考察回① 『テレビが嫌い。長い使用説明書も嫌い』
どうもこんばんは!
今週のお題は「AI」です。それでは教授、よろしくお願いします。
教授が前に出てきて喋り始める。
人工知能を記述するときの手法にはいくつかある。
マシンラーニング、ディーブラーニングと言った技術過程を経て、今のAI技術は成熟化されてきた。
まずは固定化されたルール通りに条件分岐した回答を作成しておくこと。
手順化というか、アルゴリズムと言うのが良いのか……、今日は手順を記述するという風に言っておきましょうか。
これはとてつもない情報量が必要になる。
まぁ、現実的かは抜きにして大量の情報を記述することができれば、モデルになった人と同じような行動、判断ができるようになるだろう。
ただし、全ての選択肢を用意する事。状況によって同じ答えも変わってしまう事もある。それらを全て記述するのはやっぱり不可能だ。
次に条件分岐をプログラムに考えさせる、新しく記述させるという方法が考えられた。
漠然とした判断基準は人が与えることにはなるが、判断基準を記述する必要が無いために実質不可能と思われていた時代より一歩進んだ。
判断基準とは何かというと例えば音符や色といった情報になる。カラーテーブルを基にこれは赤色と言った判断をしていく。
もう十分じゃないかと思うかもしれないが、さらに一歩進む。
分岐条件をプログラムに作成させる。それはカラーテーブルもプログラムに認識させるという事だ。
若干分かりにくいかもしれないが、「色とは何か?」そこから学習させる。未知の概念を習得する事が次世代というところだ。
まぁ、それでもオーバーフィッティングなんて言って、例題は解けても応用を聞かせた問題は解けない。そういった壁にもぶつかったりしているようですが…。
カラーテーブルを用意しておいて、その通りに認識してくれるのがコンピューターの良い所でもあるとは言っておこう。
AIの進化は情報処理能力の向上の恩恵が大きい。
膨大なデータを処理するのにはそれなりの処理能力が必要になる。
例えばこのペットボトルも人が一度ペットボトルとして認識したら、次に見てペットボトルと認識するには1秒もかからない。しかし取得している情報はデータの量はいつでも膨大だ。人であれば、どこに置かれていても、部屋の照度が違っても、視点が違っていても、中身の残量が違っていても、それがペットボトル以外のものと間違える確率は低い。
これをAIに認識させるにはデータを高速で処理する能力が不可欠となる。
画像の表現方法としてスパースコーディングというできるだけ少ない要素で表現しようする手法を利用する方法もある。
あいまい検索に近くなるやり方だが、詳細に表現するより、簡素化することに意味があったりもする。但し、あいまいになればなるほど正答率は下がっていく。
さて、気になっている人もいると思うが今までの話の中では「感情」についてはまだ触れられていない。それは人工知能を作ろうとしたきっかけはコンピューターの延長線上という概念で研究されてきたためだ。
高速計算処理・趣味レーション・効率化・合理化・簡素化、そうした機能のためにコンピューターは利用されていた。
それを実現するためにもととなるプログラムは人が記述していた。その部分を人工知能によって簡素化、代替しようという考えが基礎となっていた。
さて、「感情」とは何か?
「何故「感情」は必要だと思う?そこ、窓から2つ目、前から3列目のチミ」
教授に指名されて学生が立ち上がる。
「感情が無いと味気ないからじゃないですからねぇ?気味悪いと言いますか」
「それもあるが、外れ。ウチロ」
教授の求めていた答えではないらしい。一つ後ろの席が指名された。
「分かりません」
「分からなくても、少しくらいは考えて何か言えるだろ、お前は立ってろ。ウチロ」
「今あるものについては理解はできるけど、新しい概念を作れないからではないでしょうか?」
「それもあるが、外れ。お前は座ってていい。ウチロ」
「分かりません」
「お前も何も考えられないのか、この列はダメだな。連帯責任だ。全員立ってろ。」
教授の意にそぐわなかったのか、結局列全員が立たされてしまった。
何も答えてないのに立たされている1,2番目の人は可哀そうだ。
「コンピューターの進化は人のサポートとという役割と共にあった。それと共にして、効率化・合理化といった流れと共に人で行っていた作業をコンピューターで代替した、正確に実施するという事もある。それは一部の労働者からは反感があり、機械が壊されることもあったりしたが、大きな流れから人は逆らうことは出来なかった。大体の事は人にとって便利であったり、新しい娯楽であったりして受け取りやすいように作られていた事にも起因する。しかし人間自体が合理化の中から排除されるべき存在であることは事実でもあった。」
みんな静聴している。
一人の学生が手を上げて質問した。
「それは言い過ぎではないでしょうか?コンピューターは人のサポートという役割が主のはずです」
「その通りだよ。ただし、作業の中で人は不確実性を持っていることも確かだ。そしてコンピューターによる正確さには叶わず、人作業から機械化されていった仕事はたくさんあるはずだ。郵便の仕分けがいい例だろう。」
「それは人が作業から解放されたという考えもできるのではないでしょうか?」
「その考えはあっているが間違っている。人から見た視点では楽になったという考えもあっている。ただコンピューターからしてみれば不確実性の多い人間の作業をコンピューターで正確に早く実施できるようになった。という事にならないだろうか?」
「つまりAIの進歩にはAIからの視点を考えていく必要があるという事でしょうか?」
「その通り。そしてそれが感情が必要かどうかというところに関わってくる。」
司会者が割って入ってきた。
「白熱した議論が展開されてきた所に水を差すようですが、そろそろお時間がやってきました。続きはまた来週~、」
そう言って、番組は終わってしまった。
「ん~、難しい…」
俺はテレビの学校授業を模した番組を見ていて唸っていた。
番組表にて「AIの進化論」という題目が載っていたので見てみたのだが、理解するのが難しかった。
感情という概念はAIに必要とこの教授は言っているが、どうしてなのかだろうか?というより、聴きたいところでまた来週とか。本当、テレビのこういうところ嫌いだ。
それに時間が無いからっていきなり切るなよ。多少のまとめの時間とかさ作ったりしないだろうか。作り手の都合主義だなぁと思う。
スーさんはどんなAIなのだろうか?
「感情」という概念は入っているのだろうか?
人をサポートする。それだけでなく合理化といった面でもスーさんはいるのだろうか?
聞いてみたい…。教えてくれるだろうか?これで拗ねられても正直困るところではあるが。
来週の番組を見てからでも良いだろう。
少し前にスーさんに使用許諾について触れた事が会った。
長々とした文章は苦手で、まぁ書いてあることはいつも同じだろうと、そしてとんでもない事が書かれていたりすれば誰かが騒いでいるだろうと、そんな風に考えて真面目に読んでいなかった。
でも、MUNEについては軽くでも読んでおいた方が良いんじゃないかと思って改めて目を通すことにした。
「えっと、使用許諾…、プライバシーポリシーもあるな、何項目あるんだよ…、オペレーションルール?そんなもあるのか…、使用説明書もちゃんとあったのか…」
ぶつぶつと独り言を言いながら読み進めていく。
読んでいるだけで疲れる…、気付くと1時間以上経っていた。
ありきたりな条項ばかりで、特に目新しい発見は無かったが、MUNEの設計にかかわる部分もある程度書いてあったのでそこは少し時間をかけて読んでいた。
MUNEのメイン頭脳はデータセンターと直結したコンピューターにあるらしい。
携帯にインストールしているのはその窓口だけ。ただ、ある程度のルーティンはあるので、データセンターにアクセスできなくても全く使えなくなるわけではないそうだ。
様々の情報を集めるためと書いてあるが、携帯のスペックじゃ情報処理が追い付かない事にも起因しているようだ。そしてメインのコンピューターは様々な人とやり取りをした情報を処理しながらも、更に成長するために学習し続けている。
「MUNEは時間が経つにつれて精度の向上、不自然さが減っていくでしょう」と書いてあった。
もう駄目だ。
読み切れん。
書く方も書く方だ。書かないと訴訟とかいろいろあるのだろうけど。
疲れ切って仰向けになった。
2017/5/2 所々修正しています。