#61 それぞれの想い
エルフたちとの話し合いに向け、準備を始めてから4日が経過した頃。
交渉場所を準備し終え、別方面の作業を進めていたアーマイゼから念話が届いた。
『ダン様、少しお時間を頂いてもよろしいでしょうか?』
「アーマイゼか、どうかしたのか?」
『少しお話したいことがあるのです。どこか邪魔が入らない場所で、私とフォルミーカ、そしてダン様でお話ができないでしょうか?』
「……わかった、すぐに向かおう。場所は――7階層のアーマイゼたちがいた部屋でいいだろう。あそこは最近はほとんど使っていないはずだ」
『わかりました。では先に向かってお待ちしております』
アーマイゼとの念話が切れる。
念話越しのアーマイゼの様子は、どうにも何か思いつめているようであった。
何かよくないことでもあったのだろうか?それか、先に控えているエルフたちとの話し合いに何か懸念でもあるのか――
ここで考えていても答えは出ないだろう。
既にアーマイゼたちは、待ち合わせの場所に向かっているようだ。こちらも作業をいったん中止して、アーマイゼたちの元へ向かうとしよう。
『ダン様、お待ちしておりました』
「すまない、少し遅れたな。何か話があると聞いて来たんだが」
アーマイゼは、じっとこちらを見つめたまま何も言わない。フォルミーカは、アーマイゼが話すのを待っているようだ。
7階層の周囲にはほとんどアントたちがいないこともあって、辺りは静まり返っている。そして、ようやくアーマイゼがその口を開いた。
『ダン様……なぜダン様は今回の誘いを受けようと思ったのでしょうか。以前の会議では、外から情報を得るためだと言っていましたが、私にはそれだけだとは思えないのです』
『私もアーマイゼと同じ意見だよ。確かにご主人の言ったように、外の情報は役に立つかもしれない。だけど、どうしても手に入れなければいけないわけじゃないよね?』
……フォルミーカの言う通りだ。
エルフの使った切り札や、その他もろもろの外の情報は、どうしても今必要というわけではない。
確かに、エルフの使ったあの切り札は、ダンジョンを防衛するにあたって脅威となるかもしれない。だが、最初から最悪の事態を考えて動けばいいのだ。始めから数百人規模で運用できる可能性も考えて、慎重に戦いを進めればいい。
そのせいで逃げられてしまう可能性もあるかもしれないが、こちらが戦う最大の目的はダンジョンの防衛だ。敵に逃げられようと、ダンジョンが防衛できたならこちらの勝利なのだから。
他の情報にしたってそうだ。こちらの場合は、何もエルフたちから手に入れる必要はない。
もうしばらくすれば、騒ぎも落ち着いて新しい侵入者がダンジョンへやってくることもあるだろう。
その時に適当な冒険者を捕まえて情報を引き出すこともできるはずだ。
情報が手に入れば、防衛に当たって役には立つ。だが、無くても取り返しがつかないというわけではない。
『ダン様、もしかすると……今回の戦いで犠牲になった眷属のことを気にしているのではないですか?もしそうならば、私たちは――』
そこでアーマイゼは口を閉じる。どうやら、その先の言葉が出ないようだ。
そんな彼女の様子を見ていたフォルミーカが、その先の言葉を引き継ぐ。
『ご主人、私たちは心配なんだ。もしかしたら、私たちの存在がご主人の重荷になっているのかもしれない。私たちが感情のないただのモンスターだったら、ご主人は危険を冒すことが無かったんじゃないかってね』
「そんなことは――」
とっさに否定しようとしたところで、言葉に詰まってしまう。アントたちの存在が重荷になっていないと言えば、それは嘘になる。
以前、炎竜王によって妖精の里が襲われたとき、俺はフィーネと配下のアントたちを天秤にかけ、フィーネを選んだ。
フィーネからアントにも感情があることは聞いていたし、俺の我儘でアントたちを犠牲にすることに、後ろめたさを感じていなかったわけではない。だが、直接話すことができず、ダンジョンマスターとしての配下でしかなかったアントたちよりも、近くにいて話すことができ、相棒となっていたフィーネのことを優先したのだ。
その選択が間違っていたとは言えない。結果的に炎竜王を倒し、フィーネの仲間である妖精たちを救うことができた。アーマイゼたちを進化させるきっかけにもなったし、アントレディアたちの装備としても炎竜王の素材はかなり有用なのは間違いない。
アーマイゼはその時の選択を気にする必要はない、彼女たちがそれを恨むことなどないと言ってくれた。しかし、心の奥では彼女たちに対する負い目がくすぶっている。
そして――アーマイゼたちがエンプレスアントへと進化して、直接彼女たちと意思の疎通ができるようになった。そう、彼女たちにも、俺たちと変わらないような感情があったことを実感してしまったのだ。
以前アーマイゼは言っていた。
ジャイアントアントは群れの、そして群れを導く者のためその命すらかけて戦ってくれる。つまり、その献身の全てはダンジョンとダンジョンマスターへと向かうことになる。
ジャイアントアントは一体一体は弱いモンスターだ。だから、俺の指示一つで、何十、何百、時には何千というアントたちが戦い命を落とすことになる。そして、その全員が大小はあれど、感情を持っているのだ。
ダンジョンを守るためには仕方がないとはいえ、これが重荷にならないはずがない。
「確かにそうだ……アントたちが重荷になっていることは間違いない」
『ダン様……』
『ご主人……』
そして考えてしまうのだ。俺は、俺のために死んでいったアントたちに対して何ができるのか――
かつては、ダンジョンの増築も、侵入者との戦いも俺が指揮をしていた。ダンジョンマスターである俺がいなければ、ダンジョンという存在自体が成り立たなかっただろう。しかし、今はそうではない。
ダンジョンを増築する場合、その具体的な構造はアーマイゼとフォルミーカが指揮している。俺はただ、ある程度の方針を考え、彼女たちに伝えるだけでいい。彼女たちは、俺では分からないような細部にまで気を配ってくれているのだ。
戦いに関してもそうだ、ある程度の方針や作戦は俺が決めているが、それを実際に行動に移すのはシュバルツと、その配下たちがやってくれている。俺では万を超えるジャイアントアントを指揮することはできない。
ダンジョンの規模が大きくなるにつれ、その仕事は膨大な量になる。だから、これが本来あるべき姿なのだろう。だが――そこに俺は本当に必要なのだろうか?
俺が何もしなくても、彼女たちの手によってダンジョンを維持していくことはきっと可能だろう。
もし、俺がいなくてもダンジョンは運営できるとしたら、俺は何をするべきなのか。
知恵を絞り、策を考え、戦いに赴くアントたちの犠牲をできるだけ減らす。そして、彼女たちの働きから最大限に成果を引き出す。彼女たちの献身を無駄にしないようにすることが、きっと俺の役割なのではないだろうか。
「お前たちを導く者として、俺の役目は散っていったアントたちの想いを無駄にしないことだろう。だからこそ、エルフの誘いに乗ることを決めたのは否定しない」
『だったら!だったら私たちは心なんて欲しくなかった!感情のないモンスターであれば!使い捨てにできる駒だったなら!きっとあなたは誘いを受けなかった!違いますか!ダン様!』
アーマイゼがその胸の奥に秘めた想いを爆発させる。
悲痛なまでのその想いは、声を発することのない念話だというのに、周囲を揺さぶっているようにも感じるほどだった。
アーマイゼの想い。それはジャイアントアントとしての、より上位のものを守ろうとする本能――ただそれだけではないのだろう。
進化を重ね、より複雑な感情を手に入れ、別の価値観に触れることで、それが混ざり合ったからこそ、これだけの想いがあふれたのだ。
だけど、そしてそれはこちらも同じなのだ。
「アーマイゼ、聞いてくれ。もし、お前たちが使い捨てにできる駒だったら、危ない橋を渡ることはなかったかもしれない。だけど、俺はそんなものは望んでいない――」
アントたちの命を背負うのは、確かに重荷ではある。彼女たちが使い捨てのできる駒であったなら、エルフたちの誘いなど受ける必要はなかっただろう。だが、もし過去に戻れたとしても、きっと同じ未来を選ぶはずだ。
アーマイゼたちと会話ができるようになり、その価値観や感情に触れ、いつしかただの配下から仲間と呼べるようになった。
失った記憶の中には、もしかしたら昔の仲間や、家族の記憶もあったのかもしれないが、今はこのダンジョンが俺の拠り所であり、アントや妖精たちが仲間であり家族なのだ。
仲間であるアントたちが、戦いの中で命を落とすのは辛い。だが、それを否定してしまえば、彼女たちの想いと価値観を踏みにじることになる。
だからこそ、糸のような細さの先にあるほんの小さな成果であっても、僅かにでも可能性があるならば手繰り寄せる。
少しでも多くの成果を手に入れ、散っていったアントたちに無駄ではなかったと示したい。そして、今もなお俺を支えてくれる仲間たちに報いたいのだ。
もしかしたら、この気持ちはただの我儘や自己満足なのかもしれない。
俺が死ねば、ダンジョンは消滅する。彼女たちは俺に危ない橋を渡らせるのを望んでいないのだろう。
それでも、考えうるあらゆるリスクを消し去り、その先にたった1%でも何かが手に入る可能性があるならば、俺は迷わず手を伸ばすだろう。
今もなお、この肩には仲間たちの想いが、ずっしりとのしかかっている。
だが――俺は、俺に寄せられる仲間たちの想いを投げ出してしまいたいとは思わない。
これは、記憶とともに何もかもを失った俺が、心の底からやりたいと思ったことなのだから。
そんな想いを、目の前にいるアーマイゼとフォルミーカへとぶつけていく。
彼女たちはその間、口を挟むことなく、ただじっと俺の言葉を聴いてくれていた。
「――だから、俺はお前たちが駒であって欲しいなどとは思わない。仲間のために重荷を背負うことを嫌だとは思わない。思うはずがない」
結局はそういうことなのだ。
ダンジョンの防衛に、エルフたちから手に入る情報を役立てたいというのは、嘘ではないが全てでもない。
その根底には、俺に献身を捧げてくれる仲間たちに報いたいという気持ちがあるのだ。
その想いを表に出すことはなかった。しかし、アーマイゼたちには気付かれていたようだ。
もしかしたら、フロレーテも気が付いていたのかもしれない。
一番危険なエルフたちとの接触に、彼女は自分がやろうと名乗り出てくれた。
それは、俺たちに受けた恩を返したいという気持ちもきっとあるのだろう。だが、もしかしたら、言葉の奥に隠された俺の想いを読み取り、それを酌んでくれたのかもしれない。
フィーネもシュバルツも、もしかすると気が付いているのかもしれないな。
思いの丈を全てぶちまけ終えると、辺りを再び静寂が包み込む。
『――きっと報われています』
静まり返った部屋の中に、アーマイゼの声が響く。それは、嬉しいような、それでいて少し悲しいような声だった。
『貴方にそこまで思ってもらえただけで、きっと私たちはもう報われています』
「そうか……」
『ええ、そうです。きっと眷属たちもそう思っているでしょう。そんな優しい貴方だからこそ、私たちはそれに報いたいと思うのです。ですが、それと同時に――私は怖いとも思うのです』
『ご主人は、私たちのために何かをしようとしてくれる。だけど、もしかしたらそのせいで、ご主人が危険にさらされることがあるかもしれない。それが私たちは怖いんだ』
『貴方が望むなら私たちはその全てを捧げましょう。あらゆる困難が立ちはだかったとしても、必ず打ち払って見せましょう』
『だから、ご主人は私たちのために死んじゃだめだよ。私たちのために何かをしようとするなら、ご主人の安全を確保しておいて欲しいな』
「ああ、最初からそのつもりだ」
もし俺が死ぬようなことがあれば、今までの彼女たちの献身を全て無駄にすることになる。
だからこそ、今回の交渉に向けて、いくつもの安全策を用意しているのだから。
もし、どれだけ策を用意しても安全だと判断できなければ、迷わず交渉を無かったことにするだろう。
アーマイゼたちは、その言葉を聞いて少しだけ安心したようだ。
エルフたちとの交渉までの期限は、既に残り1週間を切っている。彼女たちの不安を取り除くためにも、期限内にさらに安全策を用意しておかないとな。




