勇者になるなんてお父さんは許しません!
「だから! 勇者になるなんてお父さんは許さないから!」
清涼な空気に満たされた早朝。人々がさぁ一日の仕事に取りかかろうかという時間帯に、その怒号は鳴り響いた。
「うっせぇクソジジイ! でけぇ声出すんじゃねぇ!」
「お前だって! あと言葉遣い改めなさい女の子だろう!」
「男女差別すんな!」
口論する二人の声で室内が震える。木造二階建ての事務所兼自宅は経年劣化の影響もあって、すぐに天井から埃が舞い落ちるようになっていた。
言い争いをしている片方――眼鏡を掛けた黒髪長身痩躯の中年男は、スーツに降りかかった埃を手で払う。そして、目の前で眦をつり上げる愛娘を複雑そうな面持ちで見つめた。
「何度も説明したろう、アシュリー。勇者なんて職業は存在しない。ギルドも教会も、どの国の機関も認定することはできない」
「んなこたわかってるよ」
憮然と答えたのは十代も中盤頃かという少女だ。美人だが、勝ち気そうな目つきと男口調が本来の愛嬌を打ち消していた。
「誰かに認められたいわけじゃねぇし。そもそも先代勇者だっていつの間にか皆にそう呼ばれてただけじゃん」
アシュリーは自慢の赤毛に降りかかった埃を乱暴に払う。彼女の父は嘆かわしげにため息を吐いた。
「彼は元々魔法騎士っていうクラスに認定されてる。立派に仕事をこなしその報酬で生きていたんだ。その土台があったからこそ、魔王討伐後に勇者と讃えられた。急に勇者を名乗ったところで変人に見られるだけさ」
「見りゃいいじゃん別に。あたしは自分の意思でモンスターを狩るんだ。続けてりゃいつか勇者だって認められる」
「生活費はどうする」
「モンスターでも焼けば食えるだろうし、盗賊をとっ捕まえて報奨金を貰うとか」
「無所属でクラス認定もされていない小娘なんて門前払いさ。相応のスキルを持つ調理師なしじゃモンスターなんて食べられたものじゃない。仲間を雇うにしてもお金はどうする? 薬や服や消耗した武器はどう調達する? 他にも必要なものは――」
「あーもうこまけぇんだよクソ親父!」
アシュリーは苛立たしげに地団駄を踏んだ。そして腰のポーチから一枚のプレートを取り出し、父親の眼前に突き付ける。
「とりあえずこれ見ろよ!」
父は眼鏡のズレを直して、プレートに記された文字をじっくり読み取る。
「……筋力も体力も持久力も耐久力も俊敏性もランクS。おまけに歌唱力も」
「先月からワンランク上げてやったぜ! 確かランクSになってから物を言えとかほざいてたよな親父?」
ぐ、と喉に何か詰まったような顔で父は呻く。確かに先月の口論ではそんな条件を出して誤魔化した気がする。
「学院ではもうあたしの右に出る奴はいないんだ! モンスター討伐だって過去最大の実績なんだぜ?」
「確かにこのパラメータは聖堂騎士並だけど……で、でもそれとこれとは話が別だ!」
父は娘が提示するプレートを掌で突き返す。ここで根負けするわけにはいかない。
「まずはどこかのギルドなりに入りなさい。経験を積んでからでも遅くはない」
「またそれかよ。大体さ、経験とかいってあたしに重要な役が回ってくると本当に思う?」
アシュリーはプレートの一部分を指さした。父の眉間に深い皺が刻まれる。
「<算術>スキルで会計士やってる親父なら十分わかるだろ。<加護>なんて発動条件もわかんないスキルが、どんな仕事に使える?」
「そ、それは……でも、アシュリーなら仕事なんていくらでも」
娘は鼻で笑った。カチンときた父だが、気持ちがわかるだけにぐっと堪える。
「そりゃどこかに雇われはするだろうよ。でもスキルの能力もよくわかんない奴なんて精々肉体労働に使われるだけじゃん。なら自分の力で上り詰めるほうがまだ夢があるわ」
父はすぐに言い返すことができなかった。納得できる部分が少なからずあった。
この世界で生まれた人間には必ず<スキル>と呼ばれる先天的能力が備わっている。一人一つだけの特殊な素養で、空中に火を放つ者もいれば超人的筋力を発揮する者もいる。人々はそのスキルを活かして食糧や金銭を得ていた。
一方でスキルを持たない者、使用できない者は余程の功績がない限りろくな扱いを受けない。
だからスキルが使えないアシュリーの悩みと、スキル原理主義の抑圧から逃れたい気持ちはよく理解できた。行き着いた解決策は別として。
なんと説得すれば娘は心変わりするのか。考えた末に父は言った。
「だ、大丈夫さアシュリー。お前は母さんに似て器量がいいから、騎士団に就職すれば王子の一人や二人に見初められて……永久就職?」
「親父なんて死ね!」
罵ったアシュリーは踵を返して出口へと走った。自宅である二階から勢いよく階段を降りていく。手を伸ばしていた父は苛立たしげに頭を掻き、すぐに一階へと向かった。
会計士事務所に使っている一階には応接用のソファーやテーブルなどが並んでいる。そこにアシュリーの姿はない。ドアは開け放たれていた。
落胆した父だが、ドアの向こうから人が入ってきたことで期待の眼差しを向ける。
「アシュリーさっきは――」
「まーた娘と喧嘩したのかケヴィン」
入ってきたのはトカゲの頭部を持つ亜人だった。途端にケヴィンは肩を落とす。
「なんだ、クルスか……」
「今回も派手にやりあったみたいだな。アシュリー、むくれ面してたぜ?」
トカゲ男は器用に口の端を曲げて笑みを作る。そして堂々と会計事務所に踏み込んでソファーに座った。
疲労を滲ませたケヴィンは執務用の椅子に深々と腰掛けて天を仰ぐ。
「どうせ勇者云々で喧嘩したんだろ。難儀だなお前さんも」
同情を示されると余計に辛くなった。ケヴィンは額に手を置いて、陰鬱な感情のこもった息を吐く。
「アシュリーには好きなことをしてもらいたいと思うよ……でも勇者だけは駄目だ」
「そりゃお前さんの立場からすればなぁ」
額を撫でたケヴィンは目つきを鋭くした。浮かぶのは、あの憎き勇者の顔だ。
「ま、それもスキルの詳細が分かれば杞憂になる」
「わかったのか!?」ケヴィンは勢いよく顔を戻す。
「いんや、全然」
トカゲ男は長い舌をチロチロ出して嘯いた。ケヴィンが睨むと、クルスは一枚の紙切れを取り出す。
「今回は情報屋の方だ。マークしてた連中の一つが動いた」
別の意味で重たい気分になる。ケヴィンはしばし目を瞑り暗闇の中に自分を置いた。
難儀なものだ、とクルスは評した。例えそうだとしても、放り出すことはあり得ない。愛する娘を幸せにするのが父親の務めだ。
「わかった。情報を買おう」
「毎度あり」クルスは笑う。
目抜き通りは朝市で活気に溢れていた。人間と亜人でごった返した通りを、二人の少女が並び立って進む。
赤毛の少女はご立腹な様子で愚痴を溢しており、隣の小柄な少女が聞き役に徹していた。
その二人組を、路地の奥で監視する集団がいた。数は五人。外套で全身を隠しフードで顔を隠している。
「対象確認。所定の場所で実行するぞ」
「しかしよろしいのですか。加護というスキルは未だ解明されていない未知数のもの。洗脳するとはいえ、それを聖女候補に立てるのは……」
「だからこそだ。簡単に発動されては価値も下がる。あの娘を表舞台に出せばさぞや――」
「マバート聖堂騎士団への人心が集まる、って寸法ですね」
五人全員がギョッとして後方を振り返った。路地の奥には六人目――眼鏡をかけたスーツ姿の中年男が立っている。
「亜人根絶を謳う過激派宗教組織の皆さんが、あの子になんのご用でしょうか」
「何者だ、貴様」
「ただの会計士ですよ」
ケヴィンは営業スマイルを浮かべる。五人は顔を見合わせると、リーダーらしき人間が小声で何かを指示した。頷いた一人がケヴィンに向けて手を掲げる。
「解析でました。スキル名<算術>。身体能力は目を見張るものがありますが、能力は平凡です」
「では本当にただの会計士だと?」
「そう言ってるじゃないですか」
肩を竦めたケヴィンの周囲を五人が囲む。足音一つ立てない迅速な動きは手練れの力量を示していた。しかしケヴィンは自然体のままだ。
「何が目的かは知らんが、我らの会話を聞かれたからには死んで貰う」
「目的は一つ。あの子のスカウトを諦めて欲しいってことです」
一人が外套の下に隠し持っていた剣を抜き、ケヴィンの背後から斬りかかった。
彼はそれを紙一重で避ける。更に続く斬撃の数々も最小限の動きで回避した。
リーダー格の男だけでなく、他の四人も絶句して立ち止まる。
「馬鹿な……貴様、算術以外のスキルを持っているのか?」
「まさか。算術しか使えません。こんなスキルでも、物理法則と人体の動き、重量や空気の振動係数なんて数値を把握して計算すれば、タイミングを見切るくらいは造作もないんです」
一人が息を飲んだ。簡単そうに説明しているが、それは常人を超えた演算能力だ。スキルを極めた者でないと到達できない偉業だった。
「あともう一つ間違い。あなたたちに俺は殺せません」
五分後、立っている者は二人だけになっていた。一人はケヴィン、もう一人は彼に首を掴まれたリーダー格の男だ。
バキリ、と鈍い音がして男が崩れ落ちる。ケヴィンは事切れた男の背中にどっかりと座り、懐からタバコを取り出す。口に咥えて火をつけた。
「今年に入って五組目か……まったく、ろくでもない連中に目をつけられるのは母親そっくりだな」
紫煙を吐き出したケヴィンは自嘲気味に笑う。
「そうだろ、ソフィア。人間のくせに亜人を束ね魔王と名乗った君と、魔王の娘なのに勇者を名乗ろうとするあの子は、怖いくらい似てるよ」




