#43 世界樹の森
プレディア大陸の北部には、ハルティア連邦と呼ばれる集合国家が存在する。
様々な特徴や風習を持つ獣人たちやエルフの集落などが寄り集まって出来上がったこのハルティア連邦の特徴は、その国土の大半を覆い尽くす途方もなく巨大な森である。
ハルティア連邦の80%以上プレディア大陸の1/4を占めるこの大森林は、世界樹の森と呼ばれており、その中心には天高く雲を貫き、その頂上が見えないほどに巨大な大木――世界樹が存在している。
遥か古の記録にもその存在が記されている世界樹は、その身に不思議な力を宿していると伝えられている。
その葉や枝は非常に強力な魔術の触媒として、その樹液は万病を癒し、口にした生物を若返らせる力を持ち、数十年に一度だけ実る果実は、死者ですら蘇らせ、不老不死の力を与えるとまで伝えられている。
その伝説を耳にした多くの人々が世界樹の力を求めてこの大森林に挑んだが、世界樹の元へと至ったものは長い歴史の中で数えるほどしか伝えられていない。
世界樹の森の内部は、鬱蒼と生い茂る木々により空が閉ざされ昼でも周囲は薄暗くなっている。さらに、不安定な足場を歩くうちに方向感覚が狂わされていくため、熟練の冒険者ですら先へ進むことは難しい。
また、豊富なマナや食糧によって成長した強力なモンスターや、特殊な性質を持った植物がひしめく世界有数の危険地帯でもある。
世界樹の森内部を探索する場合には、現地に住む集落の人間による案内が必要不可欠であり、もし不用意に足を踏み入れれば、すぐにその屍を晒すことになる。
そして、世界樹の森に暮らす現地の人間でも、森の最深部――世界樹の元へ至る道を知るものは少ない。
森の象徴でもあり、聖域でもある世界樹周辺を荒らすことは、ハルティア連邦に住むものすべてのタブーとなっている。その道のりは、各集落をまとめる長老にしか知らされておらず、欲深きものにそれを伝えるものは一人として存在しない。
力を持ってその道を聞きだそうとしたものもいたが、同胞を傷つけられた獣人やエルフたちに襲撃されることとなった。
幸運にも世界樹の元へと至り、その恩恵を持ち帰ることに成功した冒険者はこう伝えている。
――世界樹の根元には、大自然に囲まれた美しい街がある。そこには、世界樹を守るエルフたちと、それを治めるこの世のものとは思えないほどの美しさのハイエルフがいたと――
◆
深い森の最深部、途方もなく巨大な幹を囲む形でその街は作られていた。
世界樹の周辺に生える樹齢千年を超える大きな木々を結ぶ形でいくつもの橋がかけられ、太く頑丈な枝を支えにいくつもの家が建てられている。
暗い森の中であるというのに、世界樹からあふれ出る膨大なマナによって辺りはぼんやりと輝き、マナを集めて光を放つコケや草花が周囲をうっすらと照す。
木々の間を縫うように、清浄な水をたたえた小川が流れ、透き通った泉や池があちこちに点在する。
薄い霧に濡れたそれは、まさしく自然と調和した幻想的な街であった。
その都の中央にそびえ立つ世界樹の根元には、小さな社が存在する。
永い年月を感じさせる苔むした根に囲まれた形で建てられたそれは、エルフの街の中でも最も神聖な場所とされ、普段は近づくことすら許されていない。
だが、現在そこには世界樹の森のあちこちに点在しているエルフの集落の長たちが集まっていた。
ハルティア連邦に住む、全てのエルフの集落の長が集められるのは実に数百年ぶりのことだ。社の前に立ち並ぶ彼らは、皆一様に緊張した面持ちをたたえている。
普段なら近寄ることすらできぬ社にエルフたちを集める理由とは――不安げに言葉を交わす彼らだが、社の中に気配を感じてその場にひれ伏した。
社の扉がゆっくりと開き、その奥から現れた輝かんばかりのエルフの少女。
その黄金の髪はマナの光に照らされて輝き、上質な衣からは透き通るような白い肌が覗く。体からあふれ出るマナによって神々しい光を纏った彼女は、新緑の瞳でその場にひれ伏すエルフたちを見下ろした。
彼女こそが全てのエルフが崇拝する神であり、彼らを正しく導いてきた長でもある、幾千の時を生きたハイエルフである。
社から伸びる階段を下り、草の生えた地面へと降り立った彼女は、集まるように伝えたエルフたちが全て揃っているのを確認するとその口を開いた。
「皆のもの、よくぞ集まってくれた。まずは面を上げて楽にするが良い。……さて、皆に集まってもらった理由だが、すでに知るものもいるやも知れぬが、海を越えた先の人族の治める地にて、迷宮の主が現れたと我らの同胞より知らせが届いた」
その言葉にどよめくエルフたち。
新たな迷宮の主、ダンジョンマスターが現れた。はたしてそれが何を意味するのか――
「静まれ、皆のものよ。此度の迷宮の主はまだ現れたばかり。なれば、力を付けていない今のうちにその在り様を見定めねばならぬ」
ハイエルフのその言葉に、その場に集まっていたエルフの一人が声を上げる。
「大長よ、話の途中で口を挟んで済まない。確かに迷宮の主が現れた迷宮は強い力を持つ。だが、迷宮の主が住んでいるとされる迷宮は他にもいくつか存在するはずだ。なぜ、此度の迷宮の主をそこまで危険視するのだろうか」
ダンジョンマスターが存在するダンジョンは、非常に早いペースで成長が進む。
それらのダンジョンが持つ力は絶大ではあるが、世界に点在するダンジョンの中には、ダンジョンマスターが存在していると思われるものはいくつか存在する。
その中には、もし一度でもモンスターがあふれ出れば、甚大な被害を及ぼすと予想されるものも数多く存在するのだ。
なぜそれらのダンジョンではなく、新しく現れたものを危険視するのか――その問いを聞いたハイエルフは、一つ頷くと言葉を続けた。
「確かに、其方の疑問はもっともである。彼の地に現れた迷宮の主、その力だけならより大きな力を持つ者もいるだろう。だが――彼の者は既にルーナの山々を治めていた古の炎竜を降している。彼の者が支配する迷宮がその姿を現してから、たった一つの年が過ぎてすらいないにもかかわらずにだ。もし彼の者がこの世界に害を及ぼす者であったならば、そうなる前に滅ぼさねばならぬ」
「……迷宮を滅ぼすと?あれは世界の礎、滅ぼしてしまえばどれ程の影響が出るか……」
「そうだ。迷宮は世界を支える樹でもある。樹が無ければその大地は大いに荒れるであろう。だが――樹が大地に毒を撒くというならば、我らは樹が成長する前に、その芽を摘まねばならぬ。かつての大災厄を二度と起こすわけにはいかぬのだ。彼の迷宮に巣食うは黒き蟻の魔物、もし彼の地より大災厄が起こればそれを止めることはもはや誰にもできぬやも知れぬのだ」
大災厄――かつて世界を欲したダンジョンマスターが起こしたもの。
地の底から次々と湧き出した異形の化け物たち、それらは思い思いに地上を蹂躙し、多くの生き物がその犠牲となった。
世界に住むありとあらゆる種族が力を合わせ、異世界から呼ばれた英雄がその身と引き換えにダンジョンマスターを滅ぼしたことで、ようやく止めることに成功したその災厄。
各地には未だわずかではあるがその爪痕が残っている――それほどの被害を与えた災厄は過去に数えるほどしか起きていない。
そして、黒き蟻の魔物――ジャイアントアントは、その数えるほどの災厄を起こしたモンスターだ。
大地を埋め尽くしたジャイアントアントの群れは、かつて豊かな自然に囲まれていた大陸を不毛の大地へと塗り替えた。
全てを食らい尽くしたジャイアントアントの群れが、お互いを食らい合い滅んだ後、その死骸からあふれ出た膨大なマナと瘴気は強大な力を持つモンスターを生み出し、それらが闊歩する危険な大陸を生み出した。
現在では、そこに大陸を追われた魔族たちが移り住み、厳しい環境の中で生き抜いている。
もう一度大災厄が起きてしまえば、次はそれを乗り切ることはできないかもしれない。その言葉を聞いたエルフたちに緊張が走る。
「それに――近頃は大地の様子がおかしいのだ。異世界から勇者が呼ばれたことから始まり、地脈は乱れ、新たな迷宮の主が現れた。彼の古の炎竜がその住処から離れたことも、ここ数百年の間はなかったことだ。これは何かが起きる前ぶれやもしれぬ」
「大長よ、その何かに心当たりはないのだろうか。一体この世界に何が起ころうとしているのだ」
「……それは我にも分からぬ。このようなことは、長い時を生きた我にも初めてのことなのだ。だが、何かが起ころうとしているのは紛れもない事実、我らはこの世界に生きるものとしてそれを乗り越えねばならぬ」
もはや騒めくこともなく、シンと静まり返るエルフたち。
急速に力を付けるダンジョンマスターに、世界に起きている不可解な現象、果たしてこの世界に何が起きているのか。
立て続けに起きたそれに、世界の終わりが近づいているのではないか――そんな不安を覚えるエルフすらいる。
「皆のものに集まってもらったのは他でもない、今こそ我らは力を合わせて事に当たらねばならぬ。全ての同胞を治める長として命ずる。彼の地に在る迷宮の主が、世界の脅威となるかを見定めよ。各々が誇る精鋭の戦士たちを集め、全力を持って事に当たるのだ。こうしている間にも、危機は迫っているやも知れぬ。さあ行け!此度の戦いには、我ら――いや、世界の命運がかかっているものと思え!」
「「「「はっ!」」」」
ハイエルフの話が終わるとともに、あちこちへと散らばる集落の長たち。集落へと戻った彼らは、そこに住む同胞たちに事の次第を伝える。
各集落から我こそはと志願した戦士たちが集められ、さらにその中から選りすぐりの精鋭が選ばれた。
さらにその中から厳選されたもの――集まった精鋭たちの中でも特に優れた能力を誇る4人のエルフは、ハイエルフの元へと向かい祈りを捧げる。
彼女からいくつかの餞別を受け取った精鋭たちは、森を抜けて海を越え、アストレア大陸へそしてアレーナ共和国へと進む。
彼らが目指すのは『黒軍の大穴』、急速な成長を遂げるそのダンジョンを見定めるという使命を持ち、彼らの故郷から遥か遠くにあるそこへと向かう。
果たしてそこに何が待ち受けているのか――それをまだ彼らは知ることはない。




