ヨメになんて来なくていい!
「ふざけんなっ。土地を相続するには、ジジイご指名の女と結婚しろだと!」
オレは怒鳴った。しかし目の前の弁護士は動じやしない。このおっさん、耳栓してるんじゃないだろうな。
おっさんには、オレが三〇前の成人ではなくランドセル背負った鼻垂れ小僧に見えているのかも。赤ん坊の頃にオムツを替えて貰った相手だ、分が悪い。
「ふざけてはおりません。許嫁の霙様は、雪江様のひ孫様でございます。北風家に無関係な方ではありません」
あのジジイ、愛人か隠し子をオレに押し付ける気か!
「雪だか霰だか知らないが、誰がジジイの後始末なんぞするかっ」
途端、小柄なおっさんが大きく息を吸い込んでハトみたいに胸を膨らませた。まずい、アレが始まるっ。
「わ、わかった! 言わなくていいからっ」
こちとら、ジジイの苦労話は子守唄がわりに聞かされて耳タコだ。オレは慌てて止めに入ったが、遅かった。
ひゅおお……。
ときは昭和十八年、十一月。椙村家の書生でありながら帝大生の北風 光夫。彼に召集令状が届いたのは、その年初めての雪が降った日であった。
雪まじりの冷たい風が容赦なく、若い二人から体力を奪う。道とてない荒野は、すでに膝丈まで雪に埋もれていた。
椙村家の令嬢、雪江が喘いだ。
『光夫さん! わたし、もう……っ』
『頑張って、雪江さん! もう少しだからっ』
二人は手に手を取り合い、かけおちの最中である。もう、雪江は一歩も動けない。目の前は白一色。彼女を励ましながらも、光夫もどこに向かっていいかすらわからない。絶望の果てに、身を踊らせる谷も湖もない。二人はお互いの胸を刺し貫く刀とて持っておらなかった。
光夫と雪江は身分違いながら、ほのかな想いをいだいていた。
話すことはかなわず、眼を見交わすだけの恋。赤紙が届いただけであれば、光夫は雪江の住む祖国を守るために、笑みを浮かべて出征することが出来たであろう。
しかし雪江には高利金貸し、春野 権蔵との縁談が持ち上がっていた。春野は五度目の結婚で、雪江より年上の子供もいる。雪江の美しさに惹かれた春野は、婚家に金銭援助を申し出た。椙村家の足元を見た、政略結婚である。
雪江の祝言は明日。婚儀の支度に華やいでいるなか、思い余った雪江は光夫に想いを告げた。
光夫も想いを返し、恋しい女性の手を初めて握った。激情のまま、二人はこの地へとたどり着いたのだ。
風に乗って、追手の叫び声や猟犬の吠え声が聞こえてきた。光夫は覚悟を決めた。
『雪江さん。かならずお迎えに参りますっ! だから、生きぬいてくださいっ』
男の必死の願いに、雪江もキラキラした眼で頷いた。
『今生で叶わないなら、来世で貴方と添い遂げたい』
光夫も、女の瞳に決意を見た。お互いに手に手をとりあい、追手が二人を引き裂くのに任せたのだった。
ひゅおお……。
「終戦後。光夫様はシベリア勾留を必死に生きぬかれて、復員されたのです」
あああ。
オレは正座して拝聴させられていた。キチンと聞かないと、余計に長くなるのは経験済みである。
財閥解体、農地改革。ジジイの見た日本は戦後の復興目覚ましく、そして旧体制の終わりを告げているかのように見えた。
「椙村邸は焼夷弾で吹き飛び、跡形もなくなっていたとか。光夫様はしばらく茫然とされたあと、恋しい女性を探しに走り回ったそうでございます。ようやく見つけ出した雪江様は、子供をあやされていた……っ」
雪江が家に連れ戻されてみると、屋敷は上へ下への大騒ぎ。なんと花婿の権蔵が妾宅で亡くなったという。破談にはならず、雪江は権蔵の長男に嫁がされた。結婚後まもなく、夫は商売敵によって投獄されてしまう。釈放されたときには、一家は財産を失っていたのだった。
『わたしは旦那様についてまいります』
雪江は澄んだ目で光夫に告げた。愛してはおらぬが、落ちぶれた実家まで面倒を見てくれている夫。助けて貰いながら、どうして見捨てることが出来ようか。
恋しい女の、行く道を決めた眼差し。強引に奪っても、かの女は己のものになりはしない。光夫は、雪江の決意を知ると彼女の手を握りしめた。
『お別れです、雪江さん。今生で、お会いすることはありませんでしょう』
手を離すと光夫は、くるりと背を向けた。女がその背中に呼びかけてきた。
『お元気で。……もし、かなうことならば』
光夫はもう一度駆け寄ると、雪江にささやいた。
「ジジイ、言ってることとやってることが違うし。訊くほどにその女、不幸体質なんじゃないの」
オレがぼそっと呟けば、おっさんにぽこんと殴られた。
「光夫様は力強く頷かれました。『身分の差のなくなった未来で、二人の子を結婚させましょう。そのときこそ、わたし達は一つになるのです』と。涙ながらに雪江様に約束されたのでございます」
「そこの部分は初耳」
オレが呟けば、おっさんが胸を張った。
「本日、初めて申し上げました」
ちゃら、と言われてオレはジト目でにらんだ。
「ヲイ」
「言えば、太陽様に逃げられると思っておりましたからな!」
えっへんと胸を張られた。その認識は正しい。がっ!
「ジジイの初恋相手のひ孫でも、オレには関係ない」
立ち上がりつつ宣言したら爆弾を落とされた。
「『太陽様が霙様と結婚されれば、お祝いに土地を贈与する。しないのなら売却する』との遺言にございます」
「……な、んだと」
戦後、ジジイは耕し手のいなくなった土地を買い集め、大規模農業を目指した。それを発展させたのが、オレが代表を務めるノースウインドファーム。複数の農家が経営する、合同会社である。北風家の土地の広さは、会社が持つ有効面積の実に三分の二にあたる。母数の大半を切り売りされては、経営が立ち行かなくなってしまう。
「本人達の意思確認もせずに婚約なんて、現代日本で法的に有効なのかっ?」
オレが反論すれば、言い切られてしまった。
「あの方のなさることに、モレはありません」
ラチがあかない。オレは立ち上がった。
「太陽様、どちらへ」
おっさんに聞かれたが、知るか。キッパリと宣言してやった。
「オレは結婚しない」
霙とかいう女が、どういうつもりか知らないが。見ず知らずの男と結婚するなんて女、カネ目当てに決まっている。誰がそんな女と結婚するか。
「おや。ブログに『ヨメ募集中! 誰か奥さんになってくれませんか』という文言は虚偽でございましたか」
おっさんがしかめっ面してみせたが、付き合ってられるか。作物の世話は待った無しだ。オレはフン、と上から見下ろした。
「人聞きの悪い。彼女たちはみんなオレとは相性が悪かった。たまたま、他の奴とくっついただけだろ」
農協への借金を返し、日本各地に販路を拡げた。結果、仲間達の中から年収一千万プレイヤーが続々と出た。サクセスモデルに人は群がる。過疎地化していた村に、農業をやりたいというIターン組が増えた。ウチの村に限っては年齢分布において、40以下がそれ以上の年代を上回ったのだ。
仲間達は鼻の穴を膨らませた。ヤツらに足りないのは夢でも金でもない、ヨメだ。彼女たちがもたらしてくれる、明るい家族計画なのだ。
Iターンの若いもんはヨメや子連れだ。まれに若いやつも独身でやってきたりするが、女一人では来ない。オレ達は頭を寄せ集めて考えた。どうすれば若い女に来て貰えるか。来てくれさえすれば、定着して貰えることには自信があった。
作戦名、『ヨメ来いほいほい』。
見目のいいやつとか、それなりのヤツらも写真写りを良くしてブログに載せ、未来のヨメ候補をおびき寄せる作戦に出た。
一番人気のオレは女に関心がないように振る舞い、失意の彼女達を男どもが慰めるという作戦である。所詮、オレのマスクと金しか見てなかった彼女達は、真面目なやつらに心を移していった。今まで、なんの問題もなかった。
軒並み、顔のいいヤツは売れてしまった。あとはオレしかいない。ヤツらを幸せにするまでは、オレは幸せにならない!
「ふん。財産目当ての女なんざ、願い下げだ」
男を外っつらでしか見れないような女。オレどころか青年部の誰のとこにも、ヨメになんて来なくていい!
「……まだ、まぼろしの君を忘れられないのですか」
おっさんがため息混じりに呟いたが、オレは無視した。うっせえよ。彼女じゃなきゃ、要らねぇんだよ。
「名前も住所もわからない。二度と会えないかもしれないのに操を立てられるとは。そんなところを光夫様に、似なくてもようございますのに」
ジジイは生涯、妻を娶らなかった。かわりに戦争孤児で行き倒れしかけていた爺様と婆様を可愛がった。親父もお袋と純愛。血が繋がってなくても北風家の男どもは代々、一人の女にぞっこんラブらしい。俺なんかまだ、たかが十年だっつの。
「その女をこの村にこさせるなよ」
言い捨てて、家を出た。トラクターのエンジンをかけながら考えた。
「とりあえず大学のときのダチに、ジジイの戯言が法的効力があるのか確認しよう。有効なら、金をかき集めるしかない」
銀行や郵便局は貸してくれないだろうな。となると、権利書を担保に仲間達から借りるしかないか。
「ジジイの野郎っ、地獄に行ってからも悪さしやがって!」
孫を困窮させるつもりはなかったと断言できる。本気で、オレとその女を結婚させる気だったのだろう。
「太陽様。手遅れでございますよ」
算段に夢中だったオレは、おっさんが後ろでニンマリと笑っていたのを知る由もない。
同じ頃。最寄り駅で列車から降りたった春野 霙が俺の家への行き先を訊ねていたのであった。