群青バベル ~異世界転生のバグは花と宝石、それから嘘~
『――彼らの言葉を乱してやろう。彼らが互いに、相手の言葉を理解できなくなるように』
――――「創世記」11章1-9節より
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“異世界転生”がシステム化されてからちょうど100年。
保存された質量の魂移行が可能となり来世の世界を選べるようになった。
正しくは来世ではないけれど、死んだ後は“魂の情報”を持って、自分の望んだ“異世界”に転生できるのだ。
異世界の仕組みは明かされていない。だけどこの世界のどこかに実在する、現世とは異なる別の世界だ。
生前の内に諸々の設定を済ませておけば後は心置きなく死ねる。
魂がまさに電子化された時代。
そんな時代におれは生まれて死んだ。
「――ここが、“バベル”…?」
そうして気が付くとおれは見知らぬ砂漠の真ん中に居た。
太陽の眩しさに顔を顰めて身を起こす。
体中砂だらけで不快に感じながらも体の感覚は未だどこか覚束ない。
乾いた風が掠める頬を容赦なく切りつけていく。痛みも熱さもどこかまだ鈍い。
ただ自分が死んだことだけは漠然と理解していた。
死ぬ直前のことは覚えていない。死んだ理由も原因も。
おそらくそう設定した。
『おはようございます。貴方は“ここ”で101人目の転生者です』
見計らったようなタイミングで電子音声が辺りに響いた。
すべての異世界に共通する案内人だ。
なんとなく聞き覚えのある気がするけれど、共通機械音声なんてそんなものだろう。
『諸々の審査の結果、貴方の第一希望に沿う“転生”となりました』
「…!」
この100年でメジャー化してきたとはいえ異世界転生にもいろいろ制約や条件がある。
今現在最も最優先されるのは“16歳までに命を落とした者”。
そして同時に、希望する異世界において自分が死ぬタイミングでおれの魂を継ぐ身体が空くことだ。
転生先の世界は選べても転生先の身体は選べない。
――異世界・バベル。
おれが第二の人生として選んだ場所。
「マジかぁ、来ちゃったかぁ…」
いまいち現実味を伴わない現状に間抜けな声を出しつつ感慨深げにあたりを見回す。
実現するまで半信半疑の仕組みだった。
転生は一度きり、失敗もある。
それでも皆その権利のある者はこぞって転生を希望した。
勿論、生前のおれもそのひとり。その経緯をまだ完全には思い出せないけれど。
『最後に、これから新しい人生を歩む貴方に助言を』
「助言? そんなオプションあったっけ?」
『転生に成功したすべての方に差し上げています」
「そうなんだ、ならもらっておこうかな」
『“花と宝石、嘘には詩を”。それでは良い転生になりますよう』
音声案内人の声はそれきり。
今度こそ砂漠の真ん中にひとりきりになった。
花と宝石。それはこの世界では確か特別な意味を持つ。
だけどいまいち覚醒しきらない頭を捻るも求める情報は引き出せない。
ふるりと頭を振れば記憶の代わりに砂が舞った。
「…まぁいいや、とりあえず水、もしくは街…」
視界を埋めるのはどこまでも続く砂の地平線。目を凝らせば地平線の向こうに影が見える。どうやら方向知覚機能がついているらしく方角は正しく認識できた。
東にオアシス西に塔。
さてどちらから行こうか。
「っと、その前に」
まずはステータスを立ち上げて自分の情報を確認しなければ。
ほぼ無意識に呼び出せば、想像以上にすんなりと眼前にステータスブラウザが現れた。
これからこの世界で生きていく上で最も重要な瞬間だ。
できるなら転生特典でチート能力でも賜っていたいところ。
新しい人生の所有能力はいかに。
「…『異能力バベル:嘘吐』…?」
この世界の住人ならば必ず持っているのが世界の名を冠する能力――バベル。
その能力は主に口から吐き出される。分かり易く言えば、言霊だ。
言葉の力がこの世界の絶対。思考が現実へと干渉する能力をそう総称んだ。
しかし稀に、別のものを吐き出す特異者が居る。
そうだ、それが――
「花と宝石だ」
――そして、嘘。
「……まじか」
記憶が確かなら、それは史上最悪で最低で最凶の能力。
言葉に魂が宿るこの世界で、嘘の言葉は無力に等しい。
言葉を発する自分自身が、嘘を嘘だと知る限り。
「まじかぁーーー!」
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――――
わたし達はふたり共、生まれてくる場所を間違えた。
選べるものなんて何もなかった。
「――あれの、引き渡しは?」
「二日後の予定です」
「傷はつけてないだろうな」
「まぁ、気をつけてはいるんですけど…なんせいちいち暴れるもんで…」
「大事な商品だ、目立つ位置に手は出すなよ。せっかく見目も良く出来てんだ」
「分かってますって」
薄く開いた扉の隙間から聞こえてくる会話にゆるりと顔を上げる。
扉についた小さな窓からは鈍色に光る双眸がこちらを値踏みしていた。
精一杯睨み返す。きっと相手には届いていない。
嘘吐き。最低。ころしてやる。
こんな醜い言葉ですら心のままに吐き出せば相手を悦ばせるのだからもうどうしようもない。
この商船の取締役でもある男は、小窓からちらりとわたしの生存を確認しただけで去っていった。
へらへらとご機嫌をとるように対応していた監視役の男が薄く開いた扉の隙間から下卑た目と歪んだ笑みを向ける。まるで悪意を見せつけるみたいに。
それから扉が閉められ冷たい鍵のかかる音。続いてじゃらりと重たい鎖が幾重にも絡まる鉄の音が廊下に響いた。
ようやく足音が遠ざかってはぁと思わずため息が漏れる。その吐息が抱えていた両膝の生傷に滲みた。
つけられたばかりの傷痕も熱も痛みも直に消えるだろう。
この世界の創造主の加護、万能の治癒能力の賜物だ。
これを授けられた者はこの世界に三人しか居ない。
「…リト…」
ここに居ないその名前をぽつりと呟けば、何もできずにただ見送った友への哀しさと悔しさが胸にこみ上げた。
つい先日までここにはもうひとり、自分と似た境遇の少女が居た。
その相貌はこれまで出会ったどんな人物よりも美しく、かつて一度だけ会ったことがある生国一の美貌の王子殿下なんて比ではない程。
日の光の下で見られたらどれほど綺麗だっただろう。彼女は笑って手を振っていなくなった。
「…また、会えるかな…」
おそらく、無理だろう。
解っていても仄暗い希望の言葉は自然と零れた。
これから自分は彼女とは別の国に売られるのだ。
その先のことは想像もしたくない。
この世界でわたしは、わたし達は異端だ。
言霊の代わりに別のものを吐き出す異質な身体。
多少の抑制も可能だが感情を揺さぶられるとその顕現を制御できない。
わたしは花、そしてリトは宝石を。
感情の昂りによって身体から吐き出してしまう。
そしてそれは特別な力を持ち――高く売れる。
そうして商品として売られてきたこの商船で、ふたつの禁忌が出会った。
そう、わたし達の存在は禁忌だ。
だけど、生まれ持ったものは選べない。
この身体も魂も性質も。
――運命も。
「…くそくらえだわ…」
堪え切れずに落とした言葉から、喉元に茨が食い込んだ。
――その時、扉の向こうから人の話し声が聞こえた。
わたし達異能者は特に耳が良い。声の聞き分けは得意だ。
ひとりはすっかり聞き馴染んだ監視役の男の声。
もうひとりは――聞き覚えのない若い男の声だった。
だけどここは船の上だ。そうそう人員の入れ替わりなどありえない。
緊迫感に身構えつつ壁に背を寄せ耳を欹てる。
どこか焦りと憤りを孕んだ監視役の男の声。
一方の声の主はやけに落ちついていて、次第にその声音が大きくなる。
どくりと心臓が跳ねた。
ここに、向かって来ている。
その気配はついに扉の前まで来て、じゃらりと鎖錠を手にとる音がした。
監視役の男が遠くで何か喚いている。どうしてそんな遠くに居るのだろう。
声が、鼓膜を震わせる。
「――これはもう、使えないな」
途端。
粉々に砕けた鎖の破片が、ひどく不愉快な音をたてて地面に散らばった。
扉の小さな窓の向こうに蒼い光の残像が走る。
――言霊?
まさか、そんなわけない。
言霊の能力は事実を捻じ曲げる事は決してできない理だ。
魂の質と力を以て、口にした言葉を顕現させ実在するものに干渉する能力、それがバベルなのだから。
また、監視役の男の叫び声。男を制止するような必死さが滲んでいる。だけど彼には届かないようだ。
「…あぁ、鍵? 鍵なら、…開いてる」
男は続ける。
目の前の事実が信じられなくて、身体は自然と震えていた。
扉の鍵がゆっくりと、軋むようにこじ開けられていく歪な音は、明らかに人の手を離れている。
また、光。
胸を指す。
言葉は自然と零れた。
「……嘘…」
重たい扉がゆっくりと開く。
そこから光が射しこんで一筋の道を照らした。
自分には決して開けることのできなかった扉。
「この花はおれがもらっていく」
理由はわからなかった。
だけど涙が
はらりと散った。




