#92 蟻VSキノコ ③
こちらの合図と同時に、アーマイゼ率いるジャイアントアントたちと、フェアリーマッシュの率いるジャイアントモールたちが、それぞれに割り当てられたキューブを掘り進んでいく。
『さあ急ぐのです! この勝負で負けるわけにはいきませんよ!』
アーマイゼが檄を飛ばし、特製のツルハシを持ったアントレディアたちが、その人外の筋力でもって土を崩しトンネルを掘る。
出来上がったトンネル内を、ワーカーアントとアースアントたちが細部を整えながら進んでいく。
枝分かれした通路ができあがると、その先へと別れたアントたちが大小いくつもの部屋を作り上げる。
完成した部屋からは何本もの通路が伸び、瞬く間に見慣れたアリの巣のような形のダンジョンができ始めていた。
通路や部屋が増えるのに応じて、追加のワーカーアントたちが送り込まれ、ダンジョンの作成に取り掛かっているようだ。
勝負が始まってから一時間ほどが経過する頃には、キューブの内部ではすでに百体を超えるアントたちが拡張作業を行っていた。
「ふむ。さすがにアントたちは仕事が早いな」
「ふふーん! アーマイゼちゃんたちが負けるはずないよね!」
「そうですね……さすがにジャイアントアント側が有利すぎたのでしょうか?」
「今の状況を見る限りだとそうだが、フェアリーマッシュも自信がある様子だったな」
アーマイゼはおそらく、今回の勝負に名前持ちのアントレディアたちを動員しているのだろう。
先頭を進むアントレディアたちは疲れた様子を微塵も見せず、固い土をプリンか何かのように容易く崩して通路を掘り進めていく。
対するフェアリーマッシュ側だが、アントたちと比べるとやや不利なように見える。
キングモールのヴルフレッドは、アントレディアを上回る勢いでトンネルを掘っているのだが、たった一体では百を超えるアントたちの掘削速度には到底及ばない。
ベビーモールたちも穴を掘っているのだが、どうやら遊び半分のようで、グネグネと曲がりくねった通路を不規則に掘り進めているだけのようだ。
中には先ほどキノコを食べてお腹がいっぱいになったのか、穴掘りをやめ、すやすやと眠り始めたベビーモールの姿も見られた。
『どうやらこの勝負、既に決まったも同然のようですね? 潔く降参したらどうですか?』
『フンッ! まだまだこれからよ!』
圧倒的に有利な状況に、勝ちを確信したアーマイゼだが、フェアリーマッシュは降参するつもりはないようだ。むしろ、どこか余裕があるようにも見える。
勝負の開始から3時間が経過する頃。
アントたちは既に通路の大半を掘り終え、仕上げに取り掛かり始めていた。
ワーカーアントたちが凹凸の残る通路内を通りやすいようにならし、壁や天井などを補強している。
この分だと、もうしばらくすればあちらのキューブは、ほぼ完成の状態になるだろう。
順調に製作を進めるアントたちとは反対に、フェアリーマッシュ側では、ようやく不格好な通路がキューブ全体に張り巡らされつつあるといったところだ。
キングモールの作った巨大な通路から、ベビーモールたちが自由気ままに掘った細長い通路があちこちに伸びているため、迷路のような形にはなっている。
しかし、アントたちの作った物と比べるとやはり物足りないように感じる。
できたばかりの通路は補強すらされておらず、ところどころ交差したり、崩れて繋がってしまった部分もあるようだ。
「これは……さすがにもう勝負は決まったか?」
「ねえダン。フェアリーマッシュが通路に何か撒いてるよ?」
「あれは、腐葉土でしょうか?」
「どうやら三階層から持ってきたみたいだな。あれで何をするつもりなのか――」
フィーネが差したのは、黒い土のようなものが敷き詰められた通路だ。
どうやら、フェアリーマッシュが倉庫機能を利用して出来上がった通路内に黒い土を撒いているらしい。
黒い土の正体は、三階層の森に積もっていた腐葉土のようだ。
フェアリーマッシュが通路のあちこちに腐葉土を敷き詰めている間に、ジャイアントモールたちがキューブから撤退していく。
そして、キューブ内の隅々まで腐葉土が撒かれるのと同時に、最後のベビーモールが、ヴルフレッドに連れられて外へと脱出した。
『フハハハハハハ! ようやく準備は整った! 愚かなアリどもよ、刮目せよ。これが吾輩の真の実力よ!』
フェアリーマッシュがそう叫ぶと同時に、キューブのあちこちに敷き詰められた腐葉土から、白い菌糸が伸び始める。
通路のいたるところから発生した菌糸は、その圧倒的な成長速度を存分に発揮して、爆発的な勢いで辺りを覆い、結合し、その領域を拡大していく。
腐葉土によって黒く塗りつぶされた通路は、まるで絵具をぶちまけたように、急速に白へと塗り替えられつつあった。
『さあ、逆転劇の始まりですぞ!』
『あれは、菌糸ですか? それにしても、一体どこから……』
アーマイゼの疑問はもっともだ。
ダンジョンの機能の一つである、倉庫機能は非常に便利なものだが、どんなものでも収納できるというわけではない。
倉庫の内部には、基本的には命あるものは収納できないのだ。
そして、フェアリーマッシュの胞子も、乾燥させるなどして加工しなければ、倉庫の中に直接収納することはできないのは確認している。
「うーん? ほんとに、どこから持ってきたんだろうね?」
「フィーネ、生きた胞子なら、さっきばら撒かれていただろ?」
『まさか、あの時の胞子が――』
『フハハハハハハ! 下等なアリにしては、少しは頭が回るようだな! そうだ! 吾輩はただ襲われたわけではない! モグラどもの体に吾輩の胞子を忍ばせていたのだ!』
倉庫に収納されていた腐葉土の内部に、彼らの胞子が含まれていた訳ではない。
しかし、現にダンジョン内ではフェアリーマッシュの菌糸が急速にその領域を広げている。
今もなお成長を続ける菌糸はどこからやってきたのか――その答えは一つしかない。
おそらく、フェアリーマッシュがベビーモールに襲われたタイミングで、ジャイアントモールたちの体に自らの胞子を付着させていたのだろう。
ジャイアントモールたちの体に付着した胞子は、彼らが通路を掘ると同時に、あちこちで零れ落ち、ばら撒かれることになる。
そして、通路内に敷き詰められた腐葉土に含まれる養分と、ダンジョンに満ちる大量の魔力を使って、急速に成長したのだ。
あっという間に、壁や天井などを含む通路の全てが菌糸に覆いつくされ、そこへフェアリーマッシュが悠々と移動をする。
菌糸同士が結びつき、圧倒的な面積を獲得したそれと、フェアリーマッシュが接続すると、今も成長を続けていた菌糸の動きが変わった。
『神よ、吾輩がアリどもよりも勝っているという証拠を、今こそご覧に入れましょう!』
高らかに宣言したフェアリーマッシュに応えるように、菌糸がダンジョンを書き換えていく。
――凹凸だらけの不格好な床や壁が、菌糸の塊によって舗装される。
――天井崩れ落ちていたはずの通路には、菌糸で出来た螺旋階段が設置される。
――通路のあちこちに菌糸の壁が作られ、行き止まりのように偽装される。
いつの間にか、曲がりくねりながら無差別に伸びていたはずの通路は、まるで最初から計算されていたかのような複雑怪奇な立体迷宮へと変貌していた。
「いや、最初から計算のうちだったのかもしれないな……」
「ふえ? どういうこと?」
「つまりな――」
計算。そう、最初から全て計算の上だったのだろう。
勝負の内容が決まってからの一週間で、フェアリーマッシュはこの状況を作り出すための手札を全て用意していたのだ。
フェアリーマッシュの最も恐るべき能力。
それは、幻覚症状を引き起こす胞子でも、爆発的な成長速度でもない。
発生してから11階層を制圧するまでのわずかな間に、二足歩行による移動を成し遂げ、言語や念話能力さえも獲得した、その圧倒的なまでの演算能力だ。
フェアリーマッシュを構成する菌糸たちが寄り集まり、それに比例して跳ね上がる演算速度。
子実体のような状態ではそこまでの能力はないが、大地の隅々までに張り巡らされた菌糸体ともなれば、もはやその演算能力は予想もつかないほどである。
まさしく、生きたスーパーコンピュータとでも言うべきだろう。
『フハッ! フハハハハハハ! 白一色の、距離感を掴めぬ通路。不規則に曲がりくねった道と螺旋階段は方向感覚を狂わる。そして道中には吾輩の胞子が漂い、体を蝕むのだ! さらにはこの迷宮は吾輩の体の一部と言っても過言ではない。獲物に奇襲をかけるも、情報を抜き出すも自由自在よ! この勝負、吾輩の勝ちだ! さて、アリの女王よ、潔く降参するなら、今のうちだぞ?』
『クッ――まだです! まだ勝負は終わっていません!』
先ほどとは逆に、フェアリーマッシュがアーマイゼへと降参を促す。
諦めずに、アントたちに指示を出すアーマイゼだが、圧倒的に不利な状況に追い込まれている。
彼女がフェアリーマッシュを甘く見て、手を抜いていたわけではない。
フェアリーマッシュ側のダンジョンの様子を見て、自分たちの勝利を確信した後も、アーマイゼはダンジョンを改良し続けていた。
しかし、菌糸がその体積を増やしていくたびに、フェアリーマッシュの演算速度は増加していく。
加速する菌糸の勢いは、既にアントたちを遠く抜き去ってしまっていた。
「――そこまで!」
『フハッ! フハハハハハハ!』
『そんな……こんな、ことが……』
「アーマイゼちゃん……」
アーマイゼの奮闘もむなしく、状況が逆転しないまま、制限時間の6時間が経過した。
そこには、高笑いを上げるフェアリーマッシュと、勝負の開始前の気力など見る影もなく、呆然とした様子のアーマイゼの姿があった。
得意分野でこのような逆転劇を見せつけられたアーマイゼの心境は、いかほどのものであろうか。フィーネが心配そうな様子で、そんな彼女を見つめていた。
「さて、それでは結果を発表するとしよう――アント側が1票、フェアリーマッシュ側が2票で、この勝負はフェアリーマッシュの勝ちとする」
『当然ですぞ! 吾輩がアリごときに負けるはず等ございませぬ! これでまずは吾輩たちの一勝ですな!』
結果は、フェアリーマッシュ側の勝利である。
アントたちの作ったダンジョンも確かに素晴らしい完成度だった。
奇襲用の隠し通路、敵を分断する落とし穴、さまざまな特性を持つアントたちが有利に戦える地形の数々。
たった一つのキューブに、可能な限りの要素が凝縮されたそれは、まさしく彼女たちの今までの経験の集大成と言ってもいい。
そして、フェアリーマッシュの作り上げた立体迷宮に欠点が無いわけでもない。
このダンジョンのメイン戦力であるアントたちは配置できない上に、土の通路よりも維持に手間はかかるだろう。
条件が少しでも違えば、アーマイゼたちが勝利していた可能性は大いにある。
しかし、今回の勝負内容である、キューブ一つ分の領域に作ったダンジョンの出来だけで判断するならば、フェアリーマッシュに軍配が上がる。
アーマイゼもそれが理解できているからこその、あの様子なのだろう。
『さて、アリの女王よ、自分たちの得意分野で負けた気持ちはどうですかな?』
『――――まだ、まだ一度負けただけです! もう勝ちは譲りません。残り二つの勝負は私たちが頂きます』
『ほう? よかろう。ならば、次も吾輩との力の差を教えてやろうではないか』
フェアリーマッシュの問いかけに、呆然自失の状態だったアーマイゼが気力を取り戻す。
得意分野で敗北したのは彼女にとって苦い経験になったのは間違いない。
それでも、ダンジョンの古参として簡単に負けるわけにはいかないという闘志が、彼女の言葉からあふれ出ていた。