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#72 裏切者の悪夢

今回は逃げた冒険者のお話です。

だいぶ暗いお話になったのでご注意ください。

 グエインたちがダンジョンから脱出するために移動を開始した頃。

 仲間だったディナンドたちを裏切りった男は、息を切らしながら必死にダンジョンの中を走っていた。

 後ろに引き返せば、先ほどの冒険者たちが待ち構えているかもしれない。そう考えた男は、今までに集めた情報を頭の中に思い浮かべ、大きく迂回する形で出口を目指していた。

 男は背後を振り返ることもなく、ただひたすら走り続ける。やがて、足をもつれさせ転倒した男は、無様に地面を転がった。

 男が転んだ拍子に両腕に抱えていた鞄が宙を舞う。むき出しの土の地面に転がった鞄の元へ這いずった彼は、震える両手で鞄を胸元へと抱きかかえた。


 男は荒い息を整えながら、壁に寄りかかる。地面を転がったことで装備していた皮鎧は土で汚れ、顔についた土は汗を吸って泥となり、男の顔にへばりついていた。

 男が腕に抱えた鞄の中には、長い時間を共にした仲間を裏切り、その命を奪ってまでも手にしようとした装備品が入っている。

 鞄の中身を売ることができれば、多少の贅沢をしながらでも残りの人生を過ごすことができるだろう。


「あ、あぁ……俺は――」


 ガタガタと震える男は、うめくように呟く。重量を軽減する魔法が掛かっているはずの鞄が、彼にはまるで鉛でできているかのように思えた。

 仲間たちを手にかけた時は何も考えられなかったが、一人になった今になって、長い付き合いだった友人たちを裏切った後悔が男に襲い掛かっていた。


 男は初めからこんなことをするつもりだったわけではない。きっかけはあの時、アントレディアたちが撤退し、その場に残された装備を目にした時だった。

 仲間たちと共に冒険者の死体を回収していた時、死を身近に感じた恐怖と共に、もしもこれを独り占めできたら――そんな考えが男の頭をよぎったのだ。

 最初はその悪魔のささやきを振り払うことができた。だが、地面に倒れ伏す冒険者の姿が頭を離れなかった。その光景を思い出すたびに、悪魔の声は徐々に大きくなっていった。男の心の中にある天秤は、徐々に傾いていった――


 男は初めから冒険者になりたかったわけではなかった。極貧農家の4男として生まれた男には、村から出て別の場所で生きていく以外に道は無かった。

 近くの町に移り住んだまでは良かったが、そう簡単に仕事が見つかるはずもない。日銭を稼ぐために男は冒険者となった。

 満足に装備を揃えるほどの金もなく、小さなナイフ一振りと古ぼけた皮鎧だけを付けて冒険者になった男だったが、彼には冒険者としての才能があった。

 臆病な性格であった男は、できる限り危険を減らすために情報収集を怠ることは無かった。常に周囲に気を配り続け、危険なモンスターの接近をいち早く察知して逃れることができた。

 良い仲間と幸運にも恵まれた男は、それからパーティーメンバーを一人も減らすことなく、十数年の歳月をかけてBランクの冒険者へと至った。

 村では家族にこき使われるだけだった男は、その頃には想像したこともなかったほどの力を手にしていた。男の人生は順調に進んでいたはずだった。


 冒険者としての活動を続け、いつしか死の恐怖を克服したと思っていた男だったが、その自信は2か月前、町に帰還した遠征隊の姿を見たことで簡単に崩れ去った。

 出発した時の半分ほどにまでその数を減らし、生き残った者もボロボロになった装備を纏いながらようやく帰還した遠征隊。意気揚々と出発した彼らの面影はどこにもなかった。

 遠征隊には男などよりもさらに優れた冒険者たちもいたはずだった。そんな彼らがやっとのことで逃げ帰ってきた姿を見て、男は現実をつきつけられたのだ。

 男が今まで生き残ることができたのは、ただ運が良かっただけに過ぎない。たった今も、いつ割れるか分からない薄氷の上に立っているのだと――


 それから2ヶ月、男は何度も悪夢にうなされることになる。深夜に飛び起き、背中にぐっしょりと汗をかきながら、男はどうしようもない恐怖に震えた。仲間の前では何でもないように振る舞いながらも、男の心の中では恐怖が渦巻き、じわじわと膨らみ続けていた。

 そして今日、血だまりの中に沈む名も知らぬ冒険者の死体を見た時、次はお前の番だ――男はそう言われた気がした。

 冒険者の死体を回収して引き返す道中、男の中ではいくつもの考えがドロドロと渦巻いていた。

 そんな男の様子を見て、心配に思った仲間の一人が声をかけた。彼を心配するその声を聞くうちに、限界を迎えていた彼の中の何かが壊れた。


 男は引き返した先の小部屋で、休憩を取る仲間たちに毒を混ぜた水を渡した。

 やがて、体の痺れに気が付き治療しようとした神官の首を切り裂き、男は突然の出来事に呆然とする仲間たちを手にかけていった。

 麻痺毒によって動きを制限され、男の行動に理解が追い付いていない仲間は次々と倒れる。最後にパーティーの中で最も長く――十年以上の時間を共に過ごしたディナンドへと男は凶刃を向けた。

 何が起きているのか分からない、そんな表情で男を見つめる友人の姿を見て、男が振り下ろそうとした刃が鈍る。さらに、彼の体質によるものか、それとも毒の量を間違えたのかディナンドは男の振るった刃を防いでみせた。

 もしもディナンドが本気で男と戦うつもりであったなら、男はその屍を晒すことになっていたかもしれない。だが、ディナンドはただ悲しげな眼で男を見つめ、ただ振るわれる刃を防ぐだけだった。

 やがて、徐々に効力を発揮する毒に体を蝕まれ、動きが鈍り始めた彼に止めを刺そうかという時、別のパーティーが駆けつけて来てしまった。


 結局、男はディナンドを殺すことはできなかった。

 もしも彼らがこのままダンジョンから脱出してしまえば、男の凶行が明るみに出ることになる。

 そうなれば、たとえこのダンジョンから無事に脱出できたとしてもどこかに隠れて怯えながら生活することになる。もしかしたらダンジョンの入り口では連絡を受け取った冒険者が待っているかもしれない。

 しかし、男はディナンドに止めをさせなかったことを後悔するとともに、殺さずに済んだことに多少の安堵も感じていた。

 駆け出しの冒険者として活動していた男に声をかけてくれたのはディナンドだった。彼が、そして仲間がいなければ、男はどこかでのたれ死んでいたかもしれない。

 いまさらそのことに気が付き、後悔したところで男の仕出かしたことが消えるわけではない。たとえここから生き残ったとしても、男は犯した罪に死ぬまで苦しめられることになるだろう。


「そろそろ移動しよう……」


 ようやく息を整えた男が、立ち上がろうと腰を浮かした時、彼の耳に何かが近づく音が届く。

 男が音の方向へと視線を向けると、通路の向こうからアントレディアの集団が近づきつつあった。

 その姿を見て慌てて駆けだす男の背後から、アントレディアが矢を放つ。

 風を切る音だけを頼りに矢を避けた男だったが、矢の先には何かが結び付けてあったようだ。壁に刺さった矢からは粉のようなものが辺りにばらまかれる。


「げほっ!? くそっ、毒か何かか!?」


 矢に結び付けられた物に気が付かなかった――普段の男であればこのような初歩的なミスは犯さなかっただろう。仲間を手にかけたことによる後悔と恐怖が彼からいつもの判断能力を奪っていた。


 宙を舞う粉を吸い込んでしまった男は、ポーチから解毒剤を取り出すとそれを飲み込む。

 ひとえに解毒剤といっても、多種多様な毒全てを打ち消す万能薬という物はなかなか存在しない。対象の毒の種類ごとに、それに対応した解毒剤を調合する必要がある。

 正体不明の毒を解毒するには、神官の扱う回復魔法か専門の訓練を積んだ者の魔法が必要となる。しかし、仲間であった神官は先ほど男がその手で殺してしまった。

 男が飲んだのは、ジャイアントアントが持つ毒を解毒する物だ。免疫を活性化させる効果も含まれてはいるが、遅効性なうえに気休め程度のものでしかない。

 飲まないよりはいくらかましだが、別種の毒だった場合にはほとんど効果を発揮してくれないだろう。


 毒が回る前にダンジョンから脱出しようと、男はダンジョンの中を走る。途中でモンスターと遭遇することなく男がたどり着いた先は、行き止まりであった。

 どこかで道を間違えてしまったのかもしれない。そう考えた男が一旦引き返そうと踵を返す。


「ヒッ!?」


 背後を振り返った男が短く悲鳴を上げる。何もいないはずの空間――だが、男には恨めし気に彼を睨む仲間の姿が見えていた。


「ア、アルマ……お前生きて――」


 そこまで口にしたところで男は首を振る。

 男は確かに彼女に剣を突き立てていた。もしもそこから回復したとしても、失った血や体力はすぐには戻らない。

 なんとか意識が回復したとしても、ここまで追いかけてくるのはまず不可能だ。それに、ディナンドや他の冒険者の姿も見当たらない。

 じっと彼を見つめる恨みのこもった目。その視線に耐えかねた男が一歩後ろに下がる。

 ふと、男は背後にも何かの気配を感じた。震えながら振り返った男の目に映ったのは、同じく先ほど手にかけたはずの3人の仲間たちだった。


「嘘だ! なんでお前らが――」


 いないはずの人間がいる。あり得ない状況と彼に向けられる憎しみのこもった視線に、男の頭は真っ白になる。

 じりじりと男との距離を詰め始めた仲間から逃れようとするが、周囲を囲まれている男は徐々に壁際へと追いつめられていく。


『お前が殺した』

『お前だけは許さない』

『次はお前の番だ』

「やめろ! やめてくれ!」


 逃げ場を失い、ただその場で震える男の前にやってきたかつての仲間たちは、次々と恨みの言葉を男へ投げかける。

 あまりの恐怖にパニックに陥った男は、手に持っていた剣をめちゃくちゃに振り回すが、ただ仲間の体をすり抜けるだけだった。

 ついに腰を抜かし、その場にへたり込む男。すでに正気を保っているかどうかも怪しい男へと、仲間たちの手が伸びる。


「なんで、なんで……あ、ああぁ」

『捕まえた』

『ここでお前も死ね』

「は、はは、きっと夢だ。これは夢だ。いつもの悪夢なんだ――」


 自分が手にかけたはずの仲間にまとわりつかれ耐えきれなくなった男は、ベルトに差していたナイフを抜いた。

 きっとこれはただの夢、早くこの悪夢から覚めなければ――そう考えて己の首をナイフで切り裂いた男はたった一人血だまりの中へと沈んだ。


 フェアリーマッシュの胞子と裏切った仲間たちへの罪の意識によって、ありもしない幻覚を見ていた男。彼がこの悪夢から目覚めることは無かった。

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