商会と迷宮
空に架かる虹の彼方まで旅してみたい。
俺は夢を思い出す。富と名誉と冒険心を求めて、ラジエルの地下迷宮に消えた両親が、微笑みながら手招きをする。小さな俺は、駆け寄ろうとして立ち止まる。
深呼吸をする。現実世界に引き戻された俺は、懐に身につけている瞬間移動のスクロール――両親の形見――を服の上から抑える。
俺は両親のように冒険者にはならない。なってはいけない。年老いた祖母と、まだ自立していない妹の面倒を見る必要がある。
だから働く。
――ノーデンス商会。
元々は冒険者が傭兵稼業を始めたのが起源。今では傭兵だけではなく、土木建設業も手がける王国でも名前が知られる大商会だ。とは言え、優遇されているのは親族や役職の連中だけ。朝から晩まで働き、安息日も出社する俺は、子会社の社員。使い捨ての工員だ。
元々は、それほど待遇が酷かったわけではない。いや、今でも酷くはないかもしれない。ノーデンス商会ラジエル支社以外は。
俺が住んでいる迷宮都市ラジエルは、仕事に恵まれている。
地下迷宮の出入り口である巨大な穴から湧き出てくる魔物たち、その抑えとして生まれたラジエルは、王都より離れた辺境でありながらも活気がある。魔物がしばしば破壊する防御壁の修理、監視機能の拡充のために、十分なお金が都市に落とされる。それを目当てに人が集まれば、商業も娯楽も発達する。景気が良くなる理由がある。
だからと言って、ラジエル支社が儲かっているわけではない。仕事があれば競争も激しくなる。美味しい仕事は大貴族が取り、商会に来る頃にはかなり旨味が減っている。それでも、公共事業は悪くはない。支社長が代わるまでは十分な損益が確保できていた。
今の支社長になってから経営状況が急速に悪化した。今まで受注できていた仕事をことごとくライバル会社に奪われたからだ。
ジリ貧になる前に、どうにかして仕事を取り返そう。普通の人間ならそう考える。
ところが、支社長は違う。取りづらい仕事は諦める。その代りに、安値でも良いから簡単に取れる仕事を受ける。採算なんか度外視。公共事業でも五次、六次下請けとか猫も跨ぎそうな案件。若しくは、民間の仕事――それも質の悪い、採算が悪いか納期の厳しい仕事を狙いすましたかのように受注する。
当然、赤字だ。自分でできる範囲で採算を改善できるならマシ。残業してでも、安息日に働いても構わない。宗教警察からコソコソ逃げ回りながら、結界用水晶の設置工事を進めるのはお手のもんだ。
だが、工事は一人じゃ出来ない。商会の工員なら多少の無理もお願いできるが、外注はそうはいかない。あいつら、こっちの都合なんか気にしない。だから、遅延する。支社長室に呼びつけられるほどに。
「どうして納期が遅れたんだ!」
支社長は、机の前に俺を立たせると、唾を飛ばしながら怒鳴りつけてくる。
「元の計画に無理があります。事前検討会議にて話したとおりです」
「エリヤ、お前、死ぬ気で働いたのか?」
「……」
意味がわからない。工事の納期が遅延したのは、まず、工事監督である支社長の顧客への説明と調整が不十分で、本来完成しているはずの基礎工事が出来ていなかったからだ。そして、次に、支社長が呼んだ訳のわからない外注のせいだ。
商会の工員の代わりに来た作業者は、ゴブリンか? と質問したくなるようなワシ鼻の男。前歯がなくモゴモゴと話す。何を言っているのか聞き取れない。会話なんかどうでも良い働けば。と言いたいのだが、基礎的な知識も有しておらず、返事の声は大きいが、動きは遅い。三十分働いたかと思いきや、一時間休憩を要求する。一人だけでも厄介なのに、オーク男は二人の部下を連れてきた。しかも、より頭を悪くしたような生命体。三人でようやく半人前に達するかと言わんばかりの作業量。
頭を抱えながら、定時きっかりまで働こうとすると、帰宅準備を始めている。見かけではわからないが、年齢や体力に問題があるかもしれない。やる気のない人間を働かせても邪魔になるだけ。そう考えた俺が、一人で黙々と働き予定作業を終わらせると、居酒屋へのお誘いがある。
――メッチャ元気やん。こいつ。
居酒屋に入った途端、大はしゃぎを始めるオーク男。そして、尊大にオーク男に説教を始める支社長……。
つか、支社長、何処から湧いた? 工事現場にいなかったじゃん。安全のパトロールに行くと言っては消え(何処へ行く? 現場はここだぞ)、工程の打ち合わせに行くと言っては消え(どうして行ったはずの打ち合わせに現れない?)、夜半の月のように雲隠れしていたこの男、完全に役立たず。
「聞いているのか?」
支社長の耳鳴りがするほどの大声で我を取り戻す。そして、飛んできたガラス製の灰皿を紙一重で躱す。もし、直撃していたならば、大怪我だ。湧き上がる怒りを我慢していると、背後で大きなノック音が繰り返された。
「メイクラフト入ります」
二十歳前後の女性が俺の横に並び立つ。傭兵部門の剣士、ステファニー・メイクラフトだ。赤毛の彼女は、俺より頭一個分背が低い。スレンダーな体型でありながらも、存在感がある。うわっ、近くで見ると首筋の筋肉が俺よりがっしりとしている。
「私に何か用でも?」
メイクラフトの言葉に、支社長は怒りの表情を見せる。
「呼び出された理由はわかるよな?」
「さっぱり解りません」
「なら、訊くが、どうして、クライアントの腕を折ったんだッ!?」
支社長は、壊れそうな勢いで机を叩くが、メイクラフトは涼しい表情で応じる。
「密室に無理やり誘われたので、戦闘訓練をしただけです」
「馬鹿かお前は! クライアントが望んでいたのはそんなことじゃないだろ」
「敵がいつ現れるかもしれない。そんな場所で、剣の腕を磨くのは当然ですね」
「磨くんじゃなくて折ってどうする。戦闘にならないだろ」
「クライアントが戦闘に役立つとでも? 下手に元気に前に出てこられる方が百倍は迷惑」
「お前は恥をかかせたんだよ。迷宮で女に手を出して腕を折られた。笑えないじゃねーか」
「ちゃんと、クライアントからの依頼であるユニコーンの角は確保しています。それに今回は、怪我の責任を取る必要の無い契約です」
「違うんだよ。世間体ってのがあってな……」
支社長は、書類が落ちるのも気にせずに机を拳で殴り続けている。二人の会話は平行線で、ってあれ?
「待ってください。腕を折られながらも、魔物を駆逐しながらユニコーンの角を持って帰ってきた。というストーリーならば、何処にも問題はないはずです。寧ろ、そんな危険な目に遭ってまでも迷宮から戻ってきた。となれば、世間の評価も上がるはず。単なる貴族の箔付けのための迷宮探査ですよね。どうせ、同行したのは部下とか使用人だけでしょ?」
「あっ!」
二人の会話に割り込んだ俺の意見を聞いて、支社長はポカーンと口を開く。そして、三秒後に我を取り戻す。
「今更遅えんだよ」
何が遅いんだ? 突っ込みたくなるのを我慢する。どうせ、酒場で吹聴してしまったのだろう。どうして、この人は自分で災いの種を撒きまくるんだ?
「お前ら、給料を返上するから許してください。と土下座をして詫てみせろ」
「断ります」
「ならば、クビだッ!」
「解りました」
「ちょ、ちょっと待ってください。二人とも、落ち着いてください」
急展開についていけなくなり、場を取り持とうとする。だが、ヒートアップしている支社長は止められそうにもない。横目でメイクラフトを見ると、殆ど表情を変化させていない。クビなどどうでもいいのか。彼女ほどの剣士ならば、再就職先に困らないのだろう。
「お前ら入ってこい!!」
支社長の呼び声に、武装したオーク男らが入ってくる。
「支社長、これはどういうことですか?」
俺が抗議の声を上げると、支社長は嬉しそうに嗤う。
「死ぬ気で働いたお前らが、仕事の失敗の責任を取り自殺する。これが本当のクビ。そういうことだ」
俺は思い出す。支社長の前任の支社で、採算悪化の責任を取って担当者が自殺した。保険金による補填と上層部の慈悲で、支社長は転籍処分だけで済んだとの噂を。
支社長は立ち上がると、懐からナイフを取り出した。だが、すぐには襲ってこない。メイクラフトを警戒している。
活路はあるはず。逃げれないかと俺は、背後を盗み見る。だが、扉はオーク男らに抑えられている。
「私も舐められたものです。武装していないから勝てるとでも?」
メイクラフトは、戦闘体勢を取る。もしかしたら、彼女なら四対一でも勝てるかもしれない。しかし、勝ったとしても、俺たちが悪者にされる可能性が高い。かと言って、負ければ命の保証がない。
血流が高まり緊張感が増す。マズい。このままでは、冷静な判断が出来なくなる。そう感じた俺は、気持ちを落ち着かせるために胸に手を当てる。
――形見のスクロールがあった。
俺は躊躇いそうになる。だが、決断する。この場を逃れて本部に調整してもらう。そのためにこの場を脱出するのが最善と、スクロールを取り出し広げる。するとスクロールは、使用されるのを待ちわびていたかのように、瞬時に光りだす。
――効力が発動する。
察知した俺は、メイクラフトに抱きついた。
次の瞬間、俺達は事務所から移動していた。静けさだけが広がる石畳の場所。遠くに石の高い壁。見慣れぬ風景に俺がキョロキョロと見回していると、抱きついたままのメイクラフトがポツリと呟く。
「ここ迷宮だな」と。




