる。
まだ幼い子供も、同年代の子も、母や父の年の人々も、まだまだ元気なお年寄りも。
テロだけじゃない。災害も。
地震なんて本当に何回あったのだろう。
津波の恐ろしさをまたテレビは映し出した。
あの日も、あの時と同じように私はテレビの前で立っているだけだった。
私は今も生きている。
自分が死にたいと少しでも思ったとき、私は自分がどれほど恵まれているのか思い出す。
あの日、ビルの中で人々が助けを求めた時私はぐっすり眠っていた。地球のほぼ裏側で。
そしていつもどおり学校へ登校したのだ。
私の世界はそうやって回っていることを、残酷にもそうやって回っていることを思い出すのだ。
だから今日も布団から起き上がる。
朝日を浴びることのできる自分がどれほど恵まれているのかそれを忘れてはいけない。
そしていつか私が死ぬとき、地球のほぼ裏側ではたくさんの人々が眠っているのだろう。
朝を向かえるために。私が生きることのできない朝を。
あの日の朝を私は忘れたくない。