閑話 深き森の神
ハイエルフ視点での閑話です。
ちょっと短めになってしまいました…
メルエルたちとダンジョンマスターの話し合いが行われてからおよそ2週間が経過した。
役目を終えた彼らは、すぐさま世界樹の森へと向かった。長期間の空の旅の後、ようやく故郷の森へと帰還した彼らは、彼らの崇める神であるハイエルフへと今までの調査の結果を報告していた。
世界樹の根元に作られた社から眷属たちを見下ろすハイエルフは、じっと眷属の報告に耳を傾けていた――
◆
社の前へとやってきた4人の眷属たちが報告を続ける。
どうやら眷属たちは予想以上に活躍してくれたようだ。まさかここまで調べてきてくれるとは思いもしなかった。
いくらか危ない橋も渡ったようだが、欠けることなく帰ってきてくれて何よりだ。
「――以上が、此度現れた迷宮の主について調べた情報となっております」
「ふむ、よくぞここまで調べ上げてくれた。褒めて遣わす」
「勿体なきお言葉にございます」
「そなたらも疲れているであろう。もう下がってもよいぞ。ゆっくりと疲れを癒すがいい」
「「「はっ」」」
ふむ、一人だけその場から動かないものがいる。
確か、メルエルといったか。直接迷宮の主と話した者だったはずだ。
どうやら、何か聞きたいことがあるように見える。
「……大長よ、一つだけ聞きたいことがございます」
「許す、申してみよ」
男は少し逡巡すると、意を決したように顔を上げた。
「彼の地に現れた迷宮の主は善性を持つものでした。その心はいつか変わるやもしれませぬが、今は外に興味も無いようです。大長は如何なさるおつもりでしょうか」
こちらを真っ直ぐに見つめる男を社の上から見下ろす。
ふむ、良い目をしている。おそらくは迷宮の主と直接相対し、何か感じるものがあったのか。
命令があれば戦うが、できるならば彼の迷宮の主とは戦いたくはないのだろう。
「彼の者が世界の脅威となるならば滅さねばならぬ。――だが、彼の者が世界の脅威となる可能性は低い。今はその必要はないだろう。……これで憂いは晴れたか?」
「……はい」
「では下がるがよい。樹液を使った反動はまだ癒えてはおらぬはずだ。ゆっくりと休め」
「はっ」
立ち上がり、去っていく眷属たちを見送ると、社の中へと戻る。
眷属からの報告と先ほどの様子を見る限り、此度の迷宮の主は危惧していた存在ではなかった。
今回の迷宮の主の調査。その切っ掛けは、旧い友からの助けを求める声だった。
炎竜の王が友の守る森を襲っている。子供たちを守るために力を貸してくれ、と。
神となった今は気軽に会いに行けぬとしても、大事な友の頼みだ。できるならば聞き届けたい。だが、友の住む土地と此処はあまりにも遠すぎた。
神である以上、眷属たちを放って助けに行くこともできない。できるのは地脈を通じて少しばかりの力を分けることのみ。世界樹の分身である友だったが、相手は神格を得るほどの力を持つ炎竜王だ。こちらの支援があったとしても分は悪かった。
結果として友の守りたい子供たちは生き残ったようだが、力を使い果たした友の体は朽ちてしまった。完全に朽ちる前に精神だけはこちらへと逃がすことはできたが、その後のことはわからない。
己の子供たちを心配して嘆く友を慰めているところへ、各地に散らばる眷属から、新たに現れた迷宮の主がその配下を用いて炎竜王と争い、彼の竜王を討ち取ったと知らせが届いた。
友の話を聞く限り、彼女の子供たちを助けたのはその迷宮の主なのだろう。だが、聞くところによれば、その迷宮は見つかってから未だ一年も経っていなかったそうだ。
もし仮に炎竜王の神格が揺らいでいたとしても、その力は強大だ。そう簡単に倒せるものでは決してない。
そのような力を持つ迷宮の主が外へと侵略を始めれば、地上に住む者との争いが始まる。その戦いはかつての大災厄、いやそれ以上の災厄をもたらすことになるかもしれない。その余波は彼の大陸のみならずこの大陸まで、そしてこの森まで届くこともあり得る。
もし相手が友の恩人であったとしても、眷属に害を及ぼすならば神として手を打たなければならない。それに、その戦いで迷宮の主が討たれることになれば、その庇護下にあるだろう友の子供たちまで危険に晒されることになる。
ならば眷属を護る神として、そして大樹の友としても、彼の地の迷宮の主を見定めなければならなかった。たとえその先で、友の恩人を滅ぼすこととなったとしても。
そうと決まれば急いで動かなければならなかった。すぐに眷属を集め、彼の地の迷宮の主を調べさせることにした。
神になる前なら自分で向かっただろう。だが、今ではもうその選択肢を選ぶことはできない。
眷属たちには少々隠し事をすることにもなったが、語ったことは全て真実だ。勇者が召喚され、各地の地脈も乱れている。そして炎竜王にまで異変があったとなれば、何かが起ころうとしているのは明白だった。そこに現れた迷宮の主となれば、今起きている異変にも関係があるかもしれない。
眷属を迷宮に向かわせる際に、いつまでも子供を心配していた友に新たな体を与えて同行させてやったのだが――先日友からの感謝の言葉が届いていたということは、目論見はうまくいったようだ。
眷属たちが調べた情報からも、今のところは問題はなさそうだ。もし眷属の報告が全て事実だとすれば、いつかは彼の地の迷宮の主も自分のように――
いや、今はそんなことを考えている場合ではない。
彼の地の迷宮の主は脅威となる可能性が低いことは判明した。だが、未だに異変が続いていることに変わりはない。
報告にあった、炎竜王に傷を与えた存在。
彼の竜王が持つ力は強大なものだった。もし争うことになれば、負けるとまでは言わないが、追い返すことがやっとだろう。だからこそ、それを討ち取った迷宮の主の力を危惧していたのだが、竜王はすでに瀕死だった。
炎竜王をそこまで追い込む力を持つ者は存在する。しかし、彼らが動く理由は無い。そして、動いた様子もなかった。
あれからいくつかの情報を手に入れている。
まず、聖国が召喚した勇者だが、その要因となった神託は《東の地より災厄が訪れる》だった。
もう少し情報が欲しいところだが、聖国の上層部は人族のみで占められている。エルフである眷属たちが嗅ぎまわるのは難しい。
地脈の乱れの原点もすでに判明している。ルーナ山脈のどこかに地脈を乱す元凶が存在しているはずだ。
炎竜王が治めていた地、そして、聖国の遥か東にあるのもまたルーナ山脈だ。今回の異変の元凶が、おそらくそこにあるのだろう。それが何かはまだわからないが、元凶の居場所が判明したのならば調査する必要がある。
そして気になるのは、聖国の崇める創世神だ。
迷宮の主は異世界より落とされし者だ。だが、それが自然に現れることなどまずありえない。ならば何者かが、何かを目的として呼び出していると考えるのが自然だ。
異世界から別の存在を呼び出すには途方もない力が必要となる。それを何度も行うとなれば、可能なのは神、それも上位の力を持つ者だけだ。
この地に落ちて長い時が過ぎた。世界樹を育て、森を広げ、迫害されていた者を集め、彼らの信仰によって神へと至ったが、別の世界から何かを呼ぶとなればたとえ自分でも消耗は激しいものになる。
この世界に遥か古より存在し、今も強大な力を誇る神というのは少ない。神に至るのは難しいが、その力を失うのは簡単だ。
今在るそれらの神々の中で大きな力を持つのは、そのほとんどが概念が具現化して神へと至った物ばかり。彼らがその概念に関係のない部分で世界に干渉することはない。
ならば候補として残るのはたったの一柱、今まで何度も勇者という形で異世界から人間を呼び出している創世神以外にはない。
創世神――それが本当にこの世界を創った神であるのかは定かではない。
ただ確実なのは、遥か昔よりこの世界に存在していること、圧倒的な数の信仰による絶大な力を持っていること。そして、概念が具現化したことにより発生したわけではないことだけだ。
もし創世神が裏で糸を引いているとしたら、その目的はいったい何なのか。そして、何が起ころうとしているのか。
その全てを知る術はない。しかし、ただ傍観する訳にもいかない。
神と呼ばれているが、自分は全能の存在ではない。未来を見通す力は無く、ただ大きな力を持っているだけだ。より大きな力を前にすれば膝をつくことにもなるだろう。それを避けるためにも、できる限りのことを為さねばならない。
自分を神と崇める眷属のために。そして、永き時を経て手に入れたこの日常のためにも――