聖鍵物語
数匹目になる小型の魔物を倒してもまだ、少年はびくついていた。
そんな少年に対して、農具を肩に担いだ少女はあきれたように言い放つ。
「いい加減にさ、慣れようよ、テスカ君。私たちの冒険は始まったばかりなんだから」
「ぼ、冒険って言ったって、行き先は近くの洞窟じゃないか。それに、勝手に町の外に出たなんてバレたら、また怒られる」
少女はやれやれと首を横に振り、少年の肩に手を回して半眼で話しかける。わざとゆっくりとしゃべるその様子は、どうみても悪事の片棒を担がせようとしているようにしか見えなかった。
「テスカ君。テスカ君よぉ。冒険者がリスクを怖れちゃダメだと思うなあ。大丈夫、今日はバレないッ。なぜなら、夕方まで神父様は帰ってこないのさ」
「でもきっと後でバレ――」
少年の言葉を遮るように、少女は手に持っていた農具、土を掘り返すための単純な道具であるそれを少年の目の前にちらつかせる。数匹の魔物を殴り飛ばしたそれは、やはりただの農具でしかない。
だが、少女の妙な迫力がそれを農具だとは思わせなかった。
「いいから、行くの。私の聖剣、その名も、ええっと、ロワ・ネテスを君も味わってみたいのかな? ん?」
いや、どうみてもそれは農具だ。そう言い出す勇気を少年は持ち合わせておらず、またそれを指摘したところで何も状況は変わらないことを、少年は良く知ってしまっていた。
小さく、諦めの気持ちを込めて吐いた息をみとめ、少女はそれを同意だと捉える。もちろん、諦めの先にある嫌々ながらの同意であることを、少女も良く分かっている。彼女は満足げに「よろしい」と微笑んだ。
少女が冒険者の真似事をするのは、これが初めてではない。これまでも少女は、町で飼っているニワトリを追いかけては魔獣だと言い、たまに町を抜け出しては野営だと言って草原で火を起こした。そしてそのたび、町で少年と少女を育てている神父に捕まってこっぴどく叱られるのが通例だった。
中でも少女の心を魅了してやまなかったのは、神父の部屋に忍び込んで見つけた一冊の本に書かれていた、遥か昔の物語とされる書物だった。
「今日こそ、聖なる鍵、聖鍵を見つけるぞー! おー!」
少女は農具を高々と掲げて目当ての洞窟の前で声をあげた。
「またその話? 本当なのかなあ。大昔には、今よりもっとすごい世界があったなんて……」
「それを確かめるのが冒険者じゃない! 空飛ぶ鉄馬車! 一瞬で隣の国まで行ける扉! 念じるだけで火が出る石! ワクワクしないの!? するでしょう。するに決まってる。でもやっぱり、一番すごいのは聖鍵よ!」
「だって、それさえあればどんな魔物でも倒せるんでしょ。何度も聞いたよ。そんなすごいもの、もしあったとしても、こんな薬草採りの洞窟には無いと思うけどなあ」
そう言いながらも、手際よく火を起こして少年と少女はすんなりと洞窟へと入っていく。どうせ少女を止める事はできないのだから、早いところ洞窟を探索して、今日のところは収穫なしとしてさっさと帰った方が良いと少年は判断したのだ。
何度か大人たちと一緒に薬草採りの手伝いに来ている洞窟でもあり、それほど広くないことは少女も知っているはずなのだが、彼女はいやに不敵な笑みを浮かべてどんどん奥へと歩いていく。
やがて彼女が立ち止まったのは、ただの通路だった。不思議そうな顔をする少年に向かって、少女は壁の下の方にぽっかりと空いた穴を照らしてみせた。
「ちょっと前に、地震があったの覚えてる? あの時に崩れたんだと思う。なんと別の通路に繋がってるの! 全部は見てないけど、奥はすっごいんだから!」
「地震は、確かにあったけど……。大丈夫? 危なくないかなあ」
「危険を冒すのが冒険ッ! さあ、行くよ! もしもの時には、私の聖剣があるじゃない」
だから、それは農具だから。そう改めて考えながら、思わぬ展開に少年は足を進めることをためらった。
もしも、この先に恐ろしい魔物がいたら。もし、この先に危険な場所があったりしたら。
そんな少年の心情など露知らず、少女はなかなか進もうとしない少年の後ろに立ち、自慢の聖剣とやらでぐいぐいと彼を押す。そうして二人は姿勢を低くして壁の穴から繋がった空間へと潜りこんだ。
いくらか進むと別の通路に繋がったが、確かにただの洞窟ではない事が少年にも分かった。土を掘りぬいたものではなく、しっかりと固められた石壁、そして目の前には金属でできているであろう重厚な扉が現れたからだ。
町で見るような木の扉や、縁だけを鉄で固めたようなものでもない。少年が触れると、それは手のひらに吸い付くようにひやりとしていた。
「さて、どうやって開けようか。とりあえず、私の聖剣で――」
少女が片手で農具を振り上げるのと、いかにも重たそうだった金属製の扉が、まるで誰かに持ち上げられているように滑らかにせりあがっていくのが同時だった。
そして少年と少女は見る。
扉の向こうの開けた空間のその奥に、淡く光る一つの箱を。
少女は胸を弾ませ、少年は息を呑む。
息を弾ませながら駆け寄った少女に対して、少年は周囲を警戒しながらそろそろと歩み寄った。
「……箱?」
「箱だね! 鍵は……かかってないみたい!」
その時。
二人の背後で響く衝撃音。
何か大きなものが落下してきたような音と、それによる地響き。驚いて二人が後ろを振り返れば、そこには少年少女など一口で丸呑みに出来てしまいそうなほどの、四足型の魔物が敵意を剥き出しにして二人を睨んでいた。
その箱から離れろとでも言わんばかりの、明確な殺気。
姿勢を低くして、魔物は吼えた。
鋭い爪。唸る口許からのぞく牙。少年と少女が初めて出会う、偽りのない本物の危機。
「ひ、あ……」
少女は、かたかたと震え、農具を取り落とした。殴打するだけで吹き飛ぶような、爪牙のない小型の魔物とは違う。本能的に感じる死への恐怖だった。
そしてそれは、その恐怖は、少年へも同様に纏わりついた。
だが。
突然、少年の周囲からすべての音が消え色が失われた。
時が止まったように少年の周囲は微動だにしない。
そして少年の心の中に、どこからともなく声が響く。
『選べ。ここで喰われて死ぬか、鍵を開くか』
色のない世界の中で、少年は声も出せない。力の限りに叫ぼうとしても、少年の喉からは自らの吐息すら聴こえてこない。
少年は困惑した。
『念じろ。そして選べ。死ぬか、開くか』
再び、少年の心に声が響く。止まった世界には、恐怖の顔色を浮かべたまま静止している少女の顔があり、今にも飛びかからんと姿勢を低く構えたまま、やはり静止している魔物の姿がある。
ただ、淡く光るあの箱だけが、色を失った世界でなお輝いていた。陽の光を思わせるような黄金色の、それでいて力強さを秘めた光。
少年はもう一度少女を見た。そして、そっと少女に向かって手を伸ばし、決意を固めて拳を握る。そのまま、きつく目を閉じて「死なせたく、ない」と念じた。
箱が開き、光が漏れる。まばゆい光は周囲に再び色と音を与えながら伝播し、少年の五感は目の前の現実を彼に突きつけた。
刺さる殺気。漂う危機。
少年は少女をかばうように一歩踏み出し、ゆっくりと手を開く。
そこには、太陽色の光を纏った鍵が顕現していた。
『我、開くもの』
「我、開くもの」
『放たれるは祝福』
「放たれるは祝福」
心に響く声のままに少年は唱える。半ば無意識に、力の奔流に飲まれるように。空気を変じた少年の様子を見て、魔物がぴくりと動きを止めた。
鍵だけではなく、少年の体も徐々に光を帯びはじめる。
『聖鍵の名の下に、現世の姿を纏え』
「聖鍵の名の下に、現世の――」
「ダメっ! テスカ君ッ!」
少女がなぜ少年に突撃したのか、自身でも分かっていなかった。それはいつもと違う雰囲気を持った少年が、少年でなくなってしまうような予感に捉われてのとっさの行動だった。
収束していた光は行き場を失い、少年の体内を駆け巡る。
「ぐ……っ、うぅ……」
力の激流に耐えきれず、少年は苦悶の表情を浮かべ膝をついた。
「テスカ君!? テスカ君ッ」
少女は狼狽して少年の名を繰り返し叫ぶが、彼の耳にはその声は届いていなかった。
荒い息を吐きながら、少年は鍵を握った拳を前方に突き出し、心に浮かんだ単語を
「解錠っ」
と短く告げた。
少年の拳に光が集まり、それは一筋の大きな束となって轟音と共に前方へと放射された。
洞窟を照らす、真昼のような白光。少年達を一呑みにできる魔物をも光に飲み込み放たれた光の柱。
やがて光が去り、静寂が辺りを包む。
呆然とする少女と、事態の飲み込めていない少年。今更になって、少年は恐怖を思い出し震えた。
「テスカ、君?」
「な、なんともない? 大丈夫?」
いつもの気弱な少年の声は少女を安堵させ、彼女の瞳からは涙が溢れ出した。声を上げて泣きじゃくる少女を見て、少年は焦った。
そこへ、再び声が響く。
『魔鍵を探せ』
びくりと肩を震わせて辺りを見回すが、やはり誰もいない。少女はそんな少年の様子を見て首を傾げた。どうやら少女には声が聞こえていないらしい。
『我が覚醒は成らず。この時代の鍵者よ。魔鍵と見えよ』
少年の手には、輝きを失った鈍色の鍵が静かに、だが確かに存在していた。




