#36 魔術の国の研究者
『黒軍の大穴』のあるアストレア大陸から海を跨いで北西、プレディア大陸には魔術国家とも呼ばれるプレニシア王国が存在する。
その王都の郊外には、6本の白亜の塔が建ち並ぶ巨大な施設――王立魔導技術研究所が建てられており、世界各国から集まった研究者たちが、魔導の粋を極めんと日夜研究を行っている。
そこで研究されている内容は、効率的な魔術理論の追究から始まり、魔導具や兵器の開発、さらにはモンスターの生態の調査にまで及んでいる。
次々と発表される研究成果は、国のあちこちで活かされており、街では魔術による街灯が辺りを照らし、通りでは馬の代わりにゴーレムが引く魔導馬車が行き交っている。
生活の至る所にまで魔術が使われているそれは、まさしく魔術国家の名に恥じない光景である。
王都は上から見ると巨大な魔法陣を描いており、整然と計算された街並みの奥に美しい塔が見えるその光景は、世界有数の観光名所としても人気である。
魔術を修めるものだけでなく、誰もが一度は行ってみたいと思うような国――それが魔術国家プレニシア王国なのである。
そんな王国の中でも特にその名声を轟かせ、あらゆる研究者の憧れでもある王立魔導技術研究所であるが、そこに所属するものには変わり者が多い。
ひとたび研究に熱中すると、数日間は研究室から出てこないのは当たり前。中には数十年もの間研究所の敷地の外に出たことが無いような者も存在するほどである。
他にもひらめいたアイディアをその場で試して事故を起こす者や、新薬を自分で試して倒れる者、合法ギリギリのグレーな研究を嬉々として行う者なども存在する。
そして――その中には、あまりにも特異な研究の内容によって、研究を続けることができなくなった者も存在する。
◆
王立魔導研究所の6本の塔のうちの一つ、魔法生物に関する研究が行われている塔の最上階では、ちょっとした騒動が起こっていた。
「エルシル部長!なぜじゃ!なぜワシの研究が中止させられなければならんのじゃ!」
魔法生物部門の部長――見目麗しいエルフの男性に詰め寄る、白髪混じりの頭の初老の男性が一人。
彼は先日、彼の行っている研究を中止するようにとの命令を下され、その命令を撤回してもらうためにやってきたのだ。
その顔を怒りにゆがめる男に、エルシルはまずはその怒りを鎮めようと声をかける。
「ヨハネスさん、そんなに怒ると体に悪いですよ。まずは落ち着いてそこのソファーにお掛けください」
落ち着いたトーンの声で諭されたヨハネスは、僅かに怒りを収めるとソファーへと腰掛ける。
「それでヨハネスさん、なぜあなたの研究が中止させられなければならないのかが聞きたいのでしたか?」
「そうじゃ、ワシは法に違反するようなことも何一つしておらんぞ。それなのにワシの研究がなぜ中止させられるのじゃ……」
エルシルは、机の引き出しから報告書を取り出すと、それをめくる。
「ヨハネスさんの研究は――これですね……新型のキメラの開発ですか。凍結の理由はそのキメラの材料ですね。モンスターと人間を合成したキメラとのことですが、この人間というのが問題です」
「そう!確かにそう言われた!じゃが、人間と言ってもワシが使用しているのは犯罪奴隷のみ。法的には何の問題もないはずじゃ!奴隷を使った実験は他でもやっているじゃろう!」
エルシルの指摘した理由に反論するヨハネス。
彼が長年の研究によって開発した新型のキメラは、モンスターと人間を合成することで、その双方の特性を発揮できるようになったものである。
材料は人間とあるが、使用しているのは重罪を犯して奴隷に落とされた犯罪奴隷のみである。犯罪奴隷は魔法の実験台や、新薬の効力を確かめるためにも利用されており、彼の言うように法的には問題はない。
「確かに、犯罪奴隷を利用した魔術の研究は違法ではありません。それに、報告されているキメラの性能も今までにないほど素晴らしいものです」
「それならば!なぜワシの研究が中止させられるのじゃ!」
「……問題は材料が人間であるということです。研究の途中に数人を利用するならまだしも、これが実用化されるようになれば、大量の人間が必要になるでしょう。そうなれば犯罪奴隷だけでなく、それ以外の人間までもがキメラにされる危険性があります。それに、もし技術が裏社会に流れれば、とんでもないことになるでしょうね」
「じゃ、じゃが……これが完成すれば、かなりの戦力に……」
反論しようとするヨハネスの言葉に、エルシルは重ねるように続ける。
「ええ、このキメラの能力は従来のものとは比べ物になりません。……ですが、このような人間を素材にしたキメラを使えば、その国のイメージは間違いなく悪くなるでしょうね。戦力としては魅力的でしょうが、これを好んで使用する国は皆無と言ってもいいでしょう。加えて、研究所で用意できる犯罪奴隷の数にも限りがあります。あなたの研究のためだけに大量の奴隷を用意するわけにはいきません。非常に残念ですが、この決定が覆ることはないでしょう」
「……そうですか……忙しいところ、ワシのために時間を割いてくださり感謝します。これで失礼させてもらいます」
もはや取り付く島もないといったエルシルの様子に、ヨハネスは力なく肩を落とすと、よろよろとソファーから立ち上がり退室しようとする。
「ヨハネスさん、そう気を落とさないでください。あなたはキメラの研究では、他に追随を許さないほど優秀な研究者であると聞いています。あなたなら新しい研究でもきっと素晴らしい成果を出すことができますよ」
「…………」
慰めの言葉に何も返すことなく、とぼとぼと出ていくヨハネスと、その落ち込んだ背中を何か考え込むような様子で見送るエルシル。
長い寿命を持つエルフである彼は、この研究所に来てから様々な研究者を見てきた。それらの中にはヨハネスのように、研究を中止させられてしまった者も数多くいた。
しばらくは何も手につかないほどに意気消沈していた彼らだが、その後はそれが起爆剤にでもなったかのように持ち直し、偉大な発明をしたものも少なくはない。
だがそれとは別に、元の研究を捨てきれずにそれに固執するあまり、ついには犯罪にまで手を染めてしまったものもわずかではあるが存在する。そしてヨハネスのあり方は、そんな彼らに似ているのだ。
エルシルは、狂気に落ちてしまった彼らを思い出し、ヨハネスには前者であって欲しいとの想いを抱く。
だが、残念ながら彼の想いは裏切られることになる――
ヨハネスの研究が中止させられてからしばらくが経ち、王都では行方不明事件が相次いで起こるようになった。
年齢は子供から大人まで、およそ十数人、その職業も商人から研究者、はたまた冒険者までもが行方不明になったその事件は、王都の住民の恐怖を煽った。
一時は違法な奴隷狩りの可能性があると考えられていたが、わざわざ王都を選ぶメリットはなく、またそのような犯罪に手を染めそうな悪徳奴隷商も見つからなかった。
攫われた人間や場所にもこれと言った共通点は無く、犯人への手掛かりになりそうなものほとんどないため、事件の調査は難航することになる。
その後、長い調査の末にようやくヨハネスが犯人である可能性が高いことが判明し、王都の衛兵たちが彼を捕らえるために研究室へと駆け付けた。
しかし、そこは既にもぬけの殻となっており、ヨハネスは彼の作ったキメラ数体と共に姿をくらませていた。
研究室内に残された資料や、失敗作とみられるキメラの死体から、一連の行方不明事件の犯人はヨハネスで間違いないと断定された。
ヨハネスが行方をくらませた後、王都での行方不明事件はぱったりと途絶え、やがて事件の記憶は埋もれていくことになる。
1人の研究者が起こした痛ましい事件から数年が経った今も、犯人であるとされるヨハネスが捕まることはなかった――
◆
そして時は過ぎて現在、ソナナ村の門では――
「おい……なんだよあれ……」
「人……?いや、モンスターか?」
「ば、化け物だ……」
門に並ぶ人々の目線の先にいるのは3体の異形の生物と、それらを連れた1人の男。
男は自分の番が来ると、不気味な生物を見て顔を青くして震えている兵士に身分証を渡す。
身分証を受け取った兵士は、震える手でそれを確認しすると、通行の許可を出した。
「か、確認しました……Bランク冒険者のヨハン殿ですね。どうぞお通りください……」
兵士から返された身分証を受け取ると、男はそのまま無言で門を通過していく。そして、その後ろを3体の異形たちがぞろぞろとついていくのを確認すると、兵士は安堵のため息をついた。
異形を連れた男の次に門へとやってきた商人が、未だに顔色の悪い兵士に声をかける。
「な、なあ……あの化け物を連れた男はいったい何者なんだい?」
「……冒険者の方のようですが、守秘義務があるのでこれ以上は……」
「あれも冒険者なのか……モンスターを連れた冒険者はたまに見るけど、あんな不気味な奴は初めて見たよ……」
「ええ……私もあんなモンスターは初めて見ました……今でも震えが止まりませんよ」
兵士はあの異形の化け物の姿を思い出して、ぶるりと体を震わせる。
3体の化け物――黒いカマキリの下半身と腕を持った獣人の男、赤いトカゲの背中から鱗に覆われた女性の上半身が生えたもの、そして両腕に巨大なワニの口のようなものが付いた巨漢。
まるでモンスターと人を混ぜたような不気味な姿、その人間部分の虚ろな顔と、モンスターを混ぜられた奇妙な姿を見てしまった者は、一生それを忘れることはできないだろう。
ヨハンと呼ばれた男――それはかつて行方をくらませたヨハネスであった。
彼は潜伏中に自らの姿を変え、事件の詳細が一般に伝わっていないことを確認したのち、ヨハンと名乗り別の国で冒険者に登録することで新しい身分を得た。
それからは冒険者として活動しながら、時にはいなくなっても目立たない人間を攫っては実験台にしつつ各地を転々としていたのだ。
彼がソナナ村へとやってきた目的は『黒軍の大穴』である。そこにいると思われる強力なモンスターと、上質な素材になる人間――高ランクの冒険者を捕獲するためにやってきたのだ。
村へと入ったヨハンはまるでそれを誇るかのように、3体の異形を見せつけながら冒険者ギルドへと向かう。
多少のことでは動じない歴戦の冒険者たちも、その悪夢のような見た目のモンスターには、さすがに動揺を隠せないようであった。
ざわめく冒険者ギルドで攻略許可証を手に入れたヨハンは、村を出てダンジョンへと向かう。
ヨハンの頭の中には、もはや自分の研究を完成させることしかなかった。
そのためには、どれだけの人間を犠牲にしようとも、彼にとってはどうでもいいことである。
かつての上司であるエルシルの不安は的中し、研究のためなら手段を選ばない、狂気に落ちた研究者の姿がそこにあった――




