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グランシュヴァリエ地獄変

 



 それはよくあるおとぎ話。


 お姫様は魔王にさらわれ、騎士は旅に出る。

 そして幾多の出会いや数多の戦いを経て、ボロボロになりならも、ついに騎士は魔王のもとへとたどり着いた。

 壮絶な決戦は三日三晩続き、ようやく勝利を手にした騎士は、お姫様を救って国に戻った。


 誰もがその帰還に歓喜し、惜しみない称賛が送られ、『まさに救世主だ』とはやし立てた。

 その功績を讃え、偉大なる騎士(グランシュヴァリエ)の称号を得た騎士は、その後もお姫様を守り続けましたとさ。

 めでたし、めでたし。


 それは、よくある笑い話。


 人々の支持を集め、国内において絶大な影響力を持った騎士は、お姫様だけを守って生きていくわけにはいかなくなった。

 救国の英雄として、行動は制限され、家族や友人と気軽に会えず、醜い政争に巻き込まれていく。

 騎士は(まつりごと)には向いていない。

 それでも権力と武力を兼ね備えた騎士の影響は大きく、やがて王や貴族たちは彼女を鬱陶しく思うようになり、理不尽な恨みを買うようになった。

 しかし彼女は偉大なる騎士(グランシュヴァリエ)、いくら貴族といえど、危害を加えることは許されない。


 だから、矛先は騎士の周囲に向かった。


 度重なる嫌がらせにより、家族は職を奪われ、街を追われた。

 根拠のない噂を流され、あれほど仲の良かった友人たちとの距離は離れていった。

 かつての仲間はなぜか騎士に軽蔑の目を向けるようになり、姫にいたっては近づくことすら拒む始末。


 なにもしていないのに、大切なものが手のひらからこぼれていく。


 気づけば味方は誰もいなかった。

 理由のない孤独が、騎士の心を蝕んでいく。

 力などいらない、権力などもっといらない、なぜそんな下らないもののために、自分は失わねばならぬのか。

 部屋で一人、虚空を眺めて無為に過ごす日々。

 目を閉じれば、家族や友人、仲間、お姫様と過ごした幸せな光景が浮かんでくる。

 もう、二度と戻ってこない。

 胸が苦しくなって、唇を噛んでこらえても涙がこみ上げてくる。


 やがて悪い噂は国民にまで広がり、騎士は徐々に英雄から嫌われ者へと堕ちていった。

 ここまでいけばもう結末は見えている、平和な王国に大きな力は必要ない。

 彼女は濡れ衣を着せられ、処刑されるのだ。


 ほどなくして、城内にてお姫様が誰かに殺された。

 よりにもよって、騎士を陥れようとする何者かは、その犠牲者として彼女が誰よりも――嫌われてもなお敬愛していた姫を選んだのである。

 ベッドに横たわり、眠るように死んだ姫の胸を貫いていたのは、魔王を殺した騎士の剣であった。


 怒り狂う暇すらなく、騎士は王の命により捕えられ、投獄される。

 無論、申し開きの機会など与えられず、牢屋で無実を訴える彼女には、すぐさま処刑が言い渡された。


 そして数日後、断頭台の上に騎士の姿はあった。

 民に慕われ、誰もが憧れた偉大なる騎士(グランシュヴァリエ)の姿はそこにはない。

 今の彼女は、姫殺しの大罪人。

 家族も、友達も、仲間も、もちろん民だって――例外なく騎士を蔑み、罵倒した。


『誰もが平和に暮らせますように』


 騎士の願いは、たったそれだけ。

 姫を守ったことも、魔王を倒したことも、地位や名誉や金のためではない。

 誰よりも優しく、誰よりも暖かく、他人のために人生を捧げてきた。

 その末路が、これだ。


 もはや騎士の心は限界だった。

 歪み、ひび割れ、砕け散る。

 ギロチンの刃を待つ彼女は、死の間際、壊れたように笑い始めた。


「ふ……ふふ……はは、あはははははっ!」


 同時に、騎士になってからは流さないと決めていた涙が、頬を濡らす。


「私の戦いはなんだったのだ。今日まで王国のために捧げてきた日々は、一体なんのために……!」


 魔王の脅威を前に、人間たちは団結していた。

 ある意味それは、平和な日々だったのかもしれない。


「こんな腐りきった国、滅びてしまえばいい! 私欲のために姫様を殺すような人間が牛耳る国など、魔人にでも支配されたほうがずっといい!」


 魔人は人を喰らうが、しかし、人間もまた、人を喰らう。

 心を、名誉を、尊厳を、欲望のまま蹂躙して奪い去る。


「ははははっ! ははっ! くはは――」


 刃を支えるロープを、処刑人が斧で断ち切る。

 支えを失ったそれは重力に引き寄せられ勢いよく落下し――騎士の首を刎ね飛ばした。

 宙に舞った頭部は、死してもなお狂気的な笑みに満ちていたという。




 ◇ ◆ ◇




 ――それから100年が過ぎた。

 今この世界に敷かれている秩序は、以前とはまったく異なるものだ。

 まず支配者が『人』ではない。

 かつて魔王に従っていた浅黒い肌の『魔人』たち――彼らが覇権を握っていた。


 騎士の死後、貴族たちは権力争いをはじめ、その結果、王国では内紛が勃発したのである。

 皮肉にも、共通の敵である偉大なる騎士(グランシュヴァリエ)を失ったことにより、新たな争いが生まれたのだ。

 そして国力が弱った隙を突かれ、生き残った魔人がすべてを掌握した。


 ならば人はどうなったのかと言えば――魔人の主な食料は肉だ。

 動物の肉でもいいが、ほどよく魔力を含み、味も良い人肉が最高のご馳走だ。


 つまり、人は家畜となった。


 各地に人間牧場が作られ、無数の人間たちが放牧(・・)されている。

 生まれてすぐに親から離され、まともに教育も受けない彼らは、文字の読み書きどころか、会話すらできない。

 服を纏わず、自由に繁殖できぬようオスとメスで場所を分けられ、寝転がったり、追いかけっこをしたり、意味もなく叫んでみたり――そうやって日々を過ごしている。

 オスは、種人(・・)を除いて肉が固くなる前の十歳で出荷され、メスは主に繁殖用として使われるが、若いメス肉はオス肉よりも美味なため、高級食材として扱われることもあった。


 しかし、彼らは自らを不幸だと思うことはなかった。

 そんな知性も残っていなかったからだ。

 生まれ、餌を与えられ生き、肉として出荷される――ただそれだけの、幸福な人生。


 もはや魔人は、人を敵とは認識していない。

 無害で、なおかつ肉の美味しい、そこらでよく見る動物の一種である。

 だから、一匹ぐらい脱走しても、さほど危機感を抱きはしなかった。


「っ……逃げなければ、もっと……遠くに……!」


 長い金色の髪をなびかせ、一糸まとわぬ姿で駆ける少女。

 年齢は10歳ほどで、体はまだ未成熟だが、それを差し引いてもかなり細い。

 仕方のないことだ、彼女は牧場で生きていく間、ずっと『餌』を最低限しか口にしていなかったのだから。


「っく……は、はぁ……追手は……来ていない、か? そう、か……ふふ、はは……成功したんだな……」


 少女の右手には血に濡れたナイフが握られ、左手には盗んできた衣服の束が抱えられている。

 村から離れ、見つけた洞穴に身を隠すと、彼女はそれを身にまとった。


「サイズが大きいな……いや、なにも着ないよりはマシか」


 ぶかぶかの袖を見て、少女は苦笑する。

 しかし、裸をさらさずに済むだけでも、多少は人間性を取り戻せたような気がする。

 それほどに、今日までの人生は屈辱的なものであった。


 少女が自我を得た――いや、正確に言うと取り戻した(・・・・・)のは四歳のときだった。

 彼女は自身が、かつて偉大なる騎士(グランシュヴァリエ)と呼ばれた人間――ユーリ・クラオンであることを思い出したのである。

 そして、この世界が変わり果ててしまったことを理解した。


 その日から今日にいたるまで、彼女は『人としての尊厳』を取り戻すことだけを考えてきた。


 今日のために屈辱に耐え、牧場主に気づかれぬよう家畜のフリをしてきた。

 一方、裏では体を鍛え、剣の腕が鈍らぬよう訓練もしてきた。

 そして10歳になった今日、ついに脱出計画を実行したのである。


 彼女が牧場から脱出して真っ先に目指したのは、近くにあった村だった。

 そこで適当な民家に侵入し、ナイフをくすね、老夫婦を殺害した。

 罪悪感はない。

 奴らは魔人だ、死んで当然の人類の敵なのだ。

 だが、それは彼らにとっても同じこと。

 家畜が支配者を殺したとなれば、多くの魔人がユーリを駆除(・・)するために動き出すだろう。


 そもそも脱出したところで、この狂った世界でどう生きていくのか――ユーリはまだ方針すら決めていなかった。

 人類の復権? 馬鹿馬鹿しい、なぜそのような下らないことのためにユーリが働かなければならないのか。

 魔人との共存? それこそ無理な話だ、人を喰らうの化物とどうやってともに生きられるというのか。


「どうでもいい。とにかく、生きることに集中しなければ」


 自分のことだけで精一杯。

 いや、本来は処刑されたあの頃も、そうあるべきだったのだろう。

 他人のためではなく、自分のためだけに生きる。

 それが当たり前にできる今の状況は、ある意味でユーリにとっては幸せなのかもしれない。


 二人分の足音が近づいてくる。

 魔人は松明を手に、森を捜索しているようだ。

 彼らの強力な魔術を食らえば、今のユーリの体ではひとたまりもない。

 だが逃げるという選択肢は頭に浮かばなかった。

 彼女にとっては、人も、魔人も、等しく憎むべき敵なのだから。


「……殺そう、生きていくために」


 そう呟くと、ユーリは口元に薄ら笑いを浮かべながら、音もなく魔人に向かって駆け出した。



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