ひろいっく・さたん・らんぺいじ!
昔々、悪しき魔王が、正義の勇者にブチのめされたそうな。
数百年に渡って繰り広げられてきた、人類と魔物の戦争。その争いに終止符を打ったのは、わずか数名の傭兵集団だった。
勇者一行。
魔王を討ち取った英雄達は、いつしか人々からそう呼ばれた。こうして世界から魔物の姿は消え去り、二度と脅かされることのない平穏に、人々は手を取り合って喜んだのだった、めでたしめでたし──。
「待ちやがれクソッタレぇ!!」
前言撤回。
王都の薄暗い裏路地で、強面のお兄ちゃん二人組から追われているこの状況は、全くもってめでたくない。とっくに息は上がっていて、走る脚も限界間近。だが本懐を遂げる前に騒ぎを起こして、衛兵に捕まるなんてまっぴらごめんだ。
「止まれコラ“じゃないほう”!」
「肩ぶつかっといて挨拶もナシか“じゃないほう”!」
「うるっせえその名で呼ぶなぁ!」
怒号に罵声で返事をしながら、人気のない入り組んだ小道を駆け抜ける。
じゃないほう。
自分で言うのも惨めな話だが、これは“勇者じゃないほう”を略した呼称である。勇者じゃない、なんてその他大勢の一般人からすれば当然なんだが、その線引きが示すのは、もっと限定的な領域だ。
勇者一行の一員でありながら、勇者ではない人物。
それが“じゃないほう”こと俺、フレイ・ゴーシュの不名誉な俗称だった。
「くそっ、どこ行った!?」
「二手に分かれるぞ、俺はあっちを見てくる!」
複雑に枝分かれした作りを利用し、なんとか追手を撒くことに成功。荒い息を潜めながら、体力の回復を図る。当時から肉弾戦闘を得意としなかった俺にとって、たかだか数分の全力疾走でも致命傷だ。
──仕方ない、計画変更といこう。なあに、当初の予定とはちょっと違うが、途中の工程をいくらか飛ばすだけのこと。行き着く結果は、変わらない。
すうっと大きく深呼吸。目をつむり、意識を指先に集中させる。周囲に漂う、空気とは異なるそれを手繰り寄せ、撚り合わせ、太く確かな束を編む。そいつでぐるっと自分を囲めば、即席の陣の完成だ。
魔術。この世界に満ちる魔力を礎にして、異なる次元から特定の現象を呼び起こす技術。俺が得意とするのは──これからやろうとしているのは、そういった芸当である。
「認証開始……術者名、フレイ・ゴーシュ」
そういえば、勇者一行が魔王を倒し、世界に平和が訪れたという美談だが、それには当事者しか知りえない真実と、その続きがある。
世間には俺達が魔王を“倒した”と伝わっているが、正確には“異次元に封印した”が真実だ。魔王の力はとてつもなく強大で、瀕死の重傷を負わせるのが精一杯、その弱った状態でかろうじて、次元の狭間に幽閉することができたのだった。
「術式系統、第八分類」
そして、その続き。魔物を生み出し指揮していたのは魔王だったため、異次元への封印という結果でも、その軍勢を完全に葬り去ることはできた。それで世の中の大多数の人々には、幸せな暮らしが約束されたのだ。
が、しかし。
勇者一行という、戦いのみを生業として生きてきた人間達は、一気に路頭に迷った。敵となる魔物も狩り尽くされて、腕を振るう機会もない。
さらに魔王という共通の敵を前にして一致団結した人類は、これからは国の垣根を取り払い、手を取り合って暮らそうなどと言い出した。そして俺達が研鑽の末身につけた魔術は、一般人にとって危険なため使用禁止というお触れが出る始末。
つまり、世界を救った勇者達は、一転して無職になったのだ。
「対象領域──未分類」
では、どうして俺が“じゃないほう”などと呼ばれているのか。それは俺が“勇者であり続けること”を拒んだからである。
終戦直後、もちろん勇者一行には報酬が支払われた。しかし疲弊しきった人類が俺達に差し出せるものなどごく僅かで、魔王討伐の働きには見合わない額だった。
そこで王族の偉いさんが提案したのが、平和の象徴としての役割である。人類復興の旗振り役として、各地の人々を激励し、偶像としての勇者でいること。そうすれば、今後の生活は保障するとの話だった。
「次元接続……完了。発動範囲、術者眼前」
が、俺はそれを拒否。
もとより魔王討伐も乗り気じゃなかったし、終戦後は莫大な報酬で悠々自適に隠居生活できるもんだと思って辛い戦闘も乗り越えてきたんだ。それが蓋を開けてみればこのザマである。
自分の貢献が正当に評価されないなんてこと、あってたまるか。
そうして一人ひねくれた結果、勇者一行としても一般人としても認められなくなってしまった俺は、ある計画を思いつく。
平和ボケしつつあるこの世界を、ちょっとばかり脅かしてやろう、と。
「術式、起動──来やがれ、魔王ッ!!」
魔術発動に必要な文言を唱え終わると、途端に周囲がまばゆい光に包まれた。びりびりと空気が震え、背中の辺りから頭の先を、寒気に似た何かが駆け上がる。術式成功の、確かな手応え。
正直、浅はかだと言う自覚はあった。
とりあえず、弱った魔王に軽く暴れてもらい、俺がそれを再び撃破したように演出することで、世の中に危機感を与え、戦闘職としての勇者一行の必要性を再認識してもらう。くらいの計画。
実行予定場所に移動する途中でお兄さんに絡まれるという手違いもあったが、計画には何ら影響ない。
さしあたっての懸念点は、魔王をどう手懐けるかだが、魔力も何もない空間に閉じ込めたんだ、ほとんど脅威は残ってないだろう──。
「……ほへっ?」
不意に、気の抜けた声が聞こえた。
光が徐々に弱まっていき、“そいつ”の姿が見えてくる。
目に飛び込んできたのは、銀と白。
否、長く艷やかな銀色の髪と、透き通るような白い肌。くりっとした琥珀色の目は、まんまるに見開かれたまま俺を映す。
一糸まとわぬ、すっぽんぽんの女の子が、そこにはいた。
「……」
「……」
長い沈黙。空気が重い。お互いに状況を飲み込めていない。
はて。術式の領域指定でも誤っただろうか。俺は確かに“魔王”を呼んだはず。あの時の記憶だと、もっとこう、強そうな見た目だったんだが──。
「ほえええ!??」
先に動いたのは謎の少女。大通りであればすぐさま衛兵がすっ飛んできそうな奇声を上げてくれた。まだ十と幾つかくらいな外見の少女。多感な時期だしそりゃびっくりするよなあ。
うん、これはきっと、何かの間違いに違いない。実に申し訳ないことをしてしまった。迅速かつ丁寧に詫びを入れて、元いた場所に責任持って送り届けねば。
そう、固く決意した瞬間。
「見つけたぜ“じゃないほう”」
にったりと下卑た笑みを浮かべた、先程のお兄さん達の片割れがそこにいた。ボキボキと拳を鳴らしながら、こちらへの距離を詰めてくるお兄さんその1。さすがにこの危機的状況下で少女とお話するわけにもいかないので、彼女の手を取って逃走態勢に入る。
「えっ!? ちょ、あのっ!?」
戸惑うすっぽんぽんを連れながら、真反対に身を翻す。少し走れば、さっきみたいに撒けるはず──。
「残念だったなぁ、“じゃないほう”」
「二手に分かれて正解だったぜぇ」
行く手を塞ぐは、これまた下卑た笑みを浮かべたお兄さんその2。
さーて困った。魔術で蹴散らしてやりたいところだが、なにぶんあれは発動までにある程度の時間を要する。だから俺は、肉弾戦は不得手なのだ。
「妙な連れがいるじゃねえの」
お兄さんに挟み撃ちにされ、絶体絶命の俺と少女。ガラじゃないが、彼女に危害は加えさせまいと、少女を背に隠すように体を広げる。
「あ、あの……すみません。あなたは今、助けを求めていますか?」
すると、その少女が妙なことを問うてきた。
「もしお困りのようでしたら、私が助けてあげないこともないですよ?」
「ははは、怖くて気が動転してるのかなこの子は」
どう見たって、か弱い少女が文字通り丸腰で敵う相手じゃない。
でも、かと言って、俺がどうにかできるわけでもない。
「おいおいブツブツうっせえぞオラァ!」
「黙って寝とけコラァ!」
俺たちの態度が癪に障ったのか、お兄さん達が一斉に殴りかかってくる。
「どうです? 窮地ですよね? 助けてあげますよ?」
なおもしつこく聞いてくるすっぽんぽん。ええいもう、こうなりゃヤケだ。
「ああそうだ……俺は困ってる! 助けてくれるなら助けてくれ!」
「──あなたの願い、聞き届けました」
ごぱっ、という音がした。
適度に固いもの同士が、凄まじい勢いでぶつかったような。
そんなことを考えた瞬間、視界の端を何かが横切る。いや、飛んでいく。目で追うと、まるでそこだけ時の流れが遅くなったかのように、緩やかな放物線を描きながら、お兄さんその1が宙を舞っていた。
もう一度、ごぱっ。今度はその2がその1を追いかけて飛んでいく。
何だ、何が起きたってんだ。
度重なる非常事態の連続で、頭が考えるのを放棄する。
異様な音のしたほうに目を向けると、さっきまで俺の後ろにいたはずの少女の姿。素っ裸のまま、銀の髪をぶわりとなびかせ、誇らしげに言い放つ。
「我こそは──魔王改め、弱きを助け、悪しきを挫く正義の味方! ……ですっ」




