#33 冒険者の町
世界を震撼させた炎竜王の事件からおよそ2ヶ月が経過した。
Aランクダンジョン『黒軍の大穴』から南におよそ20kmの地点に存在するソナナ村はその姿を大きく変えていた。
ジャイアントアントがダンジョンから発生していることが伝えられてから、一部の村人が安全な土地を求めて移動してしまったため、ソナナ村の人口は徐々に減りつつあった。
さらに、炎竜王の襲来によりソナナの森の大半が焦土になってしまう。僅かに焼け残った森の外周部も大量のモンスターが逃げ込み、僅かなエサを巡って熾烈な生存競争が繰り広げられる危険地帯となってしまった。
モンスターが蔓延る森から資源を手に入れることもできなくなり、さらに森からあふれ出したモンスターによって、今まで以上の危険にさらされたソナナの村は一人また一人とその住人を減らしていくことになる。
残ったのは他に行く当てのないものや村や住人に愛着を持っているものばかり。いよいよ村の機能が麻痺しようかというとき、転機が訪れた。
冒険者ギルドとアレーナ共和国が、ダンジョンに最も近く立地も悪くないこの村をダンジョンの攻略および防衛拠点として共同開発することを決定したのだ。
冒険者ギルドや共和国から人員が派遣されてから、村は瞬く間にその姿を変えた。
村の周囲は高さ10m、厚さ5mもの土魔法で作られた巨大な壁にぐるりと囲まれ、壁の上では鎧を着た兵士たちが周囲を警戒している。壁には東西南北に門が作られ、そこでは兵士たちが出入りする人や馬車をチェックしているようだ。
空き家だった家もすでに埋まり、仮設の宿屋や冒険者ギルドの支部などが作られ、依頼を受けた大工たちがあちこちで働いている。
村の中心にある建物の内部には共和国が用意した結界石が設置されている。結界石の領域は村を覆う形で広がり、巨大な壁と合わせてモンスターの侵入を阻止しているため、安全性が大きく向上した。
村にはダンジョンの噂を聞きつけた冒険者や、新たな商機を嗅ぎ付けた商人たちがあちこちからやってきて、大きな賑わいを見せている。
元いた住人達も新たな仕事を見つけ、大きく変化しつつある暮らしに慣れ始めたようだ。
冒険者の中には既にダンジョンへと向かい、攻略を開始しているものもいる。最初の頃は犠牲者も出ていたのだが、最近ではそれも落ち着き始めているようだ。ダンジョンからもたらされる素材により、ソナナ村の経済も活発化しつつある。
もはや長閑だった頃の村の面影はほとんどなくなってしまった。ソナナ村はダンジョンを目指す冒険者たちの拠点として、長閑な村から賑やかな町へと発展を遂げつつあった。
……だが、人が増え賑やかになるというのはいいことばかりではない。同時にトラブルの種も増えることになるのだから――
◆
「なんだと!ダンジョンの攻略許可証を発行できないだと!」
冒険者ギルドの支部、真新しさが残るカウンターに乗り出し、受付に詰め寄る男がいた。
精巧な細工がなされ煌びやかではあるが、装飾が多すぎて趣味が悪く見える鎧に身を包む10代後半ほどの男は、目の前の受付嬢にいらだちを交えた大声をあげる。
「どういうことだ!許可証はここで発行できるのだろう!」
「Cランクの方では発行できません。Aランクダンジョンの許可証は最低でもBランク以上の方のみに発行しています」
「Bランクだと!?ふざけているのか!」
男は怒りで顔を真っ赤にして睨みつける。その視線を受けて、困った顔をしている受付嬢――ミーナは心の中でため息をついた。
ソナナ村が大きく変わり始めて早1ヶ月以上、読み書きができたので新しく作られた冒険者ギルドの支部に受付嬢として就職したのである。
通常の業務は問題なくこなせるようになったミーナであったが、未だにこの手の冒険者には慣れない。
ダンジョンを攻略するにはそのダンジョンに対応した許可証が必要となる。大抵の冒険者はそれを知っているのでスムーズに許可証を発行できるのだが、稀にそれを知らずにやってきて許可証を発行してもらえないことに不満を漏らす冒険者が存在する。時にはこの男のように厄介な場合だってある。
たとえどれだけ喚いても許可証が発行されることはないのだが、この男はまだ諦めていないようだ。
「そうだ!私の連れている奴隷たちは元Bランクの冒険者だ。これなら文句はないだろう!」
名案だとばかりに男は笑みを浮かべる。ミーナはちらりと男の後ろに立っている奴隷を見た。
趣味の悪い豪華な装備で身を固めた4人の男女――その首には黒い模様が刻み込まれている。奴隷紋と呼ばれるこの模様は奴隷であることを示すとともに、主人の命令に逆らえなくなり、また主人に害を与えることができなくなる呪いでもある。
元Bランクの冒険者とのことだが、何が原因で奴隷に落ちたのか……借金があったのか、何らかの犯罪に手を染めたのか……
確かに本当にBランクなら資格はあるのだが、奴隷になった時点で冒険者ギルドの記録は失効している。
「残念ながら、奴隷になった時点でランクは失効してしまいます。たとえ元Bランクの奴隷を連れていても許可証を発行することはできません」
「なっっ!?」
男は予想外の返答が返ってきて一瞬言葉に詰まる。だが、すぐに立ち直ると大声をあげる。
「私はドラム・ド・サンドールだ!エンティア王国のサンドール男爵家の3男だぞ!」
「……はぁ」
「はぁだと!?貴様平民の分際でこの私を馬鹿にしているのか!」
どうやら目の前の男――ドラムは貴族であったらしい。アレーナ共和国では貴族と呼ばれる身分は既に存在しない。一部の地域では、かつて貴族と呼ばれていた家系が大きな影響力を持っていることもあるようだが、基本的には身分の差は撤廃されている。
貴族制のあるエンティア王国では敬われる存在なのだろうが、そもそもここは冒険者ギルドだ。
世界各国に支部を持つ冒険者ギルドは、その活動に対する権力による介入を認めていない。たとえ貴族であろうと、スラムの貧民であろうと冒険者となれば対等に扱われるのだ。
「ドラムさん、あなたが貴族であっても冒険者ギルドが何らかの優遇措置を行うことはありません。申し訳ありませんが、『黒軍の大穴』に挑むのならば最低でもBランクまで上げてからまたお越しください」
「言わせておけば平民風情が付け上がりおって……!」
ミーナの言葉に我を忘れたドラムが、腰に差した剣に手をかける。だが、その剣が抜かれることはなかった。近くにいた冒険者がその腕をつかみ、ドラムの動きを止めたのだ。
「この手を離せ!無礼者が!」
ドラムが何とか振り払おうとするが、その手はピクリとも動かず、それどころか万力のような力でギリギリと締め上げられる。
「坊主、黙って聞いてりゃずいぶんと言うじゃねえか。それに……戦う力のない相手に武器を抜こうとするとは貴族様が聞いてあきれるぜ」
「この……!私はサンドール男爵家の……」
ドスを聞かせた声を発する冒険者をドラムが睨みつけるが、当の冒険者は気にした様子もない。
「たとえ貴族だろうと平民だろうと冒険者ギルドでは平等に扱われる。お前さんも知らないわけじゃないだろう。ギルドに所属してるならルールぐらい守れ。もしそれが嫌ならギルドから抜けちまいな」
「ぐっ……」
「それにお前さん『黒軍の大穴』に行きたいらしいがやめておいた方がいいぜ。見たところ奴隷に任せて自分は弱った魔物に止めを刺すくらいしかしてないだろ?」
「貴様……何を根拠に……!」
冒険者が発する威圧感で冷や汗をかきながらも、ドラムが反論する。冒険者はため息をつくと、ドラムの腕を放した。
「やれやれ……何を根拠にってか?お前さんをじっくり見りゃあ分かる。鎧にはどこを見ても傷一つついてねえ。それにこの程度の力で腕を動かせないならCランクの実力があるのかも怪しいところだな」
「貴様……!」
頭に血を登らせたドラムが、奴隷たちに命令して目の前の冒険者を攻撃させようとした時、周囲から自身へと突き刺さる視線に気が付いた。
いつしかギルド内で雑談していた冒険者たちが雑談をやめ、じっとドラムを見ているではないか……
ドラムを見つめる冒険者たちのそのどれもがBランクからAランクの冒険者たち――彼らから発せられる威圧感に、無意識のうちに後ずさってしまった。
「ぁ……ぅ……」
もはや満足に声を出すことすらできず、ドラムはその場でしりもちをつく。怒りで真っ赤になっていた顔は、血の気が引いて逆に真っ青になり、その心臓はドクドクと早鐘を打つ。
どれほどそうしていただろうか……やがて、冒険者たちは雑談に戻り、静まり返っていたギルドに喧騒が戻った。
ようやく突き刺すような威圧感から解放されたドラムは、這う這うの体でギルドから出ていく。
4人の奴隷たちもそれに続いていくのを見届けた後。ドラムの腕をつかんでいた冒険者がつまらなさそうに鼻を鳴らして戻ろうとする。その背中に、ミーナが声をかけた。
「あの……」
「あん?どうした嬢ちゃん」
「先ほどはありがとうございました」
「あー……まあいいってことよ。俺もあの手の貴族は嫌いだったんでな。まあ始めたばっかで大変だろうけどがんばれや。ああいう馬鹿を怒らせないようにうまくあしらえてからが一人前だぜ」
「はい!がんばります!ありがとうございました!」
ミーナにお礼を言われ、冒険者は照れくさそうに頬をかいた。すかさず周囲からヤジが飛ぶ。
「おいおい、いい歳したおっさんが照れてんじゃねえよ!」
「ミーナちゃんに惚れちまったか!?」
「うるせえ!照れてねえよ!それと俺は女房一筋だバカヤロウ!」
飛んでくるヤジに怒鳴り返す冒険者。ギルド内に笑いが響き、先ほどのドラムのことなどもう誰も覚えていないようであった。
◆
「この役立たず共が!お前たちのせいでこの私が恥をかくことになったのだ!」
ソナナ村から少し離れた草原で、ドラムの怒鳴り声が響く。ギルドから逃げ出した後、村の内部にはいられずに、外壁の外へと出ていたのだ。
外へ出てからというもの、ひたすらドラムは奴隷たちを罵倒し続け、その憂さを晴らそうとしていた。
奴隷たちを振り返ったドラムは先頭の奴隷を見つめいちゃもんを付ける。
「なんだその目は?この私に何か文句でもあるのか!何かあるなら言ってみろ!」
ドラムは奴隷を蹴り飛ばすと、鬱憤をぶつけるかのようにひたすら蹴り続ける。
ちなみに、奴隷たちは喋れないように奴隷紋で縛ってあるので、文句などいえようはずがない。仮に喋れたとしても、ドラムを逆撫でするだけなので文句は言わないであろうが……
「奴隷ごときがっ!この私に逆らおうなどとっ!身の程を知れっ!」
「ぐっ……がっ……」
ドラムは動かなくなった奴隷を、思い切り蹴り飛ばすと、それを見ていた他の奴隷たちに告げる。
「そのゴミを治療しておけ!お前たちはこの私がいなければ一生日の目を浴びることすらできなくなるところだったのだ。せいぜい感謝するがいい!」
奴隷のうちの一人が回復魔法をかけているのを横目に、ドラムはあたりを見回す。遠くに見える外壁はソナナ村、そして今いる場所はダンジョンにほど近い草原だった。
いつの間にかダンジョンの方向へと進んでいたらしい。それに気が付いたドラムが忌々しげに声を漏らす。
「くそっ……こんな場所に来ても許可証が無ければ意味が……いや、まてよ……!許可証などいらぬではないか!」
ドラムの目的は、ダンジョンを攻略することでも、ジャイアントアントの素材を手に入れることでもない。
1か月前にオークションに売り出されたあの赤い布。材質も製法も不明のあの布を手に入れるためにやってきたのだ。
オークションであの布を競り落としたのはエンティア王国のとある侯爵であった。その侯爵は、競り落とした布を王家に献上し、いくつかの褒美を下賜された。
男爵の3男など長男の予備の予備でしかない。高位の貴族と違い、職が用意されているわけでもない。ならば功績を立てて、長男と次男を蹴落とす。そして自身が爵位を継ぐ――そんな野望を持ってドラムはここへとやってきたのだ。
たとえギルドのルールに反していようが問題はない。あの布を手に入れた後は冒険者などという野蛮な職業などする必要がないのだから……
それに気が付いたドラムは、顔に笑みを浮かべる。
「あの布さえ手に入れば、冒険者ギルドなどもはや用もない……ダンジョンには見張りの兵士や冒険者などもいないはずだ……!おい、奴隷ども!さっさと立て!ダンジョンに向かうぞ!」
そしてドラムはダンジョンへと足を向ける。これからの自分が歩む輝かしい未来を想像しながら――




