#49 衝突
突然現れた巨大な空間に絶句する冒険者たち。
今まで足を引きずるようにしてやっとのことで歩いていた冒険者も、呆けたようにその場に立ち止まりその空間を見ている。それは、いくつものダンジョンに挑んだ経験のある熟練の冒険者でも同じであった。
ダンジョン内で、広大に広がる場所を目にする機会は多々ある。だが、それは草原であったり森であったり、はたまた山のような地形といった、野外の環境に近いものばかりだ。洞窟内でありながら、これだけ巨大な空間を見る機会はそうあることではない。
遠征に参加した冒険者の殆どが、その圧倒的な光景に言葉も忘れて見入っていた。
彼らが足を止めてからしばらく経った頃。その静寂を破るようにジェフリーの声が響く。
「みんな聞いてくれ。この先には間違いなくジャイアントアントの大群が待ち構えているだろう。これ以上進めば、遠征隊のメンバーに犠牲者が出る可能性がある。そこで、ここまで一緒に来てくれたみんなには申し訳ないが、遠征はここで中止する。少し戻った地点に転移陣を設置して撤退することになる。みんな、本当にすまない」
撤退を告げるジェフリーの言葉に、落胆の表情を浮かべる冒険者たち。
それを見るジェフリーも歯を食いしばり、体を震わせてその悔しさに耐えているようだった。
「……この決定に納得できていない者も多いと思う。だが、今回の遠征では成果よりも安全を第一としている。ここまで来るのにかなりの疲労がある上に、ここを攻略できるだけの準備ができていない以上、先に進めばまず間違いなく遠征隊の中から犠牲が出るだろう。よって、今回はここで撤退し、次回の遠征ではこの地点を攻略するための対抗策を用意してから挑戦する」
ジェフリーは絞り出すように撤退の理由を説明し、ようやくその言葉を締めくくった。
彼らの計画した遠征の方法は、通路を塞ぐことで数の多さという敵の利点を封じながら遠征を有利に進めることだ。
成果を上げることも重要だが、ダンジョンに挑戦する冒険者の士気を落とさないために、犠牲をほとんど出さずに遠征を終了させることを目標にしていた。遠征隊全体で当たらなければならないような、大規模な戦いは数の多い敵側の方が有利なため極力避ける方針だったのだ。
この先に進めばその広さに見合った数だけのジャイアントアントとの戦闘が予想される。数千、もしくは数万にも及ぶジャイアントアントの群れとたった100人ほどの冒険者、それも疲弊した状態で正面から戦うのは無謀を通り越して、ただ死にに行くようなものである。
もしそれだけのジャイアントアントの大群を打ち破り、この空間を攻略しようと考えるならば、拠点を築き上げ防御を固めたのちに、戦力の差を補うための兵器群を用意し、入念に準備をした上で長期戦になる覚悟で臨まなければならないだろう。
もちろん、ある程度の大規模戦の可能性も考えてはいたが、このような巨大な空間で万単位のジャイアントアントと戦わなければならないかもしれないとなれば話は別だ。今回の遠征は長くても1ヶ月の予定であったために、そのような長期戦の用意はできていない。
遠征に参加した冒険者たちの大多数は落胆を見せながらも納得したようだ。しかし、一部の冒険者たちはそれでも納得できないようである。
冒険者たちのざわめきが徐々に強くなる中、メルエルたちもまた落胆を見せていた。
「撤退か、あり得るかもしれないと予想はしていたが、あちらの戦力を見る前に撤退してしまうのは少し痛いな」
「そうね、これじゃあ遠征隊に参加した意味もあんまりないわね。戦いと言えそうなのも1回だけだったわね。とはいえ、こんなのを見せられたら無理もないわね」
ため息をつくメルエルにテシータが肩をすくめて相槌を打つ。
彼らの目的である、ダンジョンの保有している戦力をある程度測るという目的も、遠征隊が撤退してしまうようなら一旦取りやめになってしまう。
「犠牲者が出ないことは歓迎すべきことなのでしょうけど……やはり少し残念ですね」
「まあ遠征隊のリーダーが撤退を宣言した以上それは仕方ないだろうね。撤退すると言ってもここに繋がる転移陣は設置される。最初は僕たちだけの力で調査をする予定だったのだから、そう残念がることでもないよ。それに――」
「ふざけるなよ!」
トルメルが言葉を続けようとした時、それをかき消すような怒声が響く。どうやら、声の主は攻撃班に参加していた冒険者のうちの一人のようだ。
肩を震わせ、怒りの表情を浮かべた男はなおも続ける。
「ここまで来て撤退だと!?ここまで虚仮にされておいて、敵が待ち構えてるかもしれないからってビビって逃げるのかよ!」
「悔しいと思っているのはみんな同じだ。だが、ここから先に進むには今の状態じゃ厳しいのは事実だ。気持ちは分かるが、ここはこらえて――」
「うるせえ!グダグダ言ってんじゃねえよ!」
ジェフリーが何とか説得しようとするが、男は彼の言葉を聞こうともしない。男はしばらくジェフリーを睨みつけていたが、ようやく我に返ったようだ。
「……すまねえ、少し言い過ぎたな。だが、俺だって馬鹿じゃねえんだ。この先にジャイアントアントの大群が待ち構えているだろうことくらい分かってるさ」
冷静になった男は先ほどよりも声のトーンを落としながらも続ける。
「だけどよ、俺たちはまだこれといった成果も出せてねえじゃねえか。元々冒険者の活動には危険がつきものだろ。何の成果もあげられずに、危ないかもしれないから撤退しますなんてのは俺はできねえ。撤退するにしても、何かしらの成果を上げるか本当にこれ以上は無理だと確認できてからだ」
男の言葉ももっともである。遠征隊は中継地点の設置と、1階層の深部まで到達するという成果を上げることはできているが、ただそれだけだ。
倒して素材を回収することのできたジャイアントアントはたったの数十体のみ。事前に示された分配方法では、冒険者たちの懐へと入るのは雀の涙程度にしかならない。
遠征にかかる費用は、ほぼすべてをジェフリーたちのクランが負担してはいるが、約1ヶ月かけて収入がほんの少しというのは困る、といった冒険者も中にはいる。
転移陣によって得られる利益も、今回の遠征に参加した冒険者たちにはある程度還元される。長期的に見た場合はある程度まとまった利益にはなるが、今すぐに支払われるわけではない。
「あんたらがどうしても撤退するって言うなら俺には止められねえさ。これだけの命を預かっている以上、危ない橋を渡るわけにはいかないって考え方も分からないわけじゃねえ。だが、その場合は俺はここで抜けさせてもらう。ここまでやられて、何もできないまま撤退するのは我慢できねえ。それに、危険を確認しないまま撤退するようじゃ、俺のプライドが許さねえんだ」
男はそう言って締めくくる。彼の近くにいるパーティーメンバーたちも男の言葉に頷いた。
周囲の冒険者の中にも、程度の大小はあれど、男の考えにある程度賛同するものもいるようだ。
「……確かに、君の言いたいことも理解できる。だが、遠征隊を率いる者として、こちらには参加したメンバーを無事に連れて帰る責任がある。君たちがここで抜けることを認めるわけにはいかない」
「あんたらが何を言おうが、せめてこの先で何が待っているのかを確認するまでは俺たちはここから撤退するつもりはないぜ。我儘を言っているのは分かっているが、俺たちもこれだけは認めるわけにはいかねえ」
ジェフリーと男は、どちらも一歩も引かないままじっと視線を交わす。シンと静まり返ったその場所で、ただ時間が過ぎていく。
やがて、ジェフリーが諦めるように吐息をついて首を振った。
「ここでただ時間を浪費するわけにもいかないな。この先にジャイアントアントの大群が待ち構えているかもしれない以上、遠征隊全員でこの先に進むことはできない。だが、この先に何があるのかを調べるために偵察を出すくらいならいいだろう。ただし、もし危険だと確認できた場合はすぐに撤退するように。俺たちは、少し戻ったところで転移陣を設置する準備をしておく」
「……我儘を言ってすまねえ。俺たちの話を聞いてくれたことに感謝する。俺たちだって自殺願望があるわけじゃねえんだ、本当に危ないと確認できれば無理せずに撤退するさ」
提示された妥協案を聞いて男はようやく頷く。すまなさそうに頭を下げる男にジェフリーは顔を上げるように言った。
「さて、みんな聞いていたと思うが、この先に何があるのかを調べる偵察隊を作りたい。我こそはという冒険者は手を挙げて欲しい。ただし、自分の力量や今の状態を理解したうえで、仲間とじっくり相談してからにしてくれ!」
その言葉を聞いた冒険者たちが仲間と相談を始める。偵察隊への参加を決定して気合を入れなおすもの、疲労していることを考えて参加を見送る者など様々だ。
「偵察隊か、おそらくこの遠征で敵の戦力を確認できる最後の機会になるだろう。これを見送った場合は俺たちだけでもう一度調べることになる。ここは偵察隊に参加しておきたいと思うが、何か意見のある者はいるか?」
「僕も偵察隊に参加するのは賛成だ。ダンジョンマスターがこちらの動きを監視できているということは、おそらくこの先には100人以上いる遠征隊に対抗できるだけの戦力が配置されている可能性が高い。もし撤退した場合は一度集めた戦力を元の配置に戻してしまうかもしれない。確かに危険もあるけれども、これがこのダンジョンの戦力を測る最大のチャンスだと言ってもいいだろうね」
トルメルは、偵察隊への参加に賛成のようだ。
現時点では、遠征隊に対抗するために、この先に戦力を集めているかもしれない。だが、それだけの戦力を常にその場に待機させているとは考えにくい。
もし一度撤退してしまえば、メルエルたちが調査のためにもう一度戻ってきたとき、まだそこにそれだけの戦力が配置されているとは限らないのだ。
「私も賛成……と言いたいところだけど。遠征隊に対応できるだけの戦力をこの先に集めていると考えると、それよりも少ない偵察隊だけじゃ万が一もあり得るわよ?その辺はどう考えているのかしら?」
「そうですね、さすがに数万を超えるモンスターが出てきた場合は勝てないでしょうね」
一方、参加に反対とまでは言わないがが難色を示す二人。
それだけの戦力を誇る相手が出てきた場合、少ない人数では対応しきれない可能性もある。その場合は、全滅とはいかないまでも犠牲が出ることは十分あり得るだろう。そして、その犠牲の中に彼らが含まれないとは限らない。
「テシータとリーナの心配はもっともだよ。さすがに数万匹のジャイアントアントが出てきた場合は勝つことは不可能だ。だけど、確認できた時点で撤退するなら、僕たちなら逃げきれる可能性は低くはないだろうね。何より、これを逃すとあちらの戦力を測る機会はもうほとんどないかもしれない」
「……わかったわ。確かにこの機会を逃せば、大規模な群れと戦う機会はそうそうないかもしれないわね。リーナ、あなたはどうするの?」
「危険を考えると、手放しに賛成というわけにはいきません。ですが、調査のためにはある程度の危険は仕方ないでしょう。何より皆さんに行かせて、私だけ待つわけにはいきませんからね。私も参加します」
「よし、では決定だな。我々も偵察に参加することにする」
こうしてメルエルたちを含む、およそ20人ほどが偵察のために先へと進むことになった。
偵察隊はAランクの冒険者やそれに準ずる実力を持つものばかりで構成され、残りのメンバーは転移陣の設置と拠点の製作のために残ることになる。
一度来た道を戻り、拠点の場所を確認した偵察隊は、彼らを待ち受ける巨大な空間へと足を踏み入れた。




