#62 交渉前日
ソナナの町に立ち並ぶ、冒険者のパーティーに貸し出される宿泊施設のうちの一つ。
そこの1階に置かれたテーブルに、ようやく起き上がれるようになったメルエルたちが集まっていた。
メルエルは、彼らの貸し切り状態になっているそこを見回す。
トルメルとリーナは既に来ているが、テシータはまだ姿を見せていないようだ。
「後はテシータだけか。そろそろ時間になるはずだが」
「テシータさんが一番樹液を使った反動が酷かったですからね。命に別条がなかったのは幸いでしたが……」
リーナがそうつぶやくと、2階へと続く階段の方を心配そうに見やる。
しばらくして、ようやくテシータがその姿を現した。彼女の顔色は悪く、その足取りもおぼつかない。
「やあテシータ、具合はどうだい?」
「……最悪ね。今戦えと言われても、さすがにごめんだわ」
「私もまだ本調子ではありませんね。完全に回復するには、まだまだかかりそうです」
「樹液の反動で死者が出なかっただけでも御の字だろう。こちらが指定した期限は明日に迫っている。これ以上寝ているわけにもいかないからな」
ふらふらと歩くテシータがテーブルに就くと、交渉に向けた話が始まる。
「さて、我々の指定した期日が明日に迫っている。そこで、今日のうちに今後に向けた話をしておきたい。トルメル、司会を頼む」
「ああ、任せてくれたまえ。じゃあまずはそうだね……交渉の話に入る前に、今までの動きを見直すとしよう。僕たちはおよそ2か月前、ダンジョンが脅威になるかどうかを調べるために世界樹の森を旅立った。その後、約2週間の空の旅の後にこの町に到着したわけだね」
「その時は町の活気が失われてたのよね。それで、ギルドに情報を聞きに行ったら遠征隊の話が聞こえたのだったかしら」
テシータが、活気の失われた町の様子を思い出す。
今もソナナの町には以前のような活気は無く、ダンジョンの攻略もある程度落ち着くまで自粛する空気のようだ。
「そうだね。あの当時の予定では、僕たちは現地での情報収集と、ダンジョンの持つ戦力を調査する予定だった。そこで、遠征についての話が始まる前に、先に情報収集を行ったわけなんだけど……この時の調査で、ここのダンジョンマスターが侵攻に消極的な可能性が判明したわけだ」
「モンスターが一般人を襲わなかったことと妖精がダンジョンマスターによって救われた可能性があるということでしたね。それと、この町の存在を知りながらも放置していたこともあります」
「そうだな。この段階で、我々の目的の一つである情報収集に関してはほぼ完了していた。状況から推測するに、ダンジョンマスターが外へ侵攻を開始する可能性は現時点では低いだろう」
各種状況から、このダンジョンマスターは外で戦闘を行うことに消極的であり、さらに性格面でも善良であることが推測される、とメルエルが自分の意見を補強する。
ダンジョンからの脱出の際、町までジャイアントアントが追いかけてこなかったのも、彼らの意見を補強する要因となるかもしれない。
「メルエルの言うように、現時点ですぐに外部への侵攻が行われることはないだろうね。さて、ここで僕たちには選択肢が追加されたわけだ。ここのダンジョンマスターが善良な存在であった場合、交渉を行いその裏付けが取れれば、ダンジョンの脅威度はほとんど無いということも可能になる。だけど、ダンジョンマスターとの交渉は困難を極めることが予想された。それに、今は善良な存在であっても後々それが変わってしまう可能性は否定できない」
「だからこそ、不確実な交渉よりも、当初の予定である戦力調査を優先したわけね」
「ああ、交渉は事前に考慮していなかった分、不確定な要素が多すぎた。遠征隊という我々に有利な状況が存在していたことも判断基準の一つだ」
ダンジョンの戦力調査とダンジョンマスターとの交渉は、戦力調査を行うことでダンジョンと一度敵対してしまう以上、両立させることは難しい。
最終的な結果として遠征隊は半壊。さらに、それに参加した彼らも代償は支払うことになったが、彼らの目的である戦力の調査は成功している。
ダンジョンの発生時期やギルドに登録された今までの記録と照らし合わせれば、今後のダンジョンの成長をある程度予測することは可能だ。
「さて、ここからが本題だね。今回の戦力調査に乗じて、ダンジョンマスターが万が一こちらの交渉に応じる可能性も考慮して、ダンジョンの各地に交渉に誘うための手紙を置いてきている。しかし、僕たちがダンジョンから脱出する際、ダンジョンマスターの配下であるモンスターを大量に倒してしまった。脱出のためには避けられなかったとはいえ、ダンジョンマスター側から見ればそんなことは関係ないだろうね」
「あの状況で生き残るにはあれが最善だった。ダンジョンの戦力調査を達成するためにも、どのような道を進んでも戦闘は避けられなかっただろう。その代りに、最初からほとんど無かったあちらが誘いを受ける可能性が、さらに低下することにはなっただろうが……あの判断が間違っていたわけではない」
「そうですね……きっとダンジョンマスターは私たちを敵視しているでしょう。もしかしたら仲間を殺した私たちを恨んでもいるかもしれませんね」
「でもあのまま指をくわえているわけにもいかなかったのも事実よ。ダンジョンに入る前に、彼らと敵対する可能性も、交渉が絶望的になる可能性も考慮していたはずよ」
向こう側の心情を思い、ぽつりとこぼしたリーナにテシータが反論した。
未だにその顔色は悪いが、彼女の顔には後悔の感情は無い。そんなテシータの様子を見て、トルメルが頷く。
「いまさら後悔したところで結果は変わらないからね。僕たちは先に進むしかない。まず決めるのは、明日指定した場所に向かうかどうかだね。リーナ、指定した場所の様子はどうだい?」
「はい、ジェインとヘリオンに頼んで調べてもらいましたが、周囲にも地中にも目立った変化は無いようですね。向こうに到着した途端に罠が仕掛けられていたということはないでしょう」
リーナはある程度体調が回復した時点で、待ち合わせに指定した場所の周囲の確認を行っていた。
ダンジョンの入り口から少し離れた地点にある待ち合わせの地点。その周囲にはモンスターもほとんど見当たらず、地中に罠が仕掛けられている様子もないことを確認している。
「ありがとう、リーナ。さて、僕たちには2つ選択肢がある。まず一つは、交渉の可能性を信じて待ち合わせの場所に向かうこと、もう一つは、このまま交渉をせずに帰還することだ。あちらが僕たちを敵視していることがほぼ間違いない。僕たちからの誘いに乗ってくれる可能性は限りなく低いだろうね。たとえ相手が来ても、もしかしたら僕たちを倒すつもりの可能性もある。当初の目的である情報収集と戦力調査が既に完了している以上、無理に交渉をする必要はないと言っていいだろう。僕たちの目的は、ダンジョンの脅威を測ることであって、彼らと和平を結ぶことではないからね」
「……それなら交渉なんてやめて、もう帰ってもいいんじゃないかしら?待ち合わせの場所に向かうのはデメリットの方が大きいでしょう?」
テシータが森への帰還を提案する。目的がすでに果たされている以上、万全ではない状態で敵と待ち合わせすることに不安を感じているのだろう。
もし相手が彼らを攻撃するつもりでいた場合、今の状態では逃げ切れない可能性もある。
「テシータの意見は正しいね。ただ、万が一交渉ができた場合は、情報の裏付けが取れる。もしかしたら新しい情報も手に入るかもしれないね。もし相手が本当のことを言わなくても、それでマイナスになることはないだろう。ただし、交渉することにメリットはあるけど、それよりもデメリットが圧倒的に大きい以上、僕としてはあまりおすすめはできないけどね。どちらを受けるかの最終的な判断は――メルエル、リーダーである君に任せよう」
トルメルがそう締めくくるとともに、メルエルの元へと視線が集中する。
待ち合わせの場所に向かうか、それともこのまま帰還するのか――しばらく考え込んだメルエルが、リーナの方へと顔を向ける。
「そうだな……リーナ、待ち合わせに指定した場所の周囲には危険はないんだな?」
「はい、地上には怪しいものはありませんでした。地中はそれほど広範囲を調べられるというわけではないのですが、前回のように崩落などの罠が仕掛けられているということもないでしょう」
指定した地点には罠は無い。だが、ダンジョンマスターがいきなり現れることもないだろう。そうなれば、自然と交渉を行うのはダンジョンの中でということになる。
未だに樹液によって受けたダメージが回復しておらず、体調は万全とは言えない。その状態で戦闘を行うことになれば、次は生きて戻ることはできないかもしれない。
そこまで考えて罠が無いと言いながらも、どこか不安げに話すリーナ。
「……そうか。周囲に罠が仕掛けられていないのならば、攻撃されるとしてもダンジョンの中でだろう。その場で狙われる可能性は低い。相手の数が少なければ、襲われたとしても切り抜けることも可能だろう。それに、ダンジョンの外なら、いざとなればジェインを使って空に逃げることもできる。それならば待ち合わせの場所に向かうとしよう。相手が来ないならそれでよし。相手が来た場合は、その様子を見てその場で判断する」
「ふむ、メリットがあるかもしれない以上とりあえずは会ってみるということだね。僕たちは一度相手と敵対して、さらにその勢力下にいるモンスターを倒すことで損害を与えている。もし交渉をするとしたら、その点を指摘されると不利になるのは免れないよ」
メルエルが待ち合わせの場所に向かうことを決めると、さっそくトルメルが交渉をする場合の注意点を指摘する。さらに、彼はいくつかの注意点を並べていく。
「僕たちが相手に損害を与えてしまっていることだけじゃない。相手側には妖精がいるはずだ。彼女たちの前では嘘は通じないからね。この点でも不利なのは間違いない。交渉を受けるならどの情報は渡してもいいのか、渡してはいけない情報は何かをある程度考えておく必要がある」
「相手が私たちを敵視しているかもしれない以上、嘘の情報を伝えるわけにはいかないわね」
「ではさっそく細かいところを詰めていくとしましょう。待ち合わせの場所での判断基準、それと伝えられない情報を考えなければいけませんね」
「それと、もしもの時のために今までに手に入れた情報を送っておこう。トルメル、頼めるか?」
「手に入れた情報は全部まとめてあるよ。出発する前に送っておくとしよう」
その後意見をまとめると、彼らは出発の時間まで仮眠を取り、体力をできるだけ回復させる。
そして深夜、ジェインの背に乗り夜の闇に紛れて町を出た彼らは、ダンジョンのある方角へと向かった。
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