死にたがり転生
「判決、地獄行き」
※
その時、目の前には大男がいた。視界に収まりきらないほどの大男が。
私は命を落とした。それは紛れもない事実である。車同士の玉突き事故に、互いの車に挟まれるという巻き込まれ方で無残にも死んだのだ。
先程聞こえた気がする地獄行きという言葉からして、目の前に鎮座しているのはきっと閻魔大王とやらなんだろう。私の両手は体の後ろで縄によって拘束されていて自由がない。その縄の先は、恐らくは地獄の住人であろう異形の者が持っている。
「罪人よ、汝の罪を問う。偽りなく答えるが良い」
「……ええ、勿論」
静かな視線。
「罪人よ、汝は罪を犯した。殺生の罪である」
「……ええ、認めます」
「罪人よ、汝は罪を犯した。窃盗の罪である」
「……ええ、認めます」
「罪人よ、汝は罪を犯した。妄言の罪である」
「……ええ、認めます」
機械的に。淡々と。私は表情ひとつ変えることなく目の前の大男からの問いに返事をしていく。私だけじゃない。この場にいる誰もが表情を変えることはなく、全員が人形ようにじっとそこに佇んでいる。
はあ、と小さい溜息を聞いた。それは目の前の大男、つまるところ閻魔大王が発したものだった。
「汝は正直に応えるのだな」
「ええ、まあ」
意外とでも言わんばかりの問いかけに思わず緊張感のない言葉を返してしまった。
「この期に及んで妄言を重ねる必要があるでしょうか」
「大抵の罪人は地獄を嫌い罪を認めぬもの。しかし、汝は違う」
「ええ、違います。私は地獄を嫌いません。嫌ってなどいません。いえ寧ろ、地獄のために生をまっとうしたと言っても過言ではないでしょう。私の生は地獄行きのためにありました」
「それは、何故」
「簡単なことです。人生はつまらない、人生はくだらない。わかるでしょうか？ 生きるということはとても退屈なんですよ。それはもう耐え難い程に」
だからこそ私は犯罪に手を染めた。日常という砂漠を潤すオアシスを求めて。咎められようと蔑まれようと、私は罪を重ね続けた。
けれど、私の虚空を埋めてくれるに足るものは何一つとしてなかったのだ。
「その歳でか。汝は齢20にも満たぬ」
「ええ、しかし永く生きたところで無駄でしょう」
そして死ぬ時、私は最後の罪を犯した。自らを殺すという罪を。どういった経緯を経てあの無残な死に繋がったのかについては、悲しいことにうまく思い出せない。どうにかして死んでやろうと、20歳を迎える前に死んでやろうと、そう意気込んでいたことは確かだ。
「それで、私はどこの地獄へ行くんでしょう？ 黒縄地獄？ 大叫喚地獄？ ああ、阿鼻地獄でもいいですよ。だって、親を殺したんですから、それくらい当然でしょう？」
「つまり、汝は地獄において最もの責め苦を望むと」
「ええ、私はそれほどの罪を犯したのです。なればこそ釜茹でだろうと針山だろうと煉獄の炎だろうとこの身を委ねる覚悟にあります」
「つまり死してなおの死を望むと」
「……ええ、まあ。というより、問が多いですね、閻魔大王？」
さてはて、こんなに無駄な時間を費やすほど十王による審問は多かっただろうか？ 他の大王、つまりは前四つの審問では特に話すこともなく通過させられたというのに、何が不満だというのだろう。
私は地獄、ひいては無間地獄とも言われる阿鼻叫喚地獄へと送られる気でここに立っている。閻魔大王の元で行われる生前の善悪に対する質疑で時間を取るのも面倒だと思って、全て正直に対応すると決めてここまで来た。何が足りない。何が望まれる。
また、ふぅ、というため息を聞いた。
「汝の判決を見直さねばなるまい」
「……はい？」
今、彼はなんと言った？ 判決を見直すと言った？ なんの判決を見直すと言った？ そもそも、私はまだ判決を下されてはいない。どこの地獄に送られるのか、知ることさえ許されていない。
一体全体、私に対するなにを、なんの判決を、見直すというのだ！ 私はただ地獄送りにされればそれで構わないというのに！
……地獄？ 言われてみれば以前にも判決は下されていた気がする。ああ、そうだ、私に与えられた判決。初めての審問で告げられた判決。
『地獄行き』
「汝には転生を言い渡す。生を渇望せずして死に執着する者よ、汝は生を以て罪を償うのだ」
「何故……何故！？ 私は犯罪者、地獄に堕とされるべき悪人！ どうして転生など無意味なことを！？」
「地獄に送られ罰されることを強く望む汝に、地獄行きは不釣り合いであろう。望む場に送ることを罰とは呼ばぬ」
よって、と彼は言葉を紡ぐ。
「汝に与えられる罰は人生のやり直しである。勿論、死を望むことは許されぬ、許しはせぬ」
※
時は流れ、西暦2042年。私は高校生活を迎えた。正確には、今日から高校生を迎えるのだ。
あと数年もすれば、私の命日がやってきてしまう。それでも私は未だ、こうして生きている。
転生した私は、とても裕福な家の一人娘として生まれることとなった。親からの愛情も充分、親族からの愛も充分。何かしらの病魔に脅かされることもなく、なんとも愛に充ちた人生を送っている。
さてはて、だからなんだと言うのだろうか。生きることの愚かさもくだらなさも私の中から消えたわけではない、消えることはない。
信号が赤に変わる。だからといって私が歩みを止めることは無い。朝の喧騒の中でさも当然であるかのように、車の行き交う大通りを渡らんと歩を進める。ああこの感じ、人の目を集めているこの感じ、とても心地良い。
さあ渡ろう、この赤信号を。誰もが見ているこの瞬間に、最高の場面を！
「何やってんだこの馬鹿！」
「ぐえっ」
道路に踏み出そうとしたその刹那、襟首を後ろに引かれて潰れたカエルのような声が漏れ出た。カエルのように胃を吐き出してやろうかとも思える鳴きっぷりである。
襟を掴む手を振りほどいて相手を睨みつけた。見事な赤毛はまるで炎のようで鋭い三白眼にはどこか幼さが残る。
「何するんだい炎！」
「お前、また死のうとしてただろ馬鹿仄！」
「お黙り閻魔の犬」
「あんだと死にたがり」
彼は、獄寺炎。無残にも転生した私と同じ日、同じ病院、同じ時間に生まれた、私の隣の家に住む、いわゆる幼馴染みと言うやつだ。
何を隠そう、そんな彼の正体は、あの閻魔大王が私の自殺思考を阻止するために送り付けてきた地獄の住人なのだ。端的に言えば監視役だ。おかげで生まれてからこのかた、炎が私のそばから離れたことがない上に周囲からはあらぬ誤解を受け続けているのがとても解せない。
「そんなことより、入学式だろ？ 今日。遅刻するのは勘弁だぜ」
「1人で行けばよろしい。その隙に私は地獄への片道切符を手に入れる」
「そうは問屋が卸さない」
「ぐえっ」
また歩きだそうとしたところを、先程と同じように襟首を掴まれて阻止された。何度も首が絞まっているけれど、窒息しそうな感じはとても美味しい。もちろん死という意味であって私はＭではない。
「ほら、いつまでもふざけてないで行くぞ」
結局、いつの間にか青信号に変わった横断歩道を襟首を掴まれたまま炎によって学校まで引きずられていくことになった。その先に待つのは、素晴らしきかな、経験上2度目の高校入学式である。なんてつまらないのだろう。
開始2分で意識が夢の世界へと誘われるのは自明の理である。私は何も悪くないし間違ってもいない。であるから炎に叩き起こされるのはその後数日の不機嫌の元となったのも道理なのだ。
こうして2度目の高校生活が始まるわけだが、これから――そう、私のこれからの生き様を誰かに告げるとするならば、迷わずこう言うだろう。
これは、私の、いや、私が死ぬまでの物語だ。
