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#55 世界樹の力

 地面に走る亀裂はついには床全体まで広がる。だが、冒険者たちは未だにそのほとんどが部屋の中に取り残されていた。

 逃げ切れなかった冒険者たちが覚悟を決める――しかし、いつまで経っても床も天井も崩落する様子はない。さらに、いつの間にか地面の揺れも収まっているようだ。


 怪訝に思った冒険者たちが周囲を見渡すと、部屋の中心には青々とした葉を付ける一本の木が生えていた。

 若木のような大きさでありながらも、それの放つ神々しさと畏怖すら覚えるような存在感に、冒険者たちは彼らの置かれている状況すら忘れて目を奪われてしまう。


「……今のうちにここから移動するんだ!崩落が止まっている今がチャンスだ!」

「あ、ああ……よくわからないが確かにそうだ。さっさと脱出しよう」


 一足先に我に返ったジェフリーの声によって、呆けていた冒険者たちは順に通路へと移動を開始する。崩落が止まったことにより、自分だけは生き残ろうと先を争って通路へと押し寄せるということもなく、スムーズに部屋からの避難が完了した。


 一人も欠けることなく部屋から脱出することに成功した冒険者たちは、先ほどまで慌てていたことも忘れて部屋の中心に立つ木を見つめる。彼らには何が起こったかは分からないが、それでもあの木が原因で崩落が止まったのであろうということは本能的に理解できた。


 しばらくして、ついに土砂の重量を支えきれなくなったのか、天井から大量の土砂が降り注ぎその下敷きとなった床と木を巻き込んで地の底へと落ちていく。

 近くにいた冒険者たちが、恐る恐るといった様子で崩落で出来た穴を覗き込む。そして、遥か下に見える穴の底の目が眩むような高さに、もしあのまま崩落に巻き込まれていればまず間違いなく助かることはなかったと冷や汗をかく。


「さすがトルメル、いい判断だった。おかげで死人を出すことなく部屋から脱出できた」

「とっさの判断だったけど、うまくいったようでよかったよ。それにしても、少ししか魔力を込められなかったのにあそこまでの効果が出るなんて、やっぱり世界樹の枝の力はとてつもないね」


 崩落を食い止めた若木――世界樹の枝を使用したのは、トルメルであった。部屋からの脱出が間に合わないと判断した彼は、旅立つ前にハイエルフから渡された切り札の一つである世界樹の枝を利用し、崩落を一時的に食い止めることに成功した。


「さて、ここで足を止めていたらまた何か起こるかもしれない。さっそく脱出に向けて前に進もう!斥候役は前に出て敵がいないかを確かめてくれ」


 ようやく冒険者たちが落ち着きを取り戻し始めた頃を見計らったジェフリーが声をあげ、冒険者たちが彼の後に続いて移動を開始した。

 彼らが一本道を進んでいくと、先行していた斥候が駆け足で戻ってきた。斥候の顔には僅かに緊張の色が浮かんでいる。どうやら、この先に何かがあったようだ。


「さっそく報告を聞こう。その顔を見る限り、よくないものが待ち構えているみたいだが」

「ああ……まず、通路内に敵の姿も隠し通路も無い。だが、問題はその奥だ。防衛班が落ちてきた地点は床はおろか壁に至るまで赤いジャイアントアントの変種で埋め尽くされてやがる。確認できただけで少なくとも500体以上、確認できなかったものを考えればその数はさらに上、今の戦力で正面から突破するのは厳しいだろう」

「……なるほど。何も考えずに進めば黒焦げ、策を用意したとしても時間がかかれば酸欠で終わりというわけか。こちらの人数が減っている以上、総力戦は自殺行為だな」


 ジェフリーは、後ろに並ぶ冒険者たちを振り返る。

 遠征隊は既に40人ほどの犠牲が出てしまっている。さらに、戦力として数えられない輸送班20人を除けば戦えるのはたったの50人ほどしかいない。それに加えて、その全員が疲労やダメージによって万全に動ける状態ではなく、最初に比べると戦力は遥かに劣っているのは間違いない。

 このまま進めば、ほぼ確実に全滅。もし奇跡的に通り抜けることができても、生き残るのはおそらく数人程度。その先にジャイアントアントの群れが配置されていた場合はそこで終わりである。


 ならば引き返すべきなのか?そうジェフリーは考える。

 崩落した地点から壁を登れば、ファイアアントの群れを迂回できる可能性はある。しかし、なんとか足場を用意したとしても時間がかかれば敵が先回りしてくるだろう。

 そもそも、壁を登るために足場を用意しなけらばならない遠征隊に比べて、最初から上で待ち構えているジャイアントアント側の方が移動は早い。となると引き返すのも悪手である。


 このままここで時間を浪費してしまえば、準備を整えた敵が何らかの動きを起こすかもしれない。そうならないためにも急いで策を用意しなければならないが、現状を打開する策も全く浮かばない。

 必死に考えを巡らせるジェフリーだが、どれだけ考えても何も思いつくことはなかった。その焦りがさらに頭の回転を鈍らせ、もはや泥沼に嵌ったような状態となっている。


「……トルメル、世界樹の樹液を全て出してくれ」

「ふむ。一応聞いておくが、何に使うつもりだい?仮にこの場の全員を回復させたとしても、正面から突破するのは厳しいかもしれないよ」

「トルメルの言う通りよ。相手が待ち構えている場所に出る以上、こちらの戦力が展開するまでに攻撃にさらされることになるわ。そこから敵を全滅させるまでにはかなりの被害が出るのは間違いないわね」


 頭を抱えるジェフリーの様子を見たメルエルは、彼の隣に立つトルメルにポーチに仕舞ってある樹液を取り出すように伝える。しかし、トルメルは険しい表情を浮かべるとその使用法を訪ねた。


 もし仮に、世界樹の樹液を希釈してこの場にいる全員に与えた場合、体力と魔力を万全な状態まで回復させることは可能だ。そうなれば、ファイアアントの群れを突破できる可能性は僅かにだが上昇はする。だが、精神的な疲労までは消えないうえに、人数は少ないままなので戦力は依然心もとないままだ。有効な策が無い以上、犠牲になる人数が少しだけ減る程度でしかない。

 それはメルエルも理解しているはずである。ならば、用意した樹液を一体何に利用しようというのか。


「だが、世界樹の樹液にはもう一つ使用法があるはずだ。俺がその原液を服用し、一人で敵に挑めば殲滅は十分に可能だろう」

「メルエルさん、それは……」


 メルエルが提示したもう一つの使用法を聞き、リーナがその顔を曇らせた。


 万病を癒し、若返りの効果すら発揮すると伝えられる世界樹の樹液だが、それは数百倍に希釈した物の効果である。その原液を服用すれば、その効果が発揮されている間は即死でもない限りは致命傷すら即座に癒し、無限に近い魔力を常に供給し続けることができる。

 まさしく伝説と言ってもいいほどの効果を持つ世界樹の樹液であるが、それだけの効果を発揮するものには当然であるが、それに応じた副作用も存在する。


「……メルエル。確かにその方法なら、この状況を打開することは可能だ。だけど、その場合君はほぼ間違いなく死ぬことになる。僕としてはそれを許すことはできないね」


 薬も過ぎれば毒となるという言葉があるように、異常なまでの回復効果はそのまま人体を蝕む毒となる。

 常時発揮され続ける回復効果に耐えられないその体は悲鳴を上げ、それすら無理やり治療される。

 樹液の効果が維持されている間は問題はない。だが、その効果が切れた時には体には大きな負荷だけが残り、さらに再生と破壊を繰り返し続ける体の状態に耐えられなかった魂が壊れてしまう危険もあるのだ。もし長時間その効果を使用した場合はほぼ確実に死亡、運が良くても廃人という結果が待っている。


 もし彼が樹液を使用してファイアアントの群れを殲滅できたとしても、長時間の使用によって起こる副作用に耐えることはまず不可能だろう。


「だが、これが一番犠牲を少なく抑えられる方法だ。たった一人だけの犠牲で、この先を突破することができる。これが今取れる最善の手だろう。このままでは遠征隊はおろか、俺たちまで脱出できない可能性が高い」

「もう一つ方法があるでしょうに。あなただけじゃなく、私たち4人でやればいいのよ。長引けば死ぬならさっさと終わらせてしまえばいいじゃない」

「確かに、それならば副作用も軽く済むかもしれない。だが、運が悪ければ全員死ぬんだぞ?本当にそれでいいのか?」


 テシータの言葉に頷くトルメルとリーナを見て、メルエルは珍しく驚きの表情を見せた。


「僕たちは別に昔から一緒に行動してたわけでもない。お互いに噂を聞いたことがある程度で、実際に顔を合わせたのはほんの2ヶ月近く前でしかない。だけど、同じ目的の元にここまで来て、そして共に戦ってきた。僕は君たちを仲間だと思っているし、死んでほしくないとも思っているよ」

「メルエルさんもそう思っていたからこそ、一人だけでやると言ったのでしょう?それは私たちも同じです。あなただけにやらせるわけにはいきません」

「そういう訳よ。難しいことなんか考えずに全員でやりましょうか。案外しばらく寝込むくらいで済むかもしれないわよ?」


 例え少量の原液であったとしても、劇薬である世界樹の樹液を服用することが危険であることに変わりはない。だが、それでも1人で戦うよりは死ぬ可能性は遥かに低い。

 情報を持ち帰らなければならない彼らにとって、全員が死ぬかもしれない可能性がある選択肢は最優先で避けるべきだ。しかし、彼らはそれを選んだ。


「……そうか。トルメル、4人で無理のない範囲で戦ったとして、勝算はどの程度だと考えている?」


 その顔に薄っすらとだが笑みを浮かべたメルエルは、すぐに表情を引き締め直すとトルメルに勝算を問う。


「まず、僕たちはこのまま遠征隊を離れて4人で逃げるか、遠征隊を戦力として数えるために協力するという選択肢がある。生き残る確率が高いのは遠征隊に協力する方だろうね」

「そうね。4人で逃げてあの群れを突破できても、その先にも敵がいないとは限らないわ。なら最初から遠征隊を使った方が効率がいいでしょうね」

「ふむ、ならば遠征隊とともに脱出するとして、この先のモンスターの群れはこちらで殲滅した方がいいだろう。俺たちには世界樹の樹液がある。あれさえ使えば何とかなるだろう」


 トルメルはポーチから光りを放つ液体の入った小瓶を取り出した。


「この小瓶一つでだいたい1分間効果が持続する。副作用を考えるなら、これ1本が限界だろうね。斥候が持ってきた敵の数が最低でも500体だ。仮にその倍は敵がいるとして、一人あたり1秒間に5体倒せばいいだけさ。ここにいる君たちなら簡単だろう?」

「私を誰だと思ってるの?5体といわず10体でも20体でも倒してあげるわよ!」

「任せてください。必ずや応えて見せましょう」


意気揚々と声を上げるメンバーたち。


「一つ問題があるとすれば、ダンジョンとの交渉が難しくなる可能性があることかな。ここで目立てば、ダンジョンマスターからの評価は地に落ちるだろうね。そうなれば、ただでさえ低い交渉の可能性が、もはや絶望的な領域になるはずだよ」

「……それは仕方あるまい、命には代えられないだろう。よし、それではまずは遠征隊のリーダーに話を付けるぞ」


 ジェフリーの元へと歩を進めるメルエルと、その後ろにつき従う彼の仲間たち。

 未だに策を考えているらしきジェフリーは、彼らが近づいたのにも気が付いていない様子だ。

 ひたすら焦った表情で打開策を考え続けるジェフリーの間近まで来たメルエルは、ジェフリーに声をかける。


「すまない、少しいいだろうか?大事な話がある」

「ああ、なんだろうか?今は時間に余裕が無いから、手短に済ませてもらえると助かる」

「この先で待ち構えている敵はこちらで何とかしよう。だが、そのあとは我々は戦えなくなる。敵を殲滅した後は、脱出まで任せてもいいだろうか?」


 ジェフリーの顔が、先ほどまでの焦りに歪んでいたものから、真剣なものへと切り替わる。その言葉の意味を噛みしめるかのように確かめた後、ジェフリーはようやくその口を開いた。


「もしそれが本当ならお願いしたい。だけど、そんなことが本当に可能なのだろうか?」

「可能だ。今ここで証明することはできないが……そうだな、代わりにこれを渡そう」

「これは何だろうか?見たことのないアイテムだが――」


 メルエルから小瓶を受け取ったジェフリーだが、その中身が分からないようで首をかしげている。


「その瓶の中身は世界樹の樹液だ」

「なっ!?せか……っ!?」


 危うく大声を出してしまいそうになり、ジェフリーは慌てて口を閉じる。

 そこそこ名を馳せた冒険者として活動してきた彼ではあるが、さすがに世界樹の樹液のような伝説に出てくるようなものを手に取ったのは初めてであった。


「……つまり、これを飲ませれば誰か一人を万全な状態にまで回復させることができるのだろうか?」

「いや、それは世界樹の樹液の原液だ。一般に伝えられている効果程度なら500倍ほどに薄めたものでいいはずだ。希釈してこの場にいるものに配ってくれると助かる」

「500倍だと……そんなに……」


 世界樹の樹液、それがもし本物であるならばその価値は途方もないものである。もし市場に出回れば世界中の大富豪が手に入れようと躍起になることは間違いない。

 この小瓶一つ程度でも遠征隊のために用意した費用を優に上回るというのに、それがさらに500倍ともなれば、もはやジェフリーには驚きを通り越して目眩しか起こらなかった。瓶を持つ手も、僅かに震えてしまっている。


「もしや先ほどの崩落を止めたのも君たちなのか?君たちの正体も気になるが――それは聞かないでおこう。君たちのような者がこの場にいてくれた幸運に感謝する。この状況を打開する力すらない頼りないリーダーだが、それでも君たちの武運だけは祈らせてくれ」

「それでは我々はそろそろ行く。この後は任せた」


 メルエルたちは踵を返すと、通路の先へと進む。そして、前方に目的の場所が見えたところでメルエルが立ち止まった。


「準備はいいか?ここから先に進めば引き返すことはできない。失敗も撤退も許されないぞ」


 その言葉に、頷き返す3人。


「よし、では行くぞ!」


 そして、彼らは通路の出口へと向けて駆けだした。

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