#56 世界樹の戦士達
通路を駆ける彼らは部屋の中へと飛び込む直前に小瓶の中身を飲み干す。
まず先陣を切ったのはメルエル。部屋の中へと飛び込んだ彼に向けて、全方向から炎が迫る。
彼は正面の炎に向けて不可視の風の弾丸を放ち風穴を開けると、そのまま灼熱の炎の壁の中を突っ切る。
燃え盛る炎の中を潜り抜けた彼の体のあちこちには、深い火傷の跡が見えるが、まるで映像を逆再生するかのように火傷が跡形もなく消える。
「おおおぉぉ!!」
気合とともに肉薄したファイアアントに向けて一閃。
一文字に振るわれたその刃は正面にいたファイアアント数体を切り裂き、斬撃と同時に生み出された風の刃が、周囲の敵を巻き込みずたずたに引き裂く。
切り裂かれたファイアアントの可燃性の体液が周囲に飛び散る――そこに狙いすましたかのように炎が迫り、仲間の無念を晴らすかのように彼らの体液を糧にして火球が急激に膨れ上がる。
「『エアブラスター』!」
まるで間近で太陽が生まれたかのようなその爆発を、自分に向けて突風を起こし飛ばされることで回避。
勢いを殺さずに空中で体をひねるとそのまま垂直な壁に着地。
軋んで悲鳴を上げる関節を無視して壁を蹴るとともに、吹き飛ばされている間に用意した魔法を放つ。
「『ブレードサイクロン』!」
放たれた風の刃は迫る炎を細切れにし、メルエルの眼下を埋め尽くすファイアアントをその下の大地ごと切り刻んだ。その場に着地したメルエルは、炎を散らすように周囲に風を纏いながら地面を飛ぶように駆け、次々とその刃で敵を切り裂いていく。
「私も負けてられないわね!」
テシータは素早く弓を引き搾ると、立て続けに数本の矢を射る。
風を切り裂いて壁の上部に蠢くファイアアントたちへと一直線に飛ぶ矢は、それぞれが空中で数十本の小さな矢へと拡散して着弾。壁に開いた穴から攻撃していたファイアアントが穴だらけになって絶命する。
彼女を狙って幾本もの炎柱が伸びるが、周囲の風を操りながらひらリひらりと舞うように炎の合間を潜り抜け矢を放ち続ける。空中で花のように開いた無数の矢は、その可憐な見た目とは裏腹に、容赦なく敵に突き刺さりその命を奪う。
「ジェイン、カルネ、トルマ、ヘリオン!みんな力を貸して!」
響いたその声に応じて、リーナの契約している上位精霊4体がその場に姿を現した。
火を司るカルネは、燃え盛る炎の中を駆け抜けその爪と牙で敵を屠る。水を司るトルマは、飛び交う炎を消し去り、鞭のようにしなる尻尾で周囲のファイアアントを吹き飛ばす。風を司るジェインは迫る炎をはじき返し、羽ばたくごとに巻き起こる突風が敵だけを吹き飛ばし、味方の動きを助ける。そして、土を操るヘリオンは体にぶつかる炎柱を気にした様子もなく、その重量で敵を踏み潰し、周囲に石の弾丸をばらまいていた。
精霊たちは契約者であるリーナを守り、敵対するファイアアントを容赦なく蹴散らしていく。
「ちょっと背中を借りるわよ!」
ファイアアントの攻撃を空中に逃れることで回避したテシータが、ヘリオンの甲羅の上に着地。素早く矢を射ると、背中を足場にして高く飛び上がる。
重力に任せて徐々に落下しながらも、味方を狙うファイアアントを殲滅していくテシータ。空中にいるために自由に動けないテシータを狙って、ファイアアントたちが火炎放射を行う。だが、その炎は彼女に届く前に下から飛来した風の弾丸にかき消された。
「まったく、いくら樹液の効果中は炎に包まれても死なないとはいえ無茶苦茶だね。痛みは感じるのだからあまり無理な戦いはやめておいたほうがいいよ」
「あら?てっきりあなたがサポートしてくれると思ってたのだけれど?」
「ふむ、ではその期待に応えるとしようかな。まずは視界の確保だね。『エアシールド』『アクアピラー』『テンペスト』」
地面から何本かの水の柱が噴き出し、少し遅れて発生した小さな竜巻がそれを周囲にまき散らす。
周囲に降り注いだ水は、土煙と辺りに立ち昇る煤をを押し流し、辺りに燻っていた炎を消火して熱気を押さえる。さらに、土が適度に湿ったことで土煙も巻き起こらなくなり、彼らの視界が確保された。
「トルメル助かった!少し周囲が見えにくくなり始めていたところだ!」
「どういたしまして。では僕も攻撃に参加するとしよう。『ロックカノン』『エクスプロージョン』『サウザンドニードル』『アースハンマー』」
トルメルの周囲から次々と発射された岩の砲弾が、周囲を囲む壁に着弾すると同時に爆発。その破片と爆風で周囲を巻き込む。さらに、壁が崩れて発生した土砂が無数の棘へと姿を変えて打ち出されていく。
魔法を使用するためにその場に立ち止まって動かない彼へと炎が殺到するが、その周囲で渦巻く風に阻まれて炎はおろか火の粉一つ届くことはなかった。
「大賢者は無数の魔法を同時に使うって噂に間違いはなかったわね!いったいどれだけ使えるのかしら?」
「集中さえできれば最大で7つまで同時に扱うことができるよ。欠点は必要な魔力が数に比例して増えることだけど、今は魔力を気にする必要もないからね!時間切れまでにたっぷり披露してあげるとしよう」
トルメルが腕を振るごとに、風が吹き荒れ、地面がその形を変える。水が周囲を飛び交う炎を消し、時には彼の操る炎が、熱に耐性を持つはずのファイアアントを焼き尽くした。
どれだけダメージを負っても動きを止めることなく、無尽蔵の魔力によって暴れまわる彼らによって、周囲を埋め尽くしていたファイアアントの数は着実に減っていく。
「みなさん!そろそろ残り時間が迫っています!気を付けてください!」
残り時間が15秒を切ったところで、リーナがそれを伝えるために叫ぶ。
未だに樹液の効果は残っているが、傷の治る速度がわずかに遅くなり、彼らの体を蝕む痛みがその効果が切れつつあることを物語っていた。
「敵の数も残りあと少しだ!一気に決めるぞ!」
「了解!じゃあとっておきよ!『アイシクルアロー』!」
メルエルが剣を振るうと、一際強い風が巻き起こる。直線状に突き進んだ風の刃は、その道中にいたファイアアントにその爪を突き立て、止まることなく壁にぶつかると深い爪痕を残した。
テシータの放った冷気を纏った矢は、寸分の狂いもなく数匹のファイアアントの中心へ突き刺さる。
先ほどまでの戦いで地面に染み込んでいた水を吸い上げながら成長した氷の花が、周囲にいた敵を飲み込み赤と銀の氷のオブジェが出来上がった。
リーナの契約している4体の精霊もこれで最後とばかりにその勢いを増し、残ったファイアアントたちに襲い掛かる。
「じゃあ僕はこれだね『コラプション』『タイダルアース』『ガイアランス』『ビルドアース』『スタビライズ』」
トルメルの魔法とともに、壁の一角が崩れ落ちる。まるで津波のように流れる大量の土砂は彼のイメージ通りにその姿を変え、残りファイアアントを飲み込んでいく。その先に土の槍が出来上がると土砂の津波はその身を縛る重力に逆らい、鎌首をもたげた蛇のように姿を変えて反対側の壁に突き刺さった。
そのまま土の蛇は絶壁の上に口を開く通路へと繋がる坂へと姿を変え、不安定な土砂はすぐに堅く安定した土壁へと変化した。
「ジェイン、カルネ、トルマ、ヘリオン!あとはお願い!」
トルメルが出口までの道を作り上げたところで、ついに彼らを支えていた世界樹の樹液の効果が切れる。
襲い掛かる疲労感と体を蝕む痛み。それに耐えきれなくなった彼らがその場に倒れ込む。
世界樹の樹液の反動で動けなくなった彼らを、その場に残った精霊たちが運ぶ。
メルエルはジェインの爪で摘まれ、テシータとリーナはカルネの背中に乗せられて、トルメルはトルマの尻尾に巻かれて各々遠征隊が待っている通路へと運ばれていった。その間、ヘリオンがその長い首を巡らせて敵の増援を警戒する。
エルフたちを通路まで送り届けた精霊が消え去ると、彼らの戦いを固唾を飲んで見守っていた遠征隊の冒険者から歓声が上がる。
「うおおおぉぉ!すげえ!すげえぜあんたら!本当にあれだけの敵をたった4人で倒しやがった!」
「ああ……何とかギリギリでな。これでこの場所は突破できるはずだ……ゴハッ」
よろよろと起き上がろうとしたメルエルが、口から血を吐いてその場に倒れる。
ぎょっとした冒険者が、慌てて駆け寄ると彼を抱き起した。
「お、おい大丈夫か!誰か!すぐに回復魔法を――」
「い、いや……大丈夫、だ。ゴホッ……回復、魔法は、おそらく逆効果だろう……」
メルエルは咳き込みながらも途切れ途切れに話す。その顔色は悪いが、意識はまだはっきりしている。他のメンバーも似たり寄ったりな状況だが、今のところ命を失ったものはいない。
「……そうか。あとは俺たちに任せてゆっくり休んでくれ」
「ああ……ゲホッ、その言葉に甘えさせてもらうとしよう。さすがに、これ以上は……体が持ちそうにない」
そう言って目を閉じるメルエル。しばらくして、限界を迎えたのか意識を失ったようだ。
「よし!みんな先に進むぞ!彼らが作ってくれたチャンスを掴むんだ!」
「「「「うおおぉぉ!」」」」
冒険者たちは雄たけびをあげると、意識を失ったメルエルたち連れて坂道を越え脱出に向けて先に進む。
通路の途中を封鎖する土の壁を地図を頼りに粉砕した彼らは、ようやく出口に繋がる部屋の前にたどり着いた。部屋の中には彼らを待ち構えていたジャイアントアントの群れ、そしてその奥には出口に繋がる通路。
「ここで時間をかければ、また敵の策に嵌るかもしれない。全員体力と魔力は回復しているはずだ。ここは一気に押し通るぞ!総員突撃!」
「よっしゃあ!一番槍は俺だ!」
「俺たちも続け!道を作るんだ!」
事前に配られた世界樹の樹液の効果で体力と魔力を回復し、メルエルたちの活躍を見て闘志を漲らせた冒険者たち。もはや装備も壊れかけてしまっている彼らだが、一度勢いに乗った集団は止まることなくジャイアントアントの群れの中を突き進む。
集団の外側にいる冒険者はジャイアントアントの激しい攻撃にさらされ、中には攻撃を受けて足を止めてしまうものもいる。
すかさず近くにいた冒険者が助けに入るのだが、別の通路から次から次へと補充されるジャイアントアントの数に押されて、耐えきれずに群れの中に引きずり込まれてしまう冒険者もいた。
犠牲を出しながらも遠征隊は着実に前に進み、ようやく先頭が出口に到達する。外に出た彼らが見たものは、出口を取り囲むように待ち構えていた黒蟻の軍勢。その光景に心が折れそうになる彼らをジェフリーが鼓舞する。
「これが最後の戦いだ!ここさえ乗り越えれば終わりだ!みんな行くぞ!」
「お前ら気合を入れろ!絶対に生きて帰るぞ!」
「まずは魔法で吹っ飛ばせ!ここなら崩落の心配もほとんど無いぞ!」
数千を超えるジャイアントアントと正面から衝突する冒険者たち。色とりどりの魔法が宙に模様を描き、決死の覚悟で走る冒険者たちが道を切り開く。
遠征隊はさらに2割ほどの犠牲を出しながらも、ついに包囲網を突破することに成功した。
「後ろから追って来てるぞ!このまま走れ!何とか振り切るんだ!」
「まだ余裕のあるやつは魔法で足止めしろ!」
草原を走る冒険者たちを、後ろから追いかけるジャイアントアントの軍勢だったが、数km程進んだところで徐々に引き返していった。
「み、見ろ!あいつら引き返していくぞ!」
「まだ油断するなよ!町に戻るまで何があるか分からないぞ!」
引き返していく黒い波を後ろに見ながらも、町へと急ぐ冒険者たち。
ようやく町の中へと到着すると、緊張の糸が切れた冒険者たちはその場に倒れ込んだ。
冒険者たちの様子を見て、駆け寄ってきた衛兵がダメージのせいで動けない冒険者たちを担架で治療施設へと運んでいく。
「やっと見つけましたジェフリーさん!いったい何があったのですか?」
「……遠征は失敗しました。我々は何とか逃げることに成功しましたが、遠征隊の半数を失った上に、転移陣の防衛もできませんでした」
ジェフリーは絞り出すようにして言葉を紡ぎ、その顔を悔しさで歪める。
遠征隊の帰還の報告を受けてやってきたギルドの職員は、その言葉が信じられなかったが、確かに街に帰還した冒険者は最初の半分程度しかいなかった。
こうして、『久遠の旅路』が企画した第一次遠征隊は、参加した112人の冒険者のうち58人がダンジョン内で死亡もしくは行方不明になり、1階層の深部まで到達するも設置した転移陣の防衛には失敗するという散々な結果で終わることとなった。