電刃ヴォルター ~Volter the Revenger~
月灯りとて無い、漆黒の夜である。
響くのは少年の足音。
荒い吐息。
少年の体には些か大きすぎるアタッシュケースを抱え、彼は時折背後を振り返る。
「そのまま逃げるのです! 奴は我らが食い止めます!」
「貴方の頭脳と、そのケースは絶対に奴らに渡してはなりません!」
「来るぞ!!」
叫び声が上がる。
そこは人気のない裏路地。
街灯すらなく、僅かな灯りは道を挟むビルから漏れる光のみ。
突如、路地は煌々と照らし出される。
輝きは少年の背後から。
遅れて爆発音が上がり、路地の入口が炎上する。
「やれやれ、この程度ですかな。諸君が守るのは、世界の叡智。紅林綾人博士。そしてかのケースに収められたるは、世界を変えうる変革の可能性、トイ・ボックス。我ら“イド”が、見逃すはずがなかろうに」
罅割れたコンクリートの地面を、靴音が叩く。
「お、お前はイドの最高幹部!」
「“輝ける七人”がここに!?」
「いかにも。この件はそれ程の価値を持つのだよ。そして諸君はこれにて退場だ。“天を衝くクジョウ”の手に掛かる事を光栄に思いたまえ」
男は歌うように嘲る。
次いで、燃え上がる輝きが映し出すのは、影。
長身の男が、その足もとから槍のようなものを幾つも生み出し、少年を守ろうとしていた男達へと牙を剥く姿だ。
だが、男達も黙ってやられてはいない。
彼らのシルエットが膨れ上がる。
それは、紅林ロボット工学研究所が開発した、コート型パワードスーツが起動したことによるもの。
身につけた者に、軽自動車程度なら持ち上げる力を与える代物だ。
男たちはこれを纏い、一斉にクジョウへと襲いかかった。
しかし。
「素晴らしい技術だ。やはり紅林ロボット工学研究所の技術は、我らイドが手に入れねばならない」
男たちの攻撃をクジョウは優雅に躱し、反撃とばかりに槍を生み出して撃ち落とす。
そればかりか戦いに慣れていない男達を、四方から生み出す槍の如き生成物で追い詰め、打ち貫き、仕留めていくのだ。
「みっ、皆さんっ!!」
「がふっ! に、逃げて下さい博士! それは、イドに渡してはいけませっ」
「さよならだ」
再び長身の男が口を開くと、彼の背後から幾本もの槍が生まれた。
綾人に声を掛けていた男を、槍が貫く。
「っ……!」
綾人は唇を噛み締めた。
前だけを見て必死に走り出す。
僅かに間があって、彼の後を悠然たる靴音が追い始めた。
「紅林綾人博士。無駄な抵抗はお止めになるべきと進言しますよ。我ら秘密結社イドは人類の宝である貴方、紅林博士をお迎えする準備を整えております。この逃避行こそ無駄な抵抗に他ならない」
綾人は答えない。
ただひたすらに前だけを向き、灯りが乏しい道を駆けるばかり。
彼は思う。
今ここに、誰かが通りかかったらどうしよう。
その人を巻き込んでしまうのではないか。
つい先刻、自分を守るために命を散らした研究員達のように。
「だけど、これは絶対に渡しちゃいけないっ!」
ぎゅっと強く、アタッシュケースを抱きしめる綾人。
彼はまだ、小学四年生になったばかり。
幼い顔立ちは、柔らかな髪質と相まって少女のようにも見える。
そんな彼を追って、クジョウは悠然と歩みを進める。
いかに大人と子供の歩幅とは言え、走る子供との距離は開いていくばかりだ。
彼は駆け足になる様子もない。
その余裕は果たして、何が故なのか。
答えは明らかとなる。
綾人の目の前には、路地の出口が広がっている。
人が行き来し、街灯やネオンサインが地上の星空に似て眩く輝いている。
これが綾人には、希望の光に見えた。
だが、その輝きは束の間。
背後に迫るクジョウが、高らかに指を打ち鳴らす。
悲鳴が聞こえた。
ブレーキの音。追突音。
ガラスが割れ、行き交っていた人々が一方向へと駆け出す。
何かが起きたのだ。
「こ、これはっ!!」
綾人は思わず立ち止まっていた。
路地の出口まで、あと僅かという距離。
だが、その綾人の判断は正解だった。
次の瞬間、路地を塞ぐようにして巨大な装甲車が飛び出してきたからだ。
無骨なリベットと装甲板に覆われた車体が、路地を完全に塞ぐ。
その上には、覆面を被った軍服の男。
イドの戦闘員だ。
「ここは行き止まりですよ、紅林博士」
「!」
綾人の背後には、足音が近づいてくる。
恐らくは、目の前の装甲車よりもなお恐ろしい男。
イドの頂点に君臨する最高幹部、輝ける七人が一人、天を衝くクジョウ。
ただ一人で、国家の一軍とも渡り合うと言われる“強化人間”だ。
「やっと追いつきましたな、紅林博士。走り慣れていらっしゃらないようで。ほら、息が上がっている」
にこやかに告げながら、彼は装甲車の影から漏れる光の元へ姿を現した。
灰色のスーツを纏った、総髪の男である。
目は針のように細く、整ってはいるが酷薄な印象を与える顔立ち。
口元には貼り付いたような笑みを浮かべていた。
「あ、あなたは、どうして、こんなことをっ! みんな、関係、ないでしょうっ!」
息を切らしながら、だが、綾人は気丈に言葉を紡ぐ。
クジョウはただでさえ細い目を一層細め、唇の端を吊り上げた。
「関係ないなどということはありませんな。我らイドは、やがて世界を支配することになる。その過程に於いて、この世界にある人間は皆、イドと関係することになるのですよ。無関係を気取って遠巻きに眺めていられる観客席など、世界には存在しない。全ては自分ごと。それを、この私が彼らに教育してやったまでのことですな」
「傲慢だっ」
「ククククク……。未だ人でしか無い身の紅林博士には分かりますまい。我ら強化人間とは、言わば選ばれた人類。新たなステージへと世界を運ぶ、新人類なのです。人と機械の融合体である強化人間こそが、旧人類の上に立ち、導く義務を負うのですよ! 我らの生みの親にして、あなたの父、紅林建造博士ならばお分かりいただける事と思います」
「……違う! 父さんは、そんな事っ……!」
衝撃を受け、焦る綾人。
どれだけ気丈に振る舞おうと、彼はまだ子供なのだ。
父を代弁するクジョウの言葉を、否定するだけの強さを持っていない。
「さあ、紅林博士。お父上が待っていますよ。貴方はそのトイ・ボックスを生み出すほどの才能を持った、人類の宝だ。我らイドが保護しようと言うのです。さあ……」
「う、うう……」
綾人は呻いた。
出口には装甲車。
後方にはクジョウ。
コート型パワードスーツでも歯が立たない、恐るべき強化人間だ。
正に、絶体絶命。
綾人の命運は尽きたかに思われた。
その時である。
「壁際に寄れ」
声が聞こえた。
「あぁん? なんだ、お前は」
イドの戦闘員が訝しげな声を漏らす。
「どうした?」
「はっ、クジョウ様。怪しげな革ジャンの男が……」
戦闘員が告げることが出来た言葉は、そこまでだった。
綾人は咄嗟に、壁際に身を寄せる。
その一呼吸ほど後に、事は起こった。
「ヴォルター・スラッシュ!!」
叫び声が響き渡る。
突如、月無き闇夜に稲妻が生まれた。
地より生えて天を穿つ、黄金の輝きである。
雷霆は凄まじき勢いで装甲車に向かって振り下ろされる……!
「ぎゃわあああっ!! イドばんざーいっ!!」
断末魔を上げながら、戦闘員は稲妻の一撃を受けて蒸発した。
装甲車もまた、飴細工を熱した刃で切り裂くが如く、容易に巨体を両断される。
稲妻が目指す先には、クジョウ。
「何だと!?」
彼は腕を振り上げると、稲妻を真っ向から受け止めた。
その腕がみるみる変容していく。
先刻、綾人を守る研究員達を仕留めた槍と、同じ輝きを持った腕だ。
「強化人間……! 我らイドに与さぬはぐれ者がいたのか!」
「いかにも」
融かし、断たれ、未だ切り口を赤熱化させて火花を散らす装甲車。
その奥に男は立っていた。
黄色いマフラーを靡かせ、逆立つ髪の下で炎の如く燃える瞳。
「紅林綾人博士は、貴様らには渡さん。そして……」
男は振り下ろしていた手を、握り拳の形に構えた。
グローブが、紫電を放つ。
「イド、貴様らを滅ぼすのが、俺だ」
「ほう! 大きな口を叩く! だが、それが只人ならぬ強化人間となれば話は別だ」
クジョウは綾人を無視するように、進み出た。
既に状況は、紅林綾人博士を気を割いている猶予などない。
正体不明の強化人間。
しかも、イドへの強烈な敵意。
「槍装」
その言葉と共に、クジョウの姿が変わった。
鈍色の装甲を纏う、異形の鎧騎士。
これこそが、イドが誇る強化人間。
だが。
「変身したか。だが、俺もまた、貴様らと同じ呪われた運命を背負う者」
男は、拳を構えた。
彼の全身に電光が走り、手首に銀のブレスレットが。腰に銀のベルトが出現する。
「電装……ヴォルタ────!!」
ベルトが、ブレスレットが輝く。
それは何か。
地上に顕現した雷神の姿。
青いスーツに、金色のラインが走る。
「あれは……! 父さんが作った、第一世代強化人間……!!」
綾人が目を見開いた。
コンクリートが電熱で泡立ち、激しい稲光が周囲を照らし出す。
ヴォルター。
そう名乗った男の目が、輝いた。
「俺は復讐者。貴様らイドを断つ刃。電刃……ヴォルター!!」
かくして世界と言う舞台に、全ての闇を震撼させる、蒼き電刃が降り立つ。