#69 欲望の大迷宮
ソナナの町に遠征隊が帰還してから2ヶ月が経過した。
クラン『久遠の旅路』の主催で計画された第一次遠征隊は、参加した112人の冒険者のうち58人が死亡。さらに、計画していた1階層の深部には到達したが、転移陣の保守には失敗してしまう。
一度目の遠征ということで、失敗の可能性や多少の危険性は予想されていたが、遠征隊は予想以上の大打撃を受けることとなった。
冒険者たちの中には怪我により引退する者や、恐怖によって武器を握れなくなったものもいた。
ジェフリー率いる『久遠の旅路』もクランの構成員から多くの犠牲を出して、その規模を縮小することになった。
冒険者たちの活気を取り戻すための遠征隊の結成だったが、史上稀に見る大損害によってさらなる悪化を招くと思われていた。だが、遠征隊に参加した冒険者からもたらされた情報により、状況は大きく変わることになる。
ギルドへと報告された情報には、武器を持ち魔法まで扱う新種のモンスター。そして、武具を纏ったジャイアントアントの存在などの驚くべきものが含まれていたのだ。
遠征隊に参加したとある冒険者が持ち帰った槍は、魔槍のように特殊な能力こそ有していなかったが、今の技術では作成不可能な高純度のオリハルコンを使ったものだった。
ギルドを通して売り払われた後は、遠征隊の規定に沿って税金や各種手数料を抜いた額が冒険者たちに分配されることになる。
最終的に一人あたりに支払われたのは金貨約40枚、一般的な平民の年収の約3倍の金額だった。
高ランクの冒険者から見れば、あれだけの危険を冒した対価としては微々たるものだが、たった1本の槍の売却によって支払われたものとなれば話は別である。
遠征隊に参加せずに町で燻っていた冒険者たちの間にもこの情報がもたらされ、いくつもの噂が飛び交うことになった。
オリハルコンや古の竜王の遺骸を使った武具が多数存在している、ダンジョンの奥底には黄金郷が存在する、万病を癒す薬があった――などという噂が広がるも、武具の存在が確認されたのは1階層の最下部近く。長期間の遠征が難しい以上、そう簡単には手に入らない。
一攫千金のチャンスが転がっているのは、なにもこのダンジョンだけではない。以前発見された赤い布のように、あとに続くものがいなければ噂は廃れていくことになる。
冒険者たちが酒の席で語る武勇伝――そのような形で鎮火すると思われた噂だったが、一月前にダンジョンへと向かった冒険者がミスリル製の長剣を持ち帰ったことで火種は一気に燃え上がった。
ミスリルから聖銀へと変質したそれは、少々歪な成長をしていたものの、紛れもなく魔剣と呼べる代物だった。しかも、それをダンジョンの入り口付近にいたモンスターから手に入れたと言うのだ。
その後もいくつかのミスリル製の装備品が冒険者の手によりダンジョンより持ち帰られ、オリハルコンの武器を持った上位個体も確認された。
もしかしたら自分たちにもチャンスがあるのではないか? そう考えた冒険者たちがダンジョンへと向かうようになった。
より強力なモンスターがダンジョン内を闊歩することになり、以前よりも危険度は増している。だが、彼らは冒険者である。命をかけるに値するだけの対価があれば、危険な場所に飛び込んでいくというものは数多く存在した。
人口の減少によって、町に投入した費用を回収できなくなったことに頭を悩ませていた国やギルドも、この機会を利用しようと考えた。
新種のモンスターの存在、ダンジョンから出土する装備品を大々的に喧伝し、あふれ出したモンスターが町を襲わずに引き返したことまでを利用して、他の地域の人間を呼び込んだ。
冒険者、商人、そして研究者――徐々に町へとやって来る人間の数は増え、かつてのような活気を取り戻していくことになる。
長年ダンジョンを研究している学者は、過去にいくつかのダンジョンで見られた現象に酷似しているとの指摘をしていた。
希少な装備類を持ったモンスターがダンジョンの表層を闊歩するその現象は黄金期とも呼ばれ、ある程度の期間が経過すると、モンスターの強化や移動によって難易度が上昇して収束してしまうとのことだ。
事実、ダンジョンに現れる新種のモンスターたちは徐々に強くなり始めていた。それを聞いた冒険者たちは、黄金期が終わる前にできるだけ稼いでしまおうとさらに熱を増す。
多くの人間の欲望を抱え、成長していくソナナの町は、一つの転換期を迎えようとしていた――
◆
「本日の成果に乾杯!」
「「「「乾杯」」」」
かつての喧騒を取り戻した冒険者ギルドの酒場。その一角には5人の男女が集まっていた。
ダンジョンから帰ってきたと思しき彼らは、なみなみと酒の注がれたジョッキを打ち付け、ダンジョンからの生還と手に入れた成果を祝う。
酒を飲み交わしながら騒ぐうちに、いつしか話題は2か月前のことへと移っていった。
「あれからもう2ヶ月か――」
「おい、ルーク! アリーシャの前でその話題は……」
「おっと、済まねえ」
「……ルークもハロルドも気にしなくていいわ。冒険者をやっていればたまにあることよ」
しみじみと呟いた大柄な男をパーティーメンバーの一人が窘める。
アリーシャと呼ばれた女は、頭を下げたルークにそう返すと酒を口にした。
彼女が元いたパーティーは、2か月前の遠征で彼女一人を残して全滅した。
パーティーの中で唯一生き残った彼女だったが、以前から付き合いのあったパーティーの斥候役が引退したため、その抜けた穴に加えてもらう形で冒険者としての活動を続けていた。
パーティーに加わってからしばらくの間はふさぎこんだまま最低限のことしか話さなかった彼女だが、今では新しいパーティーの仲間たちとよく雑談を交わすようになっていた。
彼女の言う通り、冒険者を続けていれば一緒に戦ってきた仲間が死ぬこともある。
冒険者の死亡率は他の職業よりも高い。Bランクを超える頃にはほぼ全ての冒険者が、何かしらの形で知り合いや仲間の死を経験していた。
昨日まで一緒に笑っていた仲間が、次の日には物言わぬ屍になったという話は冒険者の間ではよく語られることでもあった。
「それにアタシなんてまだ運がいい方よ。あの遠征隊に参加して全滅したパーティーや、引退することになった冒険者もいっぱいいるもの」
「アリーシャの言う通りらよ! 暗い話なんれ忘れへ、もっろ楽しい話をしまひょうよ! あっ! そこのおじょーちゃんおかわりもってきれ!」
「ヒルダ……お前もう酔っぱらってるのか――」
ヒルダと呼ばれた女が、空になったジョッキを振り回して、近くにいた従業員に追加の注文をする。飛び散った雫を払ったハロルドが迷惑そうな表情を浮かべてため息をついた。
彼女のおかげなのか、先ほどまで漂っていた暗い空気が少し薄れていた。
アリーシャの言う通り、彼女はまだ運のいい方だ。すぐに別のパーティーに拾われたのもそうだが、パーティーメンバーの残した遺産や、遠征隊に支払われた報酬で壊れた装備を新調することもできた。
遠征隊の生き残りの中にはソロでの活動を余儀なくされたものや、元の装備を新調することもできずに受ける依頼のランクを落とすことを余儀なくされた冒険者も存在する。
そんな冒険者や、引退を余儀なくされた者、さらには生きて帰ることができなかった者に比べれば、彼女はまだ恵まれている。
「よーし! じゃあ昔俺が体験した話をしようじゃないか。あれは――」
「あれは俺がまだ駆け出しの頃だった、でしょ? あなた毎回その話をしてるじゃない」
「そうらー! グエインの話はもう聞き飽きたぞー!」
「じゃあヒルダ! お前が何か面白い話をしろよ!」
「よっしゃー! まかへろ! あれはグエインがCランク試験を――」
「わー! 待て待て! ヒルダ、俺が悪かったからその話はやめてくれ!」
得意げな顔で仲間の醜態を晒そうとするヒルダを、慌ててグエインが止める。彼女が語ろうとした話は、彼にとって聞かれたくない物だったようだ。
運ばれてきた追加のジョッキにヒルダの意識がそれたところで、強引に別の話を始めると他のメンバーもその話に相槌を打つ。いつしかメンバー全員に酔いが回り始めた頃、ダンジョンから手に入る魔剣へと話は移っていた。
「それでよぉ、『この魔剣は俺様にこそふさわしい』なんて言ってかっこつけてるんだぜ?」
「ああ、それなら俺も同じことを聞いたな。オチまで知ってるぞ」
「なんだよ、知ってたなら最初から言ってくれよ! そいつが取りだした魔剣がなんと――手のひらくらいの大きさのナイフだったんだよ!」
「それでも魔剣は魔剣でしょ? それくらいの大きさでもそこそこの値は付くはずよ」
「そうらねぇ……聖銀のナイフなら金貨10枚くらいはするんじゃないろ?」
「この前出てきた長剣で金貨200枚って話だな。今ならまだまだ高く売れるんじゃないか?」
「かーっ! 羨ましいねぇ!」
ダンジョンから持ち帰られている聖銀製の魔剣は、その希少性もあってかなりの値段で売れる。売らずに自分たちで使う冒険者もいるようだが、まとまった金を手に入れて引退する冒険者も存在する。
既に数本がダンジョンから持ち出されており、それを見た冒険者たちは自分たちもと沸き立っていた。
「なあ、俺たちもそろそろ魔剣を狙いに行ってもいいんじゃねえか?」
「そうだなぁ……アリーシャもそろそろうちのパーティーに慣れた頃だからな。危険はあるが、金貨200枚ともなれば喉から手が出そうだな」
「夢はどーんとれっかく、オリハルコンの魔剣を狙おうお!」
「神金製の魔剣なんて手に入れたら、金貨200枚と言わず城がいくつも建つかもねぇ」
「あっはっは、そりゃあいい! もっとも、新種の群れを突破してそのリーダーを倒すなんて無茶な話だけどな!」
特殊能力を持たない物でも途方もない額になる。もしそれが魔剣や魔槍であったら、どれだけの価値が付くだろうか。
ただし、オリハルコン製の魔剣が存在しているのかは不確かなうえに、手に入れるのも一筋縄ではいかない。所詮は酔っ払いの戯言でしかない。
「おいおい、やる前から無茶だと決めつけることは無いだろう」
「そうら! わらひはじょおーさまになるろ!」
「よしよし、わかったわかった。まずは女王になる前に、これ以上酒を飲むのをやめておけ。いつもみたいに二日酔いで苦しむことになるぞ」
その後も酒盛りは続き、酔いつぶれた者が出たところでお開きとなる。
忠告を聞かずにいくつものジョッキを空にしたヒルダは、いつも通り二日酔いに悩まされることになった。
数日後、装備の補修を終えた彼らはダンジョンへと向かう。
彼らを待つのは栄光か、それとも絶望か――それを知るものはまだ誰もいない。




