閑話 キノコパニック 前編
エルフたちとの交渉が終わった翌日。
モニターを出したまま考え事をしていると、フィーネがやってきた。
「ねえねえダン。何を悩んでるの?」
頭の上に乗ったフィーネが、そこから身を乗り出してモニターを覗き込む。
「ダンジョンの全体図?どこか改築するの?」
モニターに映し出されたダンジョンの全体図に、フィーネが不思議そうな声をあげる。
「ああ、使っていない階層を何とかしたくてな……」
そう、このダンジョンは現在使っていない階層が存在するのだ。
現在のダンジョンは全15階層。そろそろ16層目を追加することも考えている。だが、現状使用していない階層が存在してしまっているのだ。
防衛用の階層としては存在しているものの、前回の冒険者たちの行動を見る限りそれらが日の目を見るのはずっと先の未来でのことになるはずだ。
さらに、このダンジョンは階層の広さに対して、モンスターの数が十分だとは言えない。現時点で4万体を超える戦闘型のアントたちがいるのだが、やろうと思えば1階層にその全てを配置することもできてしまうのだ。
他のダンジョンは違うのかもしれないが、このダンジョンはアリの巣状に通路や小部屋が張り巡らされている。その分利用できる面積が、モンスターの数に対して非常に広くなってしまう。
地上部分のみならず、DPを消費せずに地面を掘ってその空間を利用できる、ジャイアントアントを採用したからこそ発生した問題とも言える。
1階層は多数入り込む侵入者に対する構造となっている。複数に枝分かれする通路を利用して、相手をできるだけ分散させてしまう。そして、それを各個撃破するのがメインの目的だ。
1階層上部では入り組んだ通路による敵の分散を、中部では長い通路による相手の疲弊を、下部では大規模な戦闘が可能な領域を用意することで大人数で攻めてきた侵入者を殲滅するというコンセプトになっている。
2階層では、それらを潜り抜けてきた高い戦闘力を持つ相手を予想した構造となっている。天井の無い草原部分での遠距離からの包囲攻撃、さらには威力の高い兵器群や防衛用の砦などを用意する予定だ。それすら突破できる相手にも、未知数であるが対策は用意されている。使用後の手間を考えると、使わないに越したことは無いのだが……
3階層は地表部分の樹海と地下に張り巡らされた迷路で、4階層はひたすら長い通路での時間稼ぎを行う予定だ。
3階層と4階層で稼いだ時間と、1階層と2階層で手に入れた情報を利用して、5階層で決着を付けてしまうのが現在のダンジョンの防衛方針となっている。
たったの5階層しか利用していないが、1つの階層の面積が非常に広くなっていることを考えると、仕方ないとも言える。実際のところは十数階層分の労力を相手に強いることができるのではないだろうか。
新しく生まれたアントの育成やエサとなるアントマゴットの生産、さらに装備等の開発用のスペースを取ったとしても、だいたい2階層か3階層分でしかない。
となると、残りの階層は予備の階層でしかなく、現状は使い道がほとんど存在していないのだ。
もしもの時には防衛用の階層としても使うことができるため、存在しているだけでも意味はあるのだが、やはり少しもったいなく感じてしまう。
長期的に見た場合には一つの階層を、最大限まで下に伸ばしておくという方針は有利になる。そして地下にも領域が広がる以上、そこを掘らずに放っておくわけにもいかない。
維持コストを考えるとモンスターの数を増やすわけにもいかないので、こうして悩んでいるのだ。
「やっぱり生産用の階層を作るしかないか?せっかく新しい機能も追加されたことだし、環境が多ければ何かと役に立つかもしれないな」
「うーん、そうだね。生産用にしておいて、必要になった時にはまた元に戻しちゃえばいいんだよ!」
「よしっ!じゃあさっそく環境を変えていくか!」
「おー!」
方針も決まったので、他のサブマスターとも相談しつつ階層の環境を変えていく。火山地帯や聖域、暗闇や沼地など、その特性を見ながらよさそうなものを採用していく。極端に過酷な環境は、アントたちが活動できず、植物も育たない可能性もあるので今回は採用を見送った。
前回の戦いで手に入れたDPもほとんど手つかずで残っているので、コアルームを拡張して装備開発用の場所も確保しておく。
こうして6階層から12階層までを地表での生産と、地下に張り巡らされた空間での防衛用の階層として改築した。
エルフたちとの話し合いに向けた準備のせいで、中途半端に投げ出す形となっていた品種改良だが、これだけの環境があればいろいろと検証することもできそうだ。
「環境も設定し終わったことだし、さっそく品種改良の続きといこう」
「じゃあちょっと待っててね!アタシ皆を呼んでくる!」
そう言い残してフィーネが仲間の妖精たちを呼びに行く。
しばらくすると、大量の妖精を引き連れたフィーネが戻ってきた。
「じゃあまずは6階層に向かおうか。まとめて転移で向かうとしよう」
「「「「おー!」」」」
妖精たちを連れて6階層へと転移する。6階層は特に大きな特徴も無い草原と、まばらに生えた木々のある階層になっている。
さっそく妖精たちはフィーネとフロレーテに頼んで新しい植物を作っていく。世界樹の枝を植え終わった俺のもとへも、順番を待ちきれない妖精たちが殺到することになった。
ある程度作ったところで別の階層へ移動を繰り返していたのだが、そろそろ別の仕事にも取り掛からなければならない。
仕方ないので、後はフィーネとフロレーテに任せてコアルームへと帰還するとしよう。
「フィーネ、フロレーテ、俺はそろそろ戻るから後は任せていいか?」
「うん!任せておいてよ!」
「はい、出来上がった植物は後でまとめて報告すればよいでしょうか?」
「ああ、よろしく頼む」
転移でコアルームへと戻ると、アーマイゼやシュバルツからの定期報告を受け取り、今後の方針を決めていく。そろそろ作業も終わろうかというところで、フロレーテからの報告も届いた。
ふむ、出来上がった植物はお菓子や玩具になるものも多いが、改良次第では化けそうなものも含まれている。これは今後に期待だな。
出来上がった植物たちは、今後のダンジョン防衛に役立ってくれるだろう――
そして、それからおよそ2週間後。その日の作業を終え、眠りについてしばらく経った頃だっただろうか。
『ダン様!ダン様!起きてください!』
アーマイゼからの念話で叩き起こされる。
その声は焦りを含んでいた。どうやら緊急事態のようだ。
「何があった?侵入者か?」
『お休み中すみません。ですが緊急事態です。まずは11階層の様子を見てください』
アーマイゼに急かされて、モニターで11階層の様子を確認する。
モニター越しに映し出された光景を見て、抜けきっていなかった眠気が吹き飛んだ。
「なっ――アーマイゼ、何が起こっているんだ?」
『確認していただけたようですね。先ほど急に発生したのですが、瞬く間に地表が覆い尽くされてしまいました』
「なるほど……これは、カビか?」
11階層は湿気の多めな森林になっていたはずなのだが、今はその地表部分を白いカビのようなものが覆い尽くしている。
眠る前には異変はなかったはずなのだが、それだけ広がるのが早かったのか?いや、地下に根を張り巡らせていたという可能性もあるか。ならば原因は何だろうか。
11階層に侵入者の反応はないようだ。ダンジョンに所属するモンスターの反応もない。
となると原因は、品種改良で作り上げた何かということになる。カビのようなものとなると――そういえば報告の中には、妖精の里に生えていたキノコを改良したものも存在していた。
あの時は植物だけでなく菌類も改良できた程度で流していたのだが、それ以外には原因は思い当たらない。
とりあえず、何が起きているのかを確認するとしよう。
地表付近をモニターで確認していく。
辺りには胞子が舞い、地面には菌糸が張り巡らされている。以前の森の面影は、白みがかった菌糸に覆い尽くされそうになっている木々だけだ。環境設定時に用意されたはずの生物も見当たらなかった。
周囲を確認していると、モニターの視界の端を何かが横切る。……動物は存在していないはずなのだが、確かに何かが動いていたのは間違いない。
疑問に思いながらもその影を追うと、そこにいたのは真っ赤なカラーリングの傘を被ったキノコだった。
「これは……」
『キノコ、ですね。いえ、本当にキノコなのかは疑わしいところですが』
「……そうだな」
モニターに映っているのは、確かにキノコで間違いは無かった。ただし、2足歩行で歩くそれがこの世界の一般的なキノコに当てはまるのかは疑問が残るのだが。
20㎝ほどの大きさの2足歩行のキノコは、こちらに観察されていることにも気づかず、悠々と菌糸で覆われた森の中を歩いていた。