奴隷狐と英雄様
朝。
囁くような甘い声が聞こえて、ハルトの意識は覚醒していく。
「私、ハルトさんの事をずっと――」
目覚めて最初に感じた身体を包み込むかのような柔らかさに、寝ぼけた頭でかすかな危機感を覚えた。
これはそう……例えば、貞操の危機のような。
「――好きにしたいと思っていましたっ」
聞えてきた少女の声に、ハルトは戦慄を覚えた。
ばっと目を開いて、その姿を確認する。
「きゃっ、言っちゃったっ」
視界に飛び込んできたのは、やんやん、と顔を隠して一人恥ずかしがる少女の姿。僅かに見える口元は、だらしなく緩みきっていた。
そして、彼女が身体をくねらせる度に、奴隷の証しである首輪が金属音を立て、同時に、雪のような白い髪がふわりと舞う。
そんな少女をよそに、ハルトは身体を起こして、ついでに軽い頭突きをくらわせた。
二人が滞在しているとある街の宿で、小さな悲鳴が部屋に響く。
「きゃうっ!」
「『きゃっ、言っちゃったっ』じゃねぇよ!? 朝から何するつもりだ!?」
「そんな……朝からナニをするだなんて……うふ、うふふふ」
「聞き間違い甚だしいっ!」
「あうっ!」
もう一度、頭突きを食らわせる。少女の髪が、朝の陽射しに泳いだ。
ハルトは、額を押さえる少女へと改めて目をやる。すると、先端だけが僅かに黒い狐耳がふにゃりと垂れているのが見えた。
少女の琥珀色の瞳には、うっすらと涙が浮かんでいる。
「い、痛いじゃないですかぁっ! あ、もしかして……照れたんですか? 照れてたんですよね? 照れ隠しだったんですか? もうっ、恥ずかしがり屋なんだから~っ」
「あー! うっとうしい! 近寄ってくるな!」
顔を近づけてくるのを力ずくで引き剥がすハルトに、少女は必死に抵抗する。
「てかフブキ! なんで俺のベッドに居るんだよ!」
「理由がないと入っちゃいけないんですか?」
「いけないに決まってるだろ!?」
そう言われて、一度離れる。
そのまま、不思議そうにこてんっと首を傾げた少女の名は、フブキといった。
「むむ、では、理由があればいいんですね?」
「良くはないが聞いてやろう」
「夜の演奏会をしようかと……もちろん、奏でる楽器はハルトさんですっ」
「なお悪いわ!」
ハルトは、声を荒らげて抗議する。
「って、こんなことしてる場合じゃない! 出掛けるから早く準備をしろ」
壁に掛けられた時計を見て、少しばかり焦った様子で指示を出す。
「まさか……女の子と会うんですか!?」
わざとらしく驚いて、ガーンとでも聞えてきそうな表情をフブキは浮かべながら口走った。
「私以外の子と不純異性交遊なんて許しませんよ!」
「しねぇよ!」
ぷんぷん、とわざとらしく怒ってみせるフブキに、ハルトは声を大きくして答えた。
「あ……でも……」
「どうしたんだ?」
フブキは僅かに頬を赤らめ口を濡らす。
「同性との不純異性交遊なら……許しますっ」
「もっとねぇから!?」
「もう、朝からそんなに大きな声を出しちゃって……元気なんですからっ♪」
「お前のせいだろ!? ……って、どこ見ながら言ってるんだよ!」
「しょうがないですね。ここは、私が一肌脱ぎましょう!」
そう言いながら、フブキが胸の前で拳を握ってガッツポーズ。
そのまま服へと手を掛ける。文字通り、一肌脱ぐつもりだった。
「いや、意味違っ、て脱ぐな!」
「安心してください。ちゃんとハルトさんも脱がせてあげますからっ」
「全く安心できない!?」
よいしょよいしょと服から肩を出して、そのまま胸元を見せつかるかのように、ハルトへと手を伸ばしていく。
「おい。尻尾で巻き付くな、キュッと締め付けるな、ついでに服を脱がせるな!」
「いいじゃないですか~昨日もあんなに激しく愛してくれたんですし!」
「してないから! 妄想と現実の境目をしっかりとして!? てか、いい加減にしろぉぉ!」
「あうっ!」
なんとかもっふもふの尻尾から抜け出して、拳骨を送る。
頭を抑え、フブキが大袈裟にうずくまった。
「い、痛いですぅ」
「知らん。自業自得だ。さっさと服を正せエロ狐」
「はうぅっ! 冷たい、冷たいですぅ! でも、どうしてでしょう……身体が熱く! はぁはぁ」
ねぇねぇどうしてどうして? と身体くねらせて寄ってくるフブキを引きはがして、疲れたようにハルトは立ち上がる。
「お前と居ると、ツッコミに体力が持ってかれる……」
「やん、突っ込むだなんて。……優しくしてくださいね?」
「そういうところだからな? もう少し女の子らしくしてような?」
朝から脳内が残念な感じに出来上がった発情狐を横目に、これからコイツと出かけるのかと考えて、ハルトは海よりも深い溜息を零した。
「ところで、何処に行くんですか?」
そんなハルトを見て、フブキが袖を掴んで尋ねる。
「ギルドだよギルド。冒険者カードを発行しなきゃ行けないからな」
ギルド。
魔物の討伐から始まり、薬草や木の実の収集といった仕事を取り扱う組織である。
仕事――クエストをこなすことによって、冒険者は報酬を貰い、それで生活をしている。
命の安全の保証されない、危険な職だと言っていいだろう。
だからだろうか。えー、ギルドですかぁ、とブツブツフブキは呟いた。そんな彼女の手を掴んで、ハルトは宿を出る。
そのままギルドへの道を歩き始めて――数分が経った頃。大通りに出たところで、フブキはお腹を押さえて足を止めた。
「ねーねー、待ってくださいよー」
「なんだよ?」
「あっちに美味しそうな串焼きが売ってますよ」
はぁ、ったく。誰の為にギルドに行くと思ってるんだ、そんな事を思いながら、ハルトは再び溜息をつく。
だが、そんな行動とは裏腹に、フブキの様子に暖かな感情が浮かんできていた。
「腹、減ってるのか」
振り向きざまに尋ねてきたハルトから目を逸らし、フブキは吹けない口笛を吹き始める。
「そ、そんなことないですよ?」
「無理すんなって。初めて会ったときのお前、空腹で倒れてたろ? またそんなことになるぞ?」
「そ、それは言わないでいただけると……恥ずかしいので」
「それは恥ずかしくて、どうして朝のは恥ずかしくないんだよ……」
すこしばかりズレた感覚を持ったフブキに、ハルトは苦笑いを浮かべて思い出す。
ハルトとフブキが初めて出会ったのは、とある森の中だった。ハルトが薬草を採りに森へ散策に行ったところで、倒れていたフブキを見つけたのだ。
その時は偉く衰弱していて、所々に痣が見受けられた。それだけで、ろくな待遇を受けていなかったことは容易にわかった。
きっと、ご飯すら満足に与えられなかったはずだ。
だから、変なところで遠慮するんだろうな、きっと。それに朝の行動もお金の代わりに……、と、そこまで考えて、覗き込んでくるフブキの瞳が、不安気に揺れているのにハルトは気が付いた。
フブキの頭に手を置いて、「そんな事気にすんな」と、わしゃわしゃと乱暴に撫でまわす。
「ふあぁ……」
気持ちよさそうにフブキが目を細めた。尻尾は忙しなく振られていて、何とも可愛らしい。
「ほら、行くぞ」
「えへへ……はいっ!」
はにかんだ笑顔を振りまいて、フブキは先を行くハルトの後をちょこちょこと着いていく。
そんな姿をちらりと見て、ハルトは屋台で串焼きを二本購入した。
ほれ、と言って串焼きを一つ渡せば、フブキの表情がぱあっと明るくなる。
「はわぁ……美味しそうです。食べていいんですか?」
「あぁ、そのために買ったんだ。冷めないうちに食べろ」
「はいっ、いただきます!」
目を輝かせながら、フブキは串焼きを口へ運んだ。
はふはふと口を動かして、顔をほころばせているフブキを見て、ハルトも続くように頬張る。
「うまいな……」
一口食べたところで、ハルトがポツリと述べた。
「おいひいれふね!」
口をいっぱいにしたフブキが、独り言に応える。
「飲み込んでから喋りなさい」
「ふぁ~い!」
もっきゅもっきゅと口を動かして、フブキは幸せそうに笑みを浮かべていた。




